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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
蒐集不要
112/124

蒐集不要(最終パート)




 次の日。

 サイはこの日、特別捜査班へ異動した初日であったのだが、早速怪事件に遭遇した。アケガワストリートの路地裏で殺された、札付きの悪ども。そのうち一人は、眼球が片方無かった。綺麗に目をえぐり出されているのだ。

「何があったっていうんだ……?」

 聞き込みに走った部下──中年のカヤックと若手のボードと言う──の話しによれば、昨日ちょうど三人組が言いがかりをつけ恐喝していたのを見たというものが何人かいた。カヤックは神経質そうな強面な顔に、さらに眉根を寄せながら言った。

「連中は金持ちそうな人間にぶつかって金をせびるクズ共……昨日は、杖をついた目を包帯で巻いた銀髪の女と、その従者らしき剣士の女に目をつけたようですな」

 若手の背の低い、犬のような印象のボードもそれに続けた。

「周りの連中はとばっちりを恐れて、この裏路地は見に来なかったようです。薄情ですよね。女二人ですよ。しかも目が見えない杖をついた女だったんですから……」

 サイは、数日前の事をにわかに思い出す。全く同じ特徴の女二人組を、サイは目撃している。カツレツやでドモンやモルダと飯を食った時、店の看板娘の手を掴んだのは、確かロゼとか言う女剣士だった。

「調べて見る価値はありそうだな……カヤックさん、もう少しその女二人を探ってみてください。ボード、お前は憲兵団に人をやって、似顔絵の準備をするよう言ってくれ。……実は、アテがある。俺も後で行く」

 優秀なる特別捜査班の班員二人は、共に頷くとすぐに散っていった。サイは無残な肉塊と化し、粗末な布で覆われた死体を見下ろしながら十字を切り、考える。人は多いほうがいい。あの日、ドモンとモルダも女二人を見ている。協力してくれるよう予め言っておいたほうが良さそうだ。

 サイは現場を他の特別捜査班班員や駐屯兵達に任せると、自分は一路憲兵団本部へと向かった。





「そりゃ、本当なんですか」

 ドモンは語気を強めて言った。懸念が無かったわけではなかったが、こうも事態が悪い方向へいくと気分が悪くなるばかりだ。フィリュネはうつむき加減で報告を続けた。

「キースさん、かろうじて私達の事は言ってませんでした。でも途中で気配を勘付かれて──どうも剣を売り渡すらしい事はわかったんですが、その条件として何を提示したのか分からなかったんです」

 ドモンは珍しく腕組みをして、むうと悩み始めた。実のところ、まだ調査も何もしていない。まずはキースの出方と裏取りをフィリュネに担当させてから動くべきだと思っていたからだ。

「旦那、俺はもう殺っちまうべきだと思う」

 ソニアがぶっきらぼうにそう言った。イオも同感らしく、彼にしては珍しく押し黙ったまま頷いた。

「キースは俺たち全員の顔を知ってる。あの状況下じゃどうしようも無かったが──断罪の対象とぐるになったってんなら尚更だぜ。依頼を取り下げるとしても、安心できねェ」

 イオの言うことも尤もである。筋の通った依頼だろうが、掟に反した依頼者は消さねばならぬ。ましてや今回は顔を見られている。キースの言うシルヴィア達が、さらに断罪人達にとってよくない方向へ動くことも考えられるだろう。

「分かりました。ソニアさん、こういう時はあんたに殺ってもらうのが確実でしょう。フィリュネさん、あんたはまずキースに接触して下さい。できるだけ話を聞き出して──ソニアさんに合図を送るんです。神父と僕は、万が一の時のために準備してますから。ヤバイ時はまとめて殺っちまいましょう」

 こうなるともう話しあいというものはトントン拍子に進むもので、今夜中に仕留めてしまおうという段取りを決めた。場所は、北地区の廃教会。フィリュネがキースをおびき寄せ、そこで仕留める。だが今はまだ夕方になりかけである。決行は当然夜に紛れることを前提にせねばならないから、それまでは準備に時間を費やさなければならない。いつもそうだが、今回は特に失敗は許されないのだ。

「じゃ、皆さん。私早速キースさんを追いかけます。夜十二時には誘導できるようにしますから、そのつもりで準備しちゃって下さい」

 断罪人達はお互いの顔を見合わせ、頷いた。もしかしたらもっと大きな額の断罪になったかもしれなかったのは、残念なことだが──それも己の安寧には代えられない。

「じゃ、今夜それぞれ集合ということで」

「旦那はどうすんでェ」

 イオはドモンの背中に呼びかけた。面倒だったのか、彼は振り向かないまま、言った。

「仕事ですよ。片付けなきゃならない書類があるんです。夜には間に合わせますよ」





 ドモンが執務室に入って行くと、ちょうどサイとモルダが話し合っているところであった。それ自体は珍しくもない。モルダはきさくな人物だし、サイも話し好きだからだ。しかし二人の面持ちは、どことなく真剣なものだった。サイはともかく、モルダがこのような顔をするところなど、ドモンはこれまで一度も見たことがない。

