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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
引抜不要
104/124

引抜不要(最終パート)

ノオは泣いた。泣いて、泣いて、泣きはらした。

 行き交う人々は、ノオの大きな荷物と青髪、そして泣きはらしている彼の姿を見て、怪訝そうな表情を浮かべながら通り過ぎて行く。それがまたノオは悲しかった。実のところ、彼は期待していた。誰かが声をかけ、どうしたのか、と尋ねてくれる事を期待した。彼がいた村は、誰もがそういう心配りを黙ってもしてくれたし、ノオはそういう風に甘やかされて育ったのだ。

 だが、イヴァンでは別である。誰もが自分の人生を生きるのが精一杯で、誰も目を向けてなどくれない。少なくとも今この瞬間はそうだ。マイルマンはよく話を聞いてくれた。彼はどこか口下手で、最初は恐ろしかったが、ただ静かに話を聞いてくれたように思う。

 そんなマイルマンも、今はもういない。

「ノオくん」

 声がした。目の前に、いつだか会ったフィリュネが屈み、こちらを覗きこんでいた。

「フィリュネさん……僕……ぼく……」

 わっと、ノオの感情は爆発した。姉も、マイルマンも、ノオの話を聞いてくれなかったが、フィリュネは別だ。誰かに助けを求めねば。ノオは悲しみの中でそう思った。姉を助けねば。

 フィリュネは彼の手を引き、教会へと連れて行った。何やら今日は不在のようであったが、懺悔室は別だ。誰が懺悔に来ても良いように、懺悔室は施錠していない。フィリュネはそこで彼を座らせてから、ノオに尋ねた。

「お姉さんとケンカしたんですか? 大泣きしてたから、びっくりしちゃいましたよ」

 そう言うと、フィリュネはおどけて笑う。しかし、ノオの表情は曇り、淀んだままだ。

「……姉さんが。姉さんが……殺されてしまうかもしれないんです」

 フィリュネは一瞬驚いた表情を作るが、すぐに真剣な表情になり、話を続けるよう促した。ノオはそれに安心した。まだ、話を聞いてくれる人が、ここにいる。

「スワガーの旦那は、マイルマンさんを殺したんです……。姉さんが舞台に立つとき、宣伝になるようにって」

 フィリュネは目を見開いた。マイルマンが死んだ。確かに、行方がわからなくなった、とは聞いていた。まさかとは思った。死んでいるはずがないと。甘い考えは、そこで打ち砕かれてしまったのだ。

「姉さんは頑張ってます。一日三回舞台に立って、お客さんを喜ばせて……でも、最近お客さんの入りが悪いから……だから、スワガーの旦那と、リッツは、もう用なしかもって……だから、だから──」

「それ、誰かに話した?」

「姉さんには話したんですけど……僕の話を信じてくれないんです。あと、神父様にも」

「神父様?」

 この場にいない、イオの姿が一瞬脳裏をよぎる。馬鹿な。そんな偶然があるわけがない。フィリュネは頭を振ると、ノオの小さな肩をつかむ。涙でくしゃくしゃになった顔を、懐からハンカチを取り出し、拭いてやる。そして、抱きしめた。その小さな体を。

「フィリュネさん」

「お姉さんは、私が何とかします。約束です」

 彼は親代わりを失い、そして今、姉さえも失おうとしている。血のつながった家族を根こそぎ戦争で失ったフィリュネは、その不安や絶望が、いやというほど理解できた。ましてや、十代半ばも行っておらぬ少年だ。その不安が、彼の持つ全てを飲み込むことも容易に理解できる。理解できるのだ。

 勝手知ったるなんとやらで、フィリュネは教会懺悔室の鍵を開け、主人のいない教会へ入り込んだ。ひび割れたステンドグラスから光が差し込み、宙に漂う埃を陰鬱に浮かび上がらせる。

「わたしはこれから、ちょっと出かけます。お姉さんが危ないんなら、ノオくん一人で動くのは危険です。どうせ誰も来ないと思いますけど、誰か来ても隠れていて下さいね」

 ノオは、大きなリュックを床に置き、ベンチに座ったまま、静かに頷いた。フィリュネは後ろ髪を引かれるような思いであったが、駈け出した。あの姉弟にとって、この世界で真に家族と呼べる人は、もうお互いしかいなくなってしまったのだ。それをさらに減らすことなど、出来ない。







