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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
惜別不要(最終話)
124/124

惜別不要(最終パート)



 とうとう拷問官が音をあげた。こんなことは初めてだった。

「サイさん。もう無駄ですよ。見て下さいよ、日が沈んじまいます」

 拷問室には、既に沈みかけの紅い夕陽が差し込んでいた。暗く、湿っぽい拷問室に、既に気を失って久しいイオが、縛られ吊るされた上でぶらぶら宙を揺れていた。まさしく死ぬ寸前まで傷めつけられた彼だが、それらしい事は何も吐かなかった。

 時間がない。サイは焦っていた。もし、彼が本当に断罪人であれば、仲間がいるはずだ。トニーは少なくとも三人はいると言っていたし、サイが見つけた数件の事件でも、その人数を裏付けるだけの証拠はあった。そして仲間がいるのならば考えられる行動は二つ。ひとつは、仲間を助けに来る。それについては問題ない。いくら闇の世界の人間であっても、行政府に直接乗り込んでくることなどありえない。持ち回りで警備をしている騎士団を突破し、たった一人の男を助けに行くのはあまりにもリスクが大きすぎる。

 しかし、逆に逃げ出すとすれば問題だ。それがサイの考える、一番の懸念事項であった。仲間を見捨ててイヴァンから脱出するようなことがあれば、もはやどうにもならない。なんとしても、それだけは避けなければ。

「サイ殿」

 拷問室を出て、唸っているサイに話しかけてきたのは、行政府の警備を担当している騎士であった。彼が何度か話しかけてくるまで、サイはずっとそんな事を考えていたのだった。

「失礼。考え事をしておりまして」

「左様か。……実は、ミユキ様が行政府にいらしておりましてな」

「ミユキが?」

 なぜ、彼女が。そう騎士に訪ねようとした矢先、彼は重要な事に気がついた。今日は、ウェディングドレスの着付けの日ではなかったか。ここ数日、捜査の方にかかりきりで、ミユキともまともに話もしていない。さすがの彼女も、よくは思っていないだろう。

「すぐ行きます。ここの警備は任せました」

「了解した」

 行政府、応接用ロビー。下級官僚達が帰宅の途に就く中、ミユキは柱の側で人の流れが行き交うのを見つめていた。彼女の髪のブルネットを見つけると、サイは流れをかき分けながら、彼女にたどり着く。

「その……なんて言ったらいいか」

 ミユキは静かに微笑んでいた。てっきり、彼女は怒ると思っていたので、サイは面食らった。

「私は、仕事で頑張るあなたが好きです」

「それは……ありがとう」

「身勝手なことはわかっています。あなたが全力で取り組んでいるのは、お父様の名誉を取り戻すべく、真実を探ることですから。でも、私との予定がダメになるようでしたら、早めに教えていただきたかったです」

 何も言えなかった。彼がかろうじて考えついたのは、ドレスはどうだったのか、という質問であった。馬鹿な。彼女が傷つくだけだ。本当は、俺に見てもらいたかったに決まっている。

「すまない」

 結果彼が口にできたのは、謝罪の一言だけであった。ミユキは微笑んでいる。彼を非難することなどしない。彼女とて、サイが約束を破ったことを攻撃しても、それが何も意味を持たない行為であることを知っている。彼女は優しかった。優しいゆえに、サイの心は痛んだ。彼女が望んだこととはいえ、それをもって全てを投げ出す必要など、あるのか。

「お仕事は、まだかかりそうですか」

「……実は、お義父さんが亡くなった現場にいた……と思われる男を捕まえたんだ。多分、あの日何が起こったのか分かるかもしれない」

「……そのことなのですが……」

 ミユキは言いづらそうにもじもじと目線を下へと落とした。

「何か、最近おかしいのです。日が立つごとに胸騒ぎがして。あなたが、どこか遠くへ行ってしまいそうで、恐ろしくて」

 嫌にミユキが真剣な調子で言うので、サイは少し笑ってしまった。ミユキはそれがひどく気に触ったようで、ぷいとあさっての方向を向く。それがまた可愛らしくて、サイは笑った。ミユキも釣られて、笑った。二人でひとしきり笑った後、サイは彼女の手を握り言った。

