恩讐不要(最終パート)
「で、一体どういうことなんです」
ドモンは不機嫌そうにそう言い放った。ここは、神父イオの教会である。普段は今にでも崩壊するのではないかと不安になりそうな教会であるが、今日は違った。入り口から伸びる赤い絨毯。普段とは比べ物にならぬ、ピカピカに磨かれた教会内。聖書台の回りには、白い花が花瓶に活けてある。そう、明日ここでジェイクの結婚式が行われる予定なのだ。最低限の費用でも結婚式を挙げたいと願う彼に感じ入ったマリアベルと、相談を受けたフィリュネがイオに話を持込み、マリアベルの店の従業員たちが、ほとんど突貫工事めいた勢いで会場を完成させたのである。
「だから、ジェイクさんが悪い人たちに捕まっちゃったんです!」
フィリュネはほとんど悲鳴に近い声で叫ぶが、事の重大さはドモンとイオの二人になかなか伝わらぬ。ソニアは無言で、箱から血の移りかけている羊皮紙を引き出すと、見せた。イオはそれをひったくり、目で追う。今夜十二時までにパラダイス孤児院に来ないと、人質・駐屯兵ジェイクを殺す。憲兵団に連絡しても同じだ……乱暴な走り書き。
「シシリア・ブラックモアと、キング・J・バウアードね。ずいぶんご丁寧な招待状だ」
「……キングって、あのキングですかねえ」
ドモンがあくび混じりにそうつぶやいた。
「旦那さん、知ってるんですか?」
「知ってるも何も、ちょっと前……ほら、飴売りの女の子のアレの時。僕が断罪にかけた憲兵官吏のお兄さんですよ。あの弟も乱暴でしたが……こりゃちょっとやっかいですね」
ドモンは、王国のとある小さな領地出身である。キング・J・バウアードと言えば、そんな小さな領土にも名前が轟くような、国内で十本の指に入るであろう有名人だった。なにせ、勇者アケガワケイの一行を、影に日向に支え続け、帝国成立後も親衛隊の重鎮として認知されていた古参兵だ。内戦後は、全く名前を聞かなくなり、皇帝と共に死んだとも噂されていた。
「大した英雄じゃないか」
「そりゃまあ、経歴は間違いなくそうですよ。でも、戦争が終わった後、すっかりおかしくなっちまったんですよ、彼は。なんでも、戦後久々に故郷に帰ったら、既に一人娘が死んじまってたらしいんですが、それを信じられなかったみたいで。皇帝からもらった、『ケイタイ』だかなんだかに、娘だなんて話しかけるようになったとか」
「ケイタイ」
ソニアは呟く。ソニアも携帯電話を持っている。尤も、既に電池切れで何の用もたさないが。
「でも、皇帝の信用は全く揺るがなかったってんですから……腕は立ったんでしょう。多分、本物ならその腕が錆びてでもしない限りは、面倒でしょうね」
「こりゃ、もう一人も厄介だぜェ」
頭を掻きながら、羊皮紙を差し出したイオが困ったように言った。
「こいつは、『ハイエナ』だ。間違いねェ」
「神父さんの知り合いなんですか?」
困惑したようにフィリュネが問う。あまりにできすぎているので驚いたのだ。
「パラダイス孤児院出身のやつだ。昔の孤児院はデカかったし、支部が何個かあったからな、会ったことはねェが……孤児院最年少でコード・ネームをもらった女だったから、名前を思い出したんだよ。有名人だぜェ。なにせ、人の考えてることが分かるんだと」
パラダイス孤児院は、元々政府の諜報員を育成するための隠れ蓑だったらしい。彼女は数少ない、その生き残りなのだという。厄介ごとに厄介事の上塗りだ。フィリュネは唸ったが、人の命がかかっている。背に腹は変えられぬ。
「皆さん、分かってますよね。ソニアさん宛に『断罪人』宛の手紙が来たってことは、まず間違いなくソニアさんが断罪人だってバレてるんです。いずれは、私達みんながそうだってバレちゃいます。その前に、なんとかしないと」
