詮索不要(最終パート)
俺は両手に銃を握っていた。教会の柱の影に、文字通り潜んでいた。体中に電気が走り、俺は身を震わせていた。理由は分からない。いつもそうなのだ。頭からビリビリが走り、身体を抜けていくのだ。
夜は更けて、俺はただその時を待っていた。
『お前に知っておいてほしいことがある』
ソニアは言った。暖かなベッドの中で。
『もし何かあれば、私の剣を使え。身分は保証される。私の騎士の誇りであり、魂であり……そして、忌々しい帝国貴族の証だ』
そして、彼女は青い瞳の右目と、空を湛えたような左目で笑った。それは、ソニア卿としての獰猛な笑みではなかった。一人の女が見せた、笑顔。
『反逆することは……正直言って、恐ろしい。それが、長年好きだった男への嫉妬混じりなのだから、なおさらだ』
それでいい。人間は身勝手にできているのだ。世の中に、それを押し殺す人間のなんと多いことか。俺は違う。俺は、嫉妬に狂った女のために、その女が好きだった男を殺す。それだけだ。
教会の扉が開かれる。赤いマントを翻し、男が一人入ってくる。腰には剣を携えて、たった一人で。月の光に照らされた精悍な顔には、どこか納得したような表情が伺えた。
「ようやくわかったよ」
意志の強い瞳の奥には、俺の手首と同じ青い召喚印が宿っていた。不思議な目だ。俺が思った印象は、それくらいだった。死ぬ人間に、それ以上の品定めはいらない。
「何がだ」
「ここには、ソニアから来るようにいった」
「女の子に守られてばかりかい、皇帝陛下」
アケガワケイは、剣を抜いた。夜を裂くような音が、俺の耳に響いた。刃物のことはいまいちよく分からないが、結構な良品だろうということくらいはわかった。
「俺はあんたを殺す。……悪く思うな」
トリガーを絞る。発砲音は二発。ケイは恐るべき勢いで長剣を振るうと、弾丸を跳ね飛ばす。返す剣が俺に迫る。後ろへ飛ぶ。身体が軽い。若かった頃より動けている。
上段から振り下ろされた剣を、俺は銃をクロスさせて受け止め、弾く。トリガーを絞る。肩をえぐる。傷は浅い。俺は怯んだ相手に容赦なくトリガーを引く。二回。三回。マズルフラッシュ。血飛沫が月の光で輝く。四回。俺は肩で息をしていた。死なない。皇帝はマントをそのまま羽織っているのかと見紛うほど身体を赤く染めている。
吹き飛ばされた身体をのろのろと起こすケイ。杖代わりの聖剣。俺は恐ろしくなって、トリガーを引く。胸に命中。
「驚いたか? 勇者は、簡単には死にはしねえのさ!」
にやりと血みどろの顔で笑みを浮かべるケイ。俺は返事をせず、五回目のトリガーを引く。額に命中。顔がのけぞった。だが身体はそのままだ。顔の位置を戻した時、俺は異変に気づく。額に、弾丸が止まっている。違う。押し戻されている。傷がふさがっている。
「驚いたよ。勇者と言うよりゾンビだな」
「言ってろよ! テメエ、ソニアに何をしたァ!」
聖剣が嵐のように迫る。俺は、サングラスの下の目で太刀筋を読む。左手の銃があっけなく切断される。舌打ちする。
「ソニアは……いつも俺を助けてくれた。強くて、優しくて! だから、俺はあいつが裏切るなんて、信じられない!」
数時間前の話だ。亜人の前線基地──反帝国連合軍の本部だ──を視察に訪れた皇帝は、六名の屈強な親衛隊を連れていた。ソニアによれば、亜人達を刺激したくないのだろうということだった。帝国成立時に亜人の国は連合国家として独立を認められたが、それを快く思わなかった一部の帝国遊撃隊所属の兵士によって、亜人が数名殺されたのが原因となって、関係が悪化してしまったのを、皇帝は気にしているのだ、と俺に説明してくれた。