「俺はどこにも行かない」

「申し訳ありません。そのような心配をかけるつもりではなかったのですが」

「妻の心配をするのは夫の仕事だよ。……すまない、今日も実は遅くなりそうなんだ。ドレスは……」

「ドレスは、本番までとっておきますか?」

「そうするか」

 ミユキは気丈に笑ってみせた。父親が亡くなり、不安に苛まれているのは、他でもない彼女だ。そんな彼女を、俺は一人にして寂しい思いをさせている。彼女と連れ立って歩いていた時間は短かった。

 行政府の外から出ると、ミユキはここまでで大丈夫、とサイに告げた。彼女の後ろ姿が、角を曲がって消えるまで、サイは彼女の姿を追っていた。これ以上、彼女にいらぬ心配をかけられない。サイは踵を返し、行政府へと戻った。






 サイが行政府に戻ると、特別拷問室の付近が何やら騒がしかった。拷問担当官と、部下のボードとカヤックが何やら蒼白になって話し込んでいる。何か、嫌な予感がした。

「何かあったんですか、カヤックさん」

「班長! どちらに行っておられたのですか! 神父のイオが、たった今釈放されたんですよ!」

 中年のカヤックは気難しそうな顔つきを更に凄ませながら、サイに詰め寄った。サイは、何を言われているのかさっぱり分からなかった。あの神父が釈放された? 自分が目を離した、数十分の間に? サイは魂が抜けそうになるのを必死に抑えながら、カヤックの肩を揺らした。

「誰だ……誰が釈放した!」

「それが……どうも、アルメイ様のようなんです」

 若手の方のボードが、意気消沈した様子でぽつぽつと語る。彼が言うには、数人の行政府付きの騎士達が押し寄せ『上からの命令』と押し切りながら、神父を連れだしたのだという。

「たまたま自分たちもいたんですが、何分上からの命令があるってことで強く言い出せなくて……」

 ボードが俯きがちにいう言葉も、サイの脳内から遠く離れようとしていた。またも、真実が遠のいてしまう。ミユキが不安に過ごす夜を、増やしてしまう。そんなことだけは、これ以上させられない。

「班長。諦めてはなりません」

 カヤックが、重々しく言った。

「釈放されたのは事実です。しかし我々は特捜班。捜査の裁量は任されている。かくなる上はもう一度別の罪状で捕らえるのです。……それに、騎士の一人が妙なことを口走っていました」

「妙なこと?」

「ええ。『仲間に引き渡せばいい』と」

 仲間。サイはその言葉を小さくつぶやく。まさか、『断罪人』の仲間が、手を回して神父を釈放させたのか。行政府内部に協力者がいるのか。それとも。サイの脳内は混乱を始めていたが、一瞬のことであった。カヤックの言うとおり、捕らえれば良い。神父はあれほど凄惨な拷問を加えたのだ。一人で歩ける身体ではない。そんな彼を連れ歩こうとすれば、多大な時間がかかるはずだ。

「今すぐ出るぞ。手の空いてる駐屯兵をかき集めろ。神父を追うんだ! 仲間も全員捕らえろ!」





 イオの身体は、想像以上に痛めつけられていた。満身創痍とは、今の彼のためにあるような言葉であった。ソニアは彼に肩を貸し、なんとか歩かせていた。腰には、布を荒々しく巻いた剣を帯び、歩きにくいことこの上ない。だが、これを引き換えに、全員の安全が確保されるのだから、背に腹は変えられぬ。

