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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
勿忘(わすれな)不要
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勿忘(わすれな)不要(Cパート)




 

「トミーのご隠居。大丈夫ですかい」

 ハチが二時間後にこの住所へ来いと紙をわたし、どうにかその場は収まった。しかし、家の外──イヴァンでも最も家賃の低い、長屋街である──聖人通りの近所の人々が、ぞろぞろと様子を伺いに来ていた。トミーは、この聖人通りでも古株に部類する人間である。ちょうど帝国が成立した直後から、ここに住んでいる。この聖人通りはその名の通り『聖人の如く来るものを拒まぬ』ところであり、過去は全く問われない。住民同士、そういう雰囲気ができている。そのくせ妙に秩序だったところがあるのは、トミーのような古株の『ご隠居』──要は、この貧乏長屋の大家の一人──が住民同士平和に暮らせるよう気を配っているからに他ならない。アンヌはそんな誇らしい父親の体を抱き起こし、頭を下げた。

「すみません、皆さん。お騒がせをいたしました」

「アンヌちゃん、謝っちゃいけねえよ」

 歯の抜けたみすぼらしい老人が笑いながら言った。

「そもそもご隠居が借金などしなきゃならなかったのは、わしらのためじゃねえですか」

「そうだよお。あたしらは貧乏人だから、なんにもできないですけど……」

 元は娼婦だったという痩せた女が悲しげに言う。そもそも、この借金の理由は上下水道の故障から始まった。イヴァンの上下水道は意外にも発達している。魔導師と科学技術の相互研究がされるようになってから既に十年以上立ち、イヴァンをとりまく生活環境は急速に整い始めた。それはいい。聖人通りのような貧乏人の住処でも、清潔な水を得られるというのは大きい。病気にもなりにくくなるし、まさに生命線だからだ。

 しかし、困ったことにトミーの所有する土地に唯一ある井戸が、濁ってしまったのだ。どこかの下水道の水と混じってしまったのか、とても飲めるようなシロモノではない。行政府への嘆願も一応は受け入れられたが、一向に動く気配はない。困り果てた挙句、貸家に住む住民たちは隠居のトミーに頼った。トミーは元騎士、元より頼まれれば見捨てられぬ性格なのだ。二つ返事で了解すると、自分自身で井戸職人へ修復を頼むべく、資金を借りるため金貸しの元を渡り歩いた。住所を言っただけで貧乏人であることを見ぬかれたのは辛かった。だが、近所に住むものにとって井戸は生命線。遠く離れた場所の井戸を使うのもやむ無しだが、聖人通りは一枚岩ではない。秩序だった生活は、自身のパーソナル・スペース──つまりは縄張りめいたものを維持することで成立していると言っても良い。要するに、別の区画の人間が勝手に井戸を使うようなことがあれば、争いの種になるのだ。もちろん、今は頭を下げて許してもらっているが、長くは迷惑をかけられないだろう。急がねばならなかった。

「ほうですか。苦労をしとられますのう」

 そんな中、ダメ元で入ったサイトー金融の社長だけが、話を聞いてくれた。シルバ

ーフレームのメガネを押し上げながら、人好きのする笑みをこぼしつつ、時には同情し、時には行政府の怠慢に怒った。彼はその瞬間だけは、トミーにとって何よりの味方であった。

「娘さんと二人暮らしですかいの。はあ~そりゃ大変じゃあ。ワシは一人もんですけ、トミーさんの苦労はよう分からんですが……年はいくつですか」

「今年で十六になります。本当は、学校にでも行かせてやりたかったのですが」

「ほうですか。トミーさんのような立派な方の娘さんじゃ。さぞかし美人さんでしょうのう」

 サイトーは机に借用書を押し出す。金利と期限の部分は空白。トミーとて、馬鹿ではない。金を借りれば、利ざやで多く金を払わねばならないことくらい知っている。

「聖人通りに住んどるんじゃ、皆まで言わんでも生活も大変でしょうが。ワシも取れん人から取ろうとは思っとりゃせんですけえ、とりあえず金利は月十二分の単利。元本の返済期限はつけませんわ。ゆっくり払ろうてつかあさいや」

「サイトーさん、しかし……」

「トミーさん。わしゃ、親をはように亡くしてしまいましてのう。親孝行もろくにしとらんのです。どうかワシを息子じゃと、親孝行じゃ思うてもらって、この契約にさせてつかあさいや」

