呪術師の羽
その後、私はあらゆる病院の門を叩き、名医がいると聞けばどれほど遠くとも足を運んだが、いっこうにベルの音が止む気配はなかった。
それどころか日増しに大きくなるばかりで、しかもベルだと思っていた音は次第に虫の声のようになってきた。
リーリーリーリー・・・
リーリーリーリー・・・
リーリーリーリー・・・
神経が逆撫でされる耳障りな声が、起きているあいだじゅう聞こえ続けるため一時も心が休まることがなく、私は次第に酒を多飲するようになった。
そして事業は信頼できる友人にゆだね、私は屋敷の部屋を完全防音にすべく壁や窓をしっくいで塗り固め、部屋には音が鳴りそうなものはいっさい置かないようにした。
生活に必要な食事や着替えはメイドにまかせ、虫の声を振り払うため部屋に閉じこもって酒をあおる毎日の私に嫌気がさした妻は、子供を連れて出て行った。
両親とは早くに死に別れていた私は天涯孤独の身となったが、どこかで噂を聞きつけたのだろう、これまで蓄えた金を狙って得体の知れない連中が数多く集まってくるようになった。
うさん臭いとは承知していたが、「虫の声を治す方法を知っている」と言われればワラにもすがる思いで祈祷させたが、治まる気配は微塵もない。
もうこれは治らないものと諦めかけていたところへ、呪術師だと名乗る男がやってきた。
いい加減うんざりしたが、万が一と思い客間へ通すよう伝えると、黒く汚らしいマントを頭からすっぽりと被った年齢も表情も分からない男がいて、やってきた私をひと目見るなり「ディクゼ・セグフ!」と叫んだ。
「なんと言った?」
尋ねると男は「王の威光を取り戻すものだ」と答えた。
「南の異国の地で冒涜をおかしたことは?」
「そんな覚えはない。私は貿易商だ。取引相手がそんなことをしたかも知れないが、私が直接手を下したわけではない」
「ならば南の地から持ち込まれたものはあるか?」
それならあの椅子しか思い当たるものはない。半信半疑だったが、男を私の部屋へ連れてきて椅子を見せた。
「間違いない。ディクゼ・セグフは代々王に仕える最強の呪術師の遣いだ。虫の囁きをもって標的と定めた者を裁く。
解くためにはこの椅子を王家へ返し、ディクゼ・セグフの術を取り消すか、アゼヒム・セグフの玉羽を手に入れるしかないが・・・」
男は言葉を止め、失望の表情を私に向ける。
「椅子に刻まれた紋章の王は、お前たち白きものたちによって滅ぼされてしまった。ここにこの椅子があるのが、何よりの証拠だ」
「ならばアゼヒムなんとかの玉羽を手に入れればいいのだろう。すぐに手に入れろ」
だが男はマントの下で首を振る。
「アゼヒム・セグフの玉羽はとても貴重なもの。おいそれと手に入らない。仮に手に入れたとしても、相応の報いを受ける恐れがある」
「報いなど今さら恐れるに足らん。この声が消えるなら望むだけ金をやろう。好きな金額を言ってみろ」
しばらく黙っていた男が口にした金額は、さすがの私でも躊躇するほどのものだったが、この声が止めば私が陣頭に立って稼ぐことができ、十分取り戻すことができる。
男の言うとおりの金と契約書を用意し、サインを書かせて手渡した。
「3か月はかかる」そう言い残して出発した男だったが、約束の3か月を過ぎても何の音沙汰もなく、4か月、5か月たっても男は帰って来なかった。
——かつて、秦の始皇帝が不老不死を得るため、徐福という者に蓬莱国の仙人を連れて来るよう命じ莫大な財宝と従者を与えて出発させたが、徐福はそのまま財産と従者を我がものにして二度と戻ることはなかった——
私はやはりあの男にだまされたのだ。
悔しさと、虫の声のいら立たしさから酒に溺れる日々が続いたが、虫の声はますます大きくなるばかりで、もはや酩酊の中さえも侵入し、いっときも心が休まることがなくなった。
そんな時、あの呪術師が帰ってきたらしいとの知らせを受けた。
すぐに人を使って探し出し、ここへ連れてくるよう命じると、ほどなくして奴は私の前に現れた。
捕らえた者の話では、奴は逃げる素振りもなく逆に私に会いたがっていたという。
「なぜ逃げた?」
私が訊ねると、男は懐に手を入れて見たこともない美しい羽を差し出した。
「これがアゼヒム・セグフの玉羽だ。見つけるのと手に入れるのにずいぶんと手間取ってしまっただけで、逃げたのではない」
「ううむ。だがこれをどうやって使えばいい?」
「まぶたにかざし、鳴いているものを見つけて追い払えばいい。それができなければ・・・」
男は言葉を止め、マントの下にかすかに見える口もとをニヤリと歪ませる。
「相応の報いを受けるだろう」
「今さら何を恐れるものがある。見つけて追い払えばいいだけなのだろう」
私は羽をまぶたにかざした。