「おい、しっかりしろよ。いつも女を泣かせてる腰はどうした」

 下品なギャグを飛ばしても、イオは力なく息を吐くばかりだ。フィリュネは痛々しい彼の姿を見ることも出来ず、ただ二人を伴って先を行く。

「イヴァンを出るんだ。しばらくは女も抱けないぞ」

 イオの首から下がったロザリオが、力なく揺れる。まさか精神まで壊されてはいないだろう。そう思った矢先であった。

「……旦那は……どしたんでェ……」

 蚊の鳴くような声であった。フィリュネは泣き声混じりに、それに答える。

「旦那さんも、危ないんです。協力を仰げなくて……でもうまくいってよかった」

「なあ……旦那は……知ってんのかい……俺は…喋ら…なかったぜ……」

「ああ。お前は、何も喋らなかったよ。大したもんだ」

 ソニアは彼と共に歩みを進めた。浅い川のほとりを、ひたすら歩く。まさか堂々と繁華街を歩くわけにもいくまいと、川沿いの人気のない道を北上し、イヴァン北門を目指していたのだった。

 数分たった後、ソニアは夜風を裂く笛の音を聞いた。追手だ。アルメイも言っていたが、こんなにも行動が早いとは。それに、笛の音もだんだんと近づいてきているようだった。予想外だった。甘く見すぎていたかもしれない。ソニアは口にくわえていたたばこを落とし、踏みにじって火を消した。

「ソニアさん」

 フィリュネが不安げな顔で、こちらを見る。彼にできることは、なんとかここを脱することだけだ。一人も欠けることがあってはならない。

「いたぞ!」

 闇夜を再び笛の音が切り裂いた。ランプを高く掲げた兵たちが、橋桁の上からソニア達を照らした。ここまでか。ソニアはイオの肩を離し、フィリュネのほうへと突き飛ばした。

「ソニアさん!」

「大丈夫だ。あとで合流する! 行け! 走れ!」

 フィリュネはぎゅっと唇を結んだ。彼女が吐きたい言葉は、あまりにも多すぎた。同時に、彼女の想いとソニアの想いは一致していた。

 ここで、死ぬわけにはいかない。

 もはや、川沿いの道はない。浅い水路を抜けていけば、北門の近くへと辿り着くはずだ。ふらつくイオの手を強引に引き、水音を跳ねさせながら彼女は行く。ソニアの帰還を信じて、彼女は行く!

 彼女の後ろ姿をちらと確認してから、ソニアは布を解き、右手で黄金の剣を抜く。左手をコートに突っ込み、銃を取り出し構える。銃弾は作りおきしておいた全弾装填済み、チェンバーにある分を含めて十三発。彼は、川土手の上から彼を見下ろす光が、続々と増えていることに気づいた。ここで食い止めれば良い。

 俺は一度死んだ。最悪の死に方だった。

 ソニアは一秒にも満たない区切りの中で、今までの自分を振り返っていた。血なまぐさい人生が終わったと思ったら、また血なまぐさい人生だった。だが前より数倍マシな人生だ。前に進む価値がある。守るべき価値がある。 彼はトリガーを絞り、光の一つに放った。銃弾は男の眉間を貫き、駐屯兵が一人死んだ。あたりはどよめく。

「銃だ! 銃を持ってるぞ!」

「やはりか! 他の二人を追え! 抵抗するようなら──責任は俺が取る! とにかく一人でもいいから捕まえろ!」

 聞き覚えのある声。サイの姿が、光瞬く土手の上から覗く。ソニアは歯を剥いて笑った。

 俺は死ぬかもしれん。

 彼は不思議と満足していた。もしここで死ぬとすれば、なんという死に様だろう。殺し屋冥利につきるではないか。彼は右手で剣を、左手で銃を固く握った。

 だが、もっといい死に方がある。あの泣き虫でしっかり者でお人好しなエルフに、ボケて誰が誰だかわからなくなるまで、迷惑をかけてやるのだ。彼は笑った。笑っていた。二度目の人生には、まだまだ希望があった。

