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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
身代(みがわり)不要
36/124

身代(みがわり)不要 最終パート

 翌日、憲兵団本部に出勤したドモンは、ガイモンやサイへの挨拶もそこそこに、ロジャーのデスクへと向かった。彼の担当は色街周辺であり、色街の特性から夜に見まわることが多い。ドモンも朝には弱いので、昼ごろゆっくり出勤する分、彼に会うのは比較的難しくなかった。

「や、ロジャーさん、どうも」

「ドモンか。俺は眠いんだ。何か用があるなら手短にな」

 ロジャーは大げさにあくびをしてのけると、ふてぶてしい態度でドモンを迎えた。ドモンは卑屈な態度で恐る恐る話を切り出す。この男、やたら目が鋭く強面のうえ、やたらと押し出しが強いため、ドモンは苦手としているのだ。

「では手短に……実は僕、とあることを小耳に挟みましてねえ。なんでも、仇討ちをやるそうじゃないですか」

「ほう。耳が早いな。……それで?」

「仇討ちには憲兵官吏の監視がいるはず。でも、ロジャーさんもお忙しいでしょう? もし良ければ、代わりに僕がやらせていただこうかと」

 ドモンはへらへら笑っていた。ロジャーも含むように二・三度笑ったが、それ以上は続かなかった。やがて、ドモンは自分だけが無駄に笑っていることに気づき、ゆっくりと笑うのを止めた。

「え、ダメ、ですかね?」

「気持ちはありがたいがな、ドモン。俺の担当地区の娼館の主人が仇討ちの対象になってるんだ。色々懇意にしてもらってることだし、ここは一肌脱がなきゃならん。……この話自体も、あんまり騒がれたくない。お前もどこで知ったのか知らんが、黙っていることだ」

 ロジャーは財布から金貨を一枚取り出し、差し出した。ドモンは金貨を二度見する。やけに太っ腹だ。彼はドモンと同じ憲兵官吏であり、給与に大した違いはないはずだ。恐らく、ドモンと同じく、いやそれ以上に賄賂で私腹を肥やしているのだろう。

「や、や、これはこれは。変なことを聞いてすいませんでしたねえ。ま、これは借りておくことにさせてくださいよ。では、その娼館の人にもよろしく言っておいて下さい」

 袖の中のポケットに金貨をしまうと、ドモンは卑屈な笑みを浮かべて、ロジャーの目の前から去った。ソニアの頼みはどうにもならなかったが、自分の懐が温まったのなら文句はないのだ。




「話が違うじゃないか、旦那!」

「いやそうは言ってもですねえ。僕だってあの強面相手に、多少は粘ったんですよ? でもあんなに押し切られちゃ……」

 ドモンは教会に着くなり、ソニアへの弁解に頭を悩ませる事になった。彼はドモンに詰めより、襟首を掴んでねじり上げる始末だ。ドモンが怯むのも無理はない。普段は黒眼鏡で隠れているが、彼もまたロジャーに負けず劣らずの強面なのだ!

「いいのか、旦那。俺は貸しを貸したままにする趣味はないぜ」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」

 あまりの騒々しさからか、奥からのそのそとイオが姿を現した。後ろには、ケーキと紅茶を載せたお盆を持ったフィリュネの姿があった。ドモンにとっての詫びの形である。もちろんいつもの見回りの最中にもらってきたのでタダだ。

「汝の隣人を愛せ。あんまりガタガタ喧嘩すんなよォ」

「そうですよ。大体、なんで見ず知らずの女の人の仇討ちにソニアさんが付き合う必要があるんですか」

 娼館での騒ぎがあった後、ソニアはすぐにノゾミの立会人を申し出て、憲兵団にも届け出を出した。彼女は一人で戦い続けてきた。家族もいないし、仲間もいない。このまま斬りかかればただの殺人者だが、仇討ちの形式に則れば、彼女が罪に問われるような事はない。