だが、皇帝の配慮は全くの無駄になった。
まず、六名の親衛隊は、ピグモス司令の統率されたオーク精鋭小隊によって、一瞬で殺害された。皇帝は異変に気づき、召喚印の力によって十数名を『好意』によって屈服させながら逃走を図った。その姿ときたら、モーゼの奇跡を体験しているような気さえした。だが、亜人の兵士たちは男たちばかりであったので、皇帝の召喚印は徐々に数に勝てなくなった。そこで、駆けつけたのがソニアとその兵だ。彼女は言う。
「陛下! ここは私が殿を務めまする故、ここは撤退を!」
「嫌だ! 俺はソニアを残していくような真似はできない!」
「なら亜人と戦うというのですか!」
「そ、それも嫌だ! 俺はいたずらに血を流すような真似はしたくない!」
「とにかく、私が食い止めます! お早く! この先に教会があります! そこで合流いたしましょう!」
俺は、エルフのドラゴンによって、指定された教会に先回りする。皇帝を殺すために。暗闇に潜んで、確実に相手を仕留めるために。
俺は皇帝の足へ銃口を向け、三回トリガーを引いた。足がちぎれ飛ぶ。どういう仕組みかは知らないが、再生するとしてもすぐというわけにもいかないだろう。俺は容赦なく倒れたケイの剣を握る右手を踏む。砕くのに躊躇はない。やらなければ俺がやられる。
「ソニアのことをすべて分かってるつもりか、坊や。そりゃとんでもない思い違いだぜ。女は底なしで、暗くて、暖かい。だから俺達は惹かれるのさ」
返事を待たずに、俺は心臓に向かってトリガーを引く。一回。二回。三回。撃たれるたび血飛沫が飛ぶ。俺のサングラスにもかかり、視界が狭まる。トリガーは、カチカチと音を鳴らす。銃弾は出ない。俺は、全身に嫌な汗をかいていた。こんなに銃をいっぺんに撃ったのは初めてだった。俺は、切り裂かれた方の銃を拾い上げると、コートの裾でサングラスを拭いた。暗闇の中で俺は、コートの下で自分の血が滲んでいるのに気がつく。あれだけ斬りかかられて、死ななかったのが不思議なくらいだ。
「皇帝陛下は甘くていらっしゃる……か」
俺は、硝煙の香りを香水代わりに、教会を後にした。
振り向いたその先には、一人の青年が剣を握り締めたまま、物言わぬ肉塊になっていた。
それからの出来事は、あっという間であった。
あらは目立っていたものの、確実に帝国という国を繋ぎ止めていた皇帝という名の楔を失ったことで、帝国は荒れに荒れた。
帝国貴族二十家は、大半が国難であるということを認識し、武装し首都イヴァンに集結した。皇帝には、嫡子がなかった。おまけに、召喚された英霊のため、血縁者も一人もいない。集結した貴族たちに、その後釜に座る……もしくは、その後ろ盾に立つという下心が無かったか、と言われれば、嘘になるだろう。
ともかく首都は、各地から集結した兵士で溢れた。兵士の中には、泰平の世に奢り、素行の悪いものも混じっており、犯罪率の上昇に手を貸す事態になってしまった。市民の半数は皇帝を失ったことで活力を無くし、絶望していた。街には、犯罪と腐敗、絶望だけが蔓延していた。
その最たる例が、前魔王であり、当時の皇后だった。彼女は皇帝の死を信じることができず、半狂乱に陥った。側近として付き合いの長い宰相アルメイが、お抱えの医師団とつきっきりの看病を行ったが、壊れた精神を戻すことは不可能であったようで、彼女は三日目の夜、転移魔法によってどこかへ消え去ってしまった。