 彼はトリガーを再び絞った。また別の駐屯兵の頭が爆ぜた。仲間の死に呼応し、濁流が押し寄せるように、ソニアを捕らえんとする駐屯兵達が殺到する。黄金色の粒子が舞い、駐屯兵の一人を切り伏せる。血しぶきが飛び、駐屯兵達が恐慌する。彼らは嫌が応にも考えさせられる。

 自分たちが相手している男は、何者なのか。

 夜より暗いコートが舞う。同じ色のメガネの下の表情は分からぬ。正体不明の男は笑い、振り返った後浅い川を駆けた。逃げたのだ。

「追え! 逃すな!」

 サイが剣を抜き、恐れおののく駐屯兵達をけしかけた。彼もまた、必死であった。これ以上、好きにさせてなるものか。悪党に、神の慈悲など必要ない。サイには、もはやこれ以上後退は許されないのだ。






 しばらく浅い川を駆けていたフィリュネとイオの二人であったが、突然イオの足が止まった。後ろからは、水が跳ねる音。追っては未だ迫ってきている。ソニアが止めていると言っても、限度はあるだろう。フィリュネもまた不安であったが、彼の決断を無視するようなことは出来なかった。それに彼女は、あれほどの危機であっても、ソニアは突破してみせるだろうと信じている。信じているが、不安だった。だから、立ち止まりたくなかったのに。

「神父さん! 休んでる暇は……」

「……嬢ちゃん」

 イオは、ロザリオの横棒をくるりと回転させると、長い針をそこから抜き出した。イオはふらふらと川土手を作る石垣へと背中を押し付けながら、ロザリオのチェーンを取る。そして、再びふらふらとフィリュネの前にやってきたかと思うと、おもむろにそのロザリオを彼女の首にさげたではないか。彼の行動の意味が、フィリュネには一瞬わからなかったが──すぐに理解させられた。

 彼は、死のうとしている。

「ソニアさんは、大丈夫ですから! それに今、自分の身体がどんな風になってるか、分かって……」

「分かってるよ」

 イオは音のする方へ顔を向けながら、言った。

「自分の……体だぜェ。自分が、一番、分かってる。だけどよォ……俺は、ソニアを見殺しにゃできねェ……我ながら、バカだと思うんだがね……それに……俺を連れてちゃ、嬢ちゃんも逃げきれねェじゃねェか。逃げるべきは……まず嬢ちゃんだろ」

 ふらふらときた道を戻ろうとするイオのカソックコートを、フィリュネは引っ張った。手を離せば、恐らく二度と会えなくなる。彼の後ろ姿は、儚く消えそうな幻のようにさえ見えた。涙でにじむ彼のコートを、フィリュネは引っ張り続けた。

「それじゃ、意味ないんですよ! ソニアさんは……ソニアさんは大丈夫なんです! 絶対に……絶対に戻るんです……! だから、神父さんは……今逃げていいんですよ!」

「フィリュネ!」

 振り返ったイオは、あざだらけの顔をフィリュネに向け、死にかけであったとは思えないほど、強い力で肩を掴みながら、彼は言った。

「……もうこれ以上、俺の頭の中に……歳を取らねェ人達を……増やそうとするのは、やめにしてくれねェか……」

 フィリュネはその言葉を受けて、まるで釘でも打ち込まれたかのように動けなくなり、何も言えなくなった。イオは一歩ずつ歩み続け、一歩ごとにフィリュネの視界の中で小さくなっていった。右手には、長い針を一本だけ持って、彼は薄闇へと消えてゆく。

 銃声。恐らくはソニアの放ったそれが、フィリュネの耳にも確かに届いた。彼女にはもはや、先へ行くことも戻ることもできなくなってしまった。

 彼女がそうしている間に見たのは、戻ってきたソニアと、彼に担がれぐったりとしているイオの姿であった。イオを石垣によりかからせながら、ソニアはトリガーを絞る。だが、銃声はしなかった。弾切れ!