「別になんでもない。気になっただけだ。……時間だ。もう行くからな」

 ソニアはドモンをようやく離すと、コートの襟をただしたばこを咥えると、教会から去っていった。

「ソニアさん、女の人に甘いですからね」

 フィリュネは呆れ顔でケーキを口に放り込んだ。イオは昼寝を再開せんと、ベンチに寝転がり、聖書を頭にかぶせた。

「なんだって構わねェが……その娼館。アダージョだっけか? なんだってあんなとこに行ったんだ。俺だったら絶対に行かねェぞ」

「そりゃ、一体何でです」

 ドモンがフィリュネの隣に座り、ケーキを口に入れる。イオは構わず寝転がったまま話を続けた。

「女の子からの評判が悪いんだよ。あの店の主人が自分で雇い入れてるなんて言ってるがな。実際は人買いと変わらん手口らしい。旦那、あの店の女はどうだった?」

「どうだった、って……途中までは良かったんですけど、なんか変な臭いがしましたね。くさいとかじゃなくて、甘ったるい臭いというか」

「それだよ。……なんでも、依存性のある薬草を使ってるらしくてな。長く勤めてる間に離れられなくなって……ついには廃人になっちまうって話よォ。色街の女の子の間じゃ有名な話だぜェ。んで、主人はあそこの担当のロジャーって憲兵官吏と結託してて、何もかも見て見ぬふり、さ」

 ドモンは口に頬張ったケーキの甘さを忘れてしまうくらい、一気に嫌な予感を覚えた。ロジャーと、娼館の主人、ハシッシュはグルになっている。では、今回の仇討ちは、果たして正式に行われうるのか?

「……神父、僕はちょっと用事を思い出しました。フィリュネさん、ケーキ、食べかけでよければ差し上げます。じゃ」

 嵐のように立ち去るドモンの後ろ姿をみながら、フィリュネは残されたケーキの皿を引き寄せ、フォークを突き刺すのだった。





 イヴァン郊外、林の中の人気のない空き地。ノゾミは父親の形見の剣を杖代わりに、仇のハシッシュを待っていた。その後ろには、たばこをふかしつつその時を待つ、ソニアの姿があった。

「ここまで付き合ってもらって、すいません」

「気にするな」

「オジさん、良い人だね」

 良い人。ソニアは一人口の中でつぶやく。かつて、一人の女のわがままで、ソニアは皇帝を殺した。それ以前にも、人を殺して生きてきた。それが良い人とは、自分も丸くなったものだ。ノゾミに何かを話そうと口を開いたその時、三人の男が林の影から現れた。憲兵官吏のジャケットを着た男。娼館の支配人。そして、ハシッシュ。腰には剣を帯びている。

「よく逃げずに来たな!」

 青い瞳に殺意を込めながら、ノゾミは叫んだ。ハシッシュは意に介していないようで、口元に含んだ笑いを浮かべていた。

「笑えるのは、今のうちだけだぞ」

 ノゾミは剣を抜き、構えた。一迅の風が吹き、雑草を揺らし、土と草の薫りが当たりを駆け抜けていった。ハシッシュは未だ剣を抜く様子を見せないが、だらりと伸ばした腕の先、手のひらと指は波打つようにせわしなく動いている。

「ノゾミ殿。父上の無念を晴らす千載一遇のチャンスだ。始めよ」

 ロジャーが厳かにそう言ったのを合図に、ノゾミは上段に剣を構えハシッシュに突進する。ハシッシュは、抜いた。腰に帯びた剣ではなく、懐から出した銃を。そして、躊躇なく引き金を引く。銃弾はノゾミの左太腿を撃ち抜き、ノゾミは剣を構えたまま自身の体を支えられなくなり、転がりながら崩れ落ちた。

「おい! 銃を使うのはフェアじゃないぞ!」

 ソニアはハシッシュへ詰め寄ろうとするも、ロジャーがそれを剣で制した。いつの間にか、彼も剣を抜いており、ソニアの喉元へ突きつけているのだった。

「黙れ。決着がつくまでな」

 ハシッシュはようやく剣を逆手に持って抜くと、容赦なくそれを振り下ろした。ノゾミは突き刺された剣を左手で掴みながら、強引に立ち上がった。くいしばった歯の間から血が漏れる。