「さ、準備は出来たかい、歌姫」

 ピューマは無作法に控室に入ってきた。クアトロは今や、薄手のローブ一枚で包まれただけの姿になっている。文字通り、薄皮一枚剥げば、彼女は一糸まとわぬ生まれたままの姿になることだろう。新雪の積もった雪原のような肌が衆目にさらされることだろう。それが何を意味するのか、クアトロは理解できていなかった。

「あの、ピューマさん。弟の事は謝ります。彼は素直でいい子なんです。とても、優しい子なんです。だから……」

「だから、なんだってんだい。歌姫」

 ピューマは腕組みをしたまま、冷徹に言葉を切り捨てた。

「いいかい、歌姫。あんたら亜人がどんな世界で生きてきたか、どういうやつらかなんて俺には関係ない。俺にとっちゃ、みんな等しく商品だ。あんた、そこらの牛や豚が、いい子かどうかなんて気にするのかい。俺は、しないね。加工されて口に入りゃ、それでおしまいさ……」

 ピューマは彼女の肩に手を置き、耳に顔を寄せ、囁いた。

「あんたは確かに良い素材かもしれねえ。実際そうさ。だから、必要ないと思ったんだ。そのままで、歌を歌って、お客さんを喜ばせて……だが、世ん中そう甘かないのさ……」

 不気味な言葉を残し、ピューマは控室の外へと出て行った。高級そうな椅子と大きな鏡だけの部屋に取り残されたクアトロが考えたのは、弟のノオの事だった。自分がここに来た事は、もちろん伝えていない。ご飯を食べただろうか。一人で寝られるだろうか。心配で仕方がない。彼は、まだ子供なのだから。

「出番です」

 黒スーツの男が扉を押し開け、機械的にそう言った。

「あの、わたしは何をすれば」

「お答えしかねます」

「あの」

「ピューマ様にも固く禁じられておりますので。お答えしかねます」

 薄手のローブで、絨毯張りの通路を通る。扉を開けて、暗い部屋へ通された。彼の案内はそこまでだった。暗闇めいた部屋の中で、カーテンとカーテンの隙間から光が漏れていた。クアトロは、自分自身を掻き抱きながら、一歩一歩進む。

 我慢すればよいのだ。

 我慢すれば、スワガーやリッツに迷惑はかからない。

 我慢すれば、ノオとまた暮らしていける。

 我慢すれば。我慢すれば良い。

「さあ、お待ちかね。『歌姫』のご登場です!」

 蝶ネクタイを締めた黒スーツ姿のピューマが、エンターテイナーめいて言った。そこは舞台であった。しかし、舞台と言うには妙に部屋が狭い。普段歌を披露しているシアターの、ちょうど舞台分ほどしか広さが無かった。そこに、クアトロを囲むように十人分ほどの椅子が備え付けられており、仮面を付けた男たちがずらりと足を組んでいる。

「『マスカレイド』たる紳士諸兄の皆様。今宵の宴に供するは、近頃帝都イヴァンを賑わす『亜人の歌姫』でございます」

「ほお……」

「なんとまあ、このような美しい娘とは。支配人、貴様もやるな」

「恐れいります」

 不気味な光景であった。白いマスクに三日月型の目と口が刻まれた、十人の紳士。クアトロにはそれが、バケモノが舌なめずりをしているように感じたのだ。

「さて皆様。本日は初めてのお客様もいらっしゃるということで、説明をさせていただきます。当会は会員制のクラブ。ここで起こったことは他言無用、一夜限りの夢にございます。ご理解の程よろしくお願い致します。オークション形式で落札者を決定した後、お部屋の鍵をお渡しします。金貨二十枚よりスタートです」

