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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
良薬不要
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良薬不要(Cパート)






 フィリュネに出会ったのは、その日の夕方、陽が落ちかかっている時だった。ドモンもぶらぶらと見回りを続けていた最中であったので、実に都合が良かった。ケーキの分はどうやら働いているらしい。

「ドモンさん、わたし、分かっちゃいましたよ。結構簡単でした」

「や、それは重畳! あのろくでなしとあなたは違うと思ってましたよ」

「あまり、そういうことを言わないで下さい。わたし、口が固くなっちゃいますよ」

「や、や。別に他意はありませんよ。全くありませんとも! 僕は、あなたを素晴らしい人だと思っていることをわかって欲しいだけなんですよ」

 路地裏の暗がりの中で、二人は簡単な情報のやりとりを行った。秘薬は、とある流れの行商人が売り始めたものであり、効果の程は絶大……という評判であるが、

「はっきり言って、眉唾ものの偽薬だという人も多いみたいです。実際、返品を求める人なんかもいるみたいなんですが、そこはヘイヴンを根城にしてる行商人ですから、足もつかないみたいです」

 弱った。それが最初に口を突いて出た感想だった。秘薬は偽薬かもしれない上、真偽を確かめることもできないではないか。

「フィリュネさん、もう少し何かこう……確信を突くような情報は無いんですか?」

「慌てないでくださいよ」

 フィリュネはニヤリと笑みを浮かべると、顔の前で指をゆっくりと振った。

「実は、あのマクベス商会が秘薬を仕入れるっていう噂があるんですよ」

「ええ? 行政府にも顔が利くって噂の、大きな店じゃないですか。秘薬なんて怪しい薬、そもそも店におくつもりあるんですかね」

「でも、オリゴ屋さんはそう言ってましたよ。なんでも、秘薬を仕入れるルートを手に入れたとか。ヘイヴンでももう噂になってます」

 オリゴ屋は、帝国成立以前から営業している老舗の薬販売店だ。低価格大量陳列で、対面販売や地方の薬剤店への卸売をメインとし、人の心を掴むことでコツコツと勢力を広げたマクベス商会とは、一線を画す。しかし、老舗のオリゴ屋にとっては、勢力を着々と広げつつあるマクベス商会の存在はおもしろくないことだろう。

「分かりました。フィリュネさん、とりあえずはマクベス商会に聞いてみる必要がありそうですね。いい話を聞きました。では……」

 去り際のドモンに立ちはだかると、フィリュネはにっこりと笑い、右手を差し出した。路地裏で回りは壁、逃げ道はどこにもない。

「代金、貰えるんですよね?」

「え、ケーキ食べたじゃないですか。僕の金で」

「それとこれとは別でしょ。わたし、仕事したらお金だけは絶対にもらいそびれるなってソニアさんに言われてるんです」

 ドモンは渋った。十分は渋った。だが、最終的に折れ、靴の裏に隠している金貨を二枚も渡す羽目になったのだった。





 男はみすぼらしい服を脱いでいた。トランクを開け、一流の仕立屋が誂えた服をまとうと、男の位は跳ね上がった。誰がどう見ても、一流の商人にしか見えない。

 商売は、ハッタリが全てだ。商品の良さや、店の大きさは関係ない。全ては売るという結果に至るまでの過程にすぎないが、その過程こそが、男の全てであると言えた。

「邪魔しますよ」

「……またあなたですか! 帰って下さい! 旦那様はもう買わないとお断りしたはずですよ!」

「そう邪険にしないでくださいよお。こちらも商売です。秘薬を置くに相応しい店を選んだ上で、わたしはこのマクベス商会に足を運んでいるんです」

 普段は温厚なエミールも激昂し、男に掴みかからん勢いであったが、それを制したのは主人のベックだった。この行商人は、既に一週間近く通いつめている。傍目から見れば、少々しつこい営業にしか見えないかもしれない。しかし、ベックの回りではあまりにも事件が起きすぎていた。

 最初に断った日の翌日には、妻が東区の階段を降りている最中、落ちてしまい打撲を負った。その次の日には、娘が何者かに乱暴されそうになり、たまたま近くを通りがかった憲兵官吏が咎めたため事なきを得た。

 ゴミが投げ込まれたり、鳥の死骸が家に置かれていたり。昨日はとうとう、ベック自身がガラの悪いチンピラに絡まれ、三発も殴られたのだ。明らかに偶然ではない。ベックは精神的にも体力的にも、限界を迎えてしまっていた。

