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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
締出不要
29/124

締出不要(Aパート)




「寒い……寒い……」

「そう、寒いでしょう……しかしじきに何も感じなくなりますよ……身体の先から芯まで……フフ」

 イヴァンは暑い季節を迎えていた。人々は薄着で往来を行き交い、虫の鳴く声と、熱せられた大地が夜までイヴァンを熱し尽くす。まさに人々は悪夢のような熱帯夜を迎えていたが、この裏路地の一区画だけはそうではなかった。

 女は震えている。尋常な震え方ではない。細い手首から先は既に血の気が失われており、炭化したかのように真っ黒だ。もう一人の男は、この熱い最中、正装にネクタイ、ロングコートを羽織っている。この季節には異常と言ってもいい。

「助けて……許してよ……お願いだから……眠い……寒い」

「そのままおやすみなさい。何も心配することはありません。それに、許すも何も、これは私の趣味なのですよ。さあ、ゆっくり目を閉じて……もう何も怖いことは無いのですから」

 女は寒さから来る眠気に抗うことが出来ず、男の言うとおり目を閉じた。男がふう、と一息つくと、まるで幻だったかのように裏路地を覆っていた冷気が消え失せた。男は女に興味を無くしたようで、そのままゆっくりと歩き出し、熱帯夜の闇の中へ消えた。




「あついです……」

「暑いな」

「お客さん、来ないですね」

「アクセサリー引っ込めろ、フィリュネ。熱でダメになっちまう。そもそも試着が出来ん」

 相も変わらずゴザだけのアクセサリー店では、ソニアとフィリュネがうだるような暑さと戦っていた。何しろ、ヘイヴンには日光を遮るものがない。ソニアはコートを、フィリュネはフードを被って日光を遮っていたが、それでも限度というものがある。

「やめたやめた! フィリュネ、店を畳むぞ! こんなのじゃ金稼ぎの前にこっちがどうにかなっちまう」

「さんせいです……。教会に避難しましょう」

 二人はのろのろと早めの店じまいをすると、一路イオの教会へと向かった。暑すぎるのだ。今年は猛暑で、農業地区が打撃を受けていると聞く。最も、帝国魔法研究所では高度に発達した占いでそれを見越しており、食料の備蓄をしていたので飢餓の恐れはないらしいが、その前に日差しを受けて死んでしまっては元も子もない。

「もうすこしですよ、ソニアさん」

「暑いな……ん?」

 ソニアは目を疑った。無理もない。目の前から、なんとロングコートの男が悠々と歩いてきたのだから。しかも、汗一つかいていない。それどころか、彼が通りすぎただけで、ひんやりとした冷気を感じるのだ。

「……なあ、感じたか」

「感じました。なんかこう……ひんやりしましたね。何だったんでしょう」

 男はヘイヴンへと紛れていったため、後ろ姿も既に見えなくなっていた。何より、暑くなっている。彼が通りすぎた一瞬だけ冷えて、今まさにめちゃくちゃに暑くなるなど、ありえるのか?




「そりゃ、どうにかなっちまったんだよォ。暑さで」

「僕もその説に賛成です。大体、暑すぎるんですよイヴァンは」

 教会は外よりはマシのようで、少しだけひんやりとしていた。イオとドモンが、案の定床石に直接寝転がり、冷気を調達している。

「……それ、冷たいんですか」

 フィリュネが屈んで二人の顔を見つつ、季節と真逆の冷たい視線を送った。

「日光が当たってねェからな」

「最高ですよ。体温で温まったら、別の場所に移動するんです」

 そう言うと、二人は同時に別方向にごろごろと転がっていき、だらしない声をあげた。これがそれぞれ神父と憲兵官吏だと言うのだから、イヴァンはそうとう腐っている。

「後銅貨が二枚でもありゃ、冷たいアイスクリームが買えるんだが」

 ソニアは自分の財布代わりの皮の袋を覗きながら、ここにはない菓子に想いを馳せた。イヴァンでは、氷魔法を得意とする魔導師が行商しているので、こういう暑い季節には比較的簡単に手に入る。金があれば。