挿絵(By みてみん)

 その瞬間、ソニアの脇腹に、駐屯兵の一人が持っていた槍の穂先が突き刺さった。彼は声すら挙げず、柄を黄金の剣で叩き斬る。その瞬間、イオが大声を挙げ穂先を失った駐屯兵へと跳びかかり、馬乗りになると、持っていた長針を喉に押し込んだ! 駐屯兵は痙攣し即死! しかし、別の駐屯兵が馬乗りになっていたイオを、剣で袈裟懸けに振り下ろし、切り伏せた。血煙が上がる。イオは水流の中に身を横たえ、動かなくなった。

 そんな彼の姿を見て、ソニアは咆哮! 切り伏せた男を逆に斬り伏せ返す! しかし振りかぶり終わった所を、別の駐屯兵が背中を斬りつける。むちゃくちゃに黄金の剣を振り回すソニア。虚しく舞う、黄金の粒子。

 ソニアさん。

 叫びは、声にならなかった。

 ソニアの全身に、剣が、槍が叩き込まれる。もはやコートはズタボロ、頭から血を流しながらも、ソニアはまだ立っていた。黄金の剣を高く掲げた瞬間、再び別の槍を腹に押し込まれ──ソニアは穂先を抜かれた衝撃でくるりと回転する。

 世界が回転し、暗転する最期の瞬間に彼が見たのは、フィリュネの姿だった。彼女は泣いていた。また女を泣かせてしまった。ソニア卿は、こんな俺を見て、また俺をからかうだろうか。はたまた嫉妬するだろうか。どちらにせよ、ろくでもないことだ。

 泣かないでくれ。俺は、ただの殺し屋に戻るだけだ。路地裏で無様に死んだ、何者でも、誰でもない愚かな男に。

 サングラスが外れ、水路を転がった。







 行政府に戻ったサイを待ち受けていたのは、リードの姿であった。北門へ用を済ませたという彼がサイを招き入れたのは、他に誰の姿もない応接室であった。リードはサイの直属の上司である。彼は何よりも役人であろうとする堅物であった事を、サイはこの瞬間思い知った。

「サイ。お前にたった今から、いくつか悪い知らせをせねばならん」

「……今回の捜査の事であれば、いくらでも」

「そのこともあるが……ミユキ殿の事だ。実は、行政府付近で、彼女が刺されて──先ほど亡くなった」

 言葉の意味がよくわからなかった。ミユキが、死んだ? 馬鹿な。つい数時間前に、別れたばかりだ。行政府に来て、一緒に笑って、見送って──

「犯人は、ミシェルと名乗った女だった。刺された直後、トニーの仇だ、などと叫んだ後……自分自身も喉を突いて即死した。真相は不明だ」

「そんな……馬鹿なことが」

 サイが口に出来たのは、現実を否定するような弱々しい言葉であった。ミユキが、死んだ。ナルガに続いて、彼女まで。彼女のために、事件を追ってきたことは、一体──リードはそんな考えを知ってか知らずか、淡々と話を進めた。

「そして、本日をもって、お前を憲兵団特別捜査班の班長から解任する。今回の大捕り物の結果に、アルメイ様は大いに疑問を持たれている。あれほどの大騒ぎをしておきながら、捕らえたのは少女だけ。駐屯兵も死傷者含め十数人発生している。……これまでの強引な捜査で結果が出なかったとは言わんが、私も含めた話し合いの結果、お前を現在の地位に留め置くことは、不可能と判断した。よって、明日より……北の大監獄の牢回官吏主任職を命ずる。既にアルメイ様から人事異動命令を受けた。即刻準備し、一週間後までに異動せよ。良いな」

 サイは、自分が返事をしたかどうかも覚えていなかった。あまりにも自分にふりかかった出来事が多すぎた。彼は行政府内の詰め所で余っているデスクを借り、紙とペンを前にしながら、何が起こったのかを整理していた。そして、自分がもはや元のような憲兵官吏には──いやイヴァンの市民としても暮らせないことを悟った。北にある大監獄は、文字通りの閑職だ。悪党と同じく、一度入れば二度と出ることはないという、役人たちの墓場である。

