詮索不要(Bパート)
俺こと、明河渓の朝は早い。まず、寝ているベッドに誰かしら乗っかっている。いやいや、性的な意味ではない。俺は別にそういうことを誰にしろ要求しているわけでもないし、しょっちゅうそういうフラグを建てようとしているわけではない。だが、これは必ず起こる。しかも、誰と決まっているわけでもない。今日は、メイド長が「爽やかな朝のためにも必要かと思いまして」などとのたまう始末だ。
俺は別にそういうことを要求しているわけではないが、まあ俺も一人の男であり、何かしら力が有り余っているので、まあ生まれ故郷の日本では『据え膳食わぬは男の恥』などと先人が素晴らしい格言を残してくれているので、やることはやる。ビュッフェ方式の朝食をテレビや何やらで見る度に豪華だなあ、などと生唾飲み込みながら考えていたこともあったが、今はそれ以上に豪華な食事を一人で食べてもいいですよ、と俺を甘やかすのは俺の妻だ。もちろん俺は健康な成人男性として必要最低限しか食べないが。
さて、ここまで読んでくれた懸命なる読者諸君なら、俺が非常に幸せものだということが分かってくれるだろう。うらやましがる人も、一人や二人で済むとも思わない。だが、俺は俺なりに悩みを抱えているのだ。
「ケイ、どうしたのだ」
廊下で連れ立って歩く妻が小首をかしげる。可愛い。この世界に来てから、様々な出会いがあったが、妻との出会いは最高の出会いだった、と断言できる。まあ、その妻も昔は二十代目の魔王としてブイブイ言わせていたのだが。
「何か具合が悪いのか?」
「えっ? まさか。俺、顔色悪いかな」
「昨晩あれだけ激しかったのに、さすがケイ、だな」
顔を赤らめるな。俺だってそう言われたら恥ずかしい。
「そ、それより! 今日は謁見の日だって宰相が言ってたけど」
「うむ。叛乱軍に動きがあったらしい」
叛乱軍。平和を乱す、狼藉者。そういうとなんだか時代劇みたいだが、事実だ。俺は、平和な国にするために、魔王である妻と結婚することで、無血で今の帝国を作った。だが、それに反発するものも多くなかった。沢山の人たちが俺を指示してくれたが、それで百パーセント全て、と言うわけにもいかなかったのだ。
「帝国を平和にするためだからな。手段は選んでいられない」
「流石はケイだな。それでこそ我が夫よ」
「帝国は多くの血を流し、死体の上に成り立った国家だ。魔王の統治する魔術大国と、近代兵装による軍隊を抱えた王国は、百年の間争いを続けてきた。皇帝の恐ろしいところは、そんな二国のしがらみですら身一つで解決した圧倒的カリスマ性……と言われている」
ソニア卿は黒布で覆われた目を撫でる。
「しかしそれは違う。……英霊殿、召喚印は出ているか?」
「召喚印?」
「そうだ。彼の世界からこの世界へ喚ばれた者は、身体の何処かに紋章が宿る」
俺は、ふとスーツの袖をめくった。両腕の付け根に、青白く光る紋章が宿っている。もんだり、掻いたりしても、痛みや変な感触は何もない。
「ほほう。フィリュネ殿、この部分ではどうなるのだ?」
「精密さや、器用さを表すので……武器を扱う事に適していますね」
「そりゃありがたいね。裁縫でも始めるか」
こんな世界でも、灰皿やタバコといった文化はあるようだった。俺は灰皿にタバコの灰を落とす。
「それで、その皇帝は何が違うんだ」
「遠目に見れば分からんが、彼は目に紋章が宿っている。正確に言えば、瞳の奥だな」
ソニア卿はワインをグラスに注ぐと、俺に差し出した。俺は無言でグラスを取り、口をつけた。渋い。俺にはワインを嗜むような高尚な趣味は持ち合わせていなかったが、このワインがあからさまにマズいということはよくわかった。
「彼に瞳を見られたものは、彼のことが……その、好きになるんだ」
「ほお。大したもんだな、それは。女で食っていける」
「男には能力は半減するらしいが、女には絶大に効く。お陰で帝国の政治基盤は、ほとんどが女性官吏で占められているときた」
ソニア卿は心からの侮蔑を、今この場にいない皇帝へ向けたようだった。俺は少々違う。男ならば、その状況は羨ましい、と必ず一度は言うだろう。
「お陰で、帝国首都イヴァンの国民は、どんな酷な政策であっても、過酷な税制であっても文句ひとつ言わん。帝国貴族も、今や貴族とは名ばかり。質素倹約を旨とする……ハ! 下らぬ。元からそう心がけていないものは仕方がないが、そうでないものもいた、ということは想定しておらんらしい」
