仕舞不要(Cパート)
イヴァン東地区、サガミたばこ店。たばこをふかす男が二人。一人はこの店の主人のカケル。もう一人は、東地区、サガミたばこ店周辺を担当している憲兵官吏、ローランドだ。彼はこのたばこ店の常連であり、カケルの裏の顔の一つを知る人間でもある。カケルは彼にとっての裏社会の情報屋なのだ。もちろん、それ以上の事実はローランドに知る由はない。
「貴様がわざわざ俺を呼び出すとは、余程のことのようだな、カケル」
細面の顔に宿る鋭い目は、ローランドの冷酷さを示しているかのようだった。カケルはそんな彼を臆せず見つめると、淡々と述べ始めた。
「……あんた、最近のイヴァンで起こってるおかしな事件を追ってるんだろう」
奇妙な事件。ここ最近、評判の悪い悪党どもが殺されている。剣で斬られていたり、何かで刺されていたり──銃で撃たれていたりして、惨殺される。ローランドは昔の事件を知っていた。三年前、同じようにイヴァンに巣食う悪党どもを葬った殺人鬼共。人呼んで、断罪人が暗躍していた事件を知っている。
「断罪人はイヴァンにまだいる。少なくとも三人、いや四人はいるはずだ」
「その断罪人の一人を知っていると言ったら? ローランドの旦那、あんたどうする」
ローランドの細い冷酷な目が邪悪に輝いたのを、カケルは見逃さなかった。野心あふれる男だ。断罪人の捕縛を元手に、立身出世を企んでいるに違いなかった。
「知れたこと。その男を捕らえ、他の断罪人をおびき寄せる。そして一網打尽よ……」
ローランドは懐から財布を出すと、金貨を二枚カウンターにばら撒いた。
「情報料だ。断罪人の居所を言え」
カケルは彼に負けない程の笑みを作る。人は、自らの思うがままに物事が進むと、その喜びを隠すことはできないものだ。カケルは金貨を押し戻し、受け取ろうとしなかった。
「俺は金はいらん。しかし、いろいろと目をこぼしてもらいたいことがある」
「お前の子飼いの連中のことか? 何やら悪さをしてるようだが、俺は何も知らん」
「それでいいのさ、ローランドの旦那。無知は時として財産になる」
カケルは咥えていたたばこを灰皿に押し付けると、ローランドの耳に顔を近づけ、そっと耳打ちをするのだった。
眠れなかった。
ドモンは珍しく、一人だけになった深夜のリビングで考え事をしていた。傍らには、普段は全く飲まないワインが、ふるぼけたワイングラスに入っていた。セリカが、結婚する。喜ばしいことだ。意地っ張りで、惚れっぽく、しっかりものに見えてどこか抜けている妹が。
「……いざ本当にその時が来るとなると、寂しいもんなんですねえ……」
セリカには昔から苦労をかけた。ドモン自身の出来が悪かったため、家中の期待を受けて育ったセリカは、期待通り優秀に育った。だが、ドモンから見れば、それは人間として大事な要素をいくつも取りこぼしてきたように思えた。
事実、あまりに優秀だったセリカは、当時王国民の持つ興味としては異常である魔法に自らの道を見出した。当然、王国に魔法を学べる学校はなく、本格的に魔法を学べる学校は魔国にしかなかった。親族連中はセリカの魔国への留学に猛反対し、特に父親の反発はすさまじかった。それを、出来の悪いドモンが彼女を庇ったことで父親を激怒させ、とうとう家から二人共勘当されてしまったのである。以降、ドモンとセリカは姓を名乗れなくなった。不便だが、家の恥として追い出された二人に、本当の姓を名乗ることは許されなかったのだ。
「……独身って、こんな感じなんでしょうかねえ」
ドモンはワインを煽ると、再び机に突っ伏した。視界が回転する。思考も渦を巻き始める。彼はそのまま、まどろみへと落ちていった。セリカの言葉が脳内で何度も再生される。
「お兄様、私は運命を信じます。自分の勘を信じます。ミツルギ先生は、今までの人と違うような気がするのです。だから、どうか見守って下さい」
ミツルギにとって、自分がかつて工作員であったことは、単なる過去だ。恥ずべき汚点も、誇るべき事実もない。ただ自分が、王国の手先として殺人や裏工作に従事していたというだけだ。今は、知識を活かして食っていくために、教師をやっている。
しかし、本来それはミツルギにとってみればストレスにしかならない。やりたくもないことをやることは、恐ろしく精神力が削られるのだ。時たま、そんなストレスを無くすために、ミツルギは先生からミツルギに戻る。白髪を振り乱し、ゆったりとした服を身につけ、夜の街を歩く。手にはナイフを携える。殺してやろうと、人に近づいてみたりするが、やめる。ミツルギは快楽殺人者ではなかった。殺しても、何の特にもなりはしない。無駄なことはしない主義なのだ。
だからこうして、セリカと連れ立って一緒に歩くと言うのも、今までのミツルギなら非合理と決め付け拒否したことだろう。なぜ自分がそうしたのか、ミツルギには説明できなかった。
「セリカ先生、ど、どこに行くんでしょうか……?」
「ご飯でも食べましょう、ミツルギ先生。何か嫌いなものは?」
「特にはありませんけど……しかし……」