緊迫した状況。張り詰めた空気……ではなかった。ドモンはあくびをし、イオは聖書を頭に被せ、普段の数倍は小綺麗なベンチに身を横たえ始める。
「……あの」
「いやですよ。金も出ないのに」
「そーだなァ。タダ働きはゴメンだ。だいたいやっこさん達から正体を明かしてくれてんなら、都合がいいぜ。旦那、さっさと憲兵団にでも突っ込ませてくれよ」
「そりゃいい考えですよ、あんたにしては。モルダさんにでも頼みますかねえ。動くのはいつになることやら」
フィリュネはソニアを見るが、彼は黙して語らず、静かに携帯火種に息を吹き込み、タバコを突っ込んで火をつけていた。彼も分かっている。断罪人はボランティアではない。断罪稼業は闇商売。ともすれば外道に落ちかねない危険な商売だ。金は、彼らをかろうじて『断罪人』にとどめておく重要なものなのである。
「ジェイクさん、このまま十二時を迎えたら……死んじゃうかもしれないんですよ!」
「安心しなよォ、嬢ちゃん。人間、息を吸って吐いて飯食って糞して寝りゃ、そりゃいつか死ぬ。ジェイクの場合、結婚式の前日に死ぬ運命だったんだよォ。いや……この場合当日か?」
聖職者とは考えられぬ暴言! ドモンは既にベンチに腰掛け、うとうとし始めている。無言の内であるが同意見なのだ。しかもそれはソニアも同じらしく、返事の代わりに彼は紫煙を吐いた。
「分かりましたよ。よーく分かりました。じゃ、これで文句無いでしょう!」
フィリュネは金貨を差し出し、聖書台にたたきつけた! 金の鳴る音に反応し、一気に群がる断罪人達。彼らはその弱々しい光に、少しばかりがっかりした表情を浮かべた。
「ジェイクさんからもらった指輪代です。ジェイクさんがまかり間違って死んじゃうようなことがあったら、私とソニアさんが作ったアクセサリーに変な噂がつくかもしれません。それを考えたら安いもんです。先行投資です!」
「なーんか殺る気にならねェなあ。少ねェよ」
金貨を月の光にかざしながら、イオはぼやく。そんな彼の手からソニアは金貨を奪い取ると、ぶっきらぼうに言う。
「文句言うなら、俺一人でもやるぞ」
「やらねェとは言ってねェ」
大いに不服そうなまま、イオは彼に反論した。金が出る以上、依頼は依頼だ。ドモンは袖口の隠しポケットからちゃらちゃらと小銭を吐き出し、銀貨八枚と銅貨二十枚をきれいに聖書台に並べ始めた。
「ま、僕は金が出るならやりますよ。それに、やつらのとこに憲兵団に踏み込まれて泣きを見るのは、事をバラされる断罪人の僕らかもしれませんしねえ。とにかく、今の内にやつらを口封じするのが一番良さそうです」
フィリュネが最後に残った銀貨と銅貨をかき集め、ソニアの持っていた箱から(切り取られた耳を触ってしまわないように、慎重に)指輪を取り出し、静かに聖書台の上に置いた。
「明日、指輪の交換をしてもらうんです。……絶対です」
彼女は静かに決意を述べた。たとえ神に唾する断罪人であっても、命を救いたいという気持ちが彼女の中に燃えていた。ソニアは最後に残ったろうそくを吹き消し、派手に飾り付けられた教会を、闇へと落とした。
「もうすぐ、十二時だな」
キングは静かに言った。彼は主人を失って久しいデスクに腰掛けながら、壁に設置された柱時計を見る。十二時まで、後十分も無い。そして、その隣に横たわっているのは、耳とふくらはぎに血で赤く染まった包帯を巻いた、痛々しい姿のジェイクだ。恐怖からか、静かにはしているが目線は落ち着きが無い。
「ミスタ・バウアード。本当に良かったのですか」
