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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
天罰不要
55/124

天罰不要(Cパート)






 再びミシェルに出会ったオーランドは、彼女に多くの事を話した。

 ミシェルはオーランドの隣に腰掛けて、彼の話を聞いた。幸いミシェルは学校の無い休日で、オーランドには説法以外にやることが無かった。

 オーランドは狂人であった。親が居らず、統一前のイヴァンに捨てられた彼は、生きるためにゴミを漁った。他にも同じような境遇の少年少女はいくらでもいたが、オーランドはどうしてもそれらに馴染めなかった。誰かのものを奪い取り、自分の体を売る。競い、蹴落とし、生き残る。そういった原理に耐え切れなかった彼は、とにかくゴミを拾い、ゴミから使えるものを拾い出し、パンと取り替え生き延びた。その内帝国が成立し、社会の構造は大きく変わった。

 平和になった世界でも、オーランドは狂人だった。金で全てがやりとりされる世界では、使えそうなゴミを拾ってもパンと交換してくれる人はいなかった。途方にくれる彼に、ある日天啓が下った。自然のもとに、自然に生きる。それを教えてくれる存在に気づいたのは、帝国成立から十年が成立し、内戦が終わった頃だった。その頃、彼はその『声』を近くにいた犬が発したものであると疑わず『ドッグ様』と名づけた。ドッグ様は様々な道理をオーランドに授けた。自然に生きる。それは『人間社会に寄り添い、溶け込む。信じぬものには罰がある』という単純なものだったが、寄り添うべき人も者も職も名誉も技術も持たぬ彼にとって、それは間違いなく唯一の救いだったのだ。

 オーランドは狂人であり続けた。ドッグ様の道理を解く彼に、人々は石を投げあざ笑った。何を当然なことを。うるさいだけの邪魔者ではないか。そんな時、手を差し伸べたのは、カリバードだった。

「オーランド様、あなたはドッグ様の言葉を伝える伝道師、救世主にほかなりません。そんな貴方様がそのようなみすぼらしい格好ではいけませぬ。この私めに全てをお任せください」

 カリバードは全てを用意した。言葉を伝えるための手段や態度、格好。彼のお陰で、ドッグ様の伝える世界と今のイヴァンは、それぞれ理想郷と世俗であり大きく違うことを知った。オーランドは、なんとしても世界を救わなければならないという使命感に襲われたのだ。

「ミシェル、わたしは伝道師……ドッグ様の言葉を、多くの人々に伝えたい。だが、君と会ったことで、それだけに執着するのは違うのではないかと思っているよ」

 彼女には、自分の人生について、考えについて、半分も伝わっていないだろうとオーランドにはわかっていた。それでも、彼には伝えなくてはならなかった。感謝を。

「多くの人々は、それぞれの幸せを持っている。ドッグ様の言葉は、その内のひとつでしかないんだ。だから、君は嘘つきなんかじゃない。私は、ようやくそれをわかったんだ」

「おじさん」

「なんだい」

「ごめんなさい。ドッグ様のこと、悪く言って」

 オーランドは微笑み、自分の持っていたドッグ様のあみぐるみを差し出した。ミシェルも笑顔を見せながら、それを受け取った。







「ただいま」

 ミシェルの家は荒れている。いわゆる父子家庭であり、父親のバッツは新聞記者として日夜戦っているのだ。今日は珍しく家にいた父親は、仕事がうまくいかなかったのか、安酒をあおっていた。普段の父親は好きだったが、こういう荒れた父親がミシェルは何よりも嫌だった。

「おう……なんだ、それは」

「……もらったの」

 バッツはめざとく、彼女が後生大事そうに抱きしめていたドッグ様のあみぐるみを見とがめた。彼は自分で定めた社会悪とするものの存在を許さない。それが自分の娘をも侵食しているのであれば、尚更である!

「やめろ! 邪教だぞ、あの犬の会は!」

「おじさんにもらったんだもん! やめて! お願いだから!」

 落ち窪んだ目に深いクマ、無精髭のバッツがぬいぐるみを奪い取ろうとする姿に、ミシェルは狂気を見た。だがそれを口にはしなかった。幼い彼女に、それを言葉にする力はなかったのだ。

「うるさい! お前、親に逆らうのか! クソ……俺の娘まで洗脳しやがって! あのカルト教団め!」

 バッツは怒りのあまりあみぐるみを握りしめた。苦しそうにあみぐるみの首が揺れ、ミシェルは何も言えず静かにその場にへたり込む。

「いいか、ミシェル。二度とあの教団に近づくんじゃない! ……俺は出てくるからな。分かったか」

「……分かった……」

 バッツは薄汚れた茶色のジャケットを羽織ると、あみぐるみをゴミ箱へ叩き込み、慌ただしく家を跡にした。ミシェルの脳内には、穏やかなオーランドの姿が思い出されていた。父親のいない家は平和だったが、ミシェルにはその平和が苦しかった。








「オーランド様、それはあまりにも……」

「くどいぞ、カリバード。私はもう決めたのだ」

 ミシェルと別れた後、カリバード商会のオフィスに戻ったオーランドは、自分の考えをあますところなく全ていい伝えた。ドッグ様の会のグッズ販売を辞める。なおかつ、イヴァンの外の人々に対してドッグ様の言葉を広めに行くと。

「私は、世俗を嫌っていながら、世俗に染まっていた。それではいかんのだ。世俗を知りそれを認め、そのうえでドッグ様の教えを伝え守ることをしなくてはならん」

「し、しかし! このイヴァンにはオーランド様の、ドッグ様の言葉を求めている人が多くおります! 何卒考えなおしてはもらえませぬか!」

 オーランドの足元にすがりつくカリバードの姿は、哀れだった。だが、他ならぬ彼が与えた世俗の知識は、彼が救いなど求めていないことをオーランドに伝えていた。彼が信じるものは、オーランドが忌諱した価値観そのものだ。オーランドがその価値観に飲まれそうになっていたのは、オーランド自身にとって大いに恥ずべきことだった。