「いいから、行きましょう! ほら、ここのレストランは私の兄様のお墨付きなんです!」
今までが色のないモノクロな世界だとすれば、ミツルギにとって今日ほどカラフルな光景に囲まれた日も無かっただろう。窓から注ぐ太陽の暖かな光。鮮やかな赤や緑のサラダ。銀色のナイフとフォーク。セリカ。
王国から見捨てられ食い扶持を無くし、仕方なく就職した学校で、教師として何の生きがいもなく暮らしてきたミツルギにとって、それは生まれて初めてとでも言うべき体験だった。
「セリカ先生……なぜです?」
「なぜとは?」
「なぜ、僕に良くしてくれるんですか……? 僕とあなたは、今まで話したこともなかったのに」
セリカは少しだけ恥ずかしそうに下を向き、もじもじすると、意を決したように顔を上げた。頬が少しだけ赤かったのは、窓から注ぐ光のせいだったのかもしれなかった。
「私がそうすべきだと思ったからですわ、ミツルギ先生。そして、それはこれからもそうであって欲しい……それだけのことなのです」
憲兵団本部では、ドモンが自分のデスクでぐったりしていた。あれから一ヶ月は経つが、ドモンのショック状態は継続していたのだった。
「おい……いい加減元気だせよ、ドモン」
サイが呆れ顔でデスクの前に立つが、ドモンはやはりぐったりしたままで、小さくうめき声をあげるばかりだ。
「しばらく仕事したくないんですよ……分かって下さいよ」
「お前のしばらくはいつまでなんだよ。一ヶ月経ったんだからもういいだろ。妹さんが幸せになるんならそれで十分じゃないか。お前がこのままクビになったら妹さんが可哀想だ」
尤もな物言いだったが、ショックなものはショックだった。そんなドモンに対し、ガイモンに至っては、最初の一週間は祝福の言葉をかけてきたが、次の週には叱責に代わり、先週に入った頃から既に無視されている。さすがにもう気持を切り替えるべきなのだろうが、ドモンのスイッチは簡単に切り替わらないようだった。
「それにしても、今日はなんだか本部が騒がしいですねえ。皇帝殺しの捜査は、確か先週やったんじゃなかったんでしたっけ?」
「なんだ、お前知らないのか? 今朝、東地区担当のローランドさんが大手柄を上げたんだぜ」
ローランドが同僚たちに囲まれ、ガイモンに背中を叩かれながら祝福の声を受けている。もともと能力はあるが、どうにも手柄に恵まれなかった男が賞賛される姿に、どことなくドモンは違和感を覚えた。ローランドは手柄を得ようと張り切るあまり、手段を選ばないところがあるのだ。
「へえ……それで、どんな手柄をあげたっていうんです」
「お前……あんだけ騒いでたのに何も聞いてないんだな。ローランドさんは、断罪人の一人を捕まえたんだぜ。イヴァンにもやっぱり、まだいたんだな」
ドモンは急に立ち上がると、サイに用事があると言い捨てると、憲兵団本部を出て教会へ向かった。もしや、仲間の内の一人が捕まったのでは。ドモンの心に一気に不安が広がる。誰かが拷問に耐えかね全てをバラせば、ドモンを含む断罪人はおしまいなのだ。
ようやく辿り着いた教会に集まっていた他の三人を見て、ドモンは胸を撫で下ろした。イオとフィリュネ、そしてソニアは、いつもの通り教会でうだうだとくだを巻いていた。
「旦那さん、ちょうどいいところに! 今日、ケーキ持ってきてくれました? 紅茶だけじゃお腹一杯にならなくて、困ってたんです」
「持ってきてませんよ。憲兵団に捕まってる人、いませんね?」
「いねェよ。見りゃわかんだろォ」
イオとソニアがつまらなそうに、ふるめかしいチェス盤をにらめっこしている。断罪人は全員揃っている。では、捕まったという断罪人は一体誰なのか。
「先に言っとくけどなァ、断罪の依頼はぜーんぜん入ってねェ。俺達も困ってるんだ」
ドモンは気が抜けたのか、一気にベンチに腰掛け、息を吐いた。ローランドは、少なくとも自分から見当違いの捕縛を行うようなリスクを背負う人間ではない。ドモンは自分の人間観察の精度にそれなりの自信を持っている。
もしや、断罪人として捕縛された人物は、ハメられたのではないか。
ドモンは再び立ち上がると、何も言わずに教会を去った。去り際に、フィリュネがケーキを催促をしたような気がしたが、ドモンの耳には何も聞こえなかった。
憲兵団本部内、尋問室では、一人の男が鎖で繋がれ、柱に縛り付けられていた。黒くゆったりした服。肩まで伸びた白髪。目の下の泣き黒子は、腫れ上がった皮膚に隠れてしまっている。
「目が覚めたか」
縛られていた男──ミツルギには、その男の声に聞き覚えがあった。かつて、友と呼んだ男。死に別れたと思っていた男が、ぼやけてほとんど見えない視界に影として写る。
「トキ……」
「違う。今の俺はカケルだ。カケル・タイムズ。いい名前だろ? 久しぶりだな、ミツルギ。気分は」
「最悪だ……いったい何がどうなって……」
カケルは血が染み付いた細い木の棒を拾うと肩に担ぎ、そのままミツルギに振り下ろす! ミツルギは呻くが、カケルは構わずもう一度棒を叩きつける!