「あんたは皇帝のことが好きじゃないようだな」
「ああ。わたしの領土は亜人達の国と同じく、帝国の最果てにあるのでな。つまり、皇帝より亜人達との交流のほうが遥かに多い。哀れに思い肩も持ちたくなるものよ。それに、領土こそ小さいが、国境防衛の任務のためそれなりに兵の練度も高いのでな。反逆するにはちょうどいい」
エルフは椅子に腰掛けたままもじもじとしていた。俺には、彼女が何を考えているのかは分からなかった。もともと、政治や勉学とは無縁の人生だ。革命だ、なんだと言われてもよくわからない。だが、彼女が嫌な気持ちになっていることくらいは俺にも分かる。俺は、女が悲しい気持ちになることに我慢がならなかった。それで損ばかりしてきた。だがそれで後悔もしなかった。
「エルフ」
「えっ」
「君は、帝国が嫌いなんだろう」
もじもじを何分も続けていたような気がした。膝の上の拳が揺れていた。意を決したように彼女が顔を上げる。その目には、やはり涙が浮かんでいた。
「嫌いです。とても。可能なら、私が滅ぼしてやりたい。でも、私には凄い魔法も、剣技も使えません」
灰は落ちた。俺は吸い殻を捨てると、立ち上がった。
「君は、言ったな。俺に自分をくれてやると。それが代償だと」
「……はい。それで、助けてもらいました」
「ソニア卿。俺には、政治の良し悪しは分からん。あんたらが何をなそうと、俺は知ったこっちゃない。勝手にやればいい」
「元よりそのつもりだ、英霊殿。卿は結局、亜人達に踊らされている形になるな」
俺は、ロッジのドアを開けた。黄昏に傾き始めた世界が広がっていた。俺はそのオレンジ色の世界の中で、地獄でも都合のいい出会いがあることを期待した。
「ダンスは嫌いじゃない」
反帝国連合軍基地の連中との会話は退屈を極めた。俺は協力を求めたが、賞賛や激励を求めてはいない。しかし、俺はプロとして必要に迫られれば我慢くらいできる。エルフを身代わりに、俺はほうぼうの体で基地を飛び出した。
「我慢の限界といった顔をしているな、英霊殿」
ソニア卿は昼間の発言から、他の三人に良い感情を持たれていないからという理由で、基地の外で待ち構えていた。しかし彼女の唇は少し口角が上がっていたのを俺は知っている。面白がっているのだ。
「年上が困るのを見るのが好きらしいな、ソニア卿」
「女は得てしてそういうものではないかな? 卿のほうがよく分かっておろうよ。……それで、日取りはどうなった」
ソニア卿の作戦──連合軍としての体裁を保つため、連名で作成した形にはなっている──は、こうだ。帝国で不満分子と扱われているのは、あくまでも亜人達であり、ソニア卿は反逆の意思があるかどうか、で言えば、グレーゾーンに位置していると思われているらしい。そこで、亜人達が大々的に軍事行動を起こす。ソニア卿はすかさず皇帝に対し恭順の意を示し、亜人達とにらみ合いを続ける。それが、三日後。
「皇帝は、いい意味でも悪い意味でも、正義漢でなんでも首を突っ込みたがる性格だと聞く。事実なら、この最果ての地で起こる反逆めいた騒ぎも、既に聞きつけているだろうな。そして、必ずこちらに親征してくる」
「そこで、俺の出番か」
俺は息苦しかった基地の中でのイメージを振り払うように、タバコを取り出し火を点けた。死ぬかもしれない。ふと俺の脳内に、誰かの囁きが飛び込んできた。そんなことは知ってる。いつだってそうだ。だから、消えてくれ。その時が来るまでは。
「そうだ。皇帝は魔力を持っていない。特別な力も持っていない。精々、この世界を救うと言われた聖剣を携えているくらいだ。剣技もごく普通、いや、ヘタすればそれ以下かもしれん。……だが、皇帝を守るためなら世界ごと滅ぼしかねん人間は、掃いて捨てるほどいる」
「羨ましいね。それがみんな女だっていうんだろう」
「男もいる。卿の言うとおり、人気者には違いない」
俺が考えなければならないことは、少なかった。俺は皇帝を殺す。昔なら、色々理由をつけたかもしれなかった。だが、俺が持ってきたものは銃とタバコとマッチだけだ。それ以上、何かを求めようとは思わなかった。
「あんたは俺を笑うだろうな」
「なぜそう思う」
「女のワガママで人を殺すなんて、前代未聞だろう」
