淫奔不要(最終パート)
フェルディナンド家は、西側帝国騎士団の中でもかなりの大きさの邸宅を所有している。当然、ハウスキーパーには膨大な作業が必要だ。だが、今の御時世騎士は贅沢などできない。そこで、常時邸宅に詰めているのは執事のセクレトのみとなっており、他の下男やメイドは、必要に応じて短期で雇う、といった形式をとっている。
「次、入りなさい」
メイド服を着込んだ、小柄ながら出るところの出ている少女が応接室に入ってくる。邸宅の主人、アリス・フェルディナンドが柔和な笑みを浮かべながら、小さな訪問者を歓迎した。
「フィリュネと申します」
フィリュネは、エルフ族の族長の娘である。所作は洗練されており、少なくとも相手に不信感を与えるようなことはない。
「結構。私の名前は知っているな」
「もちろんです、アリス様」
「ますます結構。当家では、君をずっと雇うことはできん。短期メイドとして二日間の雇用となるが、頑張ってくれ」
羊皮紙に羽ペンでサインを書きながら、アリスは終始笑みを浮かべていた。機嫌の良さがにじみ出ている、といった感じだ。退室した直後、数人のメイドや下男達が執事に連れられ、それぞれ仕事を指示される。フィリュネは、一階の部屋をひと通り掃除するという役目を与えられた。
「皆さん、お屋敷での仕事を行う際、必ず守っていただかないといけないことがひとつだけあります。それは、お屋敷の地下室に入らないで下さい。アリス様とエレナ様のプライベート・ルームでございますので。勝手に入った場合、お給金を払うことはできませんので、ご承知下さい」
淡々とセクレトが告げた『注意』に、フィリュネは敏感に反応した。怪しい部分があれば、徹底して調べなければ。
フィリュネがわざわざメイドの格好をして潜入しているのには、理由がある。ひとつは、マルコの父、ポルコ失踪の理由を探ること。2つ目に、ヘイヴンの安宿に泊まっていたはずのマルコの行方を追うこと。フェルディナンドの邸宅へ辿り着き、一足早く乗り込んでいったのを最後に、やはり失踪してしまったのだ。
「あからさまに怪しいですねーっと……」
そろそろと地下室へ近づき、扉を開けると、するりと入り込む。カビと錆のかき混ぜられたなんとも言えぬ臭いが、フィリュネの鼻を襲った。男と女が話す声が、暗闇の中に響いている。
「……あのオークは、姉さんの『病気』の治療に使われたのかい」
「そうよ。姉さまは、これで数週間は人を殺さずに済むでしょう。アリス・フェルディナンドとして、国の英雄として生きることができるでしょう」
「そのためには……オークなんざ知ったこっちゃねェのかい。あんたらそれでも騎士なのかい」
「私達は、騎士である前に……女なのよ。女の本性からは逃れられない。イオ、分かって……」
女は悲しげな声を漏らすと、地下室から去っていった。フィリュネは暗がりに隠れていた。イオが捕まっているとは、さすがに予想外だった。
「神父さん! なんでこんなところに?」
「話すと長くなるんだがな。驚いたぜ。ありがてェことだ……主に感謝だな」
「皆さん心配されてましたよ。……それより、オークって……」
イオは憔悴した表情で、目を閉じた。フィリュネは全てを察した。もともと、乗り込んだ邸宅から出てこない、失踪したという噂を聞いた時点から予想はしていたが、事実と知るとショックは隠せなかった。
「そんな……」
「嬢ちゃん、俺はこのままじゃ多分出られねえ。フェルディナンド姉妹と、執事のセクレトはグルだ。やつらは変態趣味のために、人を殺してやがる……オークもだ。とにかく、ここから出て、ドモンの旦那に伝えてくれ」
フィリュネは拳を握った。マルコは、父親に会えずに死んだ。恐らく、無念の内に死んだのだろう。
「……マルコさんのために、フェルディナンド姉妹を断罪できませんか」
イオは疲れた顔で笑う。当然だと言いたげな、タフな笑顔だった。
「急いでくれよ。次のミサはさぼらずやりてェんでな」
イオから借りた鍵で教会に入ったドモン達は、オークのマルコが残した三枚の銀貨を分けていた。銅貨七枚で、国の英雄を殺す。割に合わない仕事だ。
「酷い話だ。セックスの快感のために人を殺すなんてな」
銀貨が月明かりを孕み、主のいない聖書台に落ちる。マルコが父親を探す対価として、フィリュネに払ったものだ。
「わたし、マルコさんと約束したのに……約束、守れませんでした……。せめて、仇を取ってあげたいんです」
フィリュネの声は沈んでいた。ソニアはタバコの火を灰皿に押し付けていた。ドモンはいつものような眠そうな表情ではなかった。強い憤りを内に秘めた、怒りの表情だった。
