締出不要(最終パート)
深夜。フィリュネとソニアは、再び教会へと戻っていた。熱帯夜がじわじわと二人の体力を削ぐ。教会の扉を開けると、イオとドモンが既に待っていた。あまり雰囲気は良くない。何かあったというのは、どうやら間違いではないようだった。
「おう。戻ったみてェだな、二人共」
「旦那、どこ行ってだんだ? 結構探したんだぜ」
ソニアがドモンの肩を叩きつつ茶化したが、どうやらそういう気分ではないようだった。覗いた目が既に、断罪人に──殺し屋の目になっている。
「旦那さん?」
「マズいことになったんです」
両手を組み、その上に頭を乗せて、ドモンはうなだれていた。
「なんでも、今来てる厚生局の役人に正体を知られちまったらしいぜェ」
イオの表情も固かった。断罪人は闇の稼業だ。誰かに知られてはならないし、知られればそいつを仲間にするか殺すかしなければならない。できなければ、自分が死ぬしか無い。断罪人という人々を守るための『血の掟』とでも言うものだった。それは、ドモン達四人に減っても変わらない。他ならぬドモン自身がよく知っている。
「……違いますよ。知られたかもしれないってだけです。別にね、普通の人に知られたとかなら僕だってここまで焦りゃしません。さっさと相手の口を封じればいいだけですからね。ですが相手が厚生局の役人……しかも『かもしれない』っていう可能性の話。もし見立てが間違ってれば、僕は狂って役人を斬り殺そうとした犯罪者として捕まってしまうかもしれません」
ドモンには確信が持てなかった。ヴィンセントがどこまで自分の事を知っているのか。何を持って人殺しである自分と似ていると感じたのか。見極めに失敗すれば、全て自分に返ってくる。
「厚生局の役人ってのはどんなやつなんだ?」
「どんなって……全身白いコートに白いスーツを着てて、妙に寒々しい印象の人ですよ。なんでも、氷結系魔法の一級ライセンスを持ってるとかで」
ソニアの脳内で、ドモンの様子がおかしかった日がフラッシュバックされる。教会の近くですれ違った男。その瞬間だけ、あれだけ暑かったというのに妙に空気が冷えていた。
「わたし、実はその白い人を調べてたんです。旦那さんの様子もおかしかったんで、何かあると思って……」
フィリュネの話によれば、彼自身について特別これといった変わった事は無かったらしい。ただ彼が出張した先々で、必ず女性の凍死体が見つかっているという事実だけが残っているのだ。
「ヴィンセントって人、厚生局でも指折りの実力者らしいです。出張先で女性が変死する事件が起こってるんですが、各地の役人達は処分を恐れて何もしなかったとか」
「なら、裏も取れてるわけですか」
ドモンはうーんと黙りこみ、頭を抱えた。イオは大きくため息をつくと、皮の袋に入った金貨を聖書台にばらまく。他の三人は金がばら撒かれる音に跳ね起きると、わらわらと聖書台へと集まった。
「神父、こりゃあ一体なんです」
「見ての通りさァ、旦那。俺は顔は見ちゃいないが、嬢ちゃんやソニアとおんなじ事を体験してる。あのクソ暑い懺悔室の中が、これを置いていったヤツと話している時だけ空気が冷えた。十中八九同一人物だ。女を殺さねェとやってられねェ、自分の魂を救ってくれと抜かしてやがった」
真っ先にソニアは金貨を三枚取り、銀貨を五枚出した。
「旦那。俺達は人殺しだ。クズだ。そのヴィンセントと言う男と比べりゃ、金を貰うだけ俺達の方がよりクズかもしれない。だが、俺は遊びで謂れのない人間を殺すなんてのは、許せないんだ」
ソニアは火打ち石で火種を作り、紙巻たばこに火をつけた。フィリュネはそんな彼の後ろ姿を、紫煙を掻き分けながら追う。
「やるのは今夜だ。間違えんなよォ」
いつの間にか、イオは自分の取り分を受け取り終えていたようだった。残るは金貨二枚に銀貨五枚。ドモンはまだ動いていなかった。
「どうすんでェ。相手は一人だが、実力折り紙つきの魔導師だ。俺とソニアだけじゃ心もとねェかもしれねえ」
ドモンは少しだけ考え込んだ後、金を取った。ソニアの言うとおりだ。同じ人殺しだが、こっちは矜持を持ち合わせている。
「そうですねえ。死にたいってんなら、僕の職を守るために……死んでもらうとしましょうか」
ドモンは力なく笑った。その目に、断罪人の持つ闇を潜ませて。
ヴィンセントは憲兵団本部での仕事を終え、憲兵団団長とガイモンへの挨拶を済ませると、本部を出た。ドモンは居なかった。彼に最後に挨拶をしていくのも乙だろうと思ったのだが、あてが外れてしまった。
