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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
約束不要
49/124

約束不要(Aパート)




「えーっと……お取り込み中でした?」

 フィリュネはさすがに申し訳無さそうな声を出した。彼女の対象となっているのは、教会の主イオだ。ここは教会の離れ、イオの居室である。普段は寂れてイオ一人が暇を持て余しているのがしょっちゅうなのだが、珍しく教会にイオすらいない事に気づいたフィリュネが離れまで探しに来たのである。

「いや……なんつーかよォ……」

 ベッドの上には、上半身裸にロザリオを下げたイオが、寝息を立てている女を抱いて毛布にくるまっていたのである。彼は神に極めて忠実な神父であるが、女の誘惑には全く勝てないのだ。要するに神と同じくらい性欲にも忠実なのである。

「すいません、別に用があったわけじゃなくてですね」

「分かってる。俺ァ責めるつもりはねェ。だがよ、とりあえず回れ右して……」

「誰よ、その女」

 腕の中で寝息を立てていたはずの女が、憎悪を込めた視線でフィリュネを睨めつけていた。イオの顔面が蒼白となり、口を開く寸前に女の手のひらがイオの右頬をとらえ、乾いた音が鳴る!

「最低……あなた、別の女を連れ込む気だったの!?」

「いや、そういうのじゃなくてよォ……ぜんぜん違うんだよ。知り合いん所の女の子で……」

 イオの左頬に女の平手が炸裂! 女は衣服をさっさと身につけると、既に離れの陰まで隠れていたフィリュネに目もくれず、どこかへ去って行ってしまった。フィリュネは罪悪感を抱えながら、外から小窓を覗き込む。イオはビンタの衝撃からか、ベッドに寝転がり、天井をみていた。

 フィリュネはそれをしばらく眺めてみていたが、彼の目元に光るものを発見しはじめたので、その場を後にすることにした。悲しいことだが、彼にとってもいい薬になるだろうと信じたのだ。




 フィリュネが教会の聖堂に戻ると、裏口のドアベルが鳴り、懺悔室へ続くカーテンが揺れているところだった。誰か、懺悔しに来たのだ。しかし、ここの主は傷心でしばらく動けないし動かない。まさかわざわざ懺悔しに来た人間に「帰って別の教会に……」とは言えまい。

「……分かんないよね、どうせ……」

 フィリュネはこそこそと懺悔室の扉を開けると、薄暗く狭い空間に滑り込んだ。相手の顔も見えないし、相手からもフィリュネの顔は見えないだろう。お互いのプライバシーはきちんと守られているのだ。

「えーと、おほん。迷える子羊さん、何でも懺悔してください。神はお許しになると思います」

 フィリュネはできるだけ低い声でそう言った。相手は気にする事もできなかったのか、つらつらと話し始めた。

「神父様。わたしは故郷を捨ててしまいました」

「ほほう。それはそれは。あ、ごめんなさい。続けちゃってください」

 しわがれた声から、彼は老人のようであった。フィリュネは彼のとりとめのない懺悔をよく聞いた。数十年前、売れない役者だった彼は故郷を捨てて、当時王国領だったイヴァン東側にやってきたのだという。戦争に巻き込まれ、兵士となり剣を取って戦ったこと。生き残るために、多くの人を殺したこと。現在のイヴァンではよく聞く話だ。十五年も遡れば、帝国成立以前……王国と魔国の戦争に参加した人間は大勢いるものだ。かく言うフィリュネも、戦争で大きな被害を被った。元はエルフの彼女は、故郷を焼かれ、両親を失い、帰るべき場所を失ったのだ。

「わたしは……今静かに暮らしております。家族はおりませんし、貧しい生活です。ですが、そんな生活でもわたしは後ろめたいのです。殺した人間たちがわたしに報いを求めてきそうな気がして……わたしは怖いのです。こんな老人になっても……」

 老人の乾ききった怯えは、フィリュネの言葉を詰まらせた。どう答えろ、というのだろう。彼は、今までどんな気持ちで暮らしてきたのだろう。

「あの」

「神父様。良いのです。わたしは答えを求めているわけではございません。ただ、こんな老人がこのような事を言えるところは、懺悔室くらいしかないのです。どうかお許し下さい」