「ドモン君。ちょうど良かった。この人相書をみてもらえんかの」

 モルダが手に持っていた羊皮紙を受け取り、それをまじまじと見つめる。見覚えのある女。目に包帯を巻いた女と、目つきの鋭い黒髪の女。

「……カツレツやであった女ですね」

「じゃろ」

 モルダはそれだけ言うと、むうと黙りこむ。あごひげをゆっくりしごき、沈思默考を始めた。ますます彼らしくもない。彼の代わりに、サイが口を開く。

「この二人には、殺人の疑いがあるんだ」

「……そりゃ穏やかじゃありませんねえ」

「殺られたのは、三人組の恐喝屋だ。アケガワストリートの通りで、金を持ってそうなやつにいちゃもんをつけて、金をせびる悪党どもだが……全員後ろから剣でばっさりだ。その上、連中の一人は目を抉られてる」

 キースも同じような話をしていた。シルヴィア・エスカランテは、何人もの人間の目を抉り出し故郷を捨てた。お供の従者ロゼは剣士であり、目の不自由な彼女のために働いてきた。恐らく、三人を斬り殺すのはシルヴィア自身にはムリだろう。となれば、あの血の気の多そうな剣士のロゼが殺ったことになる。ありえそうな話だ。偶然と片付けるには、一致が多すぎる。

「──ドモン君。サイ君。カツレツやで一騒動あったあの時、あの女はなんと言ったかの。サーヤの手を掴んだ後じゃ」

 あの時、ロゼがサーヤの手を掴み、まるで値踏みするように顔を確認していた。その後、シルヴィアに向かって彼女は言ったのだ。

『お嬢様、ダーク・ブルーです』

 その場にいた者達のうち、その言葉が意味することを正確に理解したのは何人だっただろう。おそらくは、髪の毛の色の事かと思ったはずだ。しかしよく考えれば髪の色ならば、わざわざ手を掴んで顔を確認する必要はない!

「しまった……マズい! すまん、サイ君。後は頼んだぞ!」

 モルダは立てかけていた剣を掴んで腰に差すと、焦りを感じさせながら執務室を飛び出した! ドモンもサイも、彼の行動の真意を理解した! サーヤが危険なのだ!

「ドモン、先に行け! いくらなんでもモルダさんだけじゃ危険だ。すぐに動けるのを集めて俺も行く!」

 友人の心強い言葉に頷くと、ドモンは珍しく走ってモルダを追いかけた。急がねばならない。今だけは憲兵官吏として、使命を全うせねばならない!






 ドモンがカツレツやにたどり着くと、モルダは既にそこには居なかった。店で開店準備をしていたオヤジが不機嫌そうに声を荒らげたが、今はそんな場合ではない。

「モルダさんは来たんですか!?」

「来たよ。ついさっきな。サーヤはどこ行った、って怒鳴りやがって。本当にモルダの旦那かって驚いちまったぜ」

 ドモンは一度店を出て、通りを見回す。既にモルダの姿は無い。

「じゃあ、そのサーヤさんは」

「んな怒鳴るんじゃねえよ。モルダの旦那もあんたも何だってんだ。今日の昼頃、赤毛の小奇麗な騎士が来てよ。ファム・ファタール・ストリートのナギト家中ゲスト用の宿舎まで出前を頼まれたんだ。で、さっき届けに行った。主人も気にいるだろうからなんて無理言いやがって。うちのカツレツはアツアツを食わなきゃ意味が……」

 短く礼を言うと、ドモンは店を飛び出し、走った。モルダらしくもない。ベテランらしく自分の領分や能力をわきまえているはずの彼ならば、こうして自分一人で飛び出していくはずがない。せめてサイの実働隊の編成を待ってからでも遅くはないはずなのだ。

 カツレツやから北東地区はそう遠くない。打ち合わせ通りであれば、どこかでフィリュネがいるはずだ。ファム・ファタール・ストリートに入ってからは、ドモンは息を整えながらゆっくり辺りを見回す。行き交う家路を急ぐ人々。既に日は傾きかけ、夜が訪れようとしている。そんな時の隙間を縫って、ドモンは歩く。

「旦那さん!」

 小声で呼びかけられ、振り向くと、路地裏の影からフィリュネが手招きしていた。まずはよし。フィリュネはドモンを路地裏に引き込んでから、すっと通りの向こう側の屋敷を指した。

「この通りは貴族の別宅が多いんです。あのお屋敷はナギト家家中の宿を兼ねてるんですよ。それにキースさん、すっかり別人みたいに髭を剃ってましたよ。お陰でちょっと判別に戸惑っちゃいました」

「僕が来るまでに、キース以外の人間は入って行きましたか」

 フィリュネは頷き、ドモンの顔は険しくなった。遅かったのだ。

「布をかけたカゴを持った女の人と、おじいさんが一人。憲兵官吏のジャケットを着てました。ほんのちょっと前の話です」

 貴族の別宅ともなれば、捜査は一気に難しくなる。事前に行政府からの勧告が必要になるからだ。当然、そんなものを申請している暇は今無い。モルダにはそんなことは関係なかった、と言うのだろうか。あの老憲兵官吏は、激情にかられ──回りの状況が見えなくなる男ではない。ましてや、こんな貴族の差配の内に正義感だけで飛び込んでいくわけがない。