 三十枚。四十枚。様々な声が同一の仮面から発せられる。金額は釣り上がり、一際大きな体の男が、これまた大きな声で言った。

「三百二十枚」

「三百二十! よろしいですか? なければ落札とします」

 回りの男たちが拍手し、大きな体の男を祝福した。彼は立ち上がり、椅子の下にしまっていたトランクを持ち上げた後、クアトロの手首を乱暴に掴むと、ピューマの前に立った。

「支配人。金はこの中だ。残りは貴様らへのチップと、他の方々への祝儀よ。とっておけい」

「恐れいります。鍵はこちらです」

 金色に輝く鍵を受け取ると際、ピューマは彼に冷ややかに笑いかけた。

「お客様。本日は『限度なし』にございます。時間まで、好きなだけお楽しみください」






 そこには、ベッドとクローゼット、そして暖炉があった。暖炉では煌々と炎が燃え盛り、部屋の中は熱気であふれていた。クアトロは自分が融けてしまいそうな錯覚すら受けたが、それは一瞬であった。

 男が、クアトロを平手で殴ったのだ。あまりの衝撃に、クアトロはベッドに吹き飛ばされる!

「な、何を……」

「貴様は俺が買ったのよ。何も聞いておらんか?」

 訳がわからぬ。脳が揺れ、目の前がふらついた。

「ピューマさんは、パーティがあると……」

「パーティ? フフフ、確かにパーティよな。もっとも貴様と俺の二人だけのパーティだが」

 男はネクタイをゆるめ、スーツの上着を投げ捨てると、未だに何事か理解できていないクアトロにのしかかった! 男の体は大きく、力も強い。とても敵わない! 容赦なく平手を打つ! 右側! 左側!

「や、やめて……ください……」

「止めぬわ。貴様にはわからぬかもしれんがな。俺のように立場がある人間には、息抜きが必要なのだ。女を抱く、酒を呑む、博打を打つ。しかしそれすらもう飽いた!」

 降り注ぐ男の暴力! やがてクアトロのローブは意味を成さなくなり、哀れ引き裂かれると、彼女は生まれたままの姿に戻った!

「分かるか? 娼館の女など、所詮金を投げれば股を開く。それでは満足できんのよ。それでは、支配したことにならんのよ。男という生き物はな、何事も暴力で解決せねば生きている意味を感じられんのだ!」

 クアトロの薄い唇が切れ、雪原めいた肌に朱が差した。しかし、そんな状態でも彼女の脳裏に会ったのは、ノオの姿であった。彼を一人にできない。降り注ぐ様々な暴力、虐待に、彼女は耐えた。彼女にとって悲劇だったのは、それがまた男の嗜虐心をくすぐったことだった。平手は拳に変わり、男はクローゼットからムチを出し彼女を叩き、縄を出し彼女を縛り、吊るした。

「強情」

 ぐったりとうなだれ吊るされたクアトロの前で、男は息を切らしながらつぶやいた。

「強情な女よ。しかし、それでこそ痛めつけがいがあると言うもの」

 男は暖炉に近づき、刺さっていた火かき棒を抜いた。いや、それはクアトロも知っている火かき棒とはまるで異なっている。先は丸く平べったい。赤熱したそれを、彼は──クアトロのふとももに押し付けた!

 絶叫。諦観、死、ノオ、開放、マイルマン、絶望、スワガー、リッツ、ピューマ、痛み、死。脳にあった全てがかき混ぜられ、金切り声になって吐き出された。既に、夜は白み始めていた。まるで鶏が鳴いた時のように、彼女の叫び声が終わった直後、男は満足気に服を着て、出て行った。

「終わりです。お疲れ様でした」

 黒服の男が、無感情にそう言った。終わり。終わった。耐え切ったのだ。全身が痛んだ。特に、焼きごてを押し付けられたふとももは酷い。だが、これでいい。またノオと暮らすことができる。舞台には立たせてもらえるだろうか。とにかく、スワガー達に迷惑をかけずに済みそうだ。彼女が考えたのは、それだけだった。

 クアトロは苦労し服を着て、案内されるがまま外へと向かう。白壁に赤い絨毯の、豪奢な邸宅を歩き、ふらふらと外を目指した。

 ここはピューマの経営するエンタテインメントの極地ともいえる、会員制のクラブ、その会場である。彼は確かに、自分と立場と欲をどこまで掻いて良いのか、それを大いにわきまえている男であった。それは、自分が公の立場で振る舞うことの多い人間であり、誰かに目をつけられることも多いからという前提に基づいての事実だ。だから、この会員制クラブは別であった。全てが秘密。一夜限りの夢。それは、ここに通う紳士たちとピューマの間に交わされたシンプルな約束だ。得てして、シンプルなものほど強い。紳士たちはそのシンプルさを求めて、このクラブを訪れた『やんごとなき人々』。紳士たちの権威は、ことこの会場においてのみ、ピューマに『権威』を付与することができる。憲兵団は愚か、行政府の人間すら届かぬ『聖域』を形成するに足る権威を。