 トミーの困惑を、サイトーは手を突き出して押しとどめた。その時点では間違いなく彼は救世主であった。にこやかに笑う彼が天使めいて見えたし、事実彼から借りた金で井戸は無事修復できた。

 だが、金はなかなか用意できない。土地を所有し、大家として何人か住まわせているが、いずれもまともに家賃を払えないような貧乏人、それでいて身よりもなく、トミーが放り出せばもはや生きていくことも叶わぬような人々ばかりだ。彼は騎士の職を辞してから、傘張りの内職と力仕事をすることで、なんとか娘を食わせてきた。だが体にガタが来るようになり、なかなかうまく行かなくなった。ついに肺を病んでしまい、トミーは肉体労働が難しくなった。元本の支払いまではなかなか回らず、ずるずると金利だけを支払い続け、トミーは騎士時代の剣や鎧、勲章まで手放した。それでも元本に入れられたのは僅かな金。とうとう金利も払えなくなった矢先の話が、今朝の横暴だったのだ。

「ウォロック殿。何度も言うようだが」

 トミーはベッドに身を横たえ、こみ上げる咳を払いながら、なんとか言葉を紡いだ。

「こうなったのもすべて、わたしの責任。そしてあなたを助けたのも単に、水路でずぶ濡れになっておられたのを見ていられなかっただけのこと。当然のことです。それをわざわざ恩着せがましく言うつもりは無いのです」

「それは違います」

 ウォロックはベッドの側の椅子に腰掛け、落ち着いた様子で言った。

「トミー殿。わたしは故あって恩を感じた時に返さねばならないのです。恐らくこれからもそうするでしょうし──これまでもそうしてきたのです」

 自分がそうであったと信じたい、という希望も混じっていた。ウォロックの記憶は一日持たない。記憶はいい。メモすれば持ち越せるからだ。だが、その時感じたであろう機微──喜怒哀楽といった細かい感情までは、持ち越せない。だから、今感じたこの感情を精算しておきたかったのだ。

「ですから、トミー殿もまたお気遣いは無用というもの。此度のことはわたしの身勝手、気まぐれと思って下さい」

「そんな……ウォロック様、サイトー金融の連中はろくでも……」

「やめなさい、アンヌ。……そういうことなら、何も言いますまい」

 トミーもまた、かつてウォロックと同じく鎧を纏い、剣を振るったこともあった。騎士、それは誇り高き人々の誉れある名である。『名前つけたら体ができた』ということわざ通り、騎士と名のつく人間は奥ゆかしく誇り高い。自分の善意が、必ずどこかで報われると愚にもつかず信じている。

 ウォロックという男は、それを地で行くような、まっすぐな人間なのだと、トミーは感じ取ったのだ。ウォロックはやがていつも恐らくそうしているように、鎧をつけた。手の届かない場所をアンヌの手でつけてもらう。肩にベルトを通す時に、お互いに手が触れ合い、すぐに引っ込めた。アンヌを見ると、顔を赤くしてもじもじとしている。

「アンヌ殿」

「は、はい!」

「此度の事、感謝する。お父上を大事にすることだ。──そして、お父上の借金は必ずわたしが何とかする」

 アンヌは少し落ち込んだようにうつむき、ぎゅっと拳を握った。

「あの、おかしな女、あさましい女だと思われるかもしれませんが……」

「なんだろうか」

  異形の鉄の鎧、刃の幅がはまるで、船を漕ぐ棹のごとく太い剣を背負い、ウォロックは騎士となった。鏡越しに鎧の中の瞳が、アンヌと交錯する。

「わたし、嬉しかったんです。ウォロック様がここに来た時、まるで『助けが来た』ような気がして。昔、お父様が現役の騎士だった頃、わたしをよく抱き上げてくれて──とても頼もしくて、誇らしかった。でも今は、お父様も体を悪くしてしまいましたし……守ってくれる人は他に誰もいません。お父様は正しいことをしたんです。住民の方々だって、貧乏なだけで何も悪くなんてない。でも、こんなに救いようが無いなんて、そんなこと、おかしいじゃないですか。だから、ウォロック様がいらした時、ああ、わたしを助けに来てくれたんだって……」

「わたしは騎士だ」

 ウォロックは鎧の奥で厳かに言った。

「貴女がそう望むのであれば、わたしは貴女を守ろう。神に誓う」

 アンヌは、泣いていた。彼の言葉に、心から涙を流していた。彼は既に知っている。もはや、彼女の優しさや悲しさや、抱える孤独や苦しみ、トミーの好意、そして暖かなスープの味を思い出すことはないだろうと言うことも。彼は腰から羊皮紙を取り、メモを書き付け始めた。

