勿忘(わすれな)不要(Bパート)
「はあ? あんたら、言うに事欠いてなに言ってるんですか」
ドモンはあまりにバカバカしい話の連続に、差し入れのケーキをフィリュネに突き出しながら、がりがりと収まりの悪い黒髪を掻いた。彼は憲兵官吏、治安維持を任務とする役人である。当然目の前で殺人事件が起こった、という証言があれば、多少なりとも話を聞く義務があった。ただし彼にはそんな使命感や義務感を全く持ち合わせていない。イオとソニアの男二人が、必死の声色でそれを伝えても、そうするだけ無駄なのだ。それが怠惰極まるダメ役人、ドモンであった。
「あのな、俺たちゃホントに見たんだ。鎧を全身につけて、顔も兜で覆ってやがったが……人を一人、吹き飛ばしたんだぞ! 跡形も無く!」
「そうだぜェ、旦那! あいつはヤバい。あんただっていくらなんでも、憲兵団に言うくらいできるだろうがよ!」
ドモンは横柄にベンチに腰掛け、足を組んだ。確かに、報告するのは簡単だ。おそらく酔っ払っていたとはいえ、男二人の証言もある。明らかな危険人物に違いないことは確かだし、今どきフルプレート・アーマーで全身を覆った騎士など、時代錯誤も甚だしい。そもそも、そんな大げさな格好で何と闘うつもりなのか。大型の魔物やら、野良ドラゴンの退治には、そうした重装備の騎士が打って出るという話は聞いたことがあるが、イヴァンでそんな大事件が起こった話などとんと耳にせぬ。
「嫌です。面倒事はゴメンですよ。それでそんな危ないやつを、僕が捕まえてこいなんて言われたらあんたたち責任取ってくれるんですか」
「うるせェな! 旦那、あんた少しは働けよ!」
「国からの税金で給料もらってんだろうが!」
至極まっとうな納税者の声も、ドモンはどこ吹く風だ! 彼はそうしたまっとうな声を耳で受け入れ、そのまま別の方向の耳の穴から押出す! 誰かの声を取り込もうとする気はさらさらないのだ!
「全然聞こえませんねえ~。すいませんねえ、耳が突然ね、遠くなっちゃうんですよ。困りましたねえ。大事な事を仰ってるんだと思うんですけどねえ」
いやみったらしくにやにやと笑うドモンに、イオもソニアも呆れるほかない。元よりこの男にまともに仕事をしろと言う願いをすることが間違っていたのだ。
「ソニアよう。やっぱり言うだけ無駄だ。元々期待するほうがおかしいってもんだ」
イオは不機嫌そうに聖書台に頬杖をついた。ソニアは腕を組んだまま、何やら唸っている。奥から紅茶とケーキを載せたフィリュネが、そんな沈黙状態の三人に声をかけた。
「惜しいことしますね、旦那さん。もう少し頭使わないとダメですよ。もしそんな危ない男を捕まえたら、報奨金か何か出るんじゃないですか?」
「捕まえたらの話でしょう。さっきも言ったじゃありませんか。僕はそんな危ない橋を渡るのは……」
フィリュネは自分の分のショート・ケーキにフォークを刺し、大口を開けて一切れを頬張った。そして、指を振るようにフォークを振る。まるで出来の悪い生徒を諭す教師のように。
「だから、危ない橋を渡らなきゃいいんですよ。そんな目立つ騎士さんなら、隠れてるにしても目立つでしょう? 隠れ家を探して、そこを見つけたって旦那さんが言うんです。そうすれば、いくら憲兵団の人たちでも、人を出して捕まえようとするに決まってますよ!」
なかなかの名案だ。ドモンは顎に手をやり、思案し始める。直接捕まえればそれに越したことはないが、イオやソニアの言葉通りならば、相当な危険人物に違いない。幸い昨日の事件の事を知っているのはこの二人だけだし、誰かに先を越される様な心配もない。どこに隠れているかを探し出すだけならば、直接相対するようなこともないだろう。
「旦那さん。調査なら私、やっちゃいますよ」