イヴァンの夜は暗い上、今日も暑い。人々は熱帯夜に苦しむことだろう。ヴィンセントはとりとめもないことを考えながら往来を抜け、人気の少ない川べりを歩く。家に帰っても、することなど何もない。こうしてぶらぶらと散歩するのも楽しいものだ。運が良ければ、馬鹿な女が近づいてくる。
「おや……どうしました?」
橋の下の暗がりに、フードを被った女が一人しゃがみこんでいた。女は顔を上げると、人懐こそうな笑みを見せた。
「あの、帝国厚生局のヴィンセントさんですよね」
「フフ……そうですよ、お嬢さん。良くご存知だ」
女は立ち上がり、ゆっくりと後ろに歩き始めた。ヴィンセントはトランクを持ったまま、立ち尽くしている。
「実は、用があるんです。すぐ済むんですけど、いいですか?」
ヴィンセントは少し困ったような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に切り替えた。本心からの笑みが出ていた。女を殺したくなっていたからだった。
「奇遇ですね……実は私も、用が出来たのですよ」
その時、橋の上から影が一つ降りてくる。影は黄金に輝くロザリオを手に持っており、それを宙へかざした。ヴィンセントは何事かを察知すると、体をかわし影の男──イオの襲撃を逃れる! 既に女はどこかへ消えていた。罠か。
「……悪いが、死んでもらうぜェ」
「死んでもらう? 自分を省みずに言うセリフではありませんね」
イオは自分の足元を見る。靴が、足首が……凍っている! 触れられてすらいないはずなのに、である!
「足が動けなければどうしようも無いでしょう? フフ。私はできるだけ優位に立ってから行動することにしているのでね」
ヴィンセントの息が白い。イオの回りの気温は、どんどん下がっているようだった。動けないイオを尻目に、ヴィンセントは流れる川に、コートがぬれる事も構わずに手を突っ込む。数秒間そうしていたが、ゆっくりと川から手を抜く。透き通った氷を帯びた腕、そのまま伸びる氷の刃が現れる!
「死んでもらう、ですか。物騒この上ありませんね。では、代わりに死んでもらいましょうか」
ヴィンセントの満面の笑みが、月明かりに照らされる。振りかざされた氷の剣が、イオの頭上に伸びる! おまけにいつの間にか、ロザリオを握る手ごと氷ついている。これでは何もできない!
その時である! ふりかざした氷の剣が突如砕け、氷が散った。橋の上から黒コートを被った何者かがこちらを狙っている。発射された銃口からは硝煙が立ち上る。黒コートはこちらを未だ狙い続けている。第二射を放つつもりだろうと、ヴィンセントはあてを付け、にやりと笑いかける。
「ナメやがって……」
黒コートを被りカムフラージュしたソニアは、トリガーを絞った。今日最後の弾丸が撃ち出され、一直線にヴィンセントへ到達……しない! まるで壁に当たったように弾丸が止まり、宙に浮いてしまっているのだ。良く見ると、宙に氷が浮き、弾丸を包んでしまっている。完全に氷が弾丸を包み終えると、地面に落ちコロコロと転がった。
「銃で狙われたのは初めてですが……うまくいきましたよ」
ソニアは立ち上がる。近づけば、イオのように全身氷漬けにされることだろう。しかし、ここまでは織り込み済みだ。仕事は終わった。ソニアは身を翻し、橋の上から去っていった。
「さて。お仲間は去っていったことですから、君を簡単に死なすわけにはいかなくなりました」
「美人に殴られる事が嬉しいってのは聞いたことあるけどよォ。……俺はそういう趣味はないぜェ。しかも男だろ」
イオは精一杯の皮肉を彼にぶつけた。ヴィンセントは笑った。くすくすとこらえるように。
「私も男を痛めつける趣味はありません。どうせそうしていれば、やがて手足に血が回らなくなり、壊死していきますよ」
「ヴィンセント殿! ヴィンセント殿!」
夜の川べりに、男の声が響いた。ヴィンセントは反射的に手についた水分を生長させ、氷の剣を復活させた。遠くから、息を切らしてやってくるのは、憲兵団のジャケットを着て、長剣を下げた男。見覚えのあるその姿に、ヴィンセントは構えた剣を下ろした。
「や、どうされたんですか、これは!」
「賊の一人です。どうも、私の命を狙ったようです。後仲間がもう二人いるようでしてね。ちょうど良かった。ここで始末してしまいましょう」
ドモンは、剣の柄のチェーンを外した。抜剣するように柄を抜くと、鋭利な刃がそこに現れる。
「や、それは一大事ですねえ。早速、言うとおりにしましょう」
ドモンはその剣の柄を、ヴィンセントの背中に突き立てようとした。が、ヴィンセントはその刃を氷の剣で受けたではないか。不意打ちがバレている!