「殺す……テメエ……殺す……」

「残念だったな。お前の命はもう終わるぜ。……最後にいいことを教えてやるよ」

 ハシッシュは自身の長い足でノゾミを蹴り飛ばす。血が吹き出し、ハシッシュの服とマントに飛び散った。

「五年前にさらった妹は……なかなかいい声で鳴いたぜ。すぐに薬でダメになったがな」

 ノゾミは一瞬だけ全てが抜け落ちてしまった表情を見せた。命も、主義主張も、感情も。その全てを怒りに変換して、彼女は声にならない咆哮を上げた。しかし、体はついていかなかった。ただ流れ出ていく血液の音が、彼女の感じることの出来る音の全てになりつつあった。

「ハシッシュ様、お見事でございます。クマ様もお喜びにございますよ」

「くまちゃん、ありがとう! 君が励ましてくれたおかげで俺勝てたよ!」

 ハシッシュは支配人から受け取ったぬいぐるみを子供のように抱き上げた。ロジャーは剣を収め、ハシッシュたちの元へと向かう。ソニアは思わず彼の肩を掴んでいた。

「なんだ、その手は。離さんか」

「あんまりじゃないですか、こんなのは……相手が銃を使うなんて、せめて教えてやるくらいするのが常識でしょう」

「これは正式に認められた仇討ちだ。殺すか、殺されるか、倒すか、倒されるか。それだけだ。……手間賃だ。あまりこの件を喋るんじゃないぞ」

 いつの間にか側に近づいてきていた支配人から、ロジャーは金貨を三枚受け取ると、それを地面に放り投げた。

「とっておけ……先に言っておくが、強請たかりを考えるのは愚かだぞ。貴様ごときどこの馬の骨ともしれん男、斬るのは簡単なのだからな」

 そう吐き捨てると、ロジャー達は林の影へと消えていった。土と草の臭いと共に、むせ返るような血の臭いがあたりに立ち込めていた。ソニアは彼女の遺体を抱き寄せた。怒りからか、色を失った青い瞳を剥いたまま、息絶えていた。剣を固く握りしめたまま、離そうともしていない。無念のまま、怒りと恨みを晴らせず死んだのだ。

「……遅かったみたいですね」

 ドモンが辿り着いた時には、全てが終わっていた。飛び散った血と、崩れ落ちた女。それを抱き寄せるソニア。何が起こったかなど、聞くまでもなく明白だった。

「勝てなかったんですか」

「違う。奴ら、銃を使いやがった」

「銃? 確か仇討ちの場合、剣を使うなら相手も剣を使わないといけないはずです。それすら守らなかったんですか」

 ソニアは無言のまま頷いた。彼はノゾミの目を閉じさせてやると、その場にゆっくりと彼女を下ろした。ただただ冷たい風が、ソニアとドモンを襲う。彼らは顔を見合わせると、頷いた。彼女の恨みは、断罪人が請け負わねばなるまい。






「なるほどなァ。やるせねえ話だ」

 真夜中。イオの教会で、四人は集まっていた。目の前には、ソニアが受け取った三枚の金貨。一人銀貨七枚、銅貨五枚の報酬を受け取る。

「俺の勝手な頼みだ。相手のことだって、大して知らねえ。……だが、許せない」

 ソニアは静かにそう言った。フィリュネは彼の感情を汲み取ったのか、非難めいたことは何も言わずに、淡々と状況を分析する。

「問題は時間ですね。娼館経営の人なら、当然営業中に娼館から出ることなんてないはずですし。断罪は難しいかも」

 フィリュネがもっともな疑問を呈示する。が、イオは一人不敵な笑みを浮かべていた。そんなことは関係ない、と言わんばかりの余裕の表情だ。

「何言ってんでェ。直接入りこみゃいいだろ。客としてなら怪しまれねェ。どうせ顔も見られないようになってるんだからな」

 四人は言葉少なくその場を解散し、それぞれ一路色街へと向かった。相変わらず、色とりどりの照明がランプから放射され、人々が融け合っている。その中で四人だけが影になったように、街へと滑りこむのだった。




「や、これはロジャーさんじゃありませんか!」

 憲兵官吏のロジャーは、急に呼び止められた事に若干腹を立てながら、後ろを振り向いた。色街も少し通りを外れると、ランプ一つなく暗い。誰かと目を凝らすと、そこに立っていたのは、同じ憲兵官吏のドモンだった。