「とにかく、入ったのは間違いないんですね。出てきちゃいませんね、誰も」

「ええ、誰も」

「分かりました。こうなりゃ、応援を待つ他ありませんが……ただ待つのもシャクですね。フィリュネさん、あんた、あの中に忍び込めませんか」

 フィリュネは少し考えてから、頷いた。

「この別宅、普段は誰もいないはずなんです。せいぜいハウスキーパーが週一で出入りするくらい、とからしくて。なら裏口から忍び込めば、誰かに見つかることは無いと思います」

 シルヴィア達も潜んでいるとドモンは睨んでいるが、今は確かめる術がない。フィリュネを危険に晒すことになりかねないが、既にモルダも入っていっている。今更もう一人紛れ込んでも、何も変わるまい。

「じゃ、僕は表で大騒ぎしますから、あなたは後ろから入り込んで下さい。あんまり時間はありませんが、慎重におねがいしますよ。あんたまで捕まったら更に面倒になりますから……」

 ドモンは背中を丸め、辺りを見回しながらそろそろと門へ近づくと──門に備え付けてあるドアベルを、ガラガラと品性のかけらもなく鳴らした。行き交う紳士淑女の視線が刺さるが、今はそんなことを気にしている暇はない!

「どなたかあ! いらっしゃいませんかねえ! 憲兵団のものですけどお!」

 ドモンは叫ぶ。その間に、フィリュネは裏へと回り、裏口の扉を押し開けながら、その身を滑り込ませた。綺麗に手入れの行き届いた庭。おそらくは季節によって、様々な花をつけるのであろう花壇に、フラワー・アーチ。今はどうやらオフシーズンらしく、寒々しい光景が広がっていた。外でお茶をするには、少し寒い季節だ。フィリュネはかろうじて残る常緑の茂みに身を隠し、足音を立てぬよう進む。屋敷の裏口の扉を見つけ、わずかに押し開ける。中に人のいた気配は残っているが、そう多くない。綺麗に掃除の行き届いた調理場を抜け、食堂へ。テーブルクロスだけの殺風景な長机の上に、カゴが乗っていた。女が持ってきていたものだ。布を取って中を覗くと、既に冷めたカツレツが数枚、皿に乗っていた。手を伸ばしたい気持ちに駆られたが押しとどめたフィリュネは、不意に冷えた風を感じた。閉めきったこの屋敷の中で、一体どこから。ホール食堂の側に、小さな鉄の扉があった。わずかに閉まっていない。おそらくはここから。

 さらにその扉を押し開けると、ぎぎ、と錆びた音が鳴り、湿っぽい空気が鼻をついた。なんとも丁寧なことに、足元を照らすためのろうそくの光が点在している。第一歩を階段へそろりと下ろした直後、彼女は気づいた。呻く声。風の鳴る音とは明らかに異なる、人の声。

 一歩一歩が恐ろしかったが、進まねば話にならぬ。フィリュネは足元のろうそくを一本拝借すると、うめき声をかき分けるように進んだ。階段が終わると、短い廊下の先に光が差していた。彼女は慎重にろうそくを地面に置き、光へと近づいた。

「さて」

 女が二人。いや、猿轡を嵌められ、十字架めいた拘束台で立たされた状態で拘束されている女が奥にいる。おまけに彼女は、小さな鉤爪のごとき器具で、無理やり目を露出させられているのだった。その目の前には、青ざめた表情で短剣を握るキース。すっかり髭を剃り、赤髪もまとめ別人のようになった彼であったが、その顔は何かに怯えきっているようであった。

「困りましたわねえ。私、そのように頭を下げられても困ってしまいますのよ?」

 地面に額を擦りつけているのは、ドモンと同じジャケットを羽織った老人。彼はそのまま微動だにせず、答えもしない。ロゼはそんな彼の脇腹を蹴り上げる! くぐもったうめき声をあげ、モルダは湿っぽい石畳を転がった!

「お父様は、はっきり言って弱いお方でしたわ。気にすることといえば、エスカランテの家名と主人たるナギト家の繁栄のことだけ……自分の代で家を途切れさせるのが恐ろしいから。だから、私の事もずっと黙認していましたのよ。でも、私も一人の人間……家名を守るだけの人生など──ましてや一生幽閉されて暮らすなど、まっぴらごめんですわ」

「シルヴィア様、無知蒙昧の輩なること承知の上で申し上げます。どうか、その娘の命だけはお助けくだされ」

 シルヴィアは銀色の短剣に指を這わせ弄びながら、包帯の下の瞳に愉悦の色を滲ませながら、モルダの背中を見下げた。

「私、どんな人のお話でも興味を持って聞くことにしていますの。どうぞお話になって? 憲兵官吏のあなたがそこまで言うからには、余程の理由がおありなのでしょう」

 モルダは俄に顔を上げ、彼女に向き直ってから改めて額を地面につけた。

「私には家族は居りませぬ。──既にみな亡くなってしまいました。独り身なる故、この娘を……私は家族のように思っておるのです。じじいの勝手な言い分にしか過ぎませぬ。どうか……」

