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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
魔性不要
47/124

魔性不要(Cパート)




 リゲル達駐屯兵の仕事のほとんどは、歩きまわることに尽きる。憲兵官吏達が様々な場所をパトロールするのと同じく、彼らもイヴァン中を歩きまわる。憲兵官吏ほどの抑止力は無いにしろ、リゲルほど名の知れた男ならば、たいていのトラブルは解決した。

「今日は平和ですね」

「ああ」

 リゲルはどこか上の空だった。それは、いつもどおりだと言っても良かった。リゲルにとって、満たされる瞬間は少ない。このような歩きまわる仕事は不本意に過ぎるのだ。歩けば大抵のトラブルが解決するのならこれほど楽なこともないが、リゲルの求めるような物はこの街で生きる限り何も得られないのだ。エレサの存在を除けば。

「切り上げるぞ。今日の仕事は無いみたいだからな」

「……じゃあ、俺帰っていいですかね」

 エレサの言葉に、リゲルは恐らく歩みを止める。人混みの中で振り返った先には、きょとんと気の抜けたエレサの顔があった。

「なぜ帰る」

「なぜって……隊長、俺だって自分の時間が必要な時くらいあります」

「わかっている。俺もそこまでお前に過干渉する気はない。だが俺達の仕事は……」

「いつでもエマージェント、でしょう。分かってますよ」

 そう言い残すと、エレサは一気に駆け出し、人混みにまぎれて見えなくなっていった。リゲルは唐突に気づいたことがあった。

 俺は、奴に文句の一つも言えなくなっている。

 いつからかは分からない。だが、奴が問題を起こし、奴を抱き、邪魔者を消していく内に、いつの間にかそうなった。そもそもエレサを抱くようになったのも、文句を言えなくなったのも、常に成り行きの末だ。

 リゲルは駐屯兵第十五団詰め所の椅子に腰掛け、ひとりきりでコーヒーを淹れ、飲んだ。孤独はリゲルが最も愛する事だったが、飲んでいるコーヒーと同じくただたた苦々しく思えた。

「クソ」

 リゲルはおもむろに剣を抜き、打ち粉を振り始めた。そうすれば、己の中の何かが研ぎ澄まされるような気がしたからだった。剣に、己の鋭い目が映る。何のためにこうしているのかわからなくなる。

「……俺は何者なんだ? 何を目指していた? 何のために生きている? 何のために剣を振るった? 何のために……殺した?」

 エレサは良い部下だ。側に置いておきたい。恋人と言っていいかわからないが、それでも近くに置いておきたい意思に変わりはない。リゲルの終わりかけていた退屈な人生に新たな展開を書き加えたのは彼なのだ。

 だが、その展開が果たして正しいものだったのか。望んでいたものだったのか。リゲルにはもう答えを示すことはできなくなっていた。






 ヘイヴン側、噴水広場。恋人たちの待ち合わせとしてもよく使われるスポットに、セイラは赤いスカーフを巻いて立っていた。首元にはスカーフ止めの銀色のブローチ。あの後、母親にせがんで買ってもらったものだ。

「ごめんごめん! 待ったか?」

「……いま来た」

 噴水の側に座り込んでいたセイラを待っていたのは、すっかり私服のシンプルな茶色のジャケットに黒いズボン姿になった、エレサだった。彼の爽やかな笑みに、セイラの心は沸き立った。

 セイラとエレサの出会いは、一月ほど前に遡る。貧血を起こし座り込んでいたセイラを、介抱してくれたのがエレサだったのだ。セイラにとっては誰かに恋することはほんの中の出来事であり、まさか自分がそうなるとは考えていなかった。セイラはちょくちょくこうして家を抜けだすと、エレサとの逢瀬を楽しむようになったのだ。

「とりあえず、飯でも食いに行こうぜ。俺、パトロール中にいい店見つけたんだ」

 セイラは頷くと、早速先導を始めるエレサに付いて歩く。エレサは直情的でそそっかしい青年だ。だが、優しかった。自分にはないものを持っていた。人が聞けばそれだけの理由で、とせせら笑っただろうが、セイラにとっては重大な事実だったし、恋だと思うには十分なことだったのだ。

「……それでさ、セイラ」

 二人でレストランに入り、コース料理を注文して楽しんでいると、エレサが目を伏せながら言いにくそうに切り出した。何を言われるか、セイラにはわかっていた。彼は駐屯兵見習いに過ぎない。給与といえば雀の涙だ。一方セイラは裕福なギルドの令嬢、余裕がある。彼は時たま、どうしても必要だから金を融通して欲しいと金の無心をするのである。初めはセイラも彼の力になりたいと真剣に考えており、その都度銀貨を何枚か渡した。もちろん小遣いの範囲である。だが今や彼は金貨数枚を要求するようになっていた。