「それは、私の側近たる君が伝えていけば良いことだ。私がいなくてもなんの代わりもない。新聞記者の事も忘れなさい。私にとっても恥ずべきことだ。私は間違っていた。信者も、過剰な信仰も、聖地もいらぬ。私にとって必要なのは、伝えるという行為のみだ」

 オーランドの言葉は静かにカリバードを貫き、それ以上の言葉を与えなかった。静かになったカリバードを背に、オーランドはオフィスを出る。彼は何も持たない。大げさな襟のついた神秘的な服も、信者たちも、もともと全て必要なかったものだ。ただただ、彼は清々しかった。

 もたざることは、良いことなのだ。少なくとも、オーランドという一人の男にとっては。だが、カリバードにはそれは理解できなかった。人は理解できないものを恐れる。オーランドは彼にとっても狂人なのだ。狂人の手綱を握ったと信じていたカリバードは、それが離れてしまったことを強く恐れた。彼が打った手は、手綱を握りきっている手下を呼ぶことだった。

「一体何です、旦那。俺ぁ今例の件で……」

 マッド・ジョニーの手の内の者は少ない。だからこそ、カリバードから出る金で下請けの者を雇って見張らせているが、肝心要なところは自分でやらなくてはならない。出来る限り、邪魔な新聞記者──名前はバッツ──から離れるようなことはしたくなかった。

「どうせ、この店を見張っているのでしょ。窓の外を見てみなさい」

 カリバードの言葉に、ジョニーはカーテンを少しだけ持ち上げると、隙間から外を覗き見る。夕方から夜にさしかかり、ランプで照らされた道には人々が行き交う。その中で一人、茶色のジャケットを着た疲れた風貌の男が、通りの向かいからこちらを伺っている。

「野郎……なめやがって。旦那、一刻も早くぶっ殺してやりましょう」

「やめなさい。誰が聞いてるかわかったもんじゃありませんよ。……それに、厄介な事が起こったんですよ」

「これ以上なにが起こるってんです、旦那」

 ジョニーはいらついた調子で声を荒らげた。

「オーランドが逃げた。教祖はヤメるそうですよ。恩知らずめが」

 ジョニーは頭を抱えた。ジョニーとて、アウトローとして、金儲けの何たるかはよく知っている。新興宗教の教祖が逃げ出したなど、洒落にもならない。実際、ドッグ様の会はオーランドの言葉と人柄で大きくなったのだ。彼不在のまま、組織が運営できるとは思わない。

「旦那、それじゃどうするんです。せっかくの金づるが逃げちまったら、どうしようもねえ!」

「慌てるんじゃありませんよ、全く。いいですか。聖人は人。ですが、神になる方法があるんですよ。それも簡単に」

 カリバードは立ち上がると、ジョニーと同じように窓の外を見る。変わらず、新聞記者のバッツがこちらを見張っている。離れる気はみじんもないようだ。

「新聞記者の男……こいつは確かに邪魔ですよ。だけどね、あのオーランドももういらなくなった。聖人は死ねば、神になれる。……言いたいことはわかっただろう?」

 ジョニーはごわごわの髪をなでつけながら、下卑た笑みを浮かべた。やはりこのカリバードという男は素晴らしいビジネスパートナーだ。どんな逆境も、チャンスに変えてみせるのだから。






「お兄様、少し相談が」

 セリカが深刻そうな顔で話を切り出してくるので、テーブルに頬杖をつきながらうとうとしていたドモンは何事かと身構えた。こういう時、彼女から聞く話でドモンが得をしたことがないのだ。

「実は、先日ヘイヴンに行った時、おかしなものを見たんです」

「またいきなりですねえ……一体何を見たっていうんですか?」

「犬です。犬のペンダント」

 どきりとした。無理もないことだ。ドモンの私室にあるジャケットの袖の中には、犬のペンダントで荒稼ぎした結果が詰め込まれているのだから。

「フィリュネちゃん、アクセサリー屋の女の子なんですけど、どうもいんちきの偽物を売ってお金を稼いでるみたいなんです。お兄様からも一言言ってあげてください。彼女も彼女の……多分おとうさんだと思うんですが……彼も、とても良いものを作るんです。あんなもの作って売るなんて、価値が下がりますよ」

 ドモンの目が激しく泳ぐ。その価値が下がるどうしようもない偽物の稼ぎを、ドモンは掠め取って懐を暖めたのだから。

「や、まあ生活のためですから……ヘイヴンに生きてるなら、それくらいたくましくないといけませんよ」

「お兄様! 不正はよくありません! ましてや、あんな若い女の子ですよ。悪の道に堕ちたらどうするんですか!」

 それどころか、フィリュネもソニアも人殺しで金を稼いでいる。セリカの基準に落とし込めば、大悪党のそしりは免れないだろう。

「憲兵官吏として、きちんと彼女を正道に戻してあげてくださいまし! 絶対ですからね!」

「僕は聖職者じゃないんですよ。先生でもありませんし……あ、それならセリカ、あなたが正道に戻してやればいいじゃないですか。ちょうど先生ですし、ね……」

 セリカの姿は既に無く、私室につながる扉は閉まっていた。ドモンは一本だけあげた人差し指をくるくると回していたが、彼は結局着地点を思いつかず、ゆっくりと指を下ろし、ため息をついた。

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