 一体、何のために戦ってきたのだろう。

 モルダが死に、悪党を許せなくなった。結果は出た。昇進したし、一生を共にしたいと願えるほどの伴侶を手に入れたはずだった。彼女は、父親を亡くし、真実を知りたいと自分に願った。捜査を重ね、真実の末端へとたどり着いた。

 そして、サイは全てを失った。

 これまで手に入れてきて、守りたいと思っていたものを、全て。

 彼は手紙を書き終わると、封書へとしたため──拘置所へと向かった。フィリュネというのが、彼女の名前であった。いつだったか、ドモンに頼まれて、面倒を見たことがある少女であった。彼女は、何も喋らない。ただ人形のように椅子に腰掛け、俯いているだけだ。

 サイは何もかも失ったが──ひとつだけ残っているものがあった。それをしたため、彼は彼女に託した。フィリュネは夜風を裂きながら、サイと同じように歩き続ける。失ったものは戻らぬことを、強く感じながら。






 ドモンは、文字通り神に祈っていた。

挿絵(By みてみん)

 ガイモンへサイの説得が不可能なことを報告し終え、それが間に合うことだけを、彼は祈っていた。主のいない教会は存外に寒い。ろうそくの頼りない火を見つめながら、ドモンは待ち続けていた。不意に、扉が開く音が響いた。期待に胸をふくらませながら振り向くが、そこに立っていたのは、フィリュネであった。

「なんです、あんたですか……。神父がね、帰ってきやがらないんですよ。また、色街ですかねえ。困りますよね、こっちは珍しく心配……」

「神父さん……死んじゃいました」

 フィリュネは俯いたまま聖堂をゆらゆらと歩き、小さくそう呟いた。ドモンは笑いながら、話を続けた。

「そーですねえ。今頃、色街でソニアさんと一緒ですかねえ。あんた、何か聞いちゃいませんか?」

 くずおれるように両膝をつくと、フィリュネは巨大十字架オブジェを見上げた。荘厳な風景だ。さすがに様子がおかしいと感じたのか、ドモンはへらへらと笑うのをやめた。

「ソニアさんも、死んじゃったんです。ふたりとも……死んじゃったんです」

「あんた、何言って……二人が、死んだなんて……何を馬鹿な」

 フィリュネはいつの間にか、いつも断罪に使っているナイフを取り出していた。彼女はおもむろに切っ先を自分の喉元に向ける。ドモンはその意図をとっさに判断し、後ろから彼女を拘束した!

「離してください! お願いだから離してください! 死なせてください! ソニアさんは……もういないんです! だから、だから……私ももう死にます! あの人がいない世界なんて、もういたくありません!」

 泣き叫ぶフィリュネの手から、ドモンは強引にナイフをもぎ取ってから、彼女を平手で殴った。遠くへナイフを投げた上で、彼女の頬ごと顔を持ち上げた。泣きはらし目は腫れ、ひどい顔だ。首からは、乾いた血の飛んだロザリオが下げられていた。

 イオは、死んだ。ソニアも。

 フィリュネは泣きじゃくりながら、彼らの最期を告げた。イオとフィリュネを逃がすため、数十人の追手と相対したソニア。拷問で満足に動かない身体に鞭を打って、それに加勢したイオ。二人は、せめてフィリュネだけでも逃がそうと、最後の最後まで戦い、ドブ川で切り刻まれ果てた。

 二人が死んだ。

 そう反芻するのが、ドモンには精一杯であった。──フィリュネはそんな彼に、手紙を渡した。差出人は、彼もよく知る、サイだった。

『一筆啓上 私は此度の断罪人を追う捜査により、職を追われる事と相成りました。妻となる女性も失い、もはや私に残っているのは剣士としての誇りのみ。ついては、断罪人の元締たる貴公に決闘を申し込み、我が武勲とする所存。明日朝日が昇るまで、イヴァン北東の製木所にて待つ。サイ・アーダイン』