皇帝は殺された。皇后はいなくなった。帝国貴族二十家にとって、その意味は大きかった。つまり、皇帝殺害の犯人を発見できれば、間違いなく後継者はその人物である。
まず、帝国貴族二十家の内、古の竜騎士の末裔であり、帝国最強の竜騎士団を所有していたユージーン家が亜人の領土へ侵攻した。それに負けじと、首都から、武闘派の貴族五家が連合軍を形成し出陣。亜人の軍備増強と、隣接していたソニア卿の背信疑惑は、既に帝国内部でも周知の事実となっていた。十中八九、皇帝の殺害に関わっている──侵攻に迷いなど無かった。そして、兵士たちにも戦いである以上、敵として認識した亜人達に慈悲の心など持ちあわせてはいなかったのだ。
まず、ドラゴンから投下された爆発魔法起動装置が連合軍基地及び、亜人の国全土を焼きつくした。焼け出された亜人たちは、ソニア卿の領土へと逃げ込んだが、地上から電撃戦を仕掛けた五家の地上軍によって、ほぼ全滅した。女子供も関係なく、殺された。皇帝の命を、亜人たちの命で償うのだ、と息巻いた結果だった。
三日三晩、亜人の国とソニア卿の領土は燃え続けた。全てが灰に返った。生き残った者は、ほとんどいなかった、とされている。死体すら塵に変えるような、凄まじい業火が土地を焼きつくしたのだ。当然だった。
ユージーン家頭領・オズワルドを筆頭として、地上軍を出陣させた、ユーダ家・ハヤカ家・ブルート家・ナギト家・アズトロ家の五家は、戦勝報告として、緊急的な措置として帝国行政府総代に就任したアルメイへ謁見した。
アルメイは、居並ぶ六家の頭領を前に、冷ややかな態度でこう宣言したと言われている。
「卿らの功績は、確かに無視できぬほど大きなものです。ただ、卿らの『功績』のために、幾人の罪なき人間が死んだのですか? それで、陛下は帰ってくるのですか。陛下が不在の中、命令無視の独断専行。帝国軍規に定めれば、即死刑の重罪です。しかし、卿らのお陰で、帝国への反逆を目論む亜人がいなくなったのもまた事実。この件を不問にすることで、卿らへ報いることと致しましょう」
六家の頭領たちは、アルメイの言葉に何も言い返せなかったという。それどころか、未だ首都イヴァンへ駐留していた他家の貴族軍を、追い返し、自らの軍も領土へ帰還した。言葉に出すことはなかったが、明確にアルメイに対し、恭順の意を表明したのである。
後世の史家達によれば、帝国貴族六家の大侵攻はあらかじめすべて折り込み済みであったと見られている。皇帝が殺害され、わずか二週間足らずで、亜人の国へ侵攻することを決断するには、あまりにも速すぎるのである。また、宰相アルメイは帝国行政府付きの『遊撃隊』を私物化していたという説も残っている。遊撃隊は完全に軍から独立しており、諜報機関を兼ねたものであったとされ、皇帝の死をアルメイが真っ先に知ることができたという証拠でもある。最も、この遊撃隊は決まった駐屯地を持たず、各地を飛び回っていたせいか、素行も良くなく、あまり練度も高くなかったようである。
いずれにしろ、皇帝の死を知ったアルメイが、新たな帝国の地固めのため、亜人達を犠牲とした大仕掛を打ったのは間違いない。むしろ、アルメイはもっと前からそういう構想を持っていたのではないかという説も、学会では有力視されている。
ただ、後世の歴史家も、その当時の人間たちもほとんど気に止めないことではあったが、戦乱前に、一匹のドラゴンが亜人の領土から飛び去った、との目撃例が存在する。そのドラゴンにどんな人物が乗っていたのかは、今なお不明である。
そうして、帝国はアルメイを総代とする擬似的な帝政国家として、再出発を余儀なくされたのだった。