「……僕はね。そういう、自分の都合を他人に押し付けて、自分だけが良けりゃなんだっていいって野郎が、一番嫌いなんだ。……そんなやつは、女でも関係ない。たたっ斬ってやる」
「しかし、相手は超一流の騎士だろ。旦那、やれるのかい」
ドモンは銅貨を九枚かき集めると、袖のポケットに入れた。取り分より多めの金額だ。フィリュネとソニアが、あ、と声を漏らす。
「なんです、その顔は。こんな金額で、その超一流を殺れるんですよ。安いもんでしょう」
「あのな、俺たちゃどうせ同じ目に合うんだぜ。不公平は良くない」
「そ、そうですよ! マルコさんだってそんなの喜びません!」
「しょうがないでしょ、金が割り切れないんですから。そうだ、あなた達の足りない銅貨二枚は神父から貰いましょう。助けに行くついでの駄賃ってことで」
三人は顔を見合わせ、お互い頷いた。同意は得た。金も行き渡った。後は、相手を殺るだけだ。
「フィリュネさん、ロザリオは持ってってあげてくださいよ。神父はケンカはめっぽう弱いですからねえ。中でおっ死んでもらっても困るだけですから」
作戦は簡単だ。フィリュネは昼間のメイドの仕事を普通にこなす。掃除中に隙を見て、地下牢に降りる。別に給金がもらえなくても知ったことではないが、見つかれば恐らく命の保証は無いだろう。
「嬢ちゃん、やるのか」
「やります。ロザリオ、使って下さい。お金は教会です」
「助かる。早く出な。見つかるとやべェ」
フィリュネが去り際に、牢内に鍵を放り投げた。手錠の鍵だ。イオはそれを後ろ手でなんとか掴むと、かちかちと鍵穴を合わせ始めた。
フェルディナンド邸は、今夜は少しばかり様子が違っていた。アリス・フェルディナンドが、修練場で剣の訓練を行っているのである。彼女が一流の騎士として評価されるのは、その向上心からくるストイックさにある。事実『病気の発作』が起こらない日は、こうして剣の訓練を欠かさない。
フェルディナンド家伝来の名剣を実践さながらに五〇〇回素振りし終えた彼女は、邸宅裏口のドアを叩く者があることに気づいた。
「夜分遅くに申し訳ございません。一大事にございます」
「何者か」
アリスが剣を納め、扉を開けてやる。暗がりに立っていたのは、憲兵団のジャケットを着ている男が立っていた。
「憲兵官吏か」
「は。私、イヴァン憲兵団憲兵官吏の、ドモンと申します。火急の要件にて、このような夜更けに失礼を」
「良い。当家に何用か」
「や、実は。黒いコートに黒い眼鏡、ニヤけづらの中年男を追っております。イヴァンから逃げ出した後、この邸宅に入り込んだとの情報を得まして」
「御役目ご苦労……と言いたいところだが、当家は王国建国以来の名門である。貴様の如き木っ端役人が敷地に入り込むのは許さぬ。そのような者がいれば、叩き斬ってつかわす故、安心して戻れ」
「いえ、そうはいきません。その男は女と見れば見境のない下衆でございまして。アリス様や妹御のエレナ様にご無礼があってはなりませぬ」
食い下がるうだつのあがらない憲兵を見て、アリスの『病気』がぶり返しそうになる。誇り高き騎士の私が、夜分に入ってきた憲兵に敗北し、犯される。そして、行為が終わった後、剣を取り殺すのだ。敗北からの逆転というカタルシスは、アリスにとっての最高の悦楽にほかならなかった。
「……分かった。だが、当家には今、執事と妹しかおらぬ。どちらも腕が立つ。貴様の心配も最もだが、いらぬ世話というもの。……それより、貴様、剣の腕はどうだ」
「は? や、まあ普通と言った所でしょうか」
「ならば一つ、稽古をつけてやろう。何、私も稽古中でな。素振りだけでは飽きてしまう。手加減はしてやる。全力で来るがいい」
アリスは自慢の白刃を抜く。憲兵はどこか戸惑った表情を浮かべたが、意を決したように剣を抜いた。彼には隙がなかった。アリスも内戦下で実戦を経験し、それなりの使い手と戦ってきたが、ここまで隙がない剣士は初めてだ。
アリスが短く息を切り、上段から剣を振り下ろす。憲兵がそれを鍔で受け、弾く。憲兵が柄で剣を打ち、恐ろしい速度で刃を切り返した。長剣は鈍器であり、それなりの重量がある。当然、フェルディナンドの名剣は弾き飛ばされ、宙空で回転し、遥か後ろの地面へと突き刺さった。
「……見事。フフフ……私が負けるとは。褒美を取らせよう」
その場に膝をついたアリスは、敗北の喜びに身体が震えていた。だが、憲兵は勝ったことに笑みすら浮かべていなかった。飛んでいった剣へと近づき、抜くと、その白刃を月の光にさらした。
「や、それはそれは。ところで、この剣。素晴らしい剣ですねえ」
「……それは当家の名剣だ。褒美としてはやれぬ。他のものにしろ。貴様、女は好きか?」