「分かりました。秘薬を買えばよいのですね」

「旦那様!」

「いいのだよ、エミール。いくらですか。あなたの持っている秘薬、全て買い取ります」

 男はにんまりと下卑た笑みを浮かべると、秘薬の詰まった薬箱をそのまま差し出した。負けたのだ。だが、これ以上断れば、次は恐らく命に関わることになるだろう。

 金で解決するのなら。

 ベックも、さすがに命を天秤にかけることはできなかった。

「そうですねえ。百セットありますから、金貨にすれば、百枚といったところでしょう」

「エミール、すぐに準備なさい」




 それから数日の間。ドモンは『皇帝殺し』の捜査に駆り出されていた。憲兵官吏全員で、イヴァン中の捜索を行うのだ。正体を知っているドモンに取ってみれば、馬鹿らしい事この上ない。サイと連れ立って捜査に精を出す……などという姿勢は、ドモンにとっては最もとりたくない行動だった。

「しかし、なんでこんなことするんですかねえ……無駄ですよ、無駄。こんなことなら全員でヘイヴンを回ってたほうが……」

「そう言うなよ。これは噂だがな、皇帝殺しの捜査は建前なんだそうだ」

「建前?」

 サイが得意気に舌を回す。彼は真面目な男だが、どうにも調子に乗りやすいところがあるのだ。

「帝国行政府は、建前上は皇帝が亡くなられていることを認めてない。殺されていることもな。だが、俺達役人はもちろん、今や帝都国民で、皇帝が殺されたことを知らない人間はいない。分かるだろ」

「確かに。機密情報って何度も言ってたのが嘘のようです」

「おまけに、誰にどう殺されたなんか分かるわけないと行政府も分かってる。そこで、皇帝殺しの捜索を利用して、普段はなかなか捜査の手を伸ばしづらいところを捜査する……てのが本音ってわけだ」

「はー……それ、行政府のアルメイ総代が考えたんですかね。よくもまあそんな面倒なことを考えつくもんです」

「さあな。……おい、ドモン。ありゃなんだ。人だかりができてる」

 人だかりをかき分けて進む二人が見たのは、のたうち回り、泡を吹いている男の姿だった。ドモンには、その男に見覚えがあった。数日前に、秘薬売りの男と揉めていた男だ。

「ド、ドモン! 医者だ! 本部の先生を呼んでくれ! しっかりしろ!」

 サイが男を抱き起こすが、男は弱々しく泡を飛ばすのみで、明らかに死にかけていることがよくわかった。

 程なくして男は死んだ。

 ドモンが憲兵団本部付きの先生を連れてきた時には、男の顔色は土気色になっていた。たまたま本部に出張していた行政府医薬薬学研究所の治癒師ヒーラーが同行していたが、どうにもならなかった。魔術は何でも可能になる魔法ではない。当然、死人を生き返らせるような魔術は公的には存在しなかったし、もしできたとしても、動く死体が誕生するだけだ。

「先生、こりゃあどういう死に方なんです。やじうまに話を聞いてみたら、男が突然のたうちまわって、死んでしまったと言うじゃないですか」

「うーん、それが、外傷はどこにも見えにゃあのよ。嘔吐物を調べてみりゃあもうちょっとよう分かるかもしれにゃあがな。……だけどもよお、こういう死に方のホトケさんがよお、最近増えちょるのよお。変な薬でも飲んだのきゃあも」

 変な薬。ドモンの脳内で、数日前の喧嘩騒ぎの仲裁をしている場面が脳裏に浮かぶ。男は、『秘薬を飲んだが全然効かなかった』と言っていた。

「まさか、あの秘薬が……」

 ドモンの呟きを気に留めるものはいなかった。だが、ドモンの懸念は、翌日には現実のものとなってしまったのだった。





 憲兵団にもたらされた『タレコミ』文書は、『マクベス商会の仕入れた『秘薬』は、遅効性の毒薬である。既に数人被害者が出ている。捜査してほしい』というものだった。

 こういう時の憲兵団の動きは早い。筆頭官吏のガイモンは赤ら顔を正義の炎で燃やしたように真っ赤に染めると、数人の憲兵官吏と駐屯兵を動員し、電撃的に家宅捜索を行ったのである。秘薬は、店頭にこそ並んでいなかったものの、倉庫に箱ごと捨てずに置いてあった。直ちに帝国医薬薬学研究所に送られ、検証が行われた。数日も立たずに、毒物であることが判明。主人のベックは、毒物をばらまいた容疑で逮捕され、マクベス商会は一気に倒産。一家は離散してしまったのだ。

 本当にあっという間の出来事だった。ドモンは、憲兵官吏としてベックの最期をも見届けた。ベックがどんな人物だったかなど、ドモンには知る由も無い。処刑される直前、ベックの娘が処刑場の前で叫んでいた。その叫び声が、ドモンの耳をなんども打ち付けていた。

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