 ドモンは、全てを察してしまった。

 あの時サイを斬り捨てていれば、イオは捕まらなかった。ソニアはドモンに迷惑をかけまいと、自らの判断で行政府へ乗り込むこともなかった。フィリュネが一人だけ遺され、自殺を図るような事も無かった。

 あの時、サイを斬らなかったのは、間違いだったのだ。

 ぐしゃり、と手紙を握りしめながら、ドモンはフィリュネの肩に優しく手を置いた。彼女はひとりぼっちになった。そして、これから本当の意味でそうなるかもしれない。それを、彼は伝えなければならなかった。

「フィリュネさん。いいですか。あんたは、死ぬことを考えちゃいけません。あんたは、あの二人が望んだ通り、生きなきゃならない」

「……旦那さん」

「サイは、僕と決闘を望んでいます。断罪人は殺し屋稼業。本来なら、こんなもんは握りつぶして逃げちまうのが一番ですが……生憎、僕は二人も仲間を殺された……その恨みを晴らしてやらなきゃなりません」

「逃げましょうよ。旦那さん。私、一人は……嫌です」

「ソニアさんは、地獄にも行けない人間だって事、覚悟してました。全員、そうだと。……でも、あんたには一番最後に来てもらいたいって、言ってましたよ。あんたは、生きるんです。無様に死ぬまで、無様に生きるんです。だから、イヴァンを出てください。幸い、そのロザリオがあれば、聖職者に見えるでしょうから、旅には不自由しませんよ」

 ドモンは、自分が恐ろしい顔をしているのだろうとわかっていた。フィリュネは、ドモンの言葉に頷くと、立ち上がった。ふらふらと聖堂の扉に手をかけ──こちらを一瞥してから、外へと消えた。美しい瞳だった。恐らく、彼女はドモンを恨むだろう。ドモンのせいで、心から一緒に居たいと願った人と、永遠に別れることとなったのだから。

 だが、ドモンにはソニアの──あの不器用で、ドモンの行路を指し示してくれた男の想いを裏切ることだけは、できなかった。

 フィリュネは、生きなくてはならないのだ。楽しかった過去を、イヴァンを、描いていた未来をも、振り切って。







 その日は、また雪が降っていた。

 ドモンは短い眠りから覚醒し、未だ夜のうちから玄関に立った。

「お兄様」

 振り向くと、セリカが寝間着を出来るだけ身体に巻きつけながら、寒そうに立っていた。

「まだ夜も開けておりませんわ」

「今日は早番ですから」

「そうですか。今日は夕飯をお作りいたしますから、早めにご帰宅くださいまし」

「ええ」

 ドモンは顔を見せず、短くそう言った。セリカには見せられない顔をしていた。未だ夜だ。そして、最後の夜になるかもしれない。そんな顔を、妹には見せられなかった。

「今日は冷えますわ」

 セリカは暗がりから手を伸ばし、兄の頬に触れ──首にマフラーを巻いた。いつだったか、彼女が買った紫色のマフラーであった。

「風邪を引かれると、私が教師として了見を疑われてしまいますので。今日はお兄様にお貸しします。今日返してください」

 ドモンは紫色のマフラーを巻き直し、少しだけ笑った。こんな時だけ、妹は優しいものなのだろうか。いつもそうしてくれればいいのに。

「いってきます」

「お気をつけて」








 林へと入り、切りだされた丸太の間に、少し広いスペースが広がっていた。雪がわずかにつもり、ブーツの底が軽く埋まる。今なお、粉雪がわずかにちらついていた。暗闇の中に舞うそれは、ひどく美しく見えた。