 シルヴィアは少しだけ考える素振りを見せ、人差し指をくるくる回しながらゆっくりと粗末な椅子に腰掛けた。そのまま今度はキースへと顔を向ける。

「ねえ、キース。どうするべきだとお思いかしら。あなたの率直な意見を教えてくださらない?」

 キースは剣をさらに強く握る。目の前の少女の瞳は、逃げるようにぐるぐる恐怖怯え、回っている。シルヴィアは言った。金は当然の条件だが、もう一つ追加せねばならない。それは保証。キースが裏切らぬという保証を求めてきたのだ。その内容は簡単だ。一人目を抉ればよいのだ。そうすれば、キースも晴れて同じ穴のムジナ。どんなことがあってもシルヴィアを裏切ることは出来ぬ。もしお恐れながらと訴えでれば、自分もまた目を抉った者の一味として逃れ得ぬ処分を受けることだろう。

「ねえ。なんとも哀れなお話だと思いませんこと? ──ねえ、モルダさん。私は、ぜひ助けてあげたいと思っていますの」

「それはまことにございますか」

「ええ。……私はいずれ、帝国貴族となる身。『誰かとした約束も守れぬでは』人はついてこない。そうは思いませんこと? ねえ、キース」

 キースの脳内では、様々な出来事が飛び交った。主人の事。金の事。シルヴィアの事。左遷された事。──そして、妻のこと。一際強く柄を握り──短剣をサーヤの顔に押し込んだ。

 くぐもった絶叫! モルダは即座に顔を上げ、事態を察すると剣を抜いた。しかし、直後、後ろから突き入れられたロゼの握る剣の血塗れた刃が腹から突き出した。まるで、示し合わせたかのような動き。モルダは薄れゆく意識の中察していた。全ては遅かったのだ。はじめから誰も生きて返す気など、無かった。だがすがりついた希望の答えを、彼は問わずには居られなかった。

「助けると……申したでは……」

「そう、助けて差し上げますわ……あなたのように老いぼれては、ただ死ぬのも大変でしょう? 時間がかかってしまいますし、苦しいですから。なにより、あなたのお話。陳腐すぎて何も面白くありませんでしたわ」

 愉悦。愉悦。シルヴィアは美しいものが好きだ。それと同じくらい、他人が力及ばず死んでいくのも何よりも好きなのだ。包帯で覆われた彼女の瞳を見ることが出来たならば、これ以上なく愉悦に歪んでいることだろう!

「シルヴィア様……」

 ぐったりと首の落ちたサーヤの顔からは、ゆっくりと血が流れていた。生きたまま目を抉り取るのは初めてだ。目に刃をつき入れ押し込まれれば、もはや生きてはいまい。青ざめた表情を隠すように下を向きながら、キースは血まみれの手のひらを差し出す。中身は、ダーク・ブルーの瞳を持つ血まみれの眼球! 自身の手が汚れるのも厭わず、シルヴィアは子供のようにそれを奪い取り掲げ、笑った!

「御覧なさい、ロゼ。なんと美しい瞳でしょう」

「良うございましたね、お嬢様」

 二人は、まるで新しくアクセサリーを見つけたように喜び、愛おしんだ。狂っている。たった今人を惨たらしく殺し、女から生きたまま片目を抉り取るよう言いつけるなど、常人のやることではない。しかし、キースはその狂人の言いなりとなり、その一味となってしまったのだ。だが、やらねばならなかった。国には、妻が待っているのだ。

「シルヴィア様。私は約束を果たしましたぞ。エスカランテ家は最早終いにございます。剣をナギト領へ持ち帰り──」

「持ち帰る?」

 シルヴィアは口元を歪ませながら言った。

「今なんと?」

「持ち帰ると申しました」

「持ち帰る? それは出来ぬ相談ですね。我が先祖代々の剣は……あなたから頂いた金貨四百枚と共に、既に行政府に届けてあります。三日もすれば、私はエスカランテ家の当主として正式に認められることでしょう。この支度金という制度が、一番厄介でしたわ」

 理解が追いつかぬ。キースはふらふらと混乱し始めた。剣は既に行政府に届けられた。しかも支度金と共に。これは帝国貴族二十家が家督を継ぐ際に行うよう定められた方式だ。自身の財産を投げ打ち、皇帝へ忠誠を誓う、と言った趣旨を持つ。それ以下の貴族達には必要のない儀式だが、やればどんな下級貴族でも、帝国貴族二十家レベルの泊がつくので、よほど金のある貴族がたまにやる程度のものだ。

「お父様は家と主人を守るためならば、何でもおやりになります。だから、私はお父様に『死んでいただくよう』お願いしたのです。死んだ上で、私は剣を持ち出奔する。誰かに支度金を持たせ、私を追跡させれば、クシャナ様を支持する派閥を欺きながら、エスカランテ家の当主を名乗るための最大の難関、支度金の持ち出しができる。フフフ……家臣団への根回し、大変だったんですのよ? 屋敷の爆破処理。支度金の原資の用意。文書の偽造……経験不足の麗しいだけの若様を支えるのはうんざり、なんて連中はいくらでもいるものです。私の過去は彼らも知っていますが、それ以上のメリットを与えれば過去など問題ではありませんわ。ナギト家を失脚させて、筆頭家臣たる私が帝国貴族二十家──いや筆頭六家に昇格すれば、全てが思いのまま。私自身、蒐集を我慢する必要もなくなりますもの」

「おのれ……騙したな!」

 キースが血まみれの手を柄にやり、握った瞬間。ロゼは地面を蹴り、刃をキースに躊躇なく突き入れた! 剣を抜かせぬ程の速さに、キースは動くことも敵わぬ! 口からあふれる血。痛みで噛み締めた歯が砕け、その間もなお、無表情なるロゼの冷徹な刃が、どんどん押し込まれていく!