「やめとけよォ。あんなもんは身体の中を冷やしちまうだけだぜェ。アレだ、自然に冷気を調達するのが一番なんだ。しかもタダだぜ」

「同意です……あ、それこそアイスクリーム屋に顔出してせびって来るとしましょうかねえ」

 ドモンはいつになく名案を思いついたが、立ち上がって外の熱気と戦う事が出来なかったのか、それを行動に移すことはしなかった。

「……やっぱダメです、動けません。外、暑かったでしょう」

「ああ。あのままいたら多分死んじまうぜ。早いが店じまいしてきた」

「でも、さっきの冷たい人、何だったんでしょうね」

 フィリュネは、先ほどの冷気をまとった男の話を二人に聞かせた。もしかしたら、そういう魔導師なのかもしれない。帝国成立以前なら魔導師は軍や行政に好待遇で召し上げられたものだが、今のイヴァンには、元は名のある魔導師が極普通の職について市井に紛れ生活しているなどザラにある。

「ふーん、そういう人がいるならぜひ、憲兵団本部に来てほしいもんですねえ。行政府には、気温管理のために常駐している魔導師がいるって話ですし」

 ドモンは寝転がったまま、快適な憲兵団本部について想いを馳せていたが、唐突にあることを思い出した。今日は、午後に行政府から派遣された役人が来るのだ。それまでに戻らなければ、また上司のガイモンにどやされてしまう。

「……旦那、気をつけなよォ。途中で倒れても、俺たちゃ助けにいけないぜェ」

 イオがやはり寝転がったままぶらぶら手を振ったが、ドモンは外の熱気で精神をやられないようにするのに手一杯であった。






「……で、あるからして。行政府からのお達しにより、今月は憲兵団の綱紀粛正キャンペーンを行い、イヴァン、ひいては帝国全土に憲兵団のイメージアップを……ドモン!」

 そろそろと憲兵団本部に入り込んだドモンは、ガイモンの一喝で猫背気味の身体をまっすぐに固め、その場で立ち止まった。視線が集まっているのが分かる。

「や、そのう。実はヘイヴンで連続食い逃げ犯のシラモらしき男を見かけまして。追っかけていたんですが、暑さで分からなかったんでしょうね。人違いだったようでして、小官としては真に遺憾ながら、そちらを優先すべく行動をしていたのですが……」

「バカモン! 貴様何を……!」

「良いではありませんか。職務に忠実なことも憲兵官吏の勤めです」

 白スーツにネクタイ、白いコートの金髪の男が、ガイモンの隣に立っていた。男が喋る度に、憲兵団本部の気温が少し下がった気がする。まるで氷のような印象を持つ男だ。口元に笑みを浮かべているが、目が完全に笑っていない。

「や、そう言っていただけるとありがたいです。……ところで、あなたは?」

 男は慇懃無礼にうやうやしい礼をした後、ドモンに改めて名乗った。

「私は帝国行政府厚生局・綱紀粛正担当官のヴィンセントという者です。一ヶ月ほどこちらでご厄介になりますので、どうぞお見知り置きを」

「はあ、それはどうも。まあ、僕らの仕事も大変ですから、あんまり邪魔になるようなことは……」

「バッカモン! 貴様がヴィンセント殿の邪魔にならんようにしろ! ……大変失礼をいたしました、ヴィンセント殿。こやつはこの憲兵団のお荷物でして……どうか、この男から性根を叩き直しては頂けませんか」

「ガイモン殿も気苦労が絶えませんね。明日からドモン君の仕事ぶりを見ながら方針を考えることにしますよ」

 えっ、と口を挟む暇もないまま、ヴィンセントはそれを了承した。そもそも、ドモンには何がなんだかさっぱりわからない。わからないまま、今日はお開きとなってしまった。

「サイ、あの人は一体何なんです?」

 同僚のサイを捕まえ詰問すると、呆れた顔をしながらも、ヴィンセントについて話をしてくれた。その名の通り、綱紀粛正……職務に忠実であり、法を犯すような非行行為をしない組織づくりを担当しているのだという。

「……つまり、ヴィンセント殿は憲兵団の性根を叩き直しにきたんだと。俺達は賄賂をとるだのやる気がないだの、散々な言われようだからな。まあここだけの話、綱紀粛正担当官、なんてお題目を掲げてやるようなことか疑問だぜ」

 そりゃ、サイは憲兵団の中ではかなり真面目な方だ。彼からしてみれば、とばっちり以外のなにものでもないだろう。しかしドモン自身はどうか。賄賂を取り、仕事をサボり、結果も出していない……。

「ドモン、お前気をつけたほうがいいぜ。ただでさえガイモン様からいつもどやされてるんだ。ここであの綱紀粛正担当官に目をつけられてみろ。クビだぞ、クビ。じゃあ、俺はパトロールがあるから」

 ドモンはこの暑い最中、汗ひとつかかず、寒気すら感じていた。無理もなかった。クビになる。それはドモンにとって、死ぬことに匹敵する恐ろしい事実なのだから!

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