 サイは、憲兵官吏の制服を着こみ、相手が来るのを待っていた。暗闇と粉雪の間から、人影を見たサイは、大きな声で言い放つ。

「貴公が、断罪人の元締めか」

 男は答えない。暗闇を抜け、粉雪をかき分けて現れた男の姿に、サイは大いに見覚えがあった。いつも近くにいた。なんでも相談した。憲兵団の同期で、いつも叱られていて、気はいいが慇懃無礼な──

「ドモン?」

「ええ」

「なんで、お前が……」

「決闘をしに来たんです。君と」

挿絵(By みてみん)

 サイは、普段とは異なる彼の様子に、思わず柄に手をかけようとした。しかしそれは、決闘に望む者の態度として、相応しくない。

「お前が、断罪人だと?」

「ええ。君が死に追いやったのは、僕の……仲間でした」

 ドモンは、サイと同じ憲兵団のジャケットを脱ぎ、マフラーを外した。そして、全てを振り切るように、ドスの利いた声で言った。

「名乗れ」

 サイはその一言で、目の前にいるのが、いつものダメな同僚ではない、という事を理解した。今いるのは、殺し屋だ。冷酷非情な殺人鬼だ。そしてこの男は、俺を殺しに来た。殺らなければ、殺られる。

「イヴァン憲兵団憲兵官吏、サイ・アーダイン」

 ジャケットを脱いだサイは、剣を抜き、両手で固く柄を握ると、身体と水平に構え、深く腰を落とした。ドモンもまた剣を抜き、鞘を捨てると、身体の中心で切っ先を伸ばし、腰を落とした。

「ドモン・ナカムラだ」

 二人の剣士が、隙を求め、ゆっくりと動き出す。積まれた木材の影から、ついに始まった決闘をフィリュネは見つめていた。吐く息は白く、ぴんと張り詰めた空気は、ただ粉雪が舞い散る風の音のみが支配している。二人同時に踏み出した一歩。硬い雪が、じゃり、と破砕音を鳴らす。

 その瞬間、二人の剣が交錯し、鈍い金属音を立てた。腕は恐らく互角。下手に踏み込めば、その瞬間相手の剣が自分の身体を切り裂くだろう。ドモンはそんな中踏み込み、剣を再び交錯させた! 逆方向から、サイが打つ! 刃を捻じり、隙を突いてドモンは刃を薙ぐ! 当たらず。構え直し、サイは上から振り下ろすも、ドモンは逆に切り上げ弾く! 再び袈裟懸けに振り下ろした剣を避け、胴を切り払うもやはりそれも防がれる! 一進一退!

 息詰まる攻防が続けば、どちらかがしびれを切らし、折れる。折れないようにするのが、一流の剣士だ。 今回は、サイがしびれを切らし、得意の下から地摺りの剣を放ち切り上げる! ドモンの防御を崩し、がら空きになった胴に向かって、抜き胴を放った!

 しかし、ドモンの剣は、彼が抜き胴を放つより先に、切っ先が地面に到達していた。サイの剣は、ドモンの腕をわずかに裂いたところで止まっていた。サイの剣より早く、剣を振り下ろし、サイの身体を袈裟懸けに一気に引き裂いたのだ。

 切っ先から垂れる血が、真っ白な雪にぽたぽたと垂れる。サイは片膝から崩折れ、血振りをしているドモンをただ見上げていた。

「ミユキ……すまない……今……」

 サイの手から剣は離れ、彼の身体も雪へと沈んだ。ドモンの手を伝って、血が数滴雪へと落ちる。ドモンは何食わぬ顔でジャケットを羽織り、紫色のマフラーを巻いた。彼は、木材の側に立って自分を見つめているフィリュネの側を、ただ無言で通り抜けた。フィリュネもまた、何も言わなかった。お互い、振り向きも呼び止めもしなかった。

 今日もまた朝が来て、一日が始まる。しかしそこには、もはや誰もいない。ドモンは強くマフラーを巻き直した。夢だと思うには、血なまぐさすぎた。

 ただ、帰ろう。恐らくは今日も、イヴァンは平和なのだから……。






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