「しかし、卿は一度は断った。直接の原因は、彼女が泣くのが許せなかったからだ。いくらでも断ろうと思えばできた。それをしなかったのは、紛れも無く卿の意思ではないか?」
俺はタバコに火を点けた。既に、後三本になっていた。こんなところに、タバコの自販機があるとも思えなかった。
「一本やるよ、ソニア卿」
「気持ちはありがたいが、私はタバコをやらんよ、英霊殿」
「お守りさ。生き残った時に、返してくれ」
一瞬、豪奢な金髪の中での、ソニア卿の端正な顔が曇ったような気がした。だが、彼女がタバコを受け取ることを断ることはなかった。
「あっ、いた!」
よく通る声が、俺の耳に飛び込んできた。エルフが誇らしげな顔をしてこちらに向かってくる。
「お父様、大変喜んでました。ありがとうございました。約束を守ってくれて」
「おめでたいね、何もやってない内から」
「でも、事実です」
エルフは、笑っていた。誇らしげに。彼女が、どのような気持ちで俺を呼び出したかなんて、決まっている。あまつさえ責任を押し付けて、他人任せに帝国をやっつけようとしていた。だが、俺にとってはそれでよかった。彼女の父親や、その仲間たちの政治の道具になるのはゴメンだが、小指の先ほどでも彼女のためになることができるなら、俺の人生の第二の幕引きにはちょうどいい。
俺は最悪の死に方をした。本当ならば与えられない、二度目のチャンスを与えられた。やり残したことはもはやない。なら、女の願いを叶えて死ぬくらい、かっこつけても文句は出ないだろう。
「陛下はどのように申していましたか」
前魔国宰相、アルメイ・ポルフォニカは、長く魔国宰相を務めた父親より、宰相職を受け継いだ。その後、魔国は王国と手を取り合い、新たな国を作ることとなった。アルメイは、魔国と王国との政治的軋轢のほとんどを持ち越すこと無く帝国を作り上げた功績により、帝国宰相として続投することになったのである。
「は、ハッ! へ、陛下は翌日より直ちに親衛隊を中心とした視察団を編成し、事の次第を確かめるとの仰せにて」
「確かなのですね、それは」
銀色の長く真っ直ぐな髪は、彼女の意思の強さを感じさせた。メガネの奥に光る怜悧な瞳は、皇帝親衛隊の隊長を文字通り見下している。彼女の視線の先にいる隊長は、地べたに這いつくばっていた。屈強な背中には、アルメイの細く美しい足が載っている。
「確かです。わ、私にも同行せよとの勅命が下っておりますれば」
「なるほど」
彼女は足を組み替えると、その勢いで隊長の背中をしたたかに打ち据えた。大きな図体からは考えられないような、ネズミのような声が漏れる。
「帝国遊撃隊が、強大な召喚反応を確認したのは知っていますね」
「は、ハッ。既に軍では把握しております。閣下の迅速な連絡により……」
「わかっています、それは。当然のことです。しかし、私はその確認に出た小隊が全滅したとの報告も受けています。新たな英霊が何者なのか、もうわかっているのでしょうね」
隊長の背中が一瞬はねたような気がした。
「いえ、それは、その、あの」
「わからないのなら、早急に調べなさい。早急にです」
「し、しかし閣下……」
「あなたに、『しかし』の後に代案を提示できるような頭脳があるのですか? つべこべ言わずに、『お膳立て』の準備でもしなさい」
アルメイはもう一度自身の足で隊長の背中を蹴ると、自身の執務室から退室を命じた。
「ああ……辛い。なんと辛いのでしょう。魔王様……いえ、皇后殿下のためとはいえ……辛い。とても……」
帝国の成立は、様々な軋轢を産んだ。政治制度こそ王政であったが、王国が軍事国家だったのに対し、魔国は貴族階級を要する格差国家だった。当然、それぞれの国で既得権益は崩壊した。それらを確保しようと、なりふり構わない人間達が沢山いたのだ。特に問題となったのが、人種差別である。魔国は亜人の国を擁していたので、特に王国の人間から人種差別や偏見を受けることが多々あった。
アルメイは、アケガワケイの召喚印が瞳の奥に宿っていることを知っている。それが意図する意味も。彼は多くのことを為した。憎しみではなく、尊敬と好意を一途に集めることで、帝国の国民をコントロールしたのだ。アルメイが懸念したような、慢性的な差別や不公平は、旧魔国と旧王国の中間地点の交易都市・イヴァンに遷都してからは起こらなかった。少なくとも、イヴァンの中では。他の都市ではどうだろうか。アルメイの懸念したとおりの問題が起こっている。皇帝の影響力は、その能力の制約上、帝国という大きな国を治めきるには、召喚印の力だけでは足りなかったのである。
