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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
身代(みがわり)不要
35/124

身代(みがわり)不要(Cパート)






 アダージョ、ロビー。ノゾミは剣を抜いていた。その先には、男が一人。父親を撃った男。母を犯し、絞め殺した男。妹をさらった男。左目から憎しみの光を突き刺すように、男を睨みつける。ハシッシュは女を見る。誰なのかとんと分からぬ、といったような風である。

「誰だい、お嬢さん」

「……私の顔を見忘れたか。私はお前の顔を忘れたことはあの夜から一度もないぞ」

 ハシッシュは肩をすくめる。ノゾミは抜いた剣の柄を強く握る。家族を失ったあの日から追い続けてきた仇が、すぐそこにいるという事実に、ノゾミの肌は粟立っていた。

「俺を殺すのか」

「そうだ。私は……私はお前を殺すためにここまで来たんだ。アハマド領でお前が家に押し入り、両親を殺し、妹をさらった事を忘れた日は一度とてない。死んでもらうぞ」

 ノゾミは剣を上段に構え、ハシッシュににじり寄る。ハシッシュは手をあげ、抵抗しなかった。ノゾミにもわかっている。ここは彼のフィールドであり、ここでのノゾミの行為は単なるサイコパスの狂った犯罪行為でしかないということを。

「やめてくれよ、お嬢さん。証拠は? それは本当に俺か? 夜の出来事じゃないか? 犯人の顔を見たか?」

「黙れ」

「こういっちゃなんだがな。もし確たる証拠も無いってんなら辞めたほうがいい。実際、俺はお前に見覚えが無い。もちろん、押し込み強盗なんてやったこともない。本当さ」

 ノゾミがにじり寄る度に、ハシッシュは後ろへ下がっていく。やがて彼の背中が完全に壁へとついた時、ノゾミは彼の喉元に剣を突きつけた。後数センチ刃を押しこめば、確実に彼は死ぬだろう。ノゾミは復讐を達するのだ。

「ハシッシュ様! どうかお客様、おやめ下さいまし!」

 館長が事務所の扉から騒ぎを聞きつけ飛び出してくると、その場で平伏し許しを請うた。ノゾミの剣は動かない。後数ミリで、全てが終わるのだ。

「お客様、何かご不満がおありであれば、この私を罰して下さい! アダージョで起きたことこれ即ち支配人である私の不徳のいたすところにございます。ハシッシュ様には何の咎もございませぬ」

「黙れと私は言っている。お前に罪はないことだけは確かだ。あの時、この男だけが家に入ってきた。手を下したのもそうだ。邪魔立てするようなら、お前も斬る」

 騒ぎが大きくなってきた。次第に寝ていたはずの客が部屋から様子を伺い始め、ロビーがにわかにざわつきはじめる。ハシッシュはクマのぬいぐるみを強く抱き寄せると、大声で客へと呼びかけた。

「お客様! どうかお鎮まり下さい。私どもにはなんの落ち度もありません。ご迷惑をおかけしておりますが、今しばらくお待ち下さい。そうだよねー、くまちゃん。俺達は悪くないもんね」

 ハシッシュは舞台俳優のごとく堂々とそう言ってのける。だがノゾミに動揺はない。全く剣先はブレず、喉元のすぐ側を離れようとしない。

「これは一体どういう騒ぎだ」

 今度は、憲兵官吏がアダージョに入店してきた。ノゾミは知らなかったが、色街をよく知る客は知っている顔だった。この辺を担当している中年で強面の憲兵官吏、ロジャーだ。

「これは、ロジャーの旦那。なんとか言ってもらえませんか。困っているんですよ」

 ハシッシュは壁に縫い付けられたまま、ロジャーに助けを求めた。

「ここは彼の経営する娼館だ。客もいる。どういう謂れで剣を向けているのかはしらないが、これ以上は憲兵官吏として無視できん」

「ではどうしろと言うんだ。私はこいつを斬るために、復讐を為すためにここまでやってきたんだ」

「斬る? 彼をか? これはおかしなことを。見たところ旅の冒険者といったところだな。イヴァンの法を知らんのか、田舎者め」

 ノゾミの言葉をせせら笑うと、ロジャーもまた腰に帯びた長剣を抜いた。当然の道理だ。いくらノゾミが彼の過去の悪事を知っているとしても、この場にいる人間から見れば、彼女は突然剣を抜き、娼館の主を堂々と殺そうとする狂人である。

「では憲兵官吏の貴方に聞きたい。法を持って彼を斬るのなら文句はでないのだろう」

 ノゾミは羊皮紙を懐から取り出すと、それを広げて見せた。仇討ち状という題目に、ノゾミ=ディスティニーのサイン、そして、彼女と彼女の家族が住んでいたアハマド領領主のサインがしてあった。ロジャーと館長、そしてハシッシュの顔色が変わる。いわゆる仇討ち状は家族が殺され、手をかけたのが重犯罪者に対する場合にのみ認められるものだ。それを見たのがロジャーだったのがまたまずかった。憲兵団で管理しているような文書ならともかく、領主がサインした正式な書状だ。握りつぶせるようなものではない!

「わ、分かった。まさか仇討ち状を持っているとは……」

「なら彼を斬る」

 ノゾミがいよいよ剣を上段へ振りかぶらんとした時、ロジャーが再び割り込み剣を制した!

