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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
父子(おやこ)不要
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父子(おやこ)不要 (Cパート)




 イオは食事のとき、祈りを捧げる。

 神より食べ物を授かった事に対する感謝の表れだ。両親を失い、孤児院に入れられた幼いころより、そう教えられてきたイオには当然の行為であった。テツはそんなことも知らなかった。初めは同じテーブルに座るのも躊躇していた彼を、同じテーブルへとつかせるのは難儀なことであった。もくもくとパンを食べる彼に「うまいか」とたずねる度に、テツは身を震わせ、おずおずと頭を下げるのみ。イオは気にせず、彼に笑いかけながら共にパンをかじった。

 昔を思い出す。孤児院では、ちょろちょろと離れようとしない弟分や妹分が、ぞろぞろといたものだ。既に遠くなって久しい記憶に、イオの顔はほころぶ。もっとも、テツはそこまで幼くは無いのだが、イオから見れば子供に違いは無い。

「なあ、テツ。お前、行くところねェんだろう」

 粗末な食事を終えた後、イオは優しく述べた。

「うん」

「だったら構わねェ。好きなだけいろよ」

 テツは戸惑いと恐怖がないまぜになったような表情を浮かべた。気にせずイオは笑いかけ、続けた。

「俺は気楽な独り身だしよ。教会だってこの別宅だって、広ェんだよ。別にてめェみたいなガキ独りちょろちょろしてても、気にしねェ」

 イオはふと、傍らに置いた聖書を見る。立派なメシの種だ。聖書のことも、神の教えも、この教会も、かつては先人がおり、イオへと譲ってくれた。その恩人のお陰で、イオはどうにか神父として身を立てることができたのだ。

「……なあ、テツ。お前、神の言葉を学んでみねェかい」

「神の……言葉?」

「ああ。神父になりゃ、聖書を持って聖書を読めりゃあ、食ってけるからよ」

 差し出された聖書のページの言葉を、テツは少しずつ、たどたどしく読み上げる。イオは、その最初の一言を読み上げる彼を、やさしく見守っていた。

「な、汝の……隣人を……愛せよ……」




「そりゃ、一体どういうことですか!」

 憲兵団団長室。サイは突然の決定をなんとか覆すために、一人で怒鳴り込んでいた。シンプルなデスクの先には、一人の男が座っている。ロマンスグレイの髪をオールバックに撫で付けた、気難しそうな男。現憲兵団団長、ヘイデン・リードその人である。

「上からの決定だ」

 リードは先ほどの言葉を繰り返すのみだった。

「ですから、なぜそんな決定が下ったのかを聞いているんです!」

「では貴様に聞くとしよう。貴様の捜査のために、何名か腹を切らねばならんとなれば、責任を持てるのか? ん?」

 ねっとりとまるで蛇ののたくるような言葉。リードはこういう男だ。カタブツという言葉の持つ成分を全て抽出して煮詰め、優秀な役人という器からあふれ出るまで満たしてやれば完成する。

「貴様も憲兵官吏ならば知っていよう。利口に生きるという言葉の意味が。見えたものを見えなかったという。聞こえたものを聞こえなかったという。それが役人の生き方と言うものよ。……今回の事件の犯人、実は割れている」

 衝撃的な言葉であった。サイやその部下の特捜班では、最有力容疑者たる『隻腕の男』の存在まで辿り着いている。それが、イヴァンの治安を預かる憲兵団より先に、一体どこの機関が。広域捜査機関である遊撃隊か? いや、こんな小さな事件でわざわざ動くはずが無い。

「割れているんだ、サイ。分かるか? 『初めから分かっていたのだ』。つまりは、上の決定とはそれだ。そして……手は打ったそうだ。手出し無用、詮索不要、それが我々役人に課せられた役目。違うか?」

 サイはその言葉から何事かを察する。犯人は上の人間が知っていた。捜査機関が動く必要も無い間に、既に。そんな状況になりうる可能性は、ひとつしかない。

 犯人は『上の人間』の血縁者、それに類する人間。貴族や騎士は、誇り高い生き物だ。親類縁者の不始末は、自分達の恥となる。だから、自分の手の届く内は自分でつける。たとえ、どんな手を介してでも。

