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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
惜別不要(最終話)
121/124

惜別不要(Aパート)




 帝都イヴァンは、すっかり雪景色になった。

 もともとこの大陸のど真ん中に鎮座する帝都では、あまり大雪は降らない。ちらちら揺れる粉雪が舞うと、冬支度にマフラーやらコートをひっくり返さねばならないといった風に、人々がふと考えるくらいのものだ。往々にして務め人にとっては雪というのは厄介だ。イヴァンの治安を預かる憲兵官吏の一人、ドモンは、白銀世界と化した自宅前を見て、朝からげんなりした気持ちになるのだった。収まりの悪い黒髪をぼりぼりかき、まるで針を投げつけられているかの如き風に、猫背気味の身体を萎縮させる。

「ではお兄様、今日も頑張っていってらっしゃいまし」

 扉の奥から出てきたのは、黒いロングコートに紫色のマフラーを巻き、革のロングブーツで足元を完全防御した妹・セリカの姿であった。

「……ずいぶん暖かそうですね」

「ええ。この冬はとても辛いと聞いておりましたので、奮発しましたの。教師が真っ先に風邪を引いたら、生徒たちに示しが付きませんもの」

 セリカは若いながら、帝国魔導師学校の教師を務める才媛だ。無能役人で通っているドモンとは、全く大違いだ。彼女もそれをよく理解しており、日々小言がうるさい。さながら今日の風のごとく。

「ところで僕も、風邪を引いたら示しがつかないんですが……。何かマフラーとかありませんか」

「お兄様の分は虫でダメになってしまったので、ありませんわ。では急ぎますので。お兄様も、遅れないようにしてくださいまし」

 積もった雪もなんのその、まるで普段通りの道だとでも言いたげな様子で、あっという間に去っていった。ドモンはいじけた様子で、足を使って重い雪を払う。

「なんですか、あれ。別に、僕はマフラーなんてなくても構いませんよ。へっ」

 もう一度雪を蹴り、シャベルのごとく雪を退かそうとしたドモンであったが、凍っていたところに足をすべらせ、すっころんだ。





「私が、アルバトーニ・エメラルダです。トニーで結構。お会いできて光栄ですね、サイの旦那」

 五分刈りに短く整えた黒髪の、彫りの深い男が握手を求める。それに応じたのは、憲兵官吏のサイであった。彼の顔色は暗い。

「トニーさん」

「やめてくださいよ、旦那。トニーでいい。ああ。こっちにいるのは妻のミシェルです」

「ハァイ」

 軽薄な様子で、ミシェルは手を差し出す。サイはどこか投げやりな形で握手に応じた。彼には、もはやここしか思いつかなかった。恐らく、限界があるのだ。彼は憲兵官吏という人種としては珍しく、真っ当であった。清廉潔白に生きてきた。手の抜けるところは抜き、順調に過ごしてきた。これからもそうだろうと考えていた、矢先の出来事であった。

 義父──つまり彼にとって舅に当たる、帝国騎士団総筆頭騎士、ナルガ・バリアントが死んだのは、つい二週間ほど前の話であった。イヴァン内で西に位置する自由市場・ヘイヴンにて、舅のナルガは無残な斬殺体として発見された。近くで同じく惨殺されていたのは、すでに死した『皇帝』を名乗り、悪逆非道の限りをつくしていた男。さらに直ぐ側の路地裏で、元帝国皇后・エリスが発見された。

 奇怪な殺人事件。舅のナルガを失い、冷たい遺体となった父親にすがる婚約者のミユキの姿を目にしながらも、サイは冷静さを失っていなかった。なぜナルガの剣には血が付いていないのか? なぜ皇帝は、両目を銃で撃たれ、後ろから突き殺されていたのか? 

 彼はこの二週間、『真相』を求めるために費やした。行政府からのお達しは『此度の一件、帝国臣民に無用な動揺を生むものと判断し、捜査不要である』という一言で終わっていた。皇帝の存在はまことしやかに語られてはいたが、捜査上は『素性不明』として扱われ、やがて埋もれていった。通常ならば、言葉通り『皇帝殺し』として、未解決事件として消えていく定めだろう。

 だがサイは、それでも真実が知りたかった。きっかけは単純だ。婚約者のミユキの言葉であった。

「お父様は、いつもあなたの事を気にかけておられました。バリアント家の跡取りとして、立派な男になるよう支えよと、常に私に申しておりました。私は、騎士の娘です。そしてあなたはその跡取り。どうか、真実を。できることなら、お父様の名誉を取り戻してください」