「俺は最高だよ、ミツルギ。懐かしいよな。帝国の内戦で最後の仕事をやって以来か?」
ミツルギは答えない。痛みから答えられないのだ。思えばこのカケルと共に、少年工作員として長く王国に尽くした。帝国の内戦の際、行政府から最後の仕事を依頼され、ミツルギはヘマをやった。それ以来の仲だ。そもそも今日まで、お互いが生きているなんてことを信じていなかったのだから、仕方がない。
「俺はな、今でも汚れ仕事をやってるんだ。一応たばこ屋なんてやってるんだが、大して金にならねえ。な、ミツルギ。もう一度俺と組もう。俺とお前が組めば、もっとデカい仕事が受けられる。お前のナイフ捌きは本当に凄かった。今でも健在なんだろう?」
やはりミツルギは答えなかった。息はもう整っていた。意図的に黙っているのだということを察し、カケルは復讐の一撃を叩きつける! ミツルギが苦悶の唸り声をあげる!
「なあ? 俺はお前が好きなんだよ。惚れてると言ってもいい。俺達が組めば出来ないことなんて無い。今は食い詰めた冒険者を集めてるところなんだ。そうすれば、もっともっと大きい仕事が……」
「断る」
ミツルギはほとんど血液と化した痰を吐くと、言い放った。目に強い光が宿っていた。それは、半分死にかけていた生気のないミツルギ先生のものではなかった。
「俺は足を洗ったんだ。こうしてこんな格好をして歩くのも、昨日で最後にするつもりだった。人だってもう最後の仕事の時から殺してない。お前に協力はできないんだ」
暗闇の中に立つカケルの表情はうかがいしれなかった。後ろを振り向き、入ってきた男に顔を向けたからだ。憲兵官吏のジャケットを羽織った男。ミツルギに突然襲いかかり、一方的に捕まえてきた男。
「どうだ、カケル。吐いたか?」
「ローランドか。この男はプロだ。吐くわけがない」
「さすがは断罪人か……」
断罪人。耳に飛び込んできた言葉は、ミツルギにとって完全に予想外なものだった。ミツルギは現在ただの教師だ。昔は王国の工作員だった。それだけだ。断罪人という悪党を殺す殺人鬼共がいたということは聞いたことはあるが、自分ではない。
「まあいい。じっくりと聞けばいずれ吐くだろう。後は俺に任せておけ……」
ローランドが尋問室から出て行った後、カケルはミツルギの顔に顔を近づけた。たばこの匂いがする。カケルはおもむろに咥えていたたばこを指で摘むと、ミツルギの太腿に一気に押し当てた。絶叫が尋問室を満たし、逃げ場の無い熱さと痛みから逃れようと、鎖を揺らす。
「俺は……俺は断罪人じゃない!」
「そうだよ。その通りさ……だがな、ミツルギ。お前は二度も俺を裏切った。しかも結婚するそうだな、『ミツルギ先生』。いい女じゃないか。利口そうで。さっきのお前みたいにいい声出しそうだ。なあ?」
ミツルギの凄惨な視線がカケルを捉える。カケルはその目からかつてのミツルギが死んでいないことを感じ取った。だが、全てが遅い。カケルが会いたかったミツルギは既に死んでいるのだ。
「いつ俺がお前を裏切った? ありえねぇことだろ」
「ありえたのさ。同じイヴァンに住み、同じ後ろ暗い過去を持ってるのに、俺達の差はなんだ? 所詮俺達は汚れ仕事で食ってきた悪党だ。これからもそうでなくちゃいけないんだよ。抜け駆けは俺達にとって最悪の裏切りなんだ。なあ、ミツルギ先生?」
ミツルギは何度もつぶやく。殺す。カケルを殺す。あの憲兵官吏も殺す。立ち向かってきた者全員を殺して、セリカの元まで駆け抜ける。彼女を殺させたりするものか。
「安心しろよ、ミツルギ先生。お前の彼女を殺したりするもんか。だが、お前は死ぬ。断罪人としてな。あの旦那にとっての、『本当の断罪人を呼ぶ』撒き餌になるのさ。工作員には、お似合いの最期だろう?」
カケルはたばこを再び咥えると、くつくつと喉を鳴らし始めた。笑い声が大きくなり、やがて尋問室の外へも響くであろう笑い声をあげた。