「分かるか? その犯人がもし貴様らに挙げられてみろ。当然事件は白日の下にさらされ、何人もの人間が腹を切らねばならん。私も含めてな」

「しかしなおのこと、罪をきちんと償わせるべきでは」

「くどい。貴様が言っているのは、私はもちろん行政府をも敵に回すような愚かな発言だぞ。罪を償う、確かに美しい言葉だ。だが、生まれ持った立場では背負い償うには重過ぎる罪もあるのだ。わきまえろ。貴様もまた、腹を切らねばならん一人となりたくなければな。義理のお父上も、迷惑をこうむるぞ。貴様ももうすぐ結婚だろう? 気をつけることだ」

 リードはそう締めくくると、サイに背を向けた。それ以上、サイには何も話させない、という意思を感じさせた。結局同じなのだ。サイは強くこぶしを握る。平役人でも、多少出世しても、手の届かぬ領域がある。それが、なんとも悔しかった。





 その日も、寒い日であった。

 イオはコートごと体をさすりながら、埃っぽい聖堂へと足を踏み入れた。テツはまだ寝ている。イオの別宅のベッドの上で、いまだ夢見心地であろう。イオはと言うと、床の上に用意したマットレスで寝ている。正直寒い。風邪を引かなかったのが奇跡であるかのようだ。最初は、屋根裏部屋でもあてがおうと思ったのだが、テツが狭い場所を異様にいやがるので、ほかに方法が無かったのだ。

 テツの寝顔を見ながら、イオは考える。もし自分がまっとうな生き方をしていれば、父親として彼を迎えることができたのではないか。どうせ行き場所の無いのなら、父親と胸を張って彼を保護してやることを考えてやるべきではないのか。

「……無理か。俺は所詮、裏の人間だしなァ」

 テツと親子として、全うに暮らす。自分は普通の神父として、貧乏をしてテツと共に布教活動に精を出す。テツを神父として育て、いずれ自分もそうしてもらったように、教会を譲ってやってもいい。イオはそんな妄想を自分で笑う他無かった。イオは地獄にすらいけぬ人殺し、断罪人の一人だ。そんな男に親を名乗られても、迷惑千万であろう。

 ひとしきり小さく笑い終えた後、イオは人の気配を感じ取った。

「早速お仕事かい、助かるねェ……」

 懺悔室へと続く通路と聖堂を隔てるカーテンがゆれ、こつこつと床をたたく靴の音が響く。イオは薄暗い懺悔室へと滑り込むと、懺悔する者の姿を待った。格子窓の先に、何者かの影が差す。お互いの顔が見えないようになっているのだ。こうして懺悔するもの達は、プライバシーを確保し安心を得る。そうした状況下でこそ、普段は口が裂けても言えぬような事を言えるようになるのだ。戯言、迷い言、そして、恨み言を。

「神父様。どうか何卒、わたしの懺悔をお聞き届けくださいませ」

 しわがれた老婆の声であった。年齢だけでは理由のつかぬ、震えた声だけが暗い懺悔室に響く。

「迷える子羊よ、神は全てを見ておられます。何でも懺悔なさい」

 イオは役者のごとく大げさに言った。目の前の影は、背中を震わせながら言葉を搾り出した。あるだけの決意を、絶望と恨みで押し出しながら。

「私は、息子一家を一度に失いました。本屋のミロク堂で殺されたのは、私の息子、嫁、孫でございます。私は、無念で、無念でなりません。一体何のいわれがあったと言うのですか。普通に暮らし、人様に迷惑をかけることなく生きてきたというのに、なぜ」

「憲兵団でも捜査は続いているのではないですか」

「神父様、憲兵団では捜査を打ち切ると言って参りました。もはや、犯人が捕まることは無いのなら、この無念をどうすればよいと……もはや私には、どうすればよいのかわかりません」

 妙な気分であった。恨み言という懺悔を吐く人々の言葉を、イオは良く耳にしている。みな、搾り出すような、血をそのまま吐くような声で、恨みを残していく。だがこの老婆は、どこか事務的で、演技のように中身を感じられぬ言葉であったのだ。だが、神父は懺悔を聞くものであり、嘘を指摘することはしない。

「よろしければ、喜捨なさると良いでしょう」

 イオは格子窓の下に備え付けられた、小さな引き出しを押し出した。金がぶつかる音。四枚。五枚。六枚。老婆の姿は既に無かった。引き戻した引き出しの中には、金貨が十枚。

 これは、断罪になる。

 いまや断罪人の噂はまことしやかに都市伝説めいて囁かれている。恨みを晴らしてくれる何者かの存在。普通の老婆がそれを知っていても不思議なことではない。すがるような思いで、教会にやってくるのも納得できる。しかしこの違和感はなんだと言うのか。