「やはりこういうことでしたか。彼らは君の仲間というところでしょうかね」
ヴィンセントは刃を弾くと転身、氷の剣を振り下ろす! ドモンは抜いた柄を右手に握ったまま、左手で握った剣が入ったままの鞘で受ける!
「素晴らしい。剣の腕はからきし? まさか。帝国騎士団でも君ほどの使い手はいないでしょう。ここまでとは思いませんでしたよ、ドモン君。さぞかし多くの人間を葬ったのでしょう!」
ドモンは剣を受けたまま抜いた柄を剣に戻し、握る!
「ええ。あんたみたいな、人間のクズをね!」
氷の剣を弾くと、居合のごとく抜剣! 氷の剣が砕ける! ドモンはその勢いで立ち上がり、返す剣でヴィンセントの喉笛を切り裂く! 直後、ドモンの足元が凍りつき、動けなくなった。後数秒遅れていれば、ヴィンセントはドモンの全身を凍りつかせたことだろう。イオとドモンを凍りつかせていた氷が、徐々に引いていく。イオは寒さからかその場に倒れ伏してしまった。
「あが……ぐ……」
「ま、これから苦しいと思いますけどねえ」
ヴィンセントはよろめき、血を吹き出しながら川べりに近づいていく。ドモンは彼の後ろ姿を追い、剣を上段に構えた。
「僕も後から行くとこです。先に逝って待ってて下さいよ」
ドモンが渾身の力で刃を振り下ろすと、ヴィンセントの体は川へ落ちていく。ドモンは剣に付いた血を振って飛ばすと、鞘に納める。血で染まる川の水が、ヴィンセントの最後の叫びを現すように凍っていったが、やがて収まっていった。
「セリカ、帰りましたよ」
ドモンが自宅に帰るも、セリカの姿は影も形も無かった。テーブルの上には、クロスをかけた食卓と、小さな手紙が置いてある。
「何々。遅いようですので簡単ですが夜食の準備をしました。召し上がって下さい……ですか。なんと有り難いことでしょうかねえ。涙が出てきますよ」
セリカは寝ているようだった。あまり大きな音を立てて、彼女の睡眠を妨げることも無いだろうと、ドモンはそろそろと歩み寄り、布ずれの音を消し去るような慎重さでそれを取った。
中にあるという夜食は、なんとソーセージ一本だけだった。
「……いや、確かに夜食ですけど。ありがたくはありますけど」
ドモンはふてくされながらも、ソーセージをかじった。あまり好きではない、魚肉ソーセージの味がした。本物の肉ですら無い。
「これじゃ、いっそのことクビになって一人ものになる方じゃマシですよ……」
いらついた様子で再びソーセージをかじったドモンだったが、喉に詰まらせ、ドモンは大きく咳き込んだ。セリカの声が寝室から響く!
「お兄様! もう深夜ですよ!」
暗いリビングの中でドモンはもう一回ソーセージをかじると、憲兵団をクビになって再就職し、一人暮らしする算段を真剣に検討し始めるのだった。
締出不要 終