シシリアが窓の外から月を見上げながら言った。今日は満月だ。ランプが消えたイヴァンの夜は、存外明るい。
「何がだ」
「私ははっきり言って、断罪人の事はよく知りません。ですが彼らが、金ずくのプロであることは分かります。……かつては本物のプロだった、シスター・ラビを殺したのですから。わざわざ彼らを挑発するのは、危険だったのではないですか?」
キングは少しばかり笑みを浮かべ、手の中の銃を回転させながら言った。
「君は、殺しのプロがどういう存在が、よく分かっていないようだな」
彼はデスクを降り、シシリアに銃を渡した。そして、壁にかかっていた飾り立てられた剣を下ろし、抜いた。月の光が白刃を舐め、キングの顔を照らす。突然の敵の襲撃に備え、こうしたインテリアに武器を仕込むのは、よくある話だ。
「プロが一番に考えるのは金だ。次に保身。俺達があのソニアとかいう男……奴を殺せば、残りのやつらは一目散に逃げ出すだろう。君はともかく、俺の復讐は成らないだろうし、全員を殺すまで安心できない。だが、こうして人質を取り、やつらにどこまで自分たちが『知られているか』を悟らせずにいれば、必ず奴らは動く。……ま、人質が人質の役割をするかどうかは分からないがな」
シシリアは銃から記憶を盗み見ながら、使い方を確認する。『盗み見る』能力は便利だが、目標地点をしっかり定めねば、お目当てを見つけるのは難しい。目次のない辞書を探すようなものだ。マガジンを落とすと、弾の残量を見た。残り二発。直接対決は危険な賭けだが、遠距離武器を持てばそれだけ戦いの幅は広がる。この男は、本物の兵士だ。彼女は自分の判断に狂いがなかったことに感謝しながら、まだ見ぬ仇に想いを馳せる。すぐに撃ち殺してやるのも良いが、できるだけ屈辱的に殺してやらねばならぬ。
彼女が冷酷な決意と同時にマガジンを銃に戻した……その時であった。突如、激しく扉を叩く音がした。
来たか。
シシリアは憎悪を静かに燃やしながら、銃を構えつつ入り口へと向かう──が、それをキングが止めた。
「俺が行く」
「しかし」
「俺が行く。いいか! 君がまた『咄嗟に』その銃を撃ってみろ! 音で確実にバレて、全員を仕留めるのは確実に不可能になる。だが、中に引き込めば、残りを誘い込めるチャンスがある。まだ殺すな。俺に任せてくれ」
キングは冷静にそう述べ、代わりに玄関へと向かった。扉を僅かに開ける。見覚えのあるコートに、黒いメガネ。夕方確認した中年男に違いない。
「あのう……すいませんが、あんたがキング・J・バウアードさんですか」
「そうだ」
男は少し眉根を寄せ、声を潜めつつ抗議を述べ始めた!
「こ、困るんだよ、キングさん。へんな手紙を頂いたもんで……人の……み、耳まで入れるなんて……こっちは年頃の娘が一緒なんだぞ!」
「いいから中に入れ。説明は中だ」
男はすんなりと中へ入った。様子が変だ。まるで素人のような警戒具合。自分が殺されると分かっていないのか。キングは抜いていた剣を彼に突きつけ、シャツの襟をぐいとつかみ、壁に叩きつける!
「お前が断罪人か!」
「何の……」
白刃が男の喉元際まで伸びる! 少しでも押しこめば、即彼は死ぬことだろう!
「いいか! 貴様質問に応えるんだ! 今聞いているのは俺だ! 俺をナメるんじゃない! クソッ! いいか、三つ数える。他の断罪人の名前を言え! 一人言えば、貴様の寿命は三秒伸びる。全員言ったら、開放してやる! 言わなければ死ぬ!」
「おい、何の話だ!」
「早く言え! 一つ!」
男は困惑したように弁明を繰り返そうとするばかりだ。答えねばそれまで。死体にして、シシリアに読み取らせれば、時間はかかるがそれで済む!