 夜はまだ明けていない。冷たい空気が、傷めつけられた傷を撫でた。ピューマが待っていた。どこか、驚きの表情が混じっている。

「ノオの事は、これで、許してください」

 かすれた声は声になっていなかったが、ピューマは口の端をあげつつ頷いた。

「考えてやるよ。おい、歩くのも辛そうだ。手伝ってやれ」

 黒服の従業員たちが静かに彼女の回りに集まり、肩を貸した。よろめきながら、邸宅の外、門を越えようと歩く。まるで生まれたての子鹿、まともな歩みにはならぬ。長い時間がかかりながらも、ようやくクアトロは門を超えた。

 ノオが待っている。

 林の中にまっすぐ伸びる道の遥か先に、イヴァンの街が明けの光に照らされて浮かび上がった。ノオが、待っている。私の帰りを待っている。

 その少し先の木の影に、男は居た。カソックコートを羽織り、首からロザリオを下げた神父。イオだ。彼はスワガー・ザ・シアターで身を潜め、密かにこうしてどこまで連れていかれるのかを確認していたのだ。黒服の肩を離れ、一歩目を踏み出した彼女の赤い目が、大きく見開かれ──そのまま倒れ伏したのは、門から離れて一秒も経過していない時点であった。倒れ伏した彼女の後ろで、まるで目を背けるように、高く分厚い鉄の大門が閉じ、瀟洒な邸宅の姿は鉄の門の後ろに消えた。

「おい、おい! しっかりしなァ!」

 イオは彼女を抱き起こして、手に触れたそのぬめりに驚いた。血だ。彼女の背中には、ナイフで深々と刺された跡が残っていた。口から血が溢れ、イオの顔に飛ぶ。

「神父……様……どう……して」

「しっかりしなさい! 私が、街に……」

「もう……いいのです……自分のことは、自分が……いちばん……よく、分かって」

 喋る度にクアトロは咳き込み、血の筋を口の端から流した。助からない。イオにできることは、せめて彼女の遺す言葉を聞き取ってやる他無いようだった。

「何か伝えることはありますか」

 彼女は大きく咳き込んだ後、イオのカソックコートの襟を強く掴み、涙を流しながら──必死に言葉を紡いだ。

「ノオに……弟に……心配ないと……愛していると……スワガーさん達に……ごめんなさいと……ありがとうと……」

 カソックコートの襟をつかむ手が、まるで解けるように地面にぐったりと落ちた。イオは彼女の細い体を抱きしめながら、手で十字を切った。門からは、何も音は聞こえなかった。おそらくは知らぬ存ぜぬを貫き通すつもりだろう。

 イオは、彼女を抱きかかえ、街を目指した。彼女は、こんなところで眠っていてはいけない。墓でもない場所で無様に死を迎えるのは、別の人間に背負ってもらうとしよう。






 ノオに変わり果てた姉の姿を見られたのは、イオにとって完全に誤算であった。巨大十字架の前、献花台に寝かされた姉にすがりつき、泣き叫んだ。誰がそんな彼を非難できるというのだろう。

「こんなの……こんなの」

 フィリュネはこぶしを固く握りしめ、目を伏せたまま静かに涙を流した。彼女が一晩でとりあえず調べをつけられたのは、スワガー達が新たに歌手を雇った事──『失踪した亜人の歌姫の後継者』として、大々的に売り出すつもりであること──その程度のものだった。彼らは、クアトロを生かして返す気など無かったのだ。全ては、意図的に悲劇を演出し、新たな大スターを生み出そうとするからくりだった。そしてクアトロは、その醜悪なからくりの犠牲になった。マイルマンも。そして、残されたノオも。