「そして……この屋敷で起こった不幸な事件は、すべてあなたのせいとなるのです。五年前の事件も……イヴァンで昨日三人殺したのも……そしてその哀れな娘も、すべて。感謝していますわ。私の道を行くための、礎となってくださるなんて」

 キースは、自身の髪の色と同じ赤い瞳を──怒りと絶望で塗り固められた瞳を、狂人達へ向ける最期の抵抗とした。しかし、血は失われ手からは力が抜け、膝をつく。そんな瞳も、目を包帯で覆い自身の闇の世界しか存在しないシルヴィアには、何もならなかったのだった。






 ドモンは、門入り口で声をあげるのを、既に辞めていた。貴族の別宅ともなれば、憲兵官吏一人の判断で突入することなどあってはならぬ。ましてや疑いの段階、もし何も無ければ、ドモンの首が飛ぶことだろう。そわそわと落ち着かぬ様子で、門の側をうろつくばかりだ。

「ドモン」

 サイの声に、ドモンは多少苛ついた様子で振り返る。サイは肩を落とし、言いにくそうにそこに立っていた。特別捜査班の班員、カヤックとボードも一緒だ。

「すまん」

「遅すぎますよ! サイ、実は大変なことに。モルダさんが先走って、中に入っちまったようなんです。見ての通りここは貴族の別宅……」

「知ってる」

 サイの言葉は短く、取りようによっては投げやりのようにすら聞こえた。どうにも様子がおかしい。あの二人の女が殺人に絡んでいることなど、目撃証言から明白すぎるほど明白だ。キースの話が本当であれば、シルヴィアは出奔する前は、ほとんど幽閉状態の力なき女だったはず。勝手に別宅に潜り込んでいる、と咎を受けてしかるべきなのだ。憲兵団が躊躇する必要など無いはずだ。

「ドモン、落ち着いて聞けよ。今日の昼に、帝国貴族筆頭六家の一つ、ナギト家家中筆頭家臣を代々務める、エスカランテ家の家督相続手続きが受理された。家督相続人は現エスカランテ卿の長女、シルヴィア嬢。……この家にいるのは、まさしくそのシルヴィア・エスカランテ嬢その人だ」

「まさか、それじゃ……」

「ああ。まだ正式に決まったわけじゃないが、シルヴィア・エスカランテは帝国貴族になる。それも超大物だ。目撃証言はある。俺やお前だって顔を見てる。目撃証言と合致してる。十中八九本ネタだって、子供でも分かる。だが……」

「ここには入れぬということです、ドモン殿」

 中年のカヤックが、神経質そうに眉を潜めながらサイの言葉を続けた。若いボードに至っては、悔しさからか歯をくいしばってすらいる。

「我々特捜班にも、団長直々に捜査の差し止めるようにと。君が賢明な憲兵官吏で助かった」

「しかし、モルダさんはどうするんですか! ここに入っちまったまま、出てこないんですよ。一刻も早く踏み込まないと、何が起こるか……」

「その必要は無用ですわ」

 静かな声が、門の奥から響いた。その場の憲兵官吏四人は、息を呑む。シルヴィア・エスカランテ。後ろにぴったりと貼り付くのは、おつきの剣士ロゼ。彼女は主人の代わりに、よく通る勇ましい声で彼らに言い放つ!

「控えよ! こちらのお方は、栄光ある帝国貴族の一員となられる、シルヴィア・エスカランテ殿にあらせられるぞ。貴様らごとき木っ端役人、その気になればシルヴィア様のお指図一つで消し飛ぶぞ。門前で騒ぐな! 控えよ!」

 所詮、憲兵官吏は公務員である。権力者たる彼女らにそう言われては、片膝を付く他なかった。ドモン達が跪いたのを感じ取ると、シルヴィアは権力の甘美さに身を震わせる。権力自体に興味など無い。だが、権力から得られる力は、シルヴィアにさらなる自由を与えるだろう。ロゼの言うように、人を指図だけで殺せるようになる! なんたる強大な力であろう! シルヴィアは溢れる笑みを口端で押しとどめ、さも悲しそうに言葉をできるだけ噛み殺す!