アルメイは、魔王──現在の皇后に絶対の忠誠を誓っていた。生まれた時からそうだった。それを、横から割り込んできたようなよくわからない英霊などに奪われた。それが、神聖皇帝などと名乗っている。
目を覚ましてもらわねば。私の手で。
アルメイは憎悪を使命感に替え、王国内の男性官吏に目をつけた。彼らは女性官吏ほど皇帝に忠誠を誓っているわけではなかった。召喚印の能力は男性には半減するからだ。おまけに、召喚印の能力以外でのアケガワケイという男は、はっきり言って無能そのものだったので、それに拍車をかけた。そして、アルメイは、彼女が唯一の主人として仰ぐ皇后程ではないにしろ、美しかった。男たちに適当に餌を投げてやれば、アルメイにとって自由に操るのはわけもないことだったのだ。
「皇帝陛下をお諌めするのは、このアルメイの役目……全ては帝国のためですから……これはしかたがない事なのです……」
アルメイは芝居がかった様子で頭を抱えた。彼女は、歴史を変えるだろう。事実そう確信していた。自分のことを信じて疑う素振りすらなかった。彼女の自己陶酔はそれほど根深く、救いようのないものだった。
帝国首都・イヴァンは、統一前の旧二国の橋渡しとなった交易都市であった。もともと商人たちが競うように投資した結果、流通の中心となっていたため、統一後の税収を多く見込めるという理由で、帝国首都として選ばれたのだ。
帝国宰相府は、帝国の政治基盤を支える行政府である。広大な領土は、旧王国の王族を含む、「帝国貴族」二十家へ統治権を委任した。よって、帝国直轄地であるイヴァン周辺区域は、行政府の裁量下にある。アルメイの仕事は膨大である。イヴァン以外の領土でも、帝国貴族に制限をかけている事項については、皇帝の委任という形であるが、アルメイの裁可が必要なのだ。
帝国成立時から、イヴァンは飛躍的に発展した。ドラゴンの離発着を可能とする空港が新設され、流通のスピードは増し、魔国の魔術を応用した技術や、王国の機械文明の共同研究が公のもと可能になった。投資が集まり、さらなる技術発展をもたらす。まさに、理想の国が生まれた。最初の内は誰もがそう思った。アルメイも、ある一部分の不満を除いて、満足はしていた。
だが、それも最初の内だけだった。人口が増えた結果、犯罪率が上昇し、あぶれた労働者達が街中にたむろするようになった。技術についていけない魔導師や技術者達もそれにまじるようになった。
郊外の領土から首都を目指すようになった人々の存在も、それに拍車をかけた。農業従事者は減り、帝国首都で優れた技術や魔術を学ぼうとするものが増えたのだ。これに関しては、すぐに影響は出ていない。しかし、早めにどうにかしないとならない問題であることは確かだ。
「陛下、この国は生まれたてのひな鳥のようなものでございます。今まで問題にならなかったことが問題になるようになりました」
「そうみたいだな。アルメイはどうしたらいいと思う?」
「どうしたらいいか……確かにいくつか対案は考えてございます。しかし、陛下も現在の帝国についてお考えいただくことも重要かと存じますが」
「そうは言っても……俺には政治はわからないよ」
「しかし」
そこで口を挟んだのは、前魔王であり、現在の皇后であった。
「よい、アルメイ。わらわはお前を信頼している。まずどのような案があるか示してくれぬか。対案については、わらわもケイも目を通すゆえに」
「ですが、皇后殿下! 国を統べる皇帝陛下が、何も考えていないなどということが許されましょうや。新しき国だからこそ、政治のお考えが無いからこそ、国民の目線に立った策を練ることが……」
「うーん……な、どう思う?」
「アルメイは真面目であるからな。ケイは気にせずとも良い。アルメイ! とにかく、まずは案をねらぬことには始まらぬ。予算は考えずとも良い。まず考えうる策を考えてみよ。下がれ」