『おそらく私は問題を解決したらこのメモを見るだろう。聖人通りのアンヌ・ジムランの元に行くべし』

 彼はその羊皮紙を腰のバッグにしまい込み歩く。曲がり角でフードを被った女とすれ違う。女は振り向いたが、ウォロックは振り向かなかった。その先には、まだこちらを伺うアンヌの姿があったからだった。





「フィリュネちゃん」

 アンヌは見知った顔を見つけ、涙を拭っていた顔を少しだけ明るくさせた。井戸を治す前、聖人通りの別の地区へ井戸を借りていた時に知り合った、フィリュネと言う少女を見つけたからだった。

「アンヌさん。あ、あの、さっきの騎士さん……」

「ああ、ウォロックさんね。昨日から、泊まっていたの」

 フィリュネは、鎧装束の騎士が曲がっていった角をちらりと見た。既に姿は見えない。アンヌへ視線を戻し、少しだけ思案した。まさか、人殺しだから危ない、などど直球を投げるわけにもゆくまい。

「あの。実はそのウォロックさんにどうしても言伝があるんです。結構重要な事なので、本人に直接お話ししたいんですけど、どこに行ったんですか?」

 アンヌはしばらくしゃくりあげていたが、サイトー金融へ向かったのだ、と伝えた。フィリュネはとても親切な少女で、彼女の住む地区の井戸を使っていた時、度々世話になった。その上彼女は聞き上手で、アンヌは井戸の修復のために借金をしてしまった事を彼女に話していたのだった。

「ウォロックさん、私が話をつけるからって言ってくださって」

「あの、何者なんですか?」

「それが……よくわからないの。亜人の騎士様らしいんだけど、昨日水路に落ちてたのを助けたばかりだったから……」

 フィリュネは、再度曲がり角を振り向く。追いかければ追いつくかもしれない。アンヌに警告すべきだろうか。しかし、話を聞く限りどうも悪い亜人には聞こえない。フィリュネは悩んだ挙句、まず追いかけることにした。やくざ者の金貸しサイトーに対し、どのような手段に出るのかがわかれば、取るべき手段も変わるはずだと信じて。





 一方、神父イオの教会では、未だにドモンがだらだらと居眠りを楽しんでいた。イオもそれに便乗するような形で、聖書を顔に載せ優雅な昼寝の真っ最中だ。普段であれば、キープした女のところか玄人、もしくは新たに女を引っ掛けにいくところであるが、狙いをつけた女にふられたばかりとあっては、そういう気分にもならない。

「旦那、そろそろ仕事戻ったほうがいいんじゃねェのかい」

「いーんですよ。フィリュネさんのことです、早々に調べをつけてくれるに違いないですから。やることやったら寝ていろってやつです」

「へいへい、そうかい」

 その時であった。教会の聖堂の扉がおもむろに開いた。薄暗い聖堂に、陽光が差す。まばゆい光に、イオとドモンは目を細めた。影が立っている。聖堂の扉が開くと同時に、まるで閃光の如き光は失せ、一人の鎧の騎士が現れた。

「神父殿か」

 ドモンは、イオが変に動揺していることに気づいていた。大口を開けたまま、どこか動揺している。もちろん、イオのことをよく知らぬ普通の人間が見れば普段とそう変わらないように見えるだろうが、付き合いの長いドモンならではの『気付き』と言えた。

「い、いかにもその通りです」

 イオは神父めいた微笑みを若干引きつった状態で完成させ、聖書を小脇に抱えつつ聖書台へと向かった。騎士はドモンを省みること無く進み、聖書台へと続く数段しかない階段の下で片膝をついた。

「神父殿、不躾に相済まぬ。私は騎士ウォロック。わけあって、今すぐここで誓いを立てたい。重要な要件なのだ」

 騎士の誓いには、絶対的な効力がある。教会において、神父と立会人の前で行う誓約は、それ即ち神の前で行う約束に他ならない。その程度の事はイオも知っていたが、何分それは昔の話だ。今はそのような風習、廃れて久しい。数年前まで、亜人の国でも行われていたと耳にしたことはあるが──。