「二つ!」
男は答えない。しかし、キングはなにか妙なものを感じていた。本当に知らないのであれば──この男が断罪人で無いのであれば──この男の、どこか浮世離れした余裕は、一体何だというのだ?
「み……」
無作法に扉が叩かれた。キングは数を数えるのを辞め、声を潜める。シシリアが影から覗いたのを見て、キングは頷く。
「誰だ!」
「や、すいません。憲兵団の者ですが……」
憲兵団。キングは思わず舌打ちする。もし本当に憲兵官吏であればまずい。予想外の事態であったがために、憲兵団への言い訳を考えるのを失念していたのだ。しかし相手はどうせ、暇なぼんくら役人だ。適当にごまかすか──金を掴ませれば済むだろう。意を決したキングは、男の顔に息がかかるくらい顔を近づけ、小さくどすの利いた声を浴びせた!
「いいか……少しでも声を出してみろ。貴様をすぐに殺す」
キングはシシリアに合図をすると、対応するようにハンドサインを飛ばした。自分は、彼に剣を突きつけたままシスターの部屋へ彼を連れて行き、痛々しい姿のジェイクの隣に座るように言う。シシリアはおもむろにシャツのボタンを上から三つ外すと、自身の豊満な胸を見せつけるように露出させた! 髪に手櫛を通し、心なしか乱れさせると、意図的に息を弾ませてから、扉を開ける。
「ハァイ」
「や、どうも。イヴァン憲兵団憲兵官吏、ドモンと申し……どうしたんですかその格好は」
憲兵官吏の白いジャケットは、月明かりの中だと少し目立つ。シシリアはさも『中で何かしていた』風に装うと、これまたわざとらしく胸元を掻き抱き、隠す。
「あの、外で話しませんか? 中は少し……」
彼女はそう消え入るようにつぶやくと、おお、目元に涙まで浮かべて見せたではないか。なんたる演技力、これぞ諜報員として育成された彼女の真骨頂である!
「や、や、や。まあ、そうおっしゃるなら……仕方ありませんよねえ」
ドモンは鼻を伸ばしながらそう照れくさそうに言う。するりとシシリアが外へと出、扉が閉まる音が響く。その瞬間、キングは外から二人の後ろ姿を観察していた。本当に、ただの憲兵官吏か? キングは不安に駆られ、携帯電話を取り出すと、耳に当てた。
「俺だ。マリカ、うまく行きそうだ。全て君のおかげだ。娘は?」
キングはただただ、虚空に頷いている。ジェイクはとっさに、今がチャンスだと感じ、同じく囚われの身となったソニアへ、痛々しい身体を向けようとした。
「ソニアさん……すいません」
腫れ上がった頬に涙を流しながら、ジェイクは同じく座ったままのソニアに話しかけた。キングは電話に夢中で、こちらの声は聞こえていないようだ。しかし、ソニアは身体を身じろぎもさせぬ。キングはプロだ。ソニアまで動けば、気配でわかる。
「あいつはイカれてる。あんたは悪くねえ。俺を断罪人だと決めつけて、あんたの耳を……文句を言ってやろうと来たんだが、想像以上にイカれてたらしいな」
ソニアは額に脂汗を浮かべ、言った。いかにも『巻き込まれた男』のようだ。余裕の無いジェイクが信じるには、十分な演技であった。
「おい、貴様! しゃべるんじゃない!」
キングは怒り、剣を再びソニアの喉元につきつける! しかし、ソニアは冷静だった。ゆっくりと、コートの内ポケットに手を差し入れたのだ!