 親類縁者だけの小さな葬儀を執り行った後、教会に置かれた棺の前で二人だけになった時、涙を堪えながらミユキはそう言った。彼女は、騎士の娘がどのようなものか、どんな覚悟を強いられるかを、よく理解していた。

 騎士とは主君の剣であり、盾である。いつ死しても、それはやむ無し。しかし後に続く者は、剣を取り名誉を挽回せよ。

 サイは彼女のブルネットの髪を撫で、膝を付き誓い、手の甲にキスをした。彼は騎士ではない。だが、憲兵官吏である。名誉を取り戻せるかはわからぬが、真実は解き明かせる。彼女に、そう誓った。

 しかし、清廉潔白な方法では、もはや限界に近づいていた。彼にわかったのは、どうやらこうした『怪しい殺人事件』はここ数ヶ月ほど連続しているらしいことが分かった。サイは、真実の入り口に辿り着いた。

 断罪人。三年前、イヴァンを恐怖に陥れた、殺人集団。

 憲兵団の一斉摘発によって滅びた彼らが、もし再び活動を始めているとすれば、不可解な死に方──いずれも『希少な武器である銃での殺害』、『心臓発作の後、小さな虫刺されのような後を遺して死亡』、『刃物で斬られたり、突き刺されて死亡』といったような、明らかに関連性のある死因の殺人事件が、定期的に起こっていることも得心が行く。しかし、サイが見つけた事件は、いずれも『皇帝殺し』として埋もれていたため、調べ直すのは不可能になってしまっており、理論付けるための決定打にはならなかった。

 だから彼は、裏の人間に頼ることにしたのだ。それも、真っ黒な人間に。それが目の前にいる男、アルバトーニ・エメラルダだ。彼は探偵会社の社長を名乗っているが、実際のところイヴァンの『裏社会』に存在するありとあらゆる情報を取り仕切る『情報屋』だ。そんな立場を利用して、ゆすりたかりに会社への裏経営アドバイスなども行っている、悪党なのである。

「旦那の噂はそこらで聞いてますよ。憲兵団の中でも、ひときわ優秀な御方だ。本来なら、俺のような人間を頼る事も無いでしょうに。……それで、俺に一体どんな御用です」

「……断罪人について、聞きたい」

 トニーの眼の色が変わった。一瞬で元に戻った──戻したのだろう──それを、サイは見逃さなかった。

「はっきり言う。俺はやつらがあの『皇帝』や、皇后陛下。そして、俺の舅……ナルガ・バリアントも殺したんじゃないかと疑ってる」

「そんなの、聞いたこともありませんね」

 トニーは、ミシェルへ手招きすると、細い紙巻たばこを持ってこさせた。既にミシェルは、同じようなたばこを吸っている。強烈な甘い香り。携帯火種で火をつけようとしたトニーの手首を、サイは掴んだ。

「な、何を……」

「最近、東の地で採れる麻薬を、品種改良した奴が出回ってるらしいな。前みたいに死にはしないらしいが、中毒性はある。当然使うのも持つのもご法度だ。そっちのミシェルは、どうやらずっとやってるみたいだな」

 サイは彼女の机の上に置かれた、山盛りの吸い殻の入った灰皿を指さした。直後! 覚悟を決めたトニーは机の下からナイフを取り出しサイの顔めがけて突き出した! しかし、サイは既に見切っている。首をわずかにそらし、ナイフが赤い筋をサイの頬へ残し通過すると同時に剣を抜き、刃を首筋に突きつけた!

「俺もこんなことは言いたくはないが、俺も必死なんだ。いいか。あんたが掴んでる断罪人についての情報を全てよこせ」

「おいおいおい、旦那! ちょっと待って下さいよ。いくら憲兵官吏だからって横暴すぎやしませんか。いいですか、俺も商売でやってるんだ。び、ビジネスをしようじゃありませんか」

「それじゃ、そっちのミシェルが違法な薬物をやってるっていうのを報告するまでだ。なんだったら、今すぐしょっ引いてもいい」

 トニーはナイフを床に落とした。ゆっくりと手をあげ、立ち上がった。なおもサイの刃は、首筋につきつけられたままだ。その姿を見て、ミシェルが茶髪をぐしゃぐしゃかき混ぜながら、混乱の声を挙げる。完全に中毒者のそれである。

「ミシェル! 落ち着け!」

「だって……あなたが……死んじゃう!」

「俺は死なない! 黙ってろ!」

 トニーはそう言ってのけると、息を整えながらサイを見据えた。言葉を間違えば、サイもただで引いたりはしないだろう。しかしトニーもまた、裏の世界を渡り歩いてきた男である。そんなものでメシを食えるわけではないと知ってはいるが、プライドは残っている。その小さなプライドが、かろうじて彼の勇気を支えていた。

