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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
惜別不要(最終話)
122/124

惜別不要(Bパート)




「来年は、店でも開きたいもんだな」

 窓の外の雪景色を見つめ、たばこをふかしながら、ソニアはそう呟いた。安アパート街、聖人通りの一角。二人分のベッドでいっぱいいっぱいの、風呂トイレ無しの小さな部屋が、アクセサリー屋のソニアとフィリュネの全てだ。西陽のあたる部屋。夏は暑く、冬は寒い。それでも、二人身を寄せあって生きてきた。逃亡に疲れ、ようやく見つけた安住の地。殺しに手を染めても、生活はなかなか楽にはならないが、それでも二人はそこそこ幸せだ。

「店って、結構お金かかるんですよ。税金だってバカにならないですし、まだまだ足りませんよ」

「そうか」

 短いやりとり。二人の間には、それだけで十分だった。ベッドの上で道具を広げ、アクセサリーの銀細工の続きをはじめた。元はといえば、彼はこの世の者ではない。異世界からフィリュネが呼び出した男である。ソニアという名も、彼がこの世界に来てから付けた名だ。思えば、フィリュネはこの男の本当の名も知らないのだ。不思議な関係であった。彼はフィリュネと言う女を求めようとはしなかった。そもそも異世界から何者かを呼び出すという事自体、召喚者に大きな危険を背負わせる行為だ。文字通り、生贄となった者もいると聞く。フィリュネもそれを覚悟していたが、杞憂に終わった。だが、彼に人生を捧げようと誓ったその気持ちだけは、真実だと信じているつもりだ。

 彼は昔に比べてすっかり言葉少なくなったが、優しく頼りがいのある男であり続けた。これからも、彼とのこの慎ましやかな生活が、ずっと続くと良い。それだけが、今のフィリュネの願いだ。彼女は、取り込み終わった洗濯物をたたもうと、洗濯かごに手をかける。

「フィリュネ。こっち向け」

 ソニアのぶっきらぼうな言葉に、彼女は振り向く。彼の手には、銀色に輝く髪留め。羽を広げた鳥の模様が、美しく刻まれている。優しく前髪に触れ、その手にした髪留めを差した。

「ソニアさん、これ」

「あんまり、材質は良くねえがな。混ぜ物だらけのほとんど鉄細工」

「くれるんですか、私に」

 ソニアは口端に咥えたたばこを上下させながら、窓の外を見ながら続けた。こちらを見ようとしない。恥ずかしがっているのだ。

「お前、まだ嫁入り前なんだぞ。少しはおしゃれでもしろよ」

 西陽が強く差し込む。寒い冬の日に差した、暖かな光。フィリュネは失い続けたが、ただひとつ、ソニアの存在を得ることができた。多くは望まない。どうか、このままでいさせてほしい。

 日差しに照らされ、髪飾りが鈍く輝いた。

 不便で小さいこの部屋で、二人で、ずっと。







 その日のドモンは、どうやらツいていないようだった。

 そうでも思わねば、やっていられない。朝から上役のガイモンの部屋に、一人呼び出されるなど、尋常ではない。

「あのう……小官、何かやりましたか。最近は品行方正、真面目にやっておるつもりなのですが」

「バカモン。くだらん嘘をつくな。……貴様に用があるわけじゃない。サイの事だ」

 ガイモンが髭を擦りながら話したのは、サイの捜査についてであった。サイは現在、憲兵団団長直属の特別捜査班の班長だ。権限は、ドモンのような平の憲兵官吏よりはるかに上。小者を集めて大捕り物を指揮する事もできる。

 しかしそれも、上の指示あってのことだ。全てが全て、自由に捜査できるわけではない。彼が、独断専行しているという噂があるというのが、ガイモンの話の始まりであった。

「やつには期待をかけている。リード団長もそうだ。いつかはこの国の治安を、亡くなられたナルガ様のように一手に取り仕切る時が来るのではないかと、信じている。しかし役人たるもの、どういう理由があっても上の命令に従えぬというのは許されん」