「……とにかく、旦那にも相談してみるか……」

 イオがそう結論付けて、懺悔室を去ろうとした時であった。別の影が現れたのだ。先ほどの老婆ではない。同じくらい小柄ではあるが、雰囲気が異なる。

「神父様」

 聞き覚えのある声であった。イオは影に向き直り、首から下げたロザリオを握る。先ほどの老婆の一件といい、妙に落ち着かなかった。

「テツか。どうした」

 既におきたのだろうか。そんなことを考えながら、イオはのんきに言葉を投げかけた。しかし返ってきたのは、予想に反する言葉であった。

「そう。でも俺はテツじゃない」

 声は確かにテツであった。影には片腕が無い。だが、話しぶりが違う。雰囲気が違う。テツであって、テツではない。

「俺は、ドウさ。テツが世話になってる。テツも俺なんだから、俺も世話になってるのと同じだけどな」

「……テツよう。おめェ、結構しゃべれるんだな」

「だから、俺はドウ。な。神父様。さっきの話、聞いたよ。あれをやったのは俺だよ」

 まさか。イオはそうつぶやくのを、何とか口の中だけで押しとどめた。テツは、常に陰鬱としている青年だ。片腕だけでできることは少ないが、言われたことはきちんとこなす。虫も殺せそうに無い。それが、あんな事件の犯人。

「おい、冗談はよしてくれよ」

「冗談じゃないよ、神父様。……テツは、つらいんだよ。こんな世界で生きていたくないんだ。だから、俺がいるんだ」

「どういう意味でェ」

 ドウは、小さく笑ってすら見せた。テツが笑ったことなど、一度も無い。いつも目を伏せ、あいまいに唸るばかりだ。それでも、彼はイオを信頼してくれる。最近は、食事のとき、隣に座ってくれるようになった。以前は同じテーブルに座ることすら嫌がったことを考えれば、大きな進歩と言えよう。

「テツは、親父に愛されなかったんだ。殴られ、蹴られ……事故で腕を失っても、治療さえ受けさせてもらえなかった。だから家を飛び出した。逃げて逃げて、逃げ続けた。そこで、俺が生まれたんだ。テツに『お前は不幸じゃない。愛される必要なんて無い。だって愛なんてもの、価値が無いんだから』って言ってやるために」

 ドウは言いたい事を言い連ねた後、ふっと姿を消した。イオもその影を追い、懺悔室から飛び出していく。ベンチに座っているのは、呆けた顔をして宙を見つめるばかりのテツであった。イオは彼の肩をつかむと、揺らした!

「おい、テツ! なんだってんだ、ドウってのは! 殺しをやったのはお前って、どういうことなんでェ!」

 テツの呆けた顔は徐々に生気を取り戻し、同時に青ざめていった。彼は、ドウの言葉を呟く。何度も、何度も。

「ち……違う……ドウじゃない……。俺……違う。ドウじゃない……俺はドウじゃない!」

 テツは強引にイオの腕を振りほどき、壁へ背中からへばりつく。じょじょにずり落ち、ひざを抱えて涙を流し始め──懐から取り出したナイフで、ふとももを切りつけ始めた! カーゴパンツが裂け、血が噴出す! イオは強引に止めさせるが、片腕にも関わらず物凄い力で抵抗し暴れ続けた! そのうちに、持っていたナイフがイオの頬を掠め、一筋の血が流れ、テツの振り下ろした手の甲に落ちた。それに気づき、目を丸くし手を止めたテツを、イオは強引に抱きしめた。

「そうさ。違うよな……お前は、テツだよな」

 混乱からかなおも暴れるテツを、半ば押さえつけるように抱きしめ続けるイオ。なおも脳内には、ドウの放った言葉が反響する。

「テツは愛されなかった」

 イオは、ようやく落ち着き、ただ抱きしめられるがままのテツの体温を感じながら、考える。ドウは、テツと同一人物だと言った。そんなことが起こりうるのか? 

「そんなこと、あるわけねェよ……」

 イオは巨大十字架を見やり、神へ向かって十字を切った。そして祈る。そのようなことはありえない。神がすべての人を愛するように、父親は子供を愛するものだ。イオは盲目的にそう信じる他無かった。

 テツを肯定し、ドウの存在を否定するために。

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