ニセモノ聖女は死んでしまったようですよ?
「異なる世界から本物の聖女の召喚に成功しました。ですので、あなたの役目はもう終わりです」
大神官からそんな言葉をかけられたのは、朝の祈祷を終えてすぐのことだった。
にこやかな笑みを浮かべる初老の大神官は、昔からちっとも変わっていない。
七歳のある日、ジゼルの腕に奇妙な紋章が現れた。
それによりジゼルは神殿に迎え入れられることになったのだけれど、その時も同じような顔をしていた。
温かさとも冷たさとも無縁な、どこか高みから見下ろすような笑み。
「聖女の代わりの務め、いままでご苦労様でした。あなたの生家にはもうすでに連絡を入れてあります。一週間以内には迎えに来られるでしょう」
「家に、帰れるのですか?」
「ええ。あなたはもう聖女ではありませんので、神殿で暮らすことはできませんから」
穏やかながらも明らかな拒絶に、ジゼルは目をぱちくりとさせて、それから内心歓喜した。
(やっと、家に帰れるわ!)
ジゼルが暮らすこの国――サンサクレ王国には、古来より言い伝えがあった。
異なる世界から現れた聖女により、王国は平和になる。
実際百年に一度、異なる世界からやってきた少女が、この国に平和をもたらした歴史がある。
そして、ジゼルの腕に紋章が現れたのは、その百年の節目のことだった。
ジゼルはこの国で生まれ育っていて、異なる世界の住人ではない。現れた紋章も言い伝えとは違っている。
神殿はそれを知っていながらも、本物の聖女がやってくるまでの間、ジゼルを聖女に仕立て上げたのだ。
それを知っているのは神殿と王家、それからジゼルの両親のみ。
ジゼルは七歳の頃から、ずっと神殿で暮らしていた。
聖女の務めは朝の祈祷と、それから信者たちの懺悔を聞いたり、各地を巡礼したりと多岐に渡る。基本的に夜以外休むことができない生活だ。
それから解放されるのが、何よりも喜ばしかった。
異なる世界からやってきた少女とは、一度だけ顔を会わせる機会があった。
彼女はジゼルにも笑顔で挨拶をしてくれた。
異世界にやってきた当初は不安に思うこともあったらしいけれど、せっかく自分を必要としてくれるところに来たのだから、自分の力を国のために使いたいと言っていた。
十年ほど聖女の業務を代行していたジゼルですらそんな気持ちになったことはない。異なる世界の異なる国のために自分の身を犠牲にできるなんて、とても純粋な少女なのだな、とジゼルは思った。
本物の聖女だということもあり、ジゼルには一人しか付けられなかった聖騎士の護衛が、三人ほどつけられていた。
ジゼルの護衛の聖騎士はそんな彼らを不満そうに見ていたけれど、ジゼル自身は役目から解放されてすっかり安心してしまっていた。
神殿の外に出たら何をしようか。そんなことを考えるのが楽しかった。
婚約者の王太子は、本物の聖女が現れるとぱったりと会いに来なくなった。
婚約もいずれ解消されて、本物の聖女が彼の婚約者になるのだろう。
もともと仮の婚約で、王太子は会うたびに文句を言うか自慢話しかしてこなかったので、ジゼルにとってはむしろ清々しい気分だ。
そう、思っていたというのに。
両親が迎えに来る前日、なぜかジゼルは神殿の地下牢に入れられていた。
「ジゼル・アンスリュー。貴様は、聖女を騙ったばかりでは飽き足らず、本物の聖女であるリサを毒殺しようとしたそうだな?」
鉄格子の向こうにいるのは、婚約者の王太子――ガストンだ。
「そんな目で見るな。貴様との婚約はとっくに解消されている。つまり貴様は他人であり、いまでは罪人だ。慈悲を施す相手ではない。――質問だ。どうして、リサに毒を盛った」
「わ、私は、毒なんて盛っていません!」
「嘘を吐くな。貴様の部屋からリサに盛られた毒と同じ成分の入った瓶が見つかったのだ。貴様が毒を盛るように使用人に指示をしたことも調べがついている。いまさら、申し開きを聞くまでもなかったな!」