 ソニアは、タバコも吸わずに、変わり果てたクアトロを見ていた。マイルマンのことなど、本当の事を言えばどうでも良かった。ソニア卿の──愛した女の事を持ちだされたのは彼にとって腹にすえかねる出来事だったが──ここまでされる言われが、彼らにあるはずもない。

「眠いですねえ……や、なんなんですか。雁首揃えて」

 のんきにあくびをしながら入ってきたのは、ドモンだった。出勤直後の彼は、血まみれで死したクアトロの姿を見て、今この空間の異常──断罪の雰囲気を敏感に感じ取る。

「神父、あんたはなんで寝転んでんです」

「あの子を運んできたんだよ。林の中に放っちゃおけなかった」

 ドモンは涙の跡を拭っているフィリュネの肩を叩き、大体の事情を聞き出す。マイルマンという男の死。スワガー達の策略。クアトロの惨死。残されたノオ。最後にイオが、その末路を話して締めくくる。

「旦那。黒幕はピューマって野郎でよ。何をやらせたのかはわからねェが、郊外の邸宅であの子に拷問を加えて……口封じに殺したんだ。ノオを助けるために、って断れなくさせてな」

 ドモンの脳裏を、ノオの必死の表情がよぎった。あの子の必死さ、スワガーの必死さの理由は、同じであったのか。ドモンは静かに、変わり果てた姉にすがりつくノオの肩を揺らした。

「あんた……ノオくんでしたね」

 すがりついたまま、ノオは離れようとしなかった。彼はこちらを向きもせず、頷く。

「お姉さんは、あんたの言うとおりひどい目にあわされた」

「……どうして」

 ノオは、静かにそう言って振り向いた。涙の跡と流れた血が交じり合い、さながら血の涙のようであった。

「どうして、僕の話を聞いてくれなかったんですか。あなたが僕の話を聞いてくれたら、こんなことにはならなかった! 返してください! 姉さんを返してください!」

 彼は小さな体から必死に拳を繰り出し、ドモンを叩いた。叩いた。しかし彼は無力である。大人であるドモンには、じゃれているほどの力しか感じぬ。ドモンは彼を見下ろしながら、表情一つ変えずに言い放った。

「金」

「えっ」

「あんた、お姉さんの仇をとれるって言ったら、いくら出します」

 フィリュネは怒りを露わにしながら一歩を踏み出す。断罪人は復讐代行人である。報酬なしに、仇を討つ事はできない。それは分かっている。だが相手は姉を失ったばかりの子供、あまりに無体! しかしそんな彼女の口を、ソニアの無骨な手が塞いだ。彼は、ドモンの行為が慈悲に近いものいいだということを理解している。口に出せるような状態ではないが、おそらくイオもそうだ。

「いいですか。あんたの姉さんを殺した連中は、憲兵団を簡単に黙らせる連中です。だから、僕もあんたの姉さんの仇はとれません。ですがこの世には、金さえあればどんな連中であろうと殺してくれるやつらがいる」

 ノオは、じっとその青い瞳でドモンを見据えていた。

「僕は、そいつらにつなぎをとることができるんです。本来なら手数料をがっぽりってとこですが、僕もあんたに悪いと思ってますからね。タダにしときます。──で、あんた、いくら出します」

 ノオは、おもむろに赤いマフラーを首から外して、その真ん中あたりに噛み付き、ぷつりと糸を切った。マフラーの隙間から金貨が溢れる。三枚。四枚。

「……姉さんが、どうしても困ったときにって。スワガー達から貰った『契約金』だって言ってました。──これで、仇をとってもらえるんですね」

 ドモンはそれを拾い集め、にやりと笑いかけた。

「後は、任せてもらいましょう」

 






 ピューマは、夜のアケガワストリートを黒服二人と歩いていた。

 今日は秘密クラブは休みだが、スワガー達との『計画』成功の祝いの席を設けたということで、会場に向かっている最中なのだ。頼りないランプの炎が、おぼつかなく辺りを照らす。