「待て!」

「まだ何かあるのか! 憲兵官吏と言えども私には関係ない。邪魔立てすれば斬るといったはずだ!」

「仇討ちの場合、憲兵官吏の監視のもと、両陣営で一人ずつ立会人を用意しないと認められん。ハシッシュ殿にはここの館長が立会人として認められるだろうが、お前にはいない」

 ノゾミは口ごもった。当然だ。彼女は仇を探し、各地をたった一人で放浪してきたのだから。そんな役目を引き受けるような仲間などいるはずもない。

「……いないだろう。だから今お前は仇討ちとして彼を斬ってはならん。……両親と妹か。騎士だった父上の名誉を考えるのなら、剣を引け。この仇討ち、イヴァン憲兵団憲兵官吏、ロジャー・ステインタインが預かる。文句があるなら憲兵団本部まで来るといい。ハシッシュ殿もそれでいいですな」

 ハシッシュは恐る恐る、手に持ったクマのぬいぐるみと共に何度も頷いた。ノゾミは一度振り上げた剣を収めるのに相当な苦労をしたようだった。ハシッシュが去ろうとした時、ノゾミは彼に話しかける。

「母を犯した時、薬を使ったろう……。わたしは、五年の間一度たりともあの時のことを忘れたことはないぞ。ここにも同じ臭いが立ち込めている。……秘密をバラされるか、私に斬られるか、二つに一つだ」

 ハシッシュは客に見えない位置で凶悪な笑みを彼女に披露した。かつて同じ顔で父親を殺した男の顔だった。

「やってみろよ……やれるもんならな」






「や、すごいものを見ましたねえ」

 ドモンは普段より三割増しで眠そうな目をこすりながら、実に率直な感想を述べた。上半身は脱いだままでだらしなさも三割増しだ。ソニアは隣で、ノゾミのことを見つめていた。

 復讐。ノゾミはどう見ても、二十歳はいっていないだろう。そんな若い彼女が、本来青春に当てる時間の全てを使って、仇を追い求めたというのか。

 彼女にとって、その時間はどういったものだったのか、ソニアには分からなかった。ただソニアからすれば、それはただただ虚しいだけの時間の浪費に他ならないことくらいは理解できる。自分もそうだからだ。

「……旦那、頼みがある」

「珍しいですね、あんたが僕にお願いだなんて」

「さっきの仇討ちの監視、あんたがやることはできないのか」

「なんでそんなことする必要があるんです。……あ、あの女の子。もしかして、あんな若いのとヤっちゃったんですか? 羨ましいですねえ。さっきの年増、途中までは良かったんですけど、急にイライラして機嫌が悪くなっちゃって、参りましたよ。なんか、独特の匂いがしますし。で、あの子いくらだったんですか? いまからでも口直しの相手、してもらえませんかねえ」

「旦那」

 ソニアはドモンの戯言をぴしゃりと遮った。さすがのドモンも、彼の雰囲気に気づいた。冗談を言いあっている場合では無くなっているのだ。

「下世話な話はいくらでも付き合う。だが今じゃない。……それに、旦那も俺に借りができてるんじゃないのか」

 そう言うと、ソニアは再びたばこをふかしはじめた。ドモンは手すりに顎をくっつけると、下の様子をちらちらと観察する。ロジャーと娼館の男二人が、何やら肩を組み、事務所へと入っていくのが見えた。

「……金貨一枚、ちゃらにしてもらえるんでしょうね」

 ソニアは含み笑いを噛み殺すように答えた。

「ついでに、ここでの出来事も黙っといてやるよ」






「ロジャーの旦那、ど、ど、どうしましょう!」

 館長が動揺のあまり頭を抱えて、事務所のデスクに座り込み、頭を抱えた。応接室のソファーに座ったハシッシュはあまりの動揺からか、クマのぬいぐるみとぶつぶつと会話し始める始末だ。

「館長、ハシッシュ殿、落ち着け。あの女は何なのだ」

「……そうだよね、俺は悪くないよね……。くまちゃんもそう言ってるもんね……。多分、五年前にアハマド領で殺った家族の生き残りだ。当時の俺は薬を見つけたばかりで、生産するための金が無かったんだ……だから」

 呆れた理由だった。はやりの娼館を経営し、女と客を金と薬でコントロールする男が、そんなチャチな悪事を犯していたとは。ロジャーは考える。彼は使える。金も産む。便宜を図ってやれば、色街でも有数の娼館となり、それだけロジャーの旨味も増えていくだろう。今こんなろくでもない理由で手放せる金づるではない。

「ハシッシュ殿。剣の腕は?」

「使えないこともないが……あまり自信はない」

「最悪の状況だな……」

 しかし、ロジャーには既に考えが一つ浮かんでいた。ハシッシュが悪さをしたことは確かだ。だが、仇討ちには『生き残ったものの罪は問わぬ』という絶対的なルールがある。ハシッシュが勝てば、薬の事実を知るのは恐らくあの女ひとりだ。世に出ることはない。

「だが手はある。先に言っておくがな、ハシッシュ殿。今回の事、万事うまく言った暁には、報酬は弾んでもらうからな」

 ロジャーはふてぶてしく笑みを作った。ハシッシュは彼の顔など見ておらず、未だ自分の手の内にあるクマのぬいぐるみと他愛もない会話を続けるのだった。 

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