「お金、あんまり持ってない……」

「なんでだよ。セイラの家は有名な廻船ギルドなんだろ」

「全部私のお金じゃない」

 何の料理を食べたか、もはやセイラには思い出せなかった。彼の力になりたい。それ自体に嘘偽りはないが、金が無いこともまた事実なのである。すべて彼に初めてを捧げたセイラにとって、苦しい事実だった。

「なら、親から貰うなり盗むなりすればいいだろう」

 エレサは笑いながらとんでもないことを言い出す。セイラは目を伏せた。どうしたらいいのかわからないのだ。彼の言うとおり、親から金を盗むか。拒絶するか。

「……明日まで、待って」

 レストランから出ると、エレサはセイラに興味を無くしたようにまた明日な、と言い放ち、どこかへ消えた。セイラはとぼとぼと家に足を運んだ。どうしたらいいのか分からなかった。もともと、彼女はあまり饒舌なほうではない。父親や母親に対してさえ、自分の気持ちを伝えることに苦労するのだ。部屋にはいるのもためらい、屋敷の回りを歩く。

「お嬢様、どうなすったので? 元気が無いようですが……」

 庭師のジョナサンが、木の剪定を終え、はしごから降りつつセイラに話しかけた。セイラはなんでもない、といった風に頭を振る。彼女は立ち止まらなかった。このままだと、屋敷の人間達におかしな風に思われてしまうかもしれない。彼女は屋敷に入り、メイドを振り切り、部屋に篭った。そうする他に、取るべき方法を思いつかなかったのだ。

 日が傾き始め、やがて部屋が暗くなる。ベッドに潜り込んだまま微動だにしないセイラを見かねたのか、ドアを開けて何者かがセイラの部屋に入ってきた。ヴィッカーズ夫人だ。

「セイラ。何かあったの?」

 優しく何事かを訊ねる夫人の言葉にも、セイラは答えようとしなかった。恋人だと思っていた人間に、裏切られたことをどう言葉に表せばいいのか分かるほど、セイラは人生経験豊富ではなかった。

「いいのよ。なにがあったのか、私は聞かない。でも、お母さんに話したくなったらいつでもいいから話して頂戴?」

 そう夫人が言って離れて行くのを肌で感じ取ると、セイラはおずおずと口を開いた。恋人を貶めることを。裏切られた事実を。自らの夢の敗北を。






「セイラがそう言ったのか」

 ブルース・ヴィッカーズは家に帰りついて暖炉の側で暖かな光を浴びながら、妻からの言葉に耳を疑った。自分の娘が、訳の分からぬ男に食い物にされた。しかも、金まで巻き上げられ、嫁入り前に体まで。

「セイラは」

「もう寝てますわ。……泣き疲れて」

「相手の……その駐屯兵の男だが、確かに第十五団所属と言ったんだな」

 夫人が沈痛な面持ちで頷き、ブルースは唸った。第十五団所属の駐屯隊長・リゲルは、ブルースもよく知っていた。ストイックな男で、ブルースのギルド所属の商人からの信頼も厚く、行政府からの覚えもいいらしい。その男の部下が、そのような愚かな真似をする男を部下として置くものだろうか。

「……ジョナサンはまだ起きているか」

 ヴィッカーズ家で住み込みで働いているのは、メイド一人と庭師のジョナサンの二人だけである。まさかこの夜中に、メイド一人をやるわけにもいくまい。

「旦那さま、お呼びで?」

 落ち窪んだ目のぼさぼさの金髪頭の庭師が畏まりながら部屋に入るのを見て、今更ながらどう伝えたものか悩んだ。セイラの事を一から十まで話せば、世間体に関わる。

「うん。夜中にすまない。悪いが街までひとっ走りして、駐屯兵第十五団の詰め所まで行ってくれ。隊長のリゲル君には何度か助けてもらっていてね。『セイラのことで、部下に話を聞きたいからすぐ来てくれ』と伝えて欲しい。わかったね」

「そのようなことならお安いご用で」

 ジョナサンはハンチング帽を被ると、主人の言いつけを守らんと走った。街まではそう遠くは無い。その中で、彼はなにが起こったのかを考えていた。長年つかえていると主人の機嫌の良し悪しもよく分かる。過去最悪の機嫌の悪さだ。彼は怒っている。おそらくは、何かお嬢様のことであったのだろうと当たりをつけ、ジョナサンは走った。第十五団詰め所には、おぼろげながらランプの明かりがあった。既に夜中となった街は暗く、人影もない。意を決して戸を叩くと、入れ、というぶっきらぼうな言葉が返ってきた。

「誰だ、お前は」

 リゲルは剣を磨いている最中だったのか、鏡の如く光り輝く刃を手にしたままだった。彼の表情は、刃と同じく静かな凶器と化しているようにも見えた。ジョナサンは若干それに恐怖を覚えたが、無理やり口元に笑みを浮かべた。