「ええ、もちろんです」
「なら、私を……好きにしていいぞ。フフフ……」
憲兵はやはり無表情のまま、名剣を掴んだままこちらに近づいてくるだけだった。アリスの心は、これから行われるであろう被虐と弑逆への期待でいっぱいになっており、異変には気づかなかった。
名剣が、胸の中心に突き刺さっていた。自分の剣で、自分が串刺しになっている。憲兵の顔が近づき、ぼそりとつぶやきがアリスの耳に届く。
「あんたのような性悪はごめんだ。相手なら地獄で探すんだな」
死が訪れようとしていた。ただただ、屈辱的で、カタルシスは何も得られない。アリスの人生は、呆気無く幕を下ろした。
執事のセクレトが見たのは、アリスの寝室へと入っていく影だった。エレナ様は、アリス様の部屋に勝手に入ったりしない。なおかつ、この屋敷にいるのは、自分以外にはフェルディナンド姉妹以外にいない。
「誰かいるのか」
電撃系魔術の応用で、掌に小さな光球を生み出すと、部屋を見回す。セクレトが二日かけてクリーニングした部屋の壁に、オークの血の染みは残っていない。
部屋の隅を照らした時、ようやく侵入者に気づいた。メイド服を着ている。二日間の短期メイドとして雇った女だ。
「フィリュネさん、でしたか? 何をやっているんですか」
「あ、ご、ごめんなさい! 実は、忘れ物をしてしまって……でも見つかったので、大丈夫です」
「大丈夫ではありません。アリス様やエレナ様に見つかったら、私が叱られます。仕事は終わりました。貴女がここにいてはいけないのですよ」
「ごめんなさい! ところで……ここ、血の臭いが凄いですね。ほら、あそこにも黒いシミが……」
そんなバカな。セクレトが辺りを見回す。光球の放つ光が、影をとらえた。黒く、大きな影が、白い壁を覆っている。
「馬鹿な……ちゃんと掃除は済んだはず!」
黒い影に近づくセクレトが最期に見たのは、影の一部が炸裂した瞬間だった。黒い影から硝煙が立ち昇る。
コートに隠れていたソニアが現れた。セクレトの頭は、銃弾で完全に砕かれ、絶命していた。
眠れなかった。
久しぶりに男を愛したような気分になっていたからだった。高ぶりが抑えられず、地下牢に監禁しているイオの元に会いに来たのだ。
「よお」
「イオ……お願いがあるの。また……また、私を抱いて。不安が、何もかも無くなるようにして。不安だけじゃない。何もかも、忘れてしまいたいの。フェルディナンドの家も、汚れた身体も、何もかも」
牢を開け放ち、エレナはイオにすがりついた。イオは、優しく背中を撫でてくれた。エレナにとってみれば、それは何よりの平穏だった。ただ、こうしているだけで良かった。地位も名誉も、愛の前では些細な出来事だ。
「エレナ、良い方法があるぜェ」
「何?」
「ロザリオだ」
イオは大きなこぶし大の黄金のロザリオを掲げた。チェーンが揺れ、地下牢の吹きさらしの窓から飛び込む星の光が反射していた。
「主は、何もかもお許しになります。汝に罪なし……そんな気分になる」
イオはエレナの身体を抱き寄せ、くちづけた。ロザリオのチェーンのホックを外し、彼女の首へかける。
「これじゃ、チェーンが長すぎるわ」
「調節しよう」
チェーンの長さを調節するたび、ロザリオは胸から喉へと昇っていく。このままでいたかった。ずっと、イオの憂いを帯びた瞳を見つめていたかった。
「好きよ、イオ」
返事は無かった。ロザリオは喉に到達し、飛び出た針は容赦なくエレナの喉を串刺した。小さく息を漏らし、目を見開いたまま、エレナ・フェルディナンドの人生は終わった。
イオは彼女を床へそっと寝かせると、見開いたままの瞳を閉じた。それだけだった。彼女は罪深い人間だ。救いは無い。それは自分は同じだろうな、と自虐混じりに呟き、暗く臭い地下室を後にした。
日曜日のミサは、数人が集まった。少しばかりの小銭が集まり、とりあえず、パンには困らなさそうだった。
「神父」
ドモンがふらふらと現れ、暇そうにベンチに腰を下ろした。信者たちが帰り、いよいよ閑散を極める我が教会を確認した後、イオも同じようにベンチへ腰掛けた。しばらく、ドモンは何も喋らなかった。
「何の用だい、旦那」
「あんた、割を食ったな」
「何の話でェ。この間の断罪のことならお門違いってもんだ。別に、ちょっと寝た女のことくらい気にしちゃいねェ。また新しい花を摘みに行けばいいだけさ」
「で、その花はどうだった?」
表情は真剣なものだったが、質問は呆れ返るほど下世話だった。
「良かった。すごく」
ドモンはイオの頭をはたく。彼は無言のまま、心底口惜しそうに教会を後にするのだった。
淫奔不要 終わり