「恐ろしいことが起こりましたわ。ナギトの恥さらし……私共の身内の騎士なのですが、どうやら私を追ってここまで来ておりましたの。彼は勝手知ったるこの別宅を城にして──恐ろしい殺人を。いずれ、行政府から憲兵団にも、事の次第をが下されることでしょう」

 シルヴィアはそれだけ述べると、踵を返し、屋敷へと戻っていく。その背中への視線を遮るように、ずいとロゼが前に歩み出ると、これまた一方的に申し述べた。

「以上だ。貴様らも貴族の別宅が各貴族領であること、そしてその貴族領での捜査は行政府直々に行われることは知っていよう。追って指示を待つが良い。そこの憲兵官吏! 確かドモンと言ったな」

「や、はい、そのとおりです」

「貴様の同僚の老人は、臆せず屋敷に飛び込んで参ったぞ。……あの食堂では、ずいぶんと利いたふうな口をきいてくれたからな。どうやら度胸に関しては口だけではなかったようだ。勇敢なものであったが……死んだよ。結果で言えば、門の前でぴーぴーさえずるだけだった貴様と対して変わらん。こちらの仕事を増やしただけなのだからな」

 ロゼはそれだけ言うと、鼻で笑いながら、主人の後へ続いた。ドモンは恐れいったように頭を下げた。何も言い返せなかった。いや、何を言い返すと言うのだ。自分は最善の策を打った。モルダも恐らく、サーヤのために危険を冒して飛び込んでいくことが、今できる最善の策だと信じたのだ。あの優しい老人は、すべてを投げ打ったことに後悔をしただろうか。サーヤを助け出せなかったことに、無念を抱いたままあの世に旅立たなくてはならなかったのだ。後悔しないわけがない。

「そのままにはできませんよねえ……そんなの」

 ドモンは、口の中で呟いた。誰にも聞こえぬように、決意を固めながら。そんな彼をサイは見つめていたが、ドモンは気づかなかった。






 夜。深夜になろうかという時間帯、もう一度断罪人達は神父イオの教会へと集まった。フィリュネは、一部始終を目撃してから、誰にも気づかれることなく脱出を果たした。シルヴィアの陰謀。絡め取られたキース。蒐集癖の犠牲になったサーヤ。すべてを投げ打ち、それでもなおサーヤの助命を嘆願し、裏切られ無念の内に死んだモルダ。

「憲兵団ってのは不便なもんだな、旦那」

 ソニアが皮肉めいて言った。サイも同じような気持ちだったろう。どんなに憲兵団で出世をしようと、上がいる。上が白いものを黒だと言えば、同じく続かねばならぬのが憲兵官吏だ。ドモン以上に、悔しかったことだろう。

「しかしよ。俺はどうにも気持ちが悪かったからちょうど良かったぜェ。断罪の金ってんなら、話が早ェ。女二人、早いところ地獄に叩き落としてやればいいんだ」

「……さすがに、私も同感です。旦那さん、こんなの許せませんよ。全部人のせいにして、自分の都合が良いように事実を取り替えるなんて」

 金貨四十枚を、聖書台に十枚ずつ並べ、イオはそこから十枚を取った。ソニアも、フィリュネもそうした。ドモンも、無言で金を取った。シルヴィア達が表で甘い汁を吸い、横暴を尽くすと言うのなら、自分たちが裏から裁きを下さねばなるまい。恨みを晴らすとは、断罪人とは、そういう稼業だ。

「僕に、良い考えがあります。……ですから、今回は僕に任せてもらえませんか」

 皆、それに反対の声をあげるような事はしなかった。モルダとは、みんな一応顔見知りだ。彼が死んで悲しむものも、何名かいるのも知っている。その一人がドモンだということも、知っている。協力しない、という選択肢など、無かった。全員頷くと、それぞれ夜の闇に飛び出して行く。最後に残ったイオが、天井を見上げながら、大穴から覗く星空を見つめた。

「案外、悪くねェかもな……」

 彼は笑みを浮かべながら、ろうそくを吹き消した。

 断罪は、今夜すぐだ。





 星空の美しさを見るには、暗くするのが一番である。地下室で真っ暗な中、シルヴィアは己の目を覆う包帯をとる。光が目に飛び込めば、彼女はまるで脳に釘でも打たれたかのような頭痛を覚えるのだ。忌々しい光ある世界から逃れ、暗闇でのみ見ることのできる、様々な瞳という名の星々は、シルヴィアの持つ色の全てだと言えた。その美しさに嘆息する。この瞳の一つ一つが、元はシルヴィアに哀れを誘う声で許しを請うた。彼女は許さなかった。そもそもが、許す気など無かったのだ。

「お嬢様。お楽しみのところ誠に申し訳有りませぬ」

「ロゼ? どうしましたの」

「もう遅いかとは思ったのですが……夜食にサンドイッチをお作りしました。よろしければお持ちしますが」

「上で食べるわ。案内して頂戴?」

 ロゼは主人の手を引き、食堂へと上がると、彼女を座らせてから、台所へと向かった。火は既に入れてある。湯を沸かし、紅茶でも淹れるとしよう。かまどにやかんをくべる。ぱちぱちと、薪がかまどの中で爆ぜる音が台所に響く。沸騰したお湯をポットに入れ終えた時のことであった。