「貴様! いいか。ゆっくりと手を抜くんだ。もし武器を出してみろ……いますぐ殺す!」
ソニアは彼の言うとおりに、懐からキングの持つ物とよく似た携帯電話をゆっくりと取り出し、見せた。驚愕に目を丸めるキング。それもそのはずだ。彼はおそらく、皇帝以外にこれを持っている人間など、見たことが無いはずだ。
「これは、あんたの持ってるやつと形は違うが、同じもんだ。……俺は、手先が器用でな。どうだ、部屋の外にランプがあった。あれがあれば、それを直してやれるかも」
「……本当か。娘や、マリカと喋れるか。皇帝とも」
キングは、恐る恐るそう確認した。ソニアは力強く頷いた。もし本当なら、彼にとってどれだけ喜ばしいことだろう? キングは慌てて部屋の外へ飛び出す!
「動くなよ、ジェイク。どれだけ時間を稼げるか分からねえ」
弱々しく頷く彼を尻目に、ソニアはキングを追う。彼は、壁にかかっていたランプを、必死に外そうとしていた。娘と話せる。マリカとも。皇帝とも。その事実は、果てしない孤独の中にいた彼を、狂気に駆り立てるに等しい事実だったのだ。
「キングさん」
ソニアはコートのポケットの中で、カミソリと銃に触れていた。チャンスは、一度きり。どちらを選んでも、二度目はない!
「どうした! このランプを外して……クソッ! なぜ外れないんだ!」
なおも壁から離れないランプと格闘するキング。直後、銃声! ソニアはまだコートから銃を抜いていない。ドモンやイオ、フィリュネも違う。なら、シシリアが銃を撃った。好都合だ! ソニアは広場へと向かおうとするキングの背中に銃口を向ける! 彼は気配を察し、怒りのまま剣を横薙ぎに払った! 壁を打つ鉄剣! ソニアの銃からは硝煙が漏れ、キングはその場に苦悶の表情を浮かべたまま、事切れていた。
数分遡って、孤児院の広場にて。
「憲兵官吏の旦那」
シシリアは、門の側でしっとりとドモンに呼びかけた。彼は振り向いたが、表情は見えなかった。いつの間にか、満月に雲がかかり始め、ドモンの表情は見えなくなっていた。
「何でしょう」
「このまま、帰ってもらえませんか? 憲兵団に届け出ている取材は、もう少しかかりそうなんです」
ドモンは腕組みをしながら、少し考える素振りを見せた。彼女に背中を向け、腕組みから飛び出した左手がちょいちょいと手招きしている。おそらくは、賄賂を寄越せと無言の内に言っているのだろう。
「お金だけで足りないなら……私に出来る事なら、なんでも致しますわ」
シシリアはなまめかしくそう言った。ドモンは振り向かなかった。その瞬間、シシリアは彼から何かを感じ取った。筋肉の動き。こわばり。死の気配。殺しの意志を!
「じゃあ……死んでもらいましょうか!」
ドモンは振り向きざま剣を抜く! 振り下ろされた切っ先わずか数ミリ先を、シシリアは避けた! 数本彼女の美しい髪がはらりと切り裂かれる! 彼女が銃を抜こうと、懐に手を差し入れた瞬間! ドモンの横一閃が彼女の胸の数ミリ前をまたも通過! シシリアがもし、筋肉の動きからドモンの殺意を汲み取れなかったら、一撃で斬り殺されていただろう! 彼女が少しだけ安堵の笑みを浮かべ、銃を抜き、何故か棒立ちとなったドモンに銃口を向けたその時! 何も無い広場の中央にいたはずの彼女の身体が、何かにぶつかった!
「はいご苦労様」
別の男の声。首の後ろに激痛! 同時に、彼女は地面に向かって銃を放った! 顎に誰かの指が回り、強制的に後ろを向けさせられる。栗色のウェーブかかった髪の男が、残忍な笑みを浮かべており──おもむろに彼女へくちづけた。そして、イオが首の後ろに突き立てられたロザリオを抜いた瞬間、全ての力が彼女から抜け、シシリアは地面へと転がった。その彼女の身体に、ドモンは間髪いれず剣を突き立てる!
