身代(みがわり)不要(Bパート)
娼館「アダージョ」。数ヶ月前から客を集め始めた、人気の娼館である。こういった娼館はいわゆる人買いによって集められた娼婦・男娼がほとんどであるのだが、ここでは店主が直接雇い入れ、きちんとした研修をした者しか使わないという触れ込みで人気を集めている。
テクニックや話術、態度やしぐさに至るまで洗練された娼婦や男娼達は評判が良い。そもそもこの色街では、プロ意識の薄い素人同然の者も多くいる。中には借金のかたに売られたものもおり、大抵がやる気が無かったりテクニックにかけていたりと、大部分がハズレとして認識される。つまり、このアダージョでは出てくる者が全て『当たり』であるという稀有な所として評判なのだ。
「ここです」
「おいおい、また凄いところだな」
「泊まるだけなら大したことはありませんから。とにかく入って下さい」
女は強引にソニアの腕を引き寄せると、アダージョのピンク色の照明で照らされた玄関へと入っていく。娼館はいわゆるラブホテルも兼ねているため、部屋が開いてさえいれば普通のカップルも入ることができるのだ。
小窓から首より下が覗いている場所で空いている部屋を尋ねると、シワの入った細い手が伸び、鍵を小窓から出す。女が銀貨を二枚手に差し出すと、手は奪うようにそれを取った。
「こっちです」
ソニアと女は階段を上がり、扉を開ける。扇情的な光に照らされたベッド。ソニアは真っ先に底に腰掛けると、二本目のたばこをゆっくりとした動きで作り、消えかけのタバコから火を移した。
「色々聞きたいことが多いな」
「教えられることなら」
女は扉に背中を合わせ、こちらを見つめながら腕組みした。どうやら退路は無いらしかった。ソニアは構わずたばこをふかすと、少しだけ考えてから口を開いた。
「なぜ俺を選んだ」
「オジさん、枯れてそうだから」
女は事も無げに言った。
「馬鹿言うなよ。結構自信がある」
ソニアは笑いかけたが、女の唇はぴくりとも動かなかった。
「じゃあ、名前は?」
「普通聞く順番が逆じゃないんですか?」
「俺はソニアだ」
「聞いてよ……。私は、ノゾミ」
「ノゾミ。変わった名前だな」
「よく言われる」
ノゾミの言葉は短かった。まるでナイフを斬りつけているように攻撃的で刺々しかった。それがまたソニアの中の彼女を思い起こさせた。ノゾミは、やはりしばらくの間扉から離れなかった。時折わずかに扉を開け、廊下を伺っているようだった。
「何が見える」
「オジさんには関係ないでしょう」
「つれねえなあ。それくらい教えたって構わんだろうに」
ノゾミはぴくりとも動かなかったし、廊下を警戒したままだったが、ソニアには彼女の青い瞳が少しだけ揺れているような気がしていた。
「……人を殺しに来たって言ったら、オジさん笑いますか?」
笑えなかった。自分より二回りは下の少女の言うことではなかったし、ソニアはその言葉の意図する意味を理解出来すぎていた。
「目的は何だ。復讐か」
「そう。復讐。もう少しで、全部終わるんです」
復讐。恨み。命を命で償う。くだらないセンチメントだ。断罪人はセンチメントを否定し、金で割り切っている。全ての人間にあてはまることとは思わないが、彼女はどうだろうか。ソニアは寝ぼけて回らなくなりつつある頭で考える。
彼女の揺れる青い瞳から、その答えを知るのは容易だ。ソニアはベッドに潜り込んだ。見たくないものを見た気がした。彼女の行く末を、こんなところで知りたいとは思わなかったからだった。
一方その頃、アダージョの地下室では、三人の男が密談していた。一人は、身なりの良い娼館の館長。若いながらこの娼館を切り盛りし、それなりの地位を手に入れた。もう一人は、憲兵団のジャケットを羽織っている、中年の男。
「館長。店は好評のようだな」
「これも旦那のお陰ですよ。ハシッシュ様、こちら今回開店に尽力頂いた、ロジャーの旦那です」
暗がりの粗末な椅子に座り込んでいた男が立ち上がり、その異様な風体を憲兵官吏・ロジャーの前に晒した。細身ながら鍛えあげられた肉体は、憲兵官吏の中でも大柄な方なロジャーの頭を一つ越えている。にもかかわらず、長い髪をサイドテールにし──ここがロジャーが一番気になったところだが──クマのぬいぐるみを抱えているのである。
