魔性不要(Aパート)
帝国首都・イヴァンは広い。街は複雑に入り組んでいるし、人の出入りも激しい。そんな中、街の治安を守るには憲兵官吏だけでは足りない。そこで、イヴァンにはかい組織として『駐屯兵団』がある。憲兵官吏のように現行犯逮捕の権限を持たない代わりに、憲兵官吏の手足となって働く。
その中の一人、駐屯兵第十五団小隊長・リゲルは、変わり者で有名である。この平和な時代、駐屯兵団の出番は少ない。憲兵官吏と比べれば遥かに薄給な彼らは、憲兵官吏について回り、仕事をもらうこともある。だが、彼は特定の憲兵官吏を『旦那』として仰ぐことをしない。時々やりすぎて、逮捕権がないのに相手を追い詰めてしまうこともままある。
短く刈り上げた髪型、そのまま人を刺し殺しそうな鋭い目。ことすれば人を遠ざけそうなリゲルだが、隠れた剣の達人であるともっぱらの評判である。なんと二刀流を使うのだ。昔は騎士を目指しながらも、二刀流は邪道として忌諱され、結局駐屯兵団の団員に甘んじているともっぱらの噂なのだ。
「リゲル隊長。清掃、終わりました」
駐屯兵団詰め所でリゲルが剣の手入れをしていると、子犬のような印象の青年が一人木のバケツを持ち入ってきた。リゲルは鋭い視線で青年を見やり、剣に打ち粉を振り始めた。
「ずいぶん早いな」
「大丈夫ですよ。隊長の言うとおり、隅から隅まできちんと掃除しましたから!」
ハキハキと答える青年に、リゲルは細く鋭い目を向け、難しい表情のまま剣に目を戻した。駐屯兵第十五団、その実はリゲルとその部下の青年、エレサのみの小さな組織だ。リゲルの実力を埋もれさせておくのは惜しいと、帝国行政府のとある役人が働きかけた結果、ここを任されるようになったのだ。
だが、リゲルは何の喜びも抱いていなかった。剣の道に生き、剣の道に死ぬ。それこそが彼の生きる望みだったのだ。内戦時も従軍したが、リゲルを満足させるような剣の使い手はとうとう現れなかった。
俺は、このままゆっくりと死んでいくのだろう。
リゲルは虚無的に、それでいて実直に任務をこなした。胸に空いた穴を埋めるために、任務がそれを果たしてくれると考えたからだ。だが、それでもリゲルの心は満たされなかったのだ。しかし、今は違う。
彼には、一つだけ自身を満たしうる存在があったのだ。
「おい、ソニアよォ。あんたこんなところで油売ってていいのかい」
イオの教会は相変わらず閑散としていた。ベンチにチェス・ボードを広げて、塗装の剥げかけた駒を前にうーんと唸っている二人。イオとソニアは暇そうにチェスにいそしんでいた。
「今日は雨だ。店は出せねえからな。旦那だってこっちにゃ来てないだろう」
イオは自身のウェーブのかかった栗色の髪の先を、指でくるくる巻き取りながら、この場に居ないドモンの事を考える。彼は雨の日をとにかく嫌がる。寝ぐせが普段の三割増しでひどくなるから、とも言っていたが、たいていはめんどくさいからという理由に集約される。ダメ役人の面目躍如といったところだろう。
「まあなァ。旦那は雨の日が嫌いだからなァ。……話は変わるがよォ。信者の一人がワインボトルを一本くれてよォ。飲んでくれっていうんだよな。だけどよォ。神はいつだって俺を見てるから、中々教会じゃ飲めねえんだよ。まさか店に持ち込むわけにもいかねえ。……そこでだ」
イオは予め準備していたのか、ベンチの下から木箱に入ったワインボトルとワイングラスを一式入ったものを引き出すと、ソニアへずいと押し出した。
「飲んでもらえねェか。そんで、俺を誘ってくれ。神も『誘われたものを断るな』って言ってくれる」