「旦那。剣を下ろしてくれ。あんたの覚悟はよおく分かった。だがな、旦那。俺もこういう稼業でメシを食ってるんだ。それなりの金を貰わねえと、割に合わねえ。特に、断罪人って連中に対してはな」

「金さえあれば、話すのか」

 サイは、まるでつきつけられた切っ先と同じくらいの鋭い目で、トニーを見据えて言った。覚悟がある。トニーはふとそんな印象を覚えた。彼は、自分の中の一番奥にある信念を、どんな形であれ残しているのだろう。

「俺はどんな情報だろうと、どんな相手にも金次第で売る。無けりゃ、売らねえ。簡単なことさ」

 サイは、剣を収め、椅子に再びかけた。安堵するトニー。ミシェルは頬をしきりに撫でたり頭を掻きむしったりしながら、震える手で恐る恐る点きかけのたばこへと手を伸ばしたが、トニーはそれを制した。落ち窪みかけた暗い瞳で恨みがましく夫とサイを交互に見るが、意に介さない。サイは手持ちの金貨二枚を差し出してから、言った。

「この金で、どれだけ喋れる」

「……旦那、がっかりさせたくねえが……俺は情報屋としていろんな話を聞いてるつもりだが、こと断罪人については、直球の情報は持ってねえ。だから、俺の持ってる情報をすべて話す」

 サイの心臓は、早鐘を打ち始めた。真相へ、また一歩近づける。その一心が、彼を突き動かしている。ミユキと、そして娘の花嫁姿を見ることなく死んでいった、ナルガとの約束を守るために。

「やつらは、知っての通り金次第で動く殺人鬼共だ。どんな野郎でも、必ず殺す。昔は、やつらの事をまとめる元締めがいたらしいが、今は違うらしい。三年前に、大多数は殺されたか捕まって処刑されたが……二人逃げおおせた野郎がいるってのは、聞いたことがあるぜ」

 二人。初耳だった。三年前の当時、断罪人壊滅作戦の音頭をとったのは、ガイモンであった。若かったサイもまたその捜査に参加し、断罪人を何人か斬り捨てた。彼らは意外にも、普段は普通の人間として働いていた。家族を持っていたものもいた。悪人だと聞いてはいたが、気分が悪かったのを覚えている。

 それが、二人生き残っているとは。

「俺の見立てじゃ、今の断罪人は三人か四人。そしてこれは結構有名な話なんだが……銃を持ってる奴がいるみたいなんだ」

「銃? 帝国じゃ、そんなに数は無いはずだぞ」

「分からねえ。だが、少なくとも三年前の断罪人には、銃を使った野郎はいなかったはずだ。そもそも、市場になんか出まわらねえしな。ま、その野郎のことはわからないが、一つ、旦那にも満足してもらえる情報があるぜ」

 トニーは机の上に置かれた金貨を素早く回収し、吸い殻の山からまだ火がくすぶっているものを取り出すと、吸った。どうやらこれは普通のタバコのようで、ただただ煙たい紫煙がサイの周りを舞った。

「断罪人に頼む時、ヘイヴン近くのボロ教会が窓口になってるらしい。神父が一人いるみたいだが、そいつは怪しいかもしれねえ」

 サイは立ち上がった。十分すぎるほど、十分な情報だ。断罪人は存在する。まことしやかな噂でしか無いが、可能性は上がった。今の行き詰まったサイには、賭けるに値する可能性であった。

「……旦那に、一つだけ忠告しときますよ。あんまり、闇の中を覗きこまない方がいい。裏の世界ってのは、あんたみたいな方が突っ込むところじゃない。気づいたら、抜け出せなくなりますぜ」

「忠告、感謝するよ」

 立ち上がり、扉の側に立ったと同時に、サイは奇声を耳にした。ミシェルの声。床に転がったナイフを、ミシェルが拾っている。不器用に構えて突進する彼女。剣を抜くサイ。

「バカ! やめろっ!」

 怒鳴るトニーが、彼女を羽交い絞めにする! しかし物凄い力でミシェルは振り解き、めちゃくちゃにナイフを振り回した! 腕を掠めた痛みから、反射的に、彼は剣を振り下ろした。

 刃は、彼女を庇おうとしたトニーの背中を肩から切り裂いた。吹き出した血が、サイの頬に飛び散る。ミシェルは絶叫し、外へと駆けて行って、消えた。切っ先を地面に向けたまま、呆然と立ち尽くすサイ。トニーから広がっていく、赤い血の海。

 既に、彼は事切れていた。

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