「そうは言っても給料日前で厳しいですからねえ……報酬はどうしましょう」
「そんなの、報奨金から……むぐ……出せばいいじゃないですか」
フィリュネの目の前からケーキが失せ、彼女の関心は紅茶へと移った。ドモンも同じく紅茶をすする。悪くない話だ。報奨金はともかく後回しにして、たまには手柄を立てねばクビにされかねない。
「凶悪犯を捕まえれば……金一封、金貨なら五枚はもらえたはずですからね。……そういうことなら、やらない手はないでしょう」
「五枚ですかあ。……私ちょっと、燃えてきちゃいましたよ!」
フィリュネがぐっと手を握りこみ、使命感に燃える! ドモンもにわかに金勘定をはじめた。金貨五枚。なかなかの収入だ。一枚フィリュネにやっても四枚。うまい物を食べるのもいいし、独立生活用の貯金へ回してもいいかもしれない。
「おい旦那。忘れてやしねェかい」
イオが話に割り込んだ。
「そもそも、俺とソニアがその事件があったことを旦那に伝えたから、その報奨金とやらをもらえるかも知れねェわけだろ。つまりは俺達にも分け前を貰う権利ってェやつがあるわけだ」
ソニアも無言の内に同意したのか、頷く。フィリュネは意地の悪い笑みを浮かべていた。はじめからそこまで考えていたのだろう。したたかなものだ。ドモンはあからさまに大きなため息をつき、膝を叩いて立ち上がった。
「こうなりゃもうヤケですよ。……やってやりましょう。ただし、取り分は僕が二枚。あんたらが一枚ですからね! 銅貨一枚まかりませんから。分かりましたね!」
彼は起きた。
まるであばら屋のような一室。知らぬ天井、知らぬ場所。男は自分の手を見た。まるで真っ白だ。色が白い、というわけではない。本当に真っ白なのだ。
「お気づきになられましたか」
女の声。粗末なベッドから身を起こすと、女──いや十代の少女が、トレーに温かい湯気だった皿を載せて、部屋に入ってきた。部屋も粗末なら、女の着ているものも古ぼけた灰色の服。きれいな赤毛のロングヘアを、三つ編みにしている。彼は、自分の腰に手をやると、何やら革のカバーが腰にぶら下げられていることに気がついた。開けて手を中にやってみると、紙束が入っているようだった。
「私は……」
「亜人の騎士様に会ったのは初めてです。あなた、この家の前の水路で、水浸しになっておられたのですよ」
彼は女の言葉に何か釈然とせぬものを感じながら、紙束をぺらぺらめくりはじめた。まるでそうすることが普段からの習慣であったかのように。一枚目。
『私の名前はウォロック・ノイン。誇り高き亜人の騎士だ。主人はいない。この羊皮紙は私の人生そのものだ。決して手放してはならない』
二枚目。
『私は元々羽を背負っていたらしい。しかし私は覚えていないだろう。これを書いた時点の私も覚えていない。私の記憶は最大で一日しか持たないのだ。一日を終え、眠りにつくと私の記憶は無くなってしまう。それより短いこともあるらしい。だが、食べ物飲み物、一般常識、鎧の着方、そうしたものはどうやら忘れないようだ。体に染み付いているのかもしれないが、理由は分からない』
三枚目。
『私は剣と魔法で生き残ってきた男だ。悪党を斬り、弱きを助けることで生きてきた。私は剣を握れば誰にも負けない。剣術の記憶は剣を握ればすぐ思い出せる。だが魔法を使うためには、ある程度の理論を脳内で構築せねばならない。次のメモでそれを記す』
紙束はそれで終わっていた。羊皮紙は左上を紐で綴じていたが、羊皮紙の切れ端だけが最後のページに残っていた。ちぎれて、どこかに行ってしまったのだろう。ウォロックは、今日も記憶を取り戻したのだ。
「あの、勝手に鎧を脱がせてしまいました。申し訳ありません」
