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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
良薬不要
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良薬不要(Bパート)





「二つ下さい」

「あいよ。運がいいな、お嬢ちゃんたち。今日はこれでカンバンだ」

 黒いコートの男が、フードを被った少女と共にパンを買っていた。フィリュネとソニアの二人である。ソニアは先日と違って、髭をきれいに剃っていた。先日の金貨十枚は、彼らにとって大きな収入となった。ヘイヴンの側の治安が悪い区域ではあるが、小さな部屋を借りることができたのである。

「良かったですね、ラッキーです」

「そうだな」

「わたし、もう少しお金を作ることができれば、ヘイヴンにお店を出しますよ。……そしたら、あんな真似しなくていいですよね」

 フィリュネの表情が曇る。二人にとって、殺しは初めてではない。ソニアは長い間それを生業にしていたし、フィリュネもこの五年の間、命を狙われる旅の中で、何度か殺しを経験している。だが、いずれにしろ気分のいいものではない。

「何を売るんだ」

「そうですね。私、おばあちゃんからアクセサリーの作り方教わってるんです。売れるかどうかわからないですけど」

 フィリュネは若い。ソニアにとっては、妹のようなものだ。できることなら、あのような殺しはさせたくないが、せざるを得ない。背景を持たないソニアもフィリュネも、それ以外に生活の糧を持たないのだ。

「俺は店番ってところかね」

「そういうことです……あれ」

 二人が見たものは、ドモンだった。いつものようにサボっていることがまるわかりのようなゆったりとした歩みではなく、ジャケットがはためくほどの駆け足で、ヘイヴン中の店という店を、をキョロキョロ見回しているのである。

「あの旦那、どうしたんだ」

「さあ……慌ててるみたいですけど」

 こちらを視界に入れたのか、猛烈な勢いでこちらに走ってくると、ドモンは二人に掴みかからん勢いでまくし立てた。

「や、や、二人共! なんとまあいいところに! 特にフィリュネさん、あなたに是非頼みたいことが! 可及的速やかにです!」

「憲兵の旦那、頼み事はいいとして何をそんなに慌ててるんだ」

「いやその……大した話では無いんですが。そうだ、お二人とも! 甘いものを食べに行きましょう! いいケーキ屋があるんです、是非そうしましょう!」




 喫茶店に入ったフィリュネはケーキを四切れに、ミルクティーを二杯飲んだ。高い買い物であるが、ドモンには他に道は残されていなかったのだ。わずかな可能性にすがりつくほかない。

「『秘薬』ですかあ。任せてください。ヘイブンの地理は慣れましたからね! 二日もあれば、大丈夫です!」

 大きな胸を張ると、フィリュネは誇らしげに答えた。面白くなさそうな顔をしているのは、ソニアだ。サングラスで目は隠れているが、明らかに不機嫌になっているのは、鈍いドモンでも分かる。

「なんです、そんなふてくされて」

「別に。人を随分都合のいい使い方をするもんだと思ってね」

「まるで、あんたは『人を都合よく使ったことがない』とでもいいたげですね」

「笑えない冗談だ。ただ、歳を食うと自分のことを棚に上げたくなるものなのさ」

 ドモンはいつもの『仮面』を思わず崩しそうになったが、かろうじてそれを阻止した。いちいち癇に障る男だが、今喧嘩しても何の特にもならない。

「やっぱり、あんたは信用できませんね」

「仕事に信頼が必要か?」

「いえ。カネさえあれば問題ありませんね。個人的なお付き合いは御免被りたいものですが。……フィリュネさん、後はおねがいしますよ」

 フィリュネは、五切れ目のシフォンケーキを頬張っていた。ドモンの少ない小遣いは、それと同時に底を付いた。恐らく、これからまた別に金も要る。断罪の依頼でも入らねば、財布事情は火の車だ。だからといって、秘薬が手に入らねば、平穏な生活は無くなってしまうのだ。ヘタをすれば実家から追い出されかねない。なんとかしなければ。






 ヘイブン内の薬問屋『マクベス商会』は、薬問屋ギルドでも一・二を争う大きさを誇っている。マクベス商会の主人、ベック・マクベスは、帝国成立前から、皇帝死去までの激動の時代を乗り越え、一代で財を為した男である。事業は順調。帝国行政府からも、一目置かれている。だが、そんな彼も一つ大きな悩みを抱えていた。

「旦那様」

 商会の経理を務めるエミールが、青ざめた顔で小さな紙を差し出す。そう、また届いたのだ。

「……中身は同じだね、エミール」

「旦那様、どうしましょう。ここのところ毎日でございますよ。しかも、今日は『これ以上は待てない、娘さんや奥さんにもよろしく』とあります」

 始めは大したことは無かった。イヴァンをにぎわす秘薬を取り扱っており、それを置いて欲しい、という丁寧な文章だった。それ自体は簡単なことだが、薬はひとつ間違えば、人体に取り返しの付かない影響を与えるものだ。そう簡単に店におけるものか、しっかりと見定めなくてはならない。マクベス商会の信用にも関わるのだ。差出人もない手紙であったこともあり、ベックはそのまま忘れてしまった。