「それは構いませんが、どのような誓いを?」

「私は、記憶が一日しか持たぬのだ。理由は分からない。……だが、もうこれ以上、誰かに良くしてもらった記憶を失いたくない。そして、彼女……アンヌ・ジムランが私を求めた。守ってほしいと。だから、彼女を守る事を誓いたい。神に」

 イオは、聖書を慌ててめくり、神への宣誓の言葉の章を引っ張りだすと、どこかたどたどしく読み上げ──とりあえずの儀式を終えた。騎士は静かに立ち上がり、一礼すると、教会から出て行った。

「……おい、旦那……あのな……あいつ、なんだよ」

「何がです」

 ドモンはなおものんきな口調で言った。聖堂の扉は閉まり、騎士の姿は既に消えている。イオは何度も息を整えてから、言った。

「昨日! 魔法で男を一人ふっ飛ばしたやつ! あいつなんだよォ!」







「兄貴! サイトーの兄貴!」

 血相変えて社長室に入ってきたのは、ハチであった。床には涙を流し地べたを転がる、弟分のシドの姿! おお、彼の右手はすでに小指、薬指がなく、今日はなんと左小指をケジメされた形だ! しかし、この惨劇を引き起こした張本人サイトーは、どこ吹く風でシドを蹴ると、ハチの眼の前に立った。

「じゃかあしいんじゃボケェ! せっかく良うなった気分が台無しじゃろうが! しばき回すど! おん?」

 一喝と同時にシドを蹴る! いかにサイトーの元で鍛えられた悪党の中の悪党、男の中の男であるシドであっても、ケジメされた後に腹を蹴られれば泣くほかない!

「兄貴! 大変なんでさあ! よ、鎧を着た男が来てやがります!」

「何じゃと、ワレ! カチコミけ!」

「わかりません!」

 サイトーは目を血走らせながら、長ナイフを一振り握りしめ、血の気の有り余る社員を呼びつけると、入り口の扉を蹴り開けた!

「ワレコラァ! いい度胸じゃの、おん! しごうしちゃるけえ、覚悟しんさいや!」

 騎士の姿は、地面にあった。

 騎士ウォロックは、立膝を付き、まるで主人に忠義を誓うそれと寸分たがわぬ形で、サイトーを待っていた。好奇の視線が、辺りから突き刺さっているにもかかわらずだ。

「貴公が金貸しのサイトー殿か」

「おう、そうじゃ。ワシがサイトーじゃ。なんじゃいワレ、誰じゃいコラ。返事次第じゃ、お前簀巻きにしてイヴァンの水路クルーズさせちゃるけんの」

 サイトーの言葉に、ウォロックは更に深く頭を垂れた。どうもおかしい。サイトーは粗野だが馬鹿ではない。短気だが冷静になることはできる。彼が考えたのは、まずシドに面通しをさせることであった。

「おい、誰かシドを連れて来いや。で、騎士さんよ。ワシになんか要け」

「私の名はウォロック。先ほどハチ殿から、力仕事をやると言われてきた。言われればなんでもする。だから、トミー・ジムラン殿の借金を棒引き願いたい」

 サイトーの頭脳はますます混乱し始めた。おそらくは、この男がマサを吹き飛ばしたのだろう。イヴァンに鎧騎士がそう何人もいるとは思えないからだ。だが、そんな男がなぜ、ここに。それも、トミー・ジムランの借金の棒引きの嘆願に。わけがわからない。

「すいません、兄貴……あっしがトミーのオヤジんとこで会った時は、鎧をつけていなかったんで」

「……まあ、ええわい。それで、ウォロックさん。あんた本当になんでもするんじゃの」

「ああ。ただすまないが、時間がかかることなら文書で交わしてもらいたい。なんというか……私は大事なことを忘れてしまうのだ。だから」

 サイトーは笑った。文書を書けば、その通りなんでもするという。愚かな男だ。ことヤクザやマフィアなどといった連中の前で、口が裂けてもなんでもするなどと言ってはならないことを、この男は知らないと見える。どんな運命を迎えるか、知らないのだ。まさしく無知は罪!

「分かった。どうせジムランさんとこは、しょうもない借金じゃけ。ウォロックさん、あんたがちゃんと働いてくれるんなら、なんとかしちゃるけえ、安心しんさい」

 ウォロックは少しだけ身じろぎをし、感謝を表すように再び片膝を付き頭を垂れた。その時シドが他の従業員に連れられて姿を現し、ウォロックの姿を見て失神した。 


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