そう言われては、アルメイも下がる他無かった。部下に全権委任。それは構わない。自分も、まるきりそれができないとは思わない。宰相というのは、それだけ強権をもってしかるべきだ。だが、それならば果たして皇帝などという肩書は必要なのか。アルメイは悩みながらも、現在蔓延する問題を解決するための策を練った。宰相府の高級官吏たちは、三日三晩寝ずに審議した。各領土に赴任している行政代官吏も、帝国が成立して初の社会調査を実施し、そのデータをまとめた。まさか、全人口に対して無理やり適材適所を決めて、移動させるわけにはいかない。農業従事者への税制優遇や、技術者たちへの郊外への就業斡旋。幸いにも、予算のことは考えなくてもいいという皇后の言葉があったのが、アルメイの幸運であった。
わずか二週間という短期間で、アルメイをはじめとする経済・就業対策チームは、対策草案の提出にこぎつけたのである。順調であった。帝国もこれで、経済を主軸とした国として大きく生まれ変わる。
「陛下。これらが今回の緊急対策法案の草案です。今は国家の危機──優先順位はありませぬ。明日からでも即実施をお願いします」
しかし、アルメイを待ち受けた言葉は、意外なものだった。
「それだけどさ、アルメイ。実は、俺もあれから色々考えてみたんだ。平和になったからこそ、国民のことを第一に考えないとな」
「それは良きことにございますね。人は誰も初めからすべての事に詳しいわけではございません。まずは、考える事が重要なのですから」
「それで、俺が思うにさ。経済が閉塞して、犯罪率が上がっているんだろ?」
「そうです」
「なら、大々的な国家的イベントを開くべきだと思うんだ。俺のいた国でも、国ごとに代表選手が集まって純粋にスポーツの腕を競うイベントがあった。この国なんかは、魔術や武術が得意な人たちが大勢いるし、そういう大会を開けば人も集まる。みんなの心も、一つになるかもしれない」
アルメイは、自分の口から何かとんでもない悪態が飛び出しそうになるのを必死にこらえた。何を馬鹿なことを言っているのだ。それは、真に国が落ち着いてからやるべきことであって、今やるべきことではない。今やるべきことは、帝国官吏達が必死にリストアップしたのだ。
「なるほど、確かに陛下の仰ることもごもっともですが……」
「であろう? 流石はケイよな。わらわもケイの見識には感服したぞ」
「いやあ、そんな。俺は思いついたことを言っただけだから」
アルメイは、言葉を無くした。皇帝は、当時十八歳の青年であった。当然だ。政治のことなどわかろうはずもない。彼が普通の青年ならば、無知を微笑ましく感じることも可能だっただろう。しかし、彼は神聖皇帝を名乗る為政者であり、その発言は国を揺るがすのだ。おまけに、彼の眼には召喚印が宿り、大抵のことは受け入れられてしまう。
「と、いうわけで。帝国を挙げて平和を願う魔術・武術大会を行おうと思う。アルメイ、異論は無いな?」
「こ、皇后殿下。お恐れながらわたしには時期尚早かと思われますが」
「ケイの言うことに間違いがあったか?」
皇后の目には、召喚印の効力が宿ったことを示す淡く青い光が一瞬灯っていた。連れてきた数人の高級官吏が女だったことに、今更ながらアルメイは後悔した。自分以外に、反対の声を挙げるものがいないのだ。魔術の力で作られたメガネのお陰で、アルメイには召喚印の効力は届かない。それが、彼女の苦悩の源でもあった。
「では、今回提出した法案については」
「大会を開催し、しかるのち実施する。アルメイの献策、ケイと共にしかと確認させてもらうぞ。お前は、すぐに大会についての草案を作るのだ」
皇后の言葉に、アルメイは頭を下げるほかなかった。
それから、四年が経った。その間、魔術・武芸大会は滞りなく開催されたが、一時的な経済回復こそもたらしたものの、先に挙げた問題は何も改善しなかった。
アルメイの法案は二年経過してから実施されたが、データが古くなり、予算が大きく減ったため、思った以上の成果を上げることはできなかった。最悪の結末だった。帝国の状況はますます悪化しつつあった。
何とかしなくては。その焦燥感のみがアルメイを突き動かした。皇后、いや前魔王は、ここまで時勢の見えない君主ではなかった。だからこそ、旧王国と和解し、ひとつの国になるという大決断を成し得たのだ。それが、召喚印のためにここまで盲目になりうるとは。
だが、わたしはやらなくてはならない。たとえ、天下の大罪人であるとしても、あの無能極まる皇帝を誅殺し、この国を正さなくては。