「なんだ、ドモンか。今日はもう非番か?」

「ええ、そうなんです。実は今朝、ロジャーさんから貰ったお金なんですが、ちょっと別に収入がありましてねえ。お返しするついでにここで遊んでいこうと」

 ドモンは猫背気味の背中を丸めながら、懐の金貨を差し出した。ずいぶん義理堅いことだ。まあ、本人も『借りるつもりで』などと言っていたのだから、ロジャーにとっても悪い気はしなかった。

「フフフ、なかなかお前もできた男よな。ま、その金は良いから取っておけ」

「や、そういうわけには……」

「どうせなら豪勢に遊びたいだろう? 良い所を紹介してやろう。金貨一枚もあれば、良い思いができるぞ」

「や、それはそれは。……ところで話は変わりますが、今朝の仇討ちはどうなったんですか?」

 唐突に変わった話題に、ロジャー少しだけ鼻白んだ。まさかとは思うが、勘付いているのではなかろうか。まさか、そんなはずはない。相手は憲兵団きってのお荷物だ。気づいているわけがない。

「お前には関係なかろう」

「ええ。関係ありませんとも。しかしなんですねえ。憲兵官吏もあんなのに肩入れするようじゃあ、おしまいですよねえ」

「……なにが言いたい」

「決まっているじゃありませんか。僕にも少々分け前をもらえませんかねえ。金貨一枚じゃ、どうにも心もとなくていけません。口も軽くなってしまいそうですしねえ」

 ロジャーはふてぶてしい笑みを作ると、懐から金貨を一枚ドモンの前の地面に撒いた。ドモンの顔は影になっていて見えなかった。彼がそれを拾おうとロジャーに背中を向けた瞬間、ロジャーは静かに剣を抜き、ドモンの背中に剣を振り下ろす……が届かない! ドモンは既に剣を抜いており、ロジャーの剣を弾いたのだ!

「ドモン……貴様!」

 ロジャーは再び剣を振り下ろすが、ドモンはそれをすり抜けるように胴を横一文字に切り裂き、振りぬいた剣を今度はロジャーの背中に突き立てる! 自身の体を貫く感覚に、ロジャーは断末魔の叫び代わりのうめき声をあげる!

「まさか卑怯とは言わねえよな。剣同士の仇討ちなんだから……」

 ロジャーが事切れるのを確認すると、ドモンは剣を振り血を飛ばし、ロジャーの袖で血を拭ってから、剣を納めた。





「さあさ、旦那様方。お遊びならばアダージョに寄ってらっしゃい。今なら旦那方のために精一杯勉強させていただきます!」

「おう。遊びにきたぜェ」

 呼び込みをかける支配人に、男が一人近づいた。いつものように商売用の笑顔を見せながら、客の値踏みをする。胸に黄金づくりのロザリオを下げて、何度もいじっているところを見ても、神父か何かだろうか。

「旦那様、ようこそいらっしゃいました。当店はどんな娘でもよりどりみどり。男娼も若いのを入れておりますよ」

「そりゃ助かるねェ。……遊ぶ前にちょっと聞きてェんだが、いくら勉強してもらえるんでェ」

 男の言い様に、支配人は少し考える。金貨二枚もあれば、この店で一番の娘をつけられる。新規の客なのだし、あまり金を持っている風にはみえない。まあせいぜい四番手くらいを付けて、搾り取るとしよう。

「金貨二枚で、当店でも指折りの子をお付けしますよ。金貨二枚ポッキリです!」

「そうかい。……もう一つ言いてェんだがよ」

「何でしょう」

 男は支配人の肩を抱くと、照明の当たらない暗がりへと連れ込んだ。男の顔が照明ではなく月明かりで照らされると──イオの凄絶な視線が支配人を突き刺した。

「あんたの命はな、金貨一枚にもならなかったぜ」

 イオがロザリオの先を支配人の額に押し付けると、ぜんまいが回転し針が飛び出す! ロザリオを抜いた瞬間、支配人はその場で痙攣を始め、通りへ向かって二・三歩進んだかと思うと、突然倒れ事切れた。通りがにわかにざわつき始めたのを見て、イオは通りを少しだけ名残惜しそうに見た後、通りの奥のさらに暗がりへと紛れていった。