「ヘヘ……夜分遅くに申し訳ありやせん。実は、私の主人のヴィッカーズさんが、リゲルの旦那の部下に話を聞きてえと仰るもんで。なんでも、うちのお嬢様のセイラ様についてだと……」

「お嬢様? ちょっと待ってろ」

 リゲルは剣を納め腰に帯びると、奥で仮眠をとっていたエレサを起こす。さすがに眠そうだったが、リゲルのただならぬ気配に背をただした。

「お前……また何かやったか」

「何……って、何ですか隊長」

「ヴィッカーズ社の令嬢と何をやったかと聞いてる」

 エレサは目を数度泳がせたが、ベッドから立ち上がり、来客を見た。ヴィッカーズ社からの使いの男。さすがに、盗みでも何でもしてこい、というのはまずかったかと小さく舌打ちした。

 エレサの思考は単純だ。自らのために、誰かが世話を焼いてしかるべきなのだ、というものだ。容姿は恵まれているし、適当に誘ってやれば男女問わず『引き込む』事ができる。だから、気分よく過ごした対価が自分に与えられてしかるべきなのだ。あのセイラは、恋人気分を味あわせてやったのにもかかわらず、恐らく自分を裏切ったのだ。許せなかった。

 しかし、それ以上にリゲル以外にそういった存在がいることを知られるのは避けたかった。こればかりは自分で何とか始末を付けなければ。

「……隊長、これは俺の問題ですから」

「そういうわけにもいかん。おい、俺も同行させてもらうぞ」






 ヴィッカーズ家のリビングでは、ソファーに座ったブルースと夫人が二人を待ち受けていた。リゲル達が座ってから、ブルースは咳払いをして話し始める。

「すまなかったね、リゲル君。こんな夜更けに。……ジョナサンはどうしたね」

「あの男なら、さっさと寝ちまったよ。死ぬほど疲れてるらしい」

 リゲルは不機嫌そうに鋭い目をブルースに向けた。しかし、ブルースも海千山千の商人である。それくらいで動じる様子はない。

「……さて、隣の彼かな。ウチの娘と仲良くしていたのは」

「はい」

 エレサはひどく冷静だったが、目は怯えているように見えた。ブルースはそれを訝しんだが、恐らくセイラの事を自分でも後悔しているのだろう、とどこか好意的にとった。それが間違いだった。

「嫁入り前の箱入り娘だ。確かに大切だが、君も同じように娘のことを大切にしてくれているのなら私は文句は言わないつもりだった。……だが、君は私の娘を脅迫した。金を寄越せと。盗めと。……真実か否かはこの際押し問答する気はない。今までのことも不問にする。だが、二度と娘に近づかないで欲しい。リゲル君、君も彼の上司で保護者なら、このことはきちんと守らせてくれ。君には、何度も世話になっているし、彼もまだ見習いだ。娘の事で憲兵団にお恐れながら、と申し出るような事もしたくない」

 エレサはうなだれたまま、何も言わない。リゲルには、彼のために何を言うべきか、すべきか全てわかっている。ただそれが彼ら二人以外にとって、正しいことかどうかはリゲルには分からない。それでも、やめる気はなかった。

「……ところで、玄関で会ったメイドだが、彼女以外にこの屋敷にいるのか」

 ブルースは突然のリゲルの言葉に面食らった。が、人のいい彼に、嘘をつく選択肢は無かったようだった。

「私と妻、娘のセイラ。庭師のジョナサンは会ったろう?」

「ああ。……もう死んだがな」

 リゲルは立ち上がり、剣を抜きブルースの喉を突き刺す! 血がごぼごぼと口から流れ出て、ブルースは若干痙攣した後事切れた。夫人は目を見開いてそれを見ていたが、やがて夫が惨殺されたことを知り悲鳴をあげる! 直後二本目の剣を抜いたリゲルが夫人の頭を砕き、夫人は即死! 二本の剣を振り血を飛ばすと、リゲルは何の感情も見えない鋭い視線を、エレサに向ける。彼はうなだれたまま少し震えていた。彼の顎を引き上げ、こちらに向けると、リゲルは彼にくちづけた。舌が絡み、唾液が糸を引く。

「隊長」

「いつもそうだ、お前は。俺を困らせやがって……。後は、確かお嬢様……セイラだったか。そいつはどうする」

 エレサは夜明けが来たかのように満面の笑みを見せる。リゲルはそれを見てまたこみ上げてくる喜びに身震いした。俺はエレサのために罪のない人を殺して満たされている。エレサのために生きることは、もはやリゲルの喜びそのものになりつつあった。

「セイラは、いいんです。これで、俺との仲を親に邪魔されるような事はないですから」

 リゲルとエレサは、音も無く屋敷を後にした。創りだした地獄を、まるで無かったかのように無視を決め込んだ。屋敷には、たった一人泣きつかれたセイラだけが残されたのだった。

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