「一体何を捜査してるっていうんですか?」

 眠そうにしているのを隠そうともせず、ドモンはあくびで開く口を何とか手で塞ごうと試みながら、聞いた。

「……本当の意味での『皇帝殺し』。ヘイヴンで、皇帝を名乗る男と、エリス元皇后殿下が殺されたのは、知っていよう」

 ガイモンの重苦しい言葉に、ドモンのあくびはぴたりと止まった。よく知っている。ヘイヴンは自分の管轄だし、何より殺したのはドモンとその仲間達……断罪人なのだから。

「しかし、小官も小耳にはさみましたが……確か、同じくそこで亡くなっていたナルガ様が、決闘を仕掛けたものと」

「うむ。アルメイ総代も、そのように発表されておる。皇后殿下に至っては、既に内戦時に亡くなられていると、存在すら認めておらん。しかし、偽物とはいえ、瞳に帝国の紋章の入った男だ。万が一にも、おかしな噂が立てば帝国の威信に傷がつく。臣民の混乱を招く事も考慮し、決闘の末相打ちとなった、と決着をつけたわけだが……サイはそれを蒸し返そうとしているようなのだ」

 愕然とした。たしかに断罪人の目論見は、ほぼ達成されている。政府にも黙認されていれば、多少おかしな死に様でも、誰かが疑うことなど無いと。しかしただ一人、それに疑問を持つ人間が存在したというのか。なぜサイが。ドモンは動揺を隠すように、少し食い気味に尋ねた。

「な、なぜです? 一体何でサイが、そんなことを」

「なんだ、貴様忘れたのか? 決闘を仕掛け、亡くなられたナルガ様は、サイの舅だぞ。奴にしてみれば、結婚式前に義父を殺されたことになる。おかしなところがあれば調べたくなるのは、無理もない事だ」

 皇帝を殺すと決めたあの夜、ドモンの中で何かが引っかかった事を思い出す。ナルガ・バリアント。どこかで聞いた名前だと思っていた。確か、サイの婚約者の名前は、ミユキ・バリアント。こんな事を見落としているとは。

「貴様に頼みたいのはだな。それとなく、事件の捜査をやめるよう忠告してもらいたいのだ。本当なら貴様に頼むなど、正気の沙汰ではないが……サイと貴様は、付き合いが長いからな」

「そんな回りくどい事をしなくても、ガイモン様から直接こう……雷を落としていただければ、サイも聞き入れるのでは」

「バカモン! わからんのか。サイは特別捜査班の班長だぞ。ある程度の自由裁量が認められておる以上、口で言っても無視されればおしまいよ。それこそリード団長から捜査を差し止めるとすれば、正式な文書が必要になる。そうなれば、大事になるのだ。サイ一人の問題では済まん。ワシや団長、はたまた行政府のお偉方の首がすげ変わる事になる。貴様で止められねば、やむをえまいが……」

 ガイモンはそう言うと、椅子をくるりと回転させ、ドモンに背を向けた。彼は、恐らく今後の憲兵団について考えているのだろう。しかしドモンは違う。憲兵団がどうなろうと知ったことではない。サイはかなり優秀な憲兵官吏だ。もし断罪人の存在に気づけば、下手をすれば芋づる式に全てが露見することになる。