 アダージョの事務室で、ハシッシュはクマのぬいぐるみを傍らに置きながら書き物をしていた。薬や女の仕入れには手間がかかるが、それだけ実入りは大きい。こうした事務仕事が、安定して金を産む源になるのだ。

「くまちゃん、俺もっと頑張らねえとな……女には金がかかるしな……」

 今日の事は予想外だったが、金を手に入れたハシッシュには、乗り越えられないものは無いと確信できたことは収穫だった。しかし憲兵官吏のロジャーに払った金は少なくない。これからも自由に振る舞うためには、もっと稼がねば。

 その時である。事務室の扉がノックされた。支配人が呼び込みを終えてきたのかもしれない、と思ったハシッシュは、入るように声をかけてやった。

「失礼します」

「……テメエ、誰だ」

 入ってきたのは、ハシッシュより遥かに小さい少女だった。反射的にハシッシュは自身の懐の銃へと手を当てる。こんな女は雇っていない。何者だというのだ。

「ここの主人さんですよね。わたし泊まりで彼氏と入ったものなんですけど、どうも部屋がおかしいんです。見てもらえませんか?」

「お客様でしたか。これは失礼。支配人はいませんでしたか。部屋のことなら彼に……」

「そんな人、いませんでしたよ? とにかく見て下さいよ」

 少女がせっつくので、仕方なくハシッシュは立ち上がった。支配人がいないのは気になったが、せっかくの客に不評を買うことも無いだろう。少女に部屋へ入るよう案内され、暗いままの部屋へ入った直後! 背後で急に扉が閉まり鍵がかかる! ハシッシュは後ろを振り向くも、既に少女の姿は無い。ハメられたのだ!

「誰だ……誰だ!」

 部屋の照明は殆どなかったが、暗闇の中でわずかに赤い点のような光が漂っていた。それが動いたかと思うと、今度は掻き消える。なれない闇に対し、懐の銃を抜き、虚空に向けて構える。フリントロック式の一発限りの銃だが、人間を仕留めるには十分だ。

 その時、石がぶつかる音が部屋に響いた。火花が散り、その度に暗闇の中に浮かぶたばこを咥えた男の顔。見覚えがあった。今日殺したあの女の立会人だ。

「テメエ……仇討の仇討なんて、冗談じゃねえぞ!」

 顔が浮かんだ場所に銃を向け、トリガーを引く! マズルフラッシュが部屋を照らし、ハシッシュの予想とは全く見当違いの場所で、コートを翻しこちらに銃を構えているソニアの姿が浮かび上がる!

「冗談じゃない。本気さ……いつだってな」

挿絵(By みてみん)

 銃声が上がる。一発! 二発! 三発! 頭、心臓、股ぐらに命中し、ハシッシュは一気に崩れ落ちる! 照明を付け、ハシッシュだった死体を蹴って確認すると、丁寧に空薬莢を拾う。部屋を開けたフィリュネが慌てた様子で手招きするのを見て、ソニアは部屋を出て、静かに扉を閉めるのだった。





 ソニアはイヴァン市街から大きく外れた小高い丘の上に、ノゾミの墓を作っていた。彼女のことは、殆ど知らない。生まれた国のことも、愛した家族のことも。だが、ソニアにはこの墓を作らなくてはならない気がしていた。それだけ、自分や、自分が愛した女に似ていたからだった。

「私、その人に会ってないんですけど、そんなに似てたんですか?」

「ああ。雰囲気がそっくりだ。君も会ったらたまげたと思うぜ」

 ソニアとフィリュネは墓に手を合わせ、青い花を添えた。しばらく、風が運ぶ音だけがその場を支配していた。

「……フィリュネ。もし、俺が先に死ぬことがあっても、こんな立派な墓はいらないぜ」

「その時は」

 フィリュネの顔は少し悲しそうだった。バカバカしい問いだ。彼女を悲しませる気はなかったのだが、思わず聞いてしまった。

「その時は、私も生きちゃいないですよ。ソニアさん、私のこと何度だって助けてくれたんですから。ソニアさんがいないなら、私だっていないです」

 その日は、いつか訪れるだろう。願わくば、その日がもっとずっと先であってほしいとソニアは願った。再び、風が土の香りを運び、二人の鼻孔をくすぐった。





身代みがわり不要 終

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