「ご苦労だったね、旦那。色街で頭ひとつ抜くにはちょっと工夫が必要だからね。旦那に目こぼしてもらいたいものなんていくらでもあるんだ」
「俺は分け前を貰えれば文句はない。……だが、薬物による催眠と聞いたが、本当に大丈夫なのか。娼婦共が突然倒れて死人が出る、なんてことになるのはゴメンだぞ。本部にごまかしが効かなくなる」
ハシッシュは自分のマントを芝居がかった調子で翻すと、ロジャーの肩を叩きながら、笑みを見せた。友好的なものには見えなかった。
「旦那、アンタも長生きしたいのなら俺の『商品』の扱いに文句はつけんことだよ。……それに心配は無用さ。どうせ、人間なぞ掃いて捨てるほどいる。見ろ」
館長がロウソクに火をつけると、暗闇に浸かっていた部屋が徐々に明るくなっていく。頑丈そうな格子が一面に嵌められており、中には女や男が鎖に繋がれている。大半が涎を垂れ流し、焦点を失った目で虚空を見つめるばかりだ。
「どうなってるんだ、これは」
「ハシッシュ様は、東の国でアヒーヌなる薬草を手に入れたのです。これには幻覚作用があり、依存性も高い。……同時に強い催眠作用を含みます。きちんと催眠学習を行えば、傍目には一般人と変わらぬ行動を取らせる事もできる……。その代わり、一日でもアヒーヌの摂取を怠れば……」
牢屋の中にいたやせ細った女が突如奇声をあげ、鎖で繋がれていることも構わず格子に突進する! ブツブツと何かつぶやいたかと思うと、恐るべきいきおいで自身の額を格子に打ち付け始めたではないか!
「ハシッシュさまあ! く、く、くだ、さい! アヒーヌ、を!」
額が切れ、血飛沫が飛ぶ。その中の一滴がハシッシュのクマのぬいぐるみに飛んだ。ハシッシュの顔色が、みるみるうちに怒りの色に変化した!
「てめえ……良くも……客も取れねえゴミの分際で……俺の……」
「ハシッシュ殿?」
「ぶっ殺す!」
ハシッシュは腰に帯びていたフリントロック式の拳銃を抜き、トリガーを引いた。女の額は弾丸で砕け、一気に息絶える。回りでアヒーヌに酩酊している『商品』達は気づかぬまま夢の世界に漂っていた。
「ハシッシュ様! おやめ下さいまし!」
館長が必死に止めるが、体格が違いすぎて何の意味も成していない。
「うるせえんだよ! この……ゴミの! 分際で! 俺の! くまちゃんに!」
格子と格子の間から、ハシッシュは既に肉塊となった女に堅いブーツで蹴りを入れ続けていた。ロジャーは見ていられなくなり、そのまま地下室から地上へと向かう階段へ足を向けた。
何時間立っただろうか。ソニアはうとうととまどろみの中にいた。深夜も三時くらいを回ったところか、と適当に当たりをつける。ノゾミの姿は見えなかった。ベッドには入っていない。ソニアはベッドから立ち上がると、伸びをひとつしてから部屋を出た。さすがに響いていた嬌声は少なくなっている。行為をし終わった部屋も多いのだろう。
ソニアは三本目のたばこを作ると、火打ち石で火種を作り始めた。
「ふざけんじゃないわよ!」
「ふざけてませんよ! 大体初めから金貨二枚ぽっきりって約束じゃ……」
「アタシは高いのよ! オプション込み込みで良いって言ったのはそっちでしょ!」
聞き慣れた声が隣の部屋から響いてきたのを確認すると、ソニアは顎を擦り思案を始めた。たまには、恩を売ってやっても間違いにはならないだろう。ソニアは一人で納得すると、その部屋にノックをした。
「誰よ! 今取り込み中なのよ!」
女がヒステリックに声で扉を揺らす。ソニアは二度咳払いをしてから、切り出した。
「失礼。実はこの部屋の扉の前で……財布を見つけましてね。ああ、誰のとは申しませんがね。恐らく、あなたと一緒に入っている人のものではないかと思うのですがね」
勢い良く扉が開放される。実に性格のキツそうな女がソニアを睨めつけた後、彼が持っている金貨を奪い取る。
「これで丁度よ。助かったわね? 憲兵の旦那」
女が勝ち誇ったように金貨を手の上で跳ねさせる。ベッドの上では、半裸で泣きべそをかいているドモンがソニアを見つめていた。