少女はスープをベッドの側のローテーブルに置き、頭を下げた。ウォロックが部屋の隅へ視線を動かすと、まるで分身のごとく鎮座し──記憶には無いが、恐らく自分が来ているのであろう鎧が──こちらを見据えていた。
「礼を言うのはこちらだ。かたじけない。私の名はウォロック。失礼だが、貴女は」
「私はアンヌと申します」
「アンヌ殿。鎧を脱がせたと言ったが、女の手には余る代物だろう。一体、どうやって」
アンヌは、入ってきた扉に目を向けた。そこから、大柄な男が姿を現した。白髪交じりの大男。細く鋭い目の回りには深いシワが刻まれ、足をひきずり杖をついているところから見ても、アンヌとは相当に年齢が離れているらしい。彼は厳かに頭を下げた。ウォロックには、本能的に分かる。この男は、元々武の道に身を置いた人間なのだろう。
「トミー・ジムランと申す。剣も鎧も、騎士にとっては魂のようなもの。勝手に手を触れたこと、お詫び申し上げる」
「父上です。足を悪くしてしまったのですが──昔は王国騎士団の騎士だったのですよ」
トミーは頭を下げた。足を悪くしたとはいえ、一つ一つの所作が洗練されている。さぞかし名のある騎士だったのだろう。だが、着ているものはアンヌと同じく灰色のボロ同然の服だ。武で身を立てるのは、体が丈夫だからできることだ。彼のように何らかの理由で体を壊せば、それで騎士としては御役御免となってしまうのだ。
「さぞかし名のある騎士とお見受けするが、ウォロック殿。一体どうして川に……」
ウォロックは口をつぐんだ。話せなかったのだ。彼には過去の記憶はなく、昨日何が起こったのか、など分かろうはずもない。そんな彼に、トミーは少しだけ笑みを浮かべた。
「──何かご事情がおありの様子。何も聞きますまい」
「かたじけない」
「何ももてなしはできませぬが、こうしてウォロック殿のような騎士に会ったのも何かの縁。行くところがなければ、ここで好きなだけお過ごしなされ」
彼はそう述べ、何度か咳をした。あまり良くなさそうな咳だ。
「今朝は調子が良かったのだが……すまぬが、失礼させてもらう」
トミーがそう言って部屋を出て行くのを、ウォロックは頭を下げて見送った。誇り高き男だ。アンヌもそれに同意見のようであったが、盆を持つ表情は複雑であった。
「父上は、少し肺を悪くしているのです。お気になさらないで下さいね。さ、ウォロック様。スープをお飲み下さい。冷めてしまいます。お口に合えば良いのですが」
盆の上には、薄い飴色のスープと、黒パンが載っていた。黒パンは低所得者向けのパンで、安い小麦を使っているためパンの色が黒くなり、硬くなるので価格が低く人気がない。ぐう、と腹が鳴った。だがウォロックではなく、鳴ったのはアンヌの腹であった。
「あっ、いや、そのう……し、失礼いたしました! 実は、今朝は食事を抜いていたものですから……お恥ずかしい限りです」
赤面するアンヌに、ウォロックは優しく笑いかけながら言った。
「何の話でしょう。私は何も聞いておりませぬが。ところで、ちょうど喉が乾いておりますので、スープは頂きたいのですが……腹の方はいささかまだ減っていないのです。しかし、残してはトミー殿に無礼だ。良ければ、アンヌ殿に……」
彼女の顔がぱあっと明るくなり、差し出された黒パンにかじりついた。よほど腹が減っていたのだろう、とウォロックはあたりをつけながら、スープを飲んだ。味の薄い、というより、ほとんどお湯のようなスープだ。アンヌとトミーの様子から見ても、あまりいい生活はしていないのだろう。
「アンヌ殿、私は──」
ウォロックが口を開こうとしたその時であった。外から、何やら物音がした。間髪入れず響く、男どもの怒号、怒声! 恐怖に歪むアンヌの顔。ウォロックの体に奔る、電流めいた使命感! 敵だ、敵が来たのだ! 彼は立ち上がり、アンヌの静止も聞かず部屋を飛び出した!