「こんばんわ。どなたかいらっしゃいませんか」

 不意に、裏口から声が響いた。こんな夜更けに誰だと言うのか。ロゼは若干訝しみながらも、少しだけ戸を開き、その人物を見た。栗色のウェーブがかった髪型の、若い男。首からぶら下がったロザリオで、ロゼはどうやら彼が神父らしいことを確かめた。

「ああ、どうも」

「神父殿か……このような夜更けに何用か。ここはナギト家家中エスカランテ家の別宅。いかに神の御言葉の代行者たる神父殿でも、相応の理由が必要と心得られよ」

 男はまるで貼り付けたような笑みを崩さず、言った。

「実は私は、行政府の使いでして……シルヴィア様に、ご伝言が。なんでも火急のかつ秘密だとかで、こうして神父の格好をせよとの厳命を」

 妙な話であった。しかし、いかに家臣団からの根回しを怠っていないからといって、今日の事件はいささか派手だった。シルヴィアの家督相続に、なんらかの不都合が生じないとも限らぬ。

「少し待たれよ」

 ロゼは流れるような黒髪に乱暴に手櫛を入れながら、主人の元へと戻る。焦っていた。もし、行政府から今回の事につきいらぬ追求があれば、主人の計画は台無しだ。そんなことは、ロゼにとってあってはならぬ。

「どうしましたの。焦っているように見えますよ」

「……お嬢様、行政府より使いが。わざわざ神父の格好までしております。火急の要件だとかで」

 シルヴィアはテーブルに手をつき、ゆっくりと立ち上がった。暗闇でしか意味を持たぬ視力以外に、鋭敏な感覚を持つ彼女には、実は杖すら必要ない。にも関わらず使っているのは、周囲が自分に遠慮してくれるのでやりやすいからだ。裏口を塞ぐように立つロゼ。シルヴィアはロゼの後ろから、使者だと言う男に話しかけた。

「私が、シルヴィア・エスカランテです。行政府からの使者だとか。このような夜更けにご苦労様です。……で、私に何用でしょうか」

 男は、喋らなかった。それどころかにやりと笑みを浮かべ、脱兎のごとく駆け出していくではないか! シルヴィアは遠ざかっていく影を感じているだけで動かなかったが、ロゼは違った。彼女は、何かが起こってシルヴィアの今後が台無しになるほうをおそれ、裏口を飛び出し、追いかけた!

「ロゼ! どこへゆくのです!」

 主人の声にも答えず、ロゼは走った。広い庭だ。花のない、殺風景な花壇やフラワー・アーチは、夜中に見ても不気味なだけであった。既に神父の姿はない。

「追いかけずとも構いません。戻りなさい」

「……お嬢様! 丸腰は危険にございます。中へお戻りを。私はここを見まわってから戻ります故に」

 そう言うと、ロゼは剣を腰から引き抜いた。直後、植え込みから破裂音が鳴り響いた! それも一つや二つではない。何度も何度も、まるで花火が爆裂するがごとく鳴った!

「クソッ……誰だ!」

 既に主人たるシルヴィアは、中へと戻っており、裏口は既に閉ざされている。辺りは暗い。主人のように夜目が利くのならばまだしも、今日は星もまばらな夜だ。切っ先をどこへ向けて良いかも分からず、ロゼはなおも鳴り響く破裂音へ、闇雲に切っ先を向けるばかりだ!

「どこだ……どこにいる!」

 破裂音。一瞬の閃光。ロゼの刃が閃光に照らされ光る。再び破裂音。男の姿。白いジャケット。閃光。ロゼの刃が照らされ光る。男の姿。閃光。破裂音。男は白刃を振り上げる──ロゼはそこでようやく男の殺意に気づき、振り下ろされた刃を何とか防いだ!

「誰だ!」

 破裂音。閃光。冷酷な瞳。昼間見た男。憲兵官吏のドモン。

「ただの木っ端役人にございます」

「貴様ァ!」

 黒髪を振り乱しながら、ロゼはドモンの刃を押し、弾く! 返す刃で、下から切り上げるも、ドモンはそれを逆に防ぐと、強引に剣を押し戻し、ロゼを押しつぶすかのごとく力をかけた! 体格の劣るロゼは防戦するほかなく、まるで屈したかのように膝をつく! ドモンは隙の出来た首に向かって刃の上を滑らせ、首筋に切っ先をぴたりとつけた!

「臆せず飛び込んで参りましたので、お命頂戴致します」

 有無をいわさず刃を引くと、彼女の首が裂けた! ロゼはそのまま首筋からあふれる血を抑えようと手を添えるが、全くの無駄に終わり……そのまま倒れ伏した。ドモンは刃についた血をふるって飛ばし、剣を納めた。ロゼは殺風景な庭に、ただ一人残されたのだった。

「うまくいきましたね」

 ソニアの火薬を利用した、即席の爆竹を持ったイオとソニア、フィリュネの三人組は、植え込みからぬっと姿を現した。本来は目の見えぬシルヴィアへの対策だったのだが、存外上手くいったようだ。






 静かになった。

 絶え間なく鳴っていた破裂音は、シルヴィアの耳にしばらく残っていた。誰もいなくなったのか。そもそも、あの神父は何者だったのか。ロゼはどこへいったのか。ゆっくりと、台所を抜け、裏口へと近づく。誰かの気配。ロゼだろうか。