 老人はそう言うと、小窓の下にある小さな引き出しを自ら開け、銀貨を一枚入れた。彼なりの感謝の気持ちに他ならなかった。フィリュネは、とうとう何も言えないままだった。なれない事はするものではない。フィリュネは肩を落としながら、懺悔室を後にするのだった。







「ユキジ様、いつも毎度ありがとうございます」

 初老の主人が頭を下げているのは、自分の娘ととらえても遜色ないほど年若い娘だった。切れ長の目。漆黒の瞳。塗れ羽色の長い髪。美しい娘であるが、この老舗ドレスショップの主人がこうまでへりくだっているのは、彼女の黒いドレスの襟に入る羽を広げたカラスの紋章があるからに他ならない。

 カラスの紋章。かつてレイヴンズと呼ばれた、巨大傭兵ギルドの証である。ただ、それは三十年も昔の話だ。今は、レイヴンズ出身の傭兵たちが作った土木建設ギルドとして、レイヴン・カンパニーは帝国全土で栄華を誇る巨大企業である。ユキジはその創設者の孫に当たり、現レイヴン・カンパニー総帥なのだ。

「ご主人。景気はどうか」

「へえ。ユキジ様のお陰でなんとかやっていけております。これもご贔屓のお陰でございます」

「そうか。それは重畳」

 ユキジは居並ぶドレスを指でつまみながら、まるで新聞紙の束でも見るような目で事も無げに言った。主人は、どこか嫌な予感がしていた。ユキジがここを贔屓にするようになったのは、ここ最近のことだ。老舗ではあるが、この店はそう大きな規模で商売をやっているわけではない。理由が分からなかった。

「ご主人。折り入って頼みがある。何、大した話ではない。ビジネスの話だ」

 ユキジはボディガードなのか、背の高くガタイのいい青年に椅子を用意させ、そこに座りながら言った。青年は腰に剣を帯びており、無言のプレッシャーを主人に向けていた。

「この店と土地のことだがな。欲しいんだ」

 嫌な予感は的中した。彼女が足繁く店に通っていたのは、その話を切り出すためだったのだ。

「ユキジ様、それだけは……それだけはご勘弁を。手前共はここで帝国成立前からほそぼそと商売を続けておるのです」

「何を怯えている。ビジネスの話をしたい、と言ったはずだが」

「ユキジ様……商品と店は別物にございます。それに、いったいここをどうしようと言うのです」

 ユキジは尊大に、冷静に、まるで朝食に何を食べたか報告するように言葉を続けた。

「どうするかだと? そんなことを知る必要があるのか、ご主人。わたしが求めているのは、答えだ」

 主人は、何も言い返せなかった。レイヴン・カンパニーはその実、強大な影響力を持っている。商業はもちろん、行政府へも強い発言力を持つと言う。つまり、娘ほども年の離れた彼女の機嫌を損ねるような事があれば、こんなドレスショップなど一瞬で吹き飛ぶのだ。

「すまない、ご主人。わたしは、とてもせっかちなんだ。結論をいつも急いてしまう。良くない癖だ……反省するよ。だが、わたしにそういう意思がある。買いたいと思っていることを知っておくのは悪いことではないんじゃないのかな」

「へえ……しかし、手前共はここで商売を……」

 ユキジは主人の鼻先で手のひらを広げると、言葉を制した。人差し指を軽く振り、それ以上の発言を全く許さない。完全に彼女のペースだ。

「さて、今日の用事はそれだけだ。……そうだ。息子さんは息災かな」

 息子。一人息子のアレクス。今年で十歳になったばかりだ。妻を亡くした身では、主人にとってはこの店と同じくらい大切な宝物だった。

「おかげさまで病気もなく元気にしておりますが、それが何か……」

「そうか。ならいいんだ。アレクス君が元気なら……」

 主人は、一瞬ユキジの口元に笑みが浮かんだのを見逃さなかった。すぐに黒羽の扇子で隠れてしまったが、一瞬のその光景は主人の心に何故か恐怖を残した。このユキジという女は、何かとんでもなく恐ろしいことを考えているのではないのか。

「失礼するよ。そして、良い返事を期待している。ああ、そうだ」

 扇子をぴしゃりと閉じると、ユキジは振り向きながら切れ長の瞳を主人に向けた。

「アレクス君と今度遊ばせてもらえないかな。何、ビジネスとは無関係だが……わたしは小さな子が好きでね」

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