「最後に女を感じられて、得したろ?」
軽薄な神父の問いに、シシリアからの返事は既に無かった。直後、孤児院から柱時計が虚しく鳴り響いた。12時を迎え、柱時計はそれ以上の役割を終えたのだった。
翌日。ジェイクと、うまく生き残ったソニアの二人は、折り重なりようにして死んだ二人の男女の死体を発見した。一人は、かつての英雄、キング・J・バウアード。もう一人は、シシリア・ブラックモアという女であることが分かった。キングは剣を握っていたが、銃で撃たれ即死。シシリアは剣で腹を刺し貫かれており、銃を握ったままだった。
シシリアの服がはだけていたことから、憲兵団は――ジェイクとソニアの証言もあったこともあり――キングという男が完全におかしくなっていたことを理由に、キングが彼女を強姦しようと襲ったところを、もみ合いになり死亡したものと結論づけた。
生きていた英雄は、完全に死んだ。そして、彼が英雄だった過去すら、不名誉から完全に失われたのだった。そして、シシリアの懐に血で染まりきった文書が出てきたが、もはや赤黒い羊皮紙と化しており、そのまま捨てられてしまった。もちろん誰もが、その文書が何だったのか、分からなかった。
「お兄様、いいものですわね! 私、こんなに楽しい二次会は初めてです!」
ドモンの妹、セリカは二次会をエンジョイしていた。喫茶やすらぎは、ジェイクとその夫(やすらぎ出身の、青髭がチャーミングな男だ)の結婚式の打ち上げ会場として、恐ろしく高機能に役割を果たしていた。なにせ、全員元こうした酒の席の盛り上げを仕事にしていた者達だ。酒はあまり強くないドモンですら楽しいと思わせるほどである。ソニアにフィリュネ、イオも酒瓶を持って、痛々しい姿のジェイクの肩を構わず叩きながら、どんちゃん騒ぎを繰り返していた。
「や、全く。ああ、マリアベルさん! いやあ、いい結婚式でしたねえ!」
オーナーのマリアベルは、酒で少しだけ上気した頬に手のひらをあて、しずしずとドモンの隣に座った。どことなく、なまめかしい気すらする。
「……お兄様、私飲み物を取ってまいりますわ」
何を察したのやら、さり気なく立ち上がるセリカ。呼び止める暇もなく、ソファー席のテーブルには、マリアベルとドモンの二人が残された。
「ドモン様、色々ありがとうございました」
「や、何を。大事な友人の頼みです。当然のことじゃありませんか」
マリアベルは銀色の瞳で上目にドモンを見る。相変わらず、男だと言われても分からぬ。ただでさえ彼は、ドモンに命を救われた事を、感謝しているのだ。
「そ、それで……ドモン様。こうして男同士の結婚式に尽力していただいたわけですし」
「はあ」
「それに、なにより酒の席です。一夜限りの戯れとのことで……私達も禁断の花園に足を突っ込んでみませんか」
「や、それはちょっと、酔った勢いとはいえ強引では……」
マリアベルは強引にドモンににじり寄る。目は座っており、とても正気とは思われぬ。いや、彼のことだ。もしかしなくとも本気かもしれない! じりじりとにじり寄るマリアベルの身体が、酒が回ってきたせいか巨大にすら見える!
「や、マリアベルさん! よくありません! よくありませんから! ちょっと! なんでみんなそんな……よくありません!」
ドモンは誰も助けてくれぬ事を、自身に集中している視線で感じ取り、マリアベルの身体をするりと抜け、ドアベルを激しくかき鳴らしながら闇夜へ飛び出していく!
「ドモン様! 明日になればいつもどおりですから! 私は気にしませんから!」
同じくドアベルを激しくかき鳴らし、猛烈な勢いで追いかけていくマリアベル! 遠のいていく兄とそのファンの後ろ姿を見つめながら、セリカは一人嘆息するのであった。
「またお兄様の秘密の花園……一歩遠のいてしまいましたわ」
恩讐不要 完