「ガイモン様。小官、いますぐサイに」

「うむ。なんとも頼りないが頼んだぞ……ちょっと待て」

 足早に立ち去ろうとするドモンを、ガイモンは立ち上がって引き止めた。

「なんでしょうか」

「もし……もしだぞ。貴様の忠告すら聞き入れんとなれば、すぐに報告せい。これは、帝国を揺るがしかねん事だからな」






 特別捜査班の詰め所には、班員のカヤックとボードの二人しかいなかった。サイはいない。きょろきょろ見回すドモンに、若手の方のボードがきさくに話しかけた。

「ドモンさん。どうかしましたか」

「や、ボードさん。実はですねえ、サイに折り入って話が……どこに言ったか知りませんか」

「班長なら、一人で捜査に出ていますよ」

 中年のカヤックは、気難しそうに書類に目を落とし、羽ペンで何やら書き付けながら言った。

「……ドモンさん。班長にも班長の思うところがある。あなたがガイモン様に何を焚き付けられたのかは知りませんが、放っておいてもらえませんか」

 カヤックの含みのある発言に、ドモンは面食らった。サイのすることは、既に織り込み済みなのだろう。

「まさかあ。僕は、サイとその、コーヒーでも飲もうと思ってるだけですよ。この間奢ってもらったんで……いないんなら、また今度」

 へらへら作り笑いを浮かべながら、ドモンは特別捜査班の詰め所を後にする。時間がない。こうしている間にも、サイは何かしらの真実にたどり着いているやも分からない。一抹の焦りを感じながら、ドモンは憲兵団本部を出る。その時であった。

「ドモン。見回りか?」

 同じ白いジャケットのサイを、危うく見逃すところであった。ドモンは自分の動揺を隠すように身体を擦りながら、顎をしゃくった。その先には、コーヒースタンド。

「ちょっと一杯どうです?」

「ああ」

 心なしか、彼には元気が無いように見えた。返事にも力がない。ともかく、コーヒーを一杯ずつ買い、ドモンは飲むのに苦労しながらも、冷えた身体を温めた。湯気が通りに紛れ、消えていく。

「元気ないですね。どうかしたんですか?」

「いや、別に……」

「捜査のことですか。例えば……そう、皇帝殺しとかの」

 こちらを驚愕の表情で見るサイに、ドモンは自分の収まらぬ動揺を気取られぬかどうかで気が気でなかった。どこまで踏み込めるか。ドモンの手にかかっている。

「ここじゃ、話しづらい。ちょっとこっちへ来てくれるか」

 コーヒースタンドから見えない位置。人通りの少ない、橋の下。それでも辺りを見回しながら、サイはようやく口を開いた。

「なぜお前が、俺の捜査のことを?」

「はっきり言います。君にああだこうだと屁理屈をこねても、仕方ありませんからね。皇帝殺しの捜査は、もうやめたほうがいいですよ」

「誰から言われたんだ、ドモン」

「ガイモン様。いずれは、リード団長や……アルメイ総代になるんじゃないですか」

「おどかすのはやめてくれよ」

「僕は君の身の為を思って言ってるんです。ミユキさんだって、悲しみますよ。せっかく出世街道に乗って、結婚も決まったっていうのに。これじゃ、亡くなった舅さんだって……」

「お前に何がわかるんだよ、ドモン!」

 彼が声を荒げる所を、ドモンは初めて見た。続けざまに彼はドモンの胸ぐらを掴むと、そのまま身体を石垣に押し付ける。

「俺は、ミユキのために……真実を明らかにしたいだけだ!」

「それが君の転落を招いて──結果ミユキさんを不幸にしてもですか」

 ドモンの指摘に、サイは口をつぐむ。そう、このまま捜査を続ければ、彼の行動はミユキを不幸にする。憲兵官吏としても、一人の男としても。必ず何かを失う。それこそ、自分の命さえ。

「……むしろミユキが望んだことだ。彼女は、騎士の娘だからな。父親の死に方を、あんな訳の分からないままうやむやにされるのは、耐えられないんだろう。……俺も、そうだ」

「わかりましたよ。いい加減、離してくれませんか」

「……すまん」

 サイはバツが悪そうにドモンの肩から手を離し、寒々しく流れる小川の水面へと目を向け、ドモンにも背を向けた。

「そんなに言うんなら、目星は付いてるんでしょうね」

「ああ。あの事件……断罪人が絡んでる」

 ドモンは目を剥き、思わず剣の柄に手を当てる。彼は気づいている。どういうルートでどのようにその情報を得たのかは分からないが、確かに気づいている。冷たい冬の乾いた風が吹く。