目の前に広がるのは、地面に転がされているトミーの姿! そしてその背中を踏みつける、チンピラどもの姿!
「貴様ら! 何の真似だ!」
「なんでェ、てめえは!」
凄むチンピラどもに、トミーは地面に転がされたまま、あえぐように言った。
「おやめくだされ、ご客人。これはすべて私の不徳と致すところ故、手出し無用!」
「しかし!」
「るせェー! 幽霊みたいな顔色しやがって!」
チンピラどもの一人がいきり立って、ウォロックに殴りかかる! 右ストレートをウォロックは避ける! 左ストレートも避ける! 逆にチンピラを殴り返す! 右ストレート! チンピラは鼻を折り鼻血を吹き出す! 左ストレート! 玄関から先に吹き飛ばされる!
「なんでェこいつは……つええ!」
鼻血まみれとなった顔を、チンピラは手で拭った。その右手には小指が無いことに、ウォロックは気づいた。
「兄貴、やべえですよ。またここで引き下がったら、サイトーの兄貴になんて言われるか……」
「分かってる! 黙ってやがれ、チクショー」
部下に抱き起こされながらも、兄貴と呼ばれたチンピラはにやりと笑い、懐から羊皮紙を一巻き出した。それを開き、トミーとウォロックによく見えるように突き出した!
「おう! 俺はな、サイトー金融のもんだ。そんでこれはな、このトミーのオヤジが、ウチから金貨十枚借りてるってことが書いてある証文だ。サイトーの兄貴はお優しい方でよ。トミーのオヤジからは、金利だけ払えば元本の返済期限は文句つけねえって条件で金を貸してやってんだ。アンヌちゃんが不憫でってことでよ……にも関わらず、金利分を払えねえと抜かしやがる! あんた、そんな約束を破るような人間に味方するってのかい!」
トミーとアンヌの生活は苦しい。それは先程の事でよく分かっている。だが、ウォロックにはこのチンピラに何も言い返せなかったのだ。約束を破ること、それは無作法である。理由もわからないし、思い出せないが──ウォロックはなんであれ無作法を許すことができないのだ。
「さあ、どうなんでえ! 答えてみやがれ!」
「……その金利分の金とやらを、返せればいいのか」
「おう。金利分は金貨一枚銀貨二枚だ。本当の期限は今日だがな、明日の朝までに持ってくりゃ許してやる」
トミーには恩義がある。ウォロック自身に昨日何があったのかは知らぬが、川を流されていたのであれば、そのまま死んでいたかもしれないのだ。一宿一飯の恩義を反故にするのは、無作法そのものだ。ウォロックには、そうした使命感が燃えていた。
「貴公、名は」
「俺はハチってんだ」
「私の名はウォロック。……すまぬが、ハチ殿。私を雇ってもらえぬか」
あまりに唐突な物言いに、ハチは面食らった。いきなりこいつは何を言っているのだ。金利を払うという話は、まあいい。それで雇えという意味がわからない。
「……なんで俺がお前を雇わなくちゃならねえんだ」
「剣の腕は立つつもりだ。とにかく、何か仕事を回してもらいたい。私も金は持っていないが、トミー殿と違って体力はある。金利分を払うくらいなら、どんなきつい仕事でも受ける」
「ば、馬鹿な……ウォロック殿、そこまでしてもらうわけには」
「トミー殿、これは私が唯一できる貴公への恩返し。何よりアンヌ殿のためでもある。体をご自愛なさり、養生されることだ」
ハチは小指の無い右手で顎を覆いながら、何やら思案していたがよし、と手のひらをぽんと打った。そうしてやらしい笑みを浮かべながら、言った。
「……そんなにキツい仕事がいいってんなら、やってもらおうかい。『力仕事』なら、それこそ手に余るくらいあるからよ」