 次の日も、その次の日も手紙は届いた。丁寧な手紙はやがて脅迫めいた乱暴な文章に代わり、命の危険まで匂わすようになったのだ。

「奥様やお嬢様には、お話されたのですか。これは脅迫でございますよ」

「わかっているよ」

「旦那様。憲兵団に申し出ましょう」

 エミールの言葉も最もだった。だが、マクベス商会はあまりにも大きくなりすぎた。憲兵団の世話になることがあっては、マクベス商会自体の信頼にヒビが入ってしまうかもしれない。

「ごめんください」

 店内に、一人の男が入ってきた。一見、小奇麗な商人風の男である。しかし、ベックには男が浮かべている張り付いた笑みが、どうにも作り物のようにしか見えなかった。

「これはこれは。どちら様でございましょう」

「わたしは、東のエルレルトから参った旅の薬売りです。実は、巷で話題の秘薬を売りに……」

「ひ、秘薬ですと?」

 男は唇を邪悪に歪ませると、話を続けた。

「なんでも、こちらであれば秘薬をいくらでも買ってくださると聞きまして」

 ベックは確信した。脅迫者本人かどうかは分からないにしろ、とうとう相手は実力行使に出たのだ。その尖兵が、この男というわけだ。

「どなたからそのような話を……手前共が扱うのは、行政府の薬学研究所で認められた薬だけです。どれほど効くのかは分かりませんが、『秘薬』は薬学研究所では認められていないはず」

「これからそうなりますとも。で、買ってくれるのですか。くれないのですか」

 男は少し不機嫌そうな表情に変化させると、薬箱を取り出し、広げた。秘薬らしき紫色の液体が小瓶に詰まっており、ずらりと箱のなかに並んでいる。

「旦那様は疲れておられるのです。申し訳ありませんが、本日はお引取りを……」

「ほほー、そうですか。そういうことでしたら結構です……しかし、ご主人。わたしは今のうちに言うことを聞いておくべきだと思いますがねえ」

 捨て台詞を吐くと男はゆっくりと薬箱をしまい、玄関口に立てかけてある「なんでも効く秘薬」のノボリを掴むと、大股で店を出て行く。エミールは、その後姿に不吉なものを感じ、身体を震わせた。




 ドモンは憲兵団本部に戻り、一息吐いていた。イヴァンのことわざに、『やることをやったら寝ていろ』というものがある。ドモンの好きなことわざだ。自分のデスクで惰眠を貪らんと、早速枕を取り出し机の上に置く。

「おいおい、やめろよドモン。そりゃ夜勤の時の仮眠用だろう」

 入眠寸前で茶々を入れてきたのは、同僚のサイだった。真面目で好印象な青年で、ドモンとは対極にいる憲兵官吏である。

「今まさに仮眠の必要があるんですよ。マジメに働いているんですから。それに、今日は筆頭官吏のガイモン様も出張で不在でしょう。思う存分、昼寝に精を出すことができるってもんです」

「誰が不在だ、ドモン」

 厳かな声な中に静かな怒りを秘めた声が、ドモンの鼓膜を揺らす。普段の彼からは想像もつかないスピードで枕をしまうと、一瞬で跳ね上がった。

「やッ! そ、そのう……お早いお帰りで……?」

 ゆっくりと振り向くと、鬼のような赤ら顔を怒りでさらに歪めた、髭面の大男がドモンを見下ろしていた。

「バカモン! 貴様何をたるんでおるか!」

 ドモンはあまりの声量に思わずたじろぐ。憲兵団一の堅物であり、憲兵官吏の統率を担当している『筆頭官吏』がこのガイモンである。ドモンたち平官吏は愚か、イヴァンの悪人も「ガイモンが来る」というだけで逃げ出すと噂されている。

「そのようなことで、皇帝ご不在のイヴァンを守りきれるのか!」

「や、そのう……いえ、す、すみませんでした……小官がたるんでおりましたです、はい」

 ぺこぺこと頭を下げるドモンだったが、その光景をすっかり見慣れてしまっているガイモンには、全く効力が無いようだった。

「貴様……いい加減にしろよ、ドモン。二ヶ月後には給与査定がある。お前のようなタダ飯喰らいをこれ以上のさばらせておく気は無いからな!」

「や、や、それは勘弁して下さい、ガイモン様。小官には行き遅れになりそうな妹を養わなくては……」

「ならさっさと見回りに行ってこんか! バカモン!」

 再び雷が落ちる。ドモンはとうとう観念したのか、立てかけていた長剣をひっつかむと、慌ただしく帰ってきたばかりの本部を後にするのだった。


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