意図を察したソニアはたばこを口の端に咥えたまま、ニヤリと口角をあげ、ワインボトルを開け、グラスに一杯注ぎ、口をつけた。久々の酒はたまらない味だった。何せソニアは貧乏なアクセサリー職人だ。酒を飲むのも大変なのだ。
「……おう、ソニアよォ。誘ってくれよ」
「誘わなかったらコレ、全部飲んでいいのか」
「ふざけんじゃねェよお前……一杯飲んだら銅貨二枚だぞ! 中々飲めないレアものなんだぞ!」
ソニアはイオがワイングラスを傾け、酌を促すのをしばらく面白がってみていたが、ようやく一杯目を注いだ。待ちきれなかったのか、イオは一気に飲み干す。
「コレは……イイな。やべェ」
「な。欲を言えばつまみが欲しい」
「あなた達昼間から何やってるんですか」
給湯室から紅茶を淹れて戻ってきたフィリュネは、二人が酒盛りを始めたのを見て呆れ顔になった。尤も、彼女も手にはケーキを載せた皿を持っているのだが。
「なんだよ、ケーキかよォ。なんかこう、ソーセージとか、チップスとかないのかよ」
「塩っ辛いものがいいよな」
男二人がやいのやいの文句をつけるが、フィリュネは我関せずといった表情でケーキにフォークを突き刺し、食べ始めた。退屈な日だ。明日晴れれば、イオはミサで多少忙しくなるし、ソニアとフィリュネは店を開かなくてはならないが、それは明日考えればいいことだ。
だが、この場にいないドモンは、既にその退屈な日から逸脱していたのだった。
「こりゃ、殺しですかねえ」
雨の中、川べりに雨合羽を着た男達が三名集まっていた。地面に土気色の顔をした女が横たわった中、憲兵官吏とそれを発見した駐屯兵団二名が現場検証をしているのだった。ドモンは不機嫌そうな顔で女の苦しそうな表情を見る。いつ見ても、水死体は哀れなものだ。
「ドモンの旦那。俺の見解は違う。だから、わざわざこんな日に旦那に来てもらったんだ」
そう言いながら鋭い目を向けるのはリゲルだ。彼は女が着ているローブをはだけさせると、首元の痣を指さした。何か幅の広いもので首を絞めたらしい跡が残っている。
「殺してから、川に流したんですかねえ」
ドモンが眠そうな目をこすりながら、ぶっきらぼうに言う。態度の良くない理由は単純だ。なんだっていいから早く帰りたいのだ。
「それも違う。首を絞められた跡、川に流された。つまり、首を絞められた時は死んでなかったんだ」
「と言うと?」
「恐らく、首吊り自殺に失敗して、なんとか首から外したはいいが、川に落ちて溺れて死んだ。実はここの上流に、川べりの木から下がっている布があった。恐らく間違いない」
ドモンはそれらしい説明に納得したような表情を浮かべる。そこまで結論が出ているのならば、ドモンがやることはない。だが、死体の処理には憲兵官吏の立会が必要になるのだ。こんな雨の日に面倒なことだったが、殺人の捜査のために駆けずり回る必要が無くなったのは、逆に言えばラッキーだったのかもしれなかった。
「じゃ、仏さんは身元を探しておきますから。あんたたちは現場の片付けと……リゲルさん、報告書書いて下さいよ」
「分かってる」
リゲルはドモンに負けず劣らず不機嫌そうな表情のまま、去っていくドモンの後ろ姿を見送った。直後、リゲルの後ろで佇んでいたエレサが、リゲルにすがりつくと、雨の音に紛れて囁いた。
「隊長」
「……今はダメだ。外だろ」
「でも、俺……」
「詰め所まで我慢しろ」
リゲルはエレサの腰に手を回し、少しだけ抱き寄せてやった。彼は、それだけで少しだけマシになったようだった。エレサが『おいた』をした後は、いつもこうなのだ。リゲルは、そんなどうしようもない彼に何かを施すことに、この上ない喜びを感じるのだった。
逆を言えばリゲルの生きる意味は、もうそれ以外に何もなくなっていたのだ。