 斬るしかない。

 いずれ彼は全てに気づく。きっかけに気づけば、結末まで辿り着くのは、あっという間だ。指を柄に当て、刃を押し出す。鈍く輝く刃に、ドモンの歪んだ顔が写った。サイは水面を見つめたまま、押し黙り喋らない。無防備な背中だ。斬れる。今ならば、斬って川に叩き落とせば、誰にも分からない。

 斬れる。

「お前の忠告は本当にありがたいよ、ドモン。でも俺は、憲兵官吏として──一人の男として、真実が知りたい。それで身を持ち崩しても、俺もミユキも、仕方がないで済ますさ。心配してくれて、すまなかったな」

 サイはそう言い残すと、こちらを見ようともせず、そのまま去っていった。ドモンはというと、石垣の前で抜きかけた剣を納めていた。斬れなかった。斬れば、真実を追う者はいなくなったはずだ。それで全てがうまくいったはずなのに。

 なぜ斬れなかった。

 ドモンは息を吐き、背中を石垣に押し付けながら、地面に尻をつけた。彼を斬らなかった事に、安堵すらしている自分がいた。こちらの説得でなんともならなかったのだ。後は、お偉方がなんとかすれば良い。

 ドモンは川の水面を見つめながら、さざなみが立つのを眺めていた。自分への言い訳が、脳内を巡っていた。その一方で、自分への罵倒も。何が断罪人だ。何が掟だ。これでは、素人じゃないか……静かで、寒々しい日であった。




 神父イオは、あまりの寒々しさに昼寝から目を覚ました。カソックコートを巻きつけても、何の足しにもならぬ。やはり、春になるまで温かい土地へ行くべきか。そんな事を考えながら、湯でも沸かして紅茶でも飲もうと、台所へ向かおうとしたその時であった。懺悔室への通路を隔てるカーテンが揺れている。誰かが懺悔をしにきたのだ。

「寒いのになァ……」

 ぶつぶつと文句を垂れながら、イオは身体を擦って寒さに耐えながら、懺悔室へと滑りこむ。暗い懺悔室の中は、聖堂以上に寒々しかった。それでも彼は、神父としての務めを果たさなくてはならないのだ。

「迷える子羊よ。なんでも懺悔なさい。神は全てをお許しになるでしょう」

 格子窓から覗く黒い影は、何故か何もしゃべろうとしなかった。懺悔は勇気がいる。もちろん、吐き出すのに時間がかかることも往々にしてある。だが、妙だ。栗色のウェーヴがかった自分の髪に手櫛を通しながら、イオはなおも懺悔を待っていたが──とうとうしびれを切らした。

「懺悔は無いんですかねェ。無いってんなら、帰ってもらえませんかね。こっちも暇じゃねェんですよ」

「断罪人、知ってるか」

 イオは思わず、ロザリオを握った。男の声。下手なことは言えない。そういう切り出し方で断罪を求めるものも少なくないが、初めから正体を明かすのは躊躇われた。嫌な予感がする。迷った挙句彼が選択したのは、普段のように──普通の神父のように対応することであった。

「あの、懺悔をなさらないようでしたら、お帰り願えませんか」

「お前が断罪人だという話がある。そうだと懺悔するのであれば、手荒な真似はしない」

「神父に懺悔ですか。下らない事を……帰ってください。断罪人など知りませんのでね」

 イオはそう言い捨てると、暗い懺悔室から、明るい聖堂へと出る。彼が目にしたのは、槍を構え周りを取り囲む、駐屯兵達の姿。思わず手を挙げるイオ。カーテンをくぐって出てきたのは、白いジャケットに赤髪の憲兵官吏。

「……憲兵官吏の旦那。何事ですかこれは。教会で武器を持つなど、神の怒りに──」

「黙れ」

 サイは静かに剣を抜きながら言った。埃っぽい聖堂に、刃のきらめきが舞う。イオは直感する。下手な動きも、下手な言葉も命取りになりかねない。

「神父イオ、断罪人なる稼業を名乗り、殺人を繰り返した容疑で逮捕する!」


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