「ロゼ……? 終わったの?」

 ぎい、と扉を開ける。誰かがいる。シルヴィアは分かってしまった。目の前の人物が、ロゼとは違うであろうことを──殺意を持った、別人であることを。

「目を晒すことはできませんが、あなたが何者か……だいたい気配で分かりますわ。あなたは……夕方の」

「や、どうも。イヴァン憲兵団憲兵官吏、ドモンです。何やら火薬の音がしたものですから、様子を見に参りました」

「そう、それはご苦労様」

 そう言いながら、シルヴィアは扉で見えないように、腰に吊った銀色の短剣をゆっくりと抜いた。殺さねばならない。相手は、間違いなく自分を殺しに来たのだから。

「……私は帝国貴族になりますの。すべてをみずに流せば……あなたにも色々『お礼』ができると思いますわ」

「ほう。それは大変話が早いですねえ」

 気配は変わらぬ。殺気にあてられ、シルヴィアの喉はからからにかわいてゆく。交渉など無駄なのだ。この殺気を納めることなど、今のシルヴィアには不可能に違いない。ならば、決着は生か死か、それでしかないのだ。シルヴィアは銀色の短剣を、ドモンめがけて抜き払い突き出した! 夜へとまろびでる彼女に、ドモンは容赦なく剣を向ける。短剣の柄の底に手のひらをあて、もう片方の手で短剣の柄を握りしめるシルヴィアの構えは、胴に入っていた。

「帝国貴族に剣を向けたこと、百度後悔させてくれますわ」

「それはそれは。……やってもらおうじゃありませんか」

 気合の一声を発しながら、シルヴィアは短剣を構え突進! しかしいかに彼女が気配を察することができようが、腕利きの剣士であるドモンが素人である彼女の刃を避けることなどたやすい! それどころか、すり抜けざまにドモンは刃を横薙ぎにし、一瞬で彼女を切り捨てた! シルヴィアは絶叫! それもそのはず、目を真一文字に切り裂かれたのだから!

「目を奪われた気分はどうですか、お嬢様」

「私の……私の目を! おおお……! 平民が……木っ端役人が! 恥を……恥を知りなさい!」

 シルヴィアは地面に転がり、もはや誰ともなく空を掴みながら叫ぶ! 哀れなその背中に、ドモンは最後の一太刀を突き入れた! 高貴さとはまるで無縁の、ネズミを踏み潰すがごとき声があたりに響いた!

「地獄に身分はねえ! だがな……この世で恥を晒すのは、あんただけだ!」

 くぐもったうめき声とともに、シルヴィアの手はばたりと地面に落ちた。刃を引き抜き、ドモンは彼女のドレスで血を拭ってから、剣を納めた。ぱちぱち、とまるで拍手するかのごとく、残っていたかんしゃく玉が不意に火花を散らした。ドモンはそれに一瞥もくれず、その場を後にするのだった。








 モルダの葬式は、密やかに、ひっそりととり行われた。

 家族や親戚も既におらず、天涯孤独の身である彼だったが──慕うものは多かった。憲兵官吏達。昔の騎士団仲間。駐屯兵達。カツレツやのオヤジはもちろん、喫茶店・やすらぎのメンバーまで。その中に、ドモン達の姿もあった。もちろん対外的に目立たぬよう、別れて参加したのだが……その胸中は同じであった。

 イオの聖書の引用によって埋葬された後、真新しい墓の前で、ドモンとサイは立ち尽くしていた。空は曇天。せめてこんな日くらいは、晴れてくれればよかったのに、とドモンは考えるが、どうにもならぬ。

「ナギト領は大騒ぎだそうだ。ま、あのシルヴィア・エスカランテの一連の事件も明らかになったわけだから、しかたないが……」

「そうですか」

 事件は間接的に解決していた。シルヴィアに陥落された家臣団達が目を覚まし──正確には手のひらを返し、保身を図ったのだろう。結果、シルヴィアは天下の大罪人、狂気の人殺しとして、密かに歴史から葬り去られることになった。

「俺の力が足りなかったせいだ」

 サイはぽつりと呟いた。

「団長に一言言えるくらい……いや、行政府にもつなぎがとれるくらい力があれば、モルダさんは死なずに済んだかもしれない」

 ドモンは、何も言えなかった。涙を押し殺し、拳を血が出そうなくらい固く握りしめる彼に、どんな慰めの言葉があるというのだろう。

「なあ、ドモン。俺はやるぜ。二度とモルダさんのような人が、出ないようにするためにも。誰かを理不尽から救えるような男になる」

「ええ」

 ドモンが言えたのは、せいぜいそのくらいの相槌でしか無かった。無力なのは、自分もまた同じだ。ドモンは自分を笑う。救うことなど、もはや自分には出来ないのだ。

 曇天が起こす風は強く、冷たかった。彼ら二人の白いジャケットを揺らし、たなびかせた。冬が近づいているのだろう。モルダの墓に供えられた二輪の白い花が風に踊り、分かれていった。






蒐集不要 終

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