「何も、昨日の今日としなくても良かったのではありませんか」

 黒服の一人が言う。ピューマは鼻で笑う。何を下らぬことを。スワガーの起死回生の策は見事なものだった。本来あの秘密クラブは、どのような扱いでも文句を言わぬ女が、借金のカタに送られる最終処分場とでも言うべきところなのだ。当然売上は借金返済に回り、自分の懐にはせいぜい手数料と金持ちからのチップで金貨十枚がせいぜいといったところだ。しかし、スワガーの策により、売れなくなった綺麗どころの芸人を送れば、体のいい処分にもなるし、莫大な金がそのまま入る。

「こんな実入りのいいビジネスがあるもんかい。奴には、感謝しなくちゃならんくらいだ」

「左様でございますか」

「ま、今日のところは奴の顔を立てて、宴でも何でも付き合うさ。だが今後は対等にビジネスだ。なにせ、舞台に立ちたい歌手志望などいくらでもいるんだからな……場所を提供するこっちが良い目を見ても、文句あるまいぜ……」

 ピューマは高らかに笑う。夜、無人に近いアケガワストリートに彼の笑い声が響いた。しかし、彼の笑いはそこまでであった。

 目の前の曲がり角で、煌々と明かりがきらめいていた。しかしその光はすぐに闇に融け、暗闇から、紫煙が漂った。

「……そこにいるのは、誰だい」

 主人の鋭い指摘に、黒服たちは、二人同時に懐からナイフを取り出した。男は暗闇から現れ、黒服が掲げたランプの光の前に出てきた。黒メガネのコートの男。手には──銃。黒服の手からランプが落ち、割れた。

「てめぇっ!」

 黒服がナイフを振り下ろすが、男はそれを体を横にし避ける! 唖然としたままのもう一人の黒服、ナイフを持つ右手首を掴み、そのまま自分の腹へ振り下ろさせた! 黒服はくぐもった声をあげそのままうずくまり絶命! 立ち上がり、再びナイフを振りかぶった黒服に銃口を向け、男は容赦なくトリガーを引いた! 炸裂するマズル・フラッシュ! 黒服はナイフを握りしめたまま再び昏倒し、そのまま絶命! この間数秒!

「なんだ……てめえ、何者だ!」

 ピューマは後ずさりながら、最後に残った意地からドスの聞いた声で男に声をかけた。男は──ソニアはズボンのベルトに自分の銃を差込みしまうとコートの内ポケットから、小汚い布を取り出した。同時に、紫煙を吐く。ピューマは思わず何度か咳き込む。混乱。何が起こった? 部下は死んだ。こいつは何者だ? さらなる怒声を浴びせようと口を開いたその瞬間! ソニアの手が布ごとピューマの喉に押し付けられ、ピューマの体は建物の壁に押し付けられる!

「よせ、やめろ! な、何をする!」

 当然、布で塞がれたむぐむぐと言った声しか出ない。ソニアの目は黒メガネで覆われており、ピューマには表情を窺い知れぬ。コートの内ポケットから抜き出された左手からは、細長く平べったい棒が握られていた。ソニアはそれをくわえ、折りたたまれていたそれを展開させた。ぱちぱちと割れたランプからさらなる炎が上がり、浮かび上がったそれは──ピューマも今朝使ったばかりの──カミソリ。

「やめろ! 俺を──俺を誰だと思っていやがる!」

 ゆっくりと左手でカミソリを持つと、ソニアは冷酷に笑いかけてみせた。

「さあ……実は、よく知らん。男には興味ないんでね」

 ピューマの喉を、右手の布でぐいと更に強く押さえる。ソニアのカミソリが鈍く瞬き──喉を通り過ぎて行く。一瞬で、彼は絶命し倒れ伏した。ぼたぼたと、布から血が落ちる。ソニアは布を固く握りしめ、血が完全に落ちなくなったのを確認してから、ランプの炎が発する光が届かなくなるまで、歩いて行くのだった。







「ピューマさん、超遅いっすね」

 リッツが髪を一房撫で付けながら言う。スワガーはテーブルに座り、すっかり並び終わってしまった料理の前で、腕を組んだ。ビジネスは大成功。これから大儲けも見込めるというのに、一体何をしているというのか。

 ここは、アケガワストリートのスワガー・ザ・シアターの中、スワガーの事務所である。料理のケータリングに、酒の注文、綺麗どころまで準備出来ているというのに、一体どうしたことか。

「場所を知らないなんてことは無いだろうね」

「んなわけねえっすよ。ありえなくないですか」

 既に、待機させていた女達は一度返した後である。二人の間に白けた空気が流れ始めたその時。不意に、扉の外から声が響いた。

「こんばんわ」

 スワガーはリッツをあごでしゃくると、扉を開けさせた。ピューマではない。憲兵団の白いジャケット。眠そうな目、納まりの悪い黒髪。

「これはこれは……ドモンの旦那。こんな夜更けに一体」

「夜分にどうも。や、実はですねえ。折り入ってちょっとお願いがありましてね」

 ずかずかと入ってくるドモンの後ろから、空気の破裂するような音とともに、何故か人の良さそうな笑みを浮かべた神父も一緒に入ってくると、ドモンと一緒にテーブルについた。

「ほおー。これはとっても美味しそうじゃありませんか。ご随伴に預かっても?」

「あの、旦那。お隣の神父様は誰なんすか」

 リッツがたまらず神父に近づく。鋭い視線を送ったイオは、ロザリオを一際強く捻じった。三回転目。ドモンは笑いながら、気軽にのんびりと言った。

「や、実はですねえ。今夜あんたらをまとめて、地獄に送って差し上げようということで、わざわざ神父様に出張ってもらったんです。ピューマさんにも、一足早く逝ってもらいました。あんた達は特別ですよ」

 スワガーの顔色が、笑みから無表情へと切り替わった。

「旦那、ちょっと意味がよく……一体どういう意味ですか」

「てめえらみたいな悪党でも、死ぬ時は祈りの言葉が必要だろうってことだよ。寝ぼけてんじゃねえぞ」

 ゆっくりとスワガーはリッツの方向に首を向けた。既にリッツの額に、イオがロザリオを押し付けている瞬間であった。ゼンマイが回転し、彼の額を針が貫いた。イオがロザリオを抜き、リッツは小刻みに痙攣した後、受け身も取らずにそのまま後ろへ倒れていった。

「ひ、ひっ、ひ~ッ! ヒャ~ッッッッ!」

 奇声をあげ、椅子から転げ落ち、ロザリオを仕舞うイオを突き飛ばし、階段を降り、扉を開けた! 逃げなければ。逃げなければ。どこでもいい。誰でも構わない。助けてくれ。金なら出す。様々な言葉がスワガーの脳内を巡った。

「スワガーさん」

 女の声がする。扉の外。シアターの前。目の前に、女が座り込んでいる。フードを被った女が、恨めしげにこちらを見上げている!

「どうして私を見捨てたんですかあ? どうして?」

 フィリュネは恨めしく、クアトロを代弁するように言った。スワガーには、それが本物にしか見えなかったようで、とたんにまくしたて始めた。

「お、お前か! お前のせいか! あたしはね! あんたみたいな文無しの亜人をスターにしてやったんだぞ! それを化けて出るとは……何様の……」

 言葉は、そこで終わった。スワガーの腹から、刃が突き出していた。一気にそれが見えなくなると、スワガーの体は一気に力を失い、地面に転がった。

「祈りの言葉なんざ、てめえには勿体無え。そのまま死ね」

 ドモンは剣についた血を振るって飛ばし、鞘に納めた。スワガーの懐からいくらか金貨がじゃらりと転がったが、ドモンもフィリュネも、後から出てきたイオも、見向きもしなかった。





 ノオには結局、楽器──ヘイムだけが残った。だが、泣いているわけにもいかない。彼は立ち上がり、アケガワストリートの一角で、ヘイムを吹き始めた。楽しげな音が通り一杯に広がる。道行く人々が拍手し、チップを彼のリュックに投げる。彼は、泣いていた。泣きながら、ヘイムを吹き始めた。観客はそれを奇妙に思ったが、アケガワストリートでは、しばらくその『泣きながら楽しげに楽器を吹く少年』が評判となった。

 数週間経ったある日、彼の姿は通りから消えていた。

 いつも彼がヘイムを吹いていた場所を、フィリュネは人混みの中から見つめる。そこにはただ、彼の吹く楽器の、楽しげで悲しいメロディが残っているような気がしたのだった。





引抜不要 終

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