ガストンの瞳には憎悪が宿っている。
仮にも、本物の聖女が現れるまでは、婚約していた間柄だったというのに。
(いいえ、この男は元から私のことを嫌っていたわ)
ガストンは、ジゼルが本物の聖女でないことを知っている数少ない人間の一人だ。
だから彼はジゼルにはいつもぞんざいな態度で接していた。「貴様の良いところはおとなしく従順なところぐらいだな」と、そう言って髪を触ってくるのに怖気が振るったぐらいだ。
「貴様の罪は明らかだ。すぐに沙汰が下るだろう」
ジゼルの反論を聞くこともなく、ガストンは忌々しいとばかりににらみつけてから、地下牢から出て行った。
(私は毒を盛ったりなんてしてないのに)
ジゼルには、常に監視と護衛の名目で聖騎士がつけられている。
寝所までは入ってこられないが、代わりに言葉を話すことができない使用人が身の回りの世話をしてくれていた。
監視の目を潜ってまで毒を用意することができないことは、神殿にいる人物ならほとんどの人が知っていることだろう。
(でも、ガストンの顔は真剣だったわ)
いくらガストンでも、根拠もないのにジゼルを犯人扱いはしないだろう。
つまり、誰かが裏で糸を引いている可能性がある。
(誰かしら。――神殿の関係者?)
ジゼルのその考えは正しかった。
「まさか、本物の聖女に偽物であるあなたが毒を盛るだなんて。あなたにはがっかりですよ」
地下牢に現れた大神官は、いつもと同じ笑みを浮かべてそう言った。
「私は毒を盛っていません」
せめてもの抵抗としてそう訴えるが、大神官は取り合ってくれなかった。
「いいえ、あなたは本物の聖女に自分の地位が奪われることに嫉妬して、毒を盛ったのです。毒があなたの寝所から出てきたことも調べがついています。あなたのお付きの使用人もそう白状しましたよ」
すべてでたらめなのに、もうそういう筋書きができてしまっていることに、ジゼルは気づいた。
きっと、大神官は元からそのつもりだったのだろう。
ジゼルは神殿の秘密を知る人間の一人だ。
その存在が生きていたら、いつか神殿の権威を脅かすかもしれない。
だから濡れ衣を着せられた。
必要なときは聖女として祭り上げて、不要になったら捨てる。
ジゼルは、そのためだけに神殿に迎え入れられたのだ。
(いまになって気づいても遅すぎるわ)
聖女を騙るだけでも重罪だ。それに加えて、聖女を毒殺しようとした疑いまでかけられたら、極刑は免れないだろう。
(私は、ただ家に帰りたかっただけなのに)
脳裏に浮かぶのは、聖女になる前に家族たちと過ごした、平凡な日常。
いつかあの頃に戻りたいと、ずっと願っていた。
(でも、それはもう叶わないのね)
七歳で聖女になってから、もう十一年は経っている。
その間に多くのことが変わってしまった。
ジゼルが聖女になって、それまで平凡な商家だったアンスリュー家は一代限りの男爵位を叙爵された。
それをいいことに、アンスリュー男爵夫妻は娘の地位を利用して、王都の一等地に豪邸を建てて、豪遊三昧をしているという噂は、ジゼルの耳にも届いている。
「ジゼルさん。あなたは火刑に処されることになりました。その後押しをしたのが誰なのか、知りたくありませんか?」
「…………」
「あなたのご両親ですよ。どうやら男爵夫妻は、いまの地位を失いたくないあまり、あなたを切り捨てることにしたそうです」
はっと息を呑む。
目を見張るジゼルに、老齢の大神官はいつもよりも笑みを深めて言った。
「あなたの帰る家は、もうないんですよ」
「…………」
あまりのことに言葉を失ったジゼルを、大神官は満足そうに見つめた。
これでジゼルの心は壊れたのだと、確信したのだろう。
「処刑は三日後の朝です。少ない余生が価値あるものになりますように」
それっきり、大神官はジゼルのもとに現れなかった。
翌日、両親が地下牢にやってきた。
鉄格子の向こうにいる両親は、もう昔とは全然違っている。
あの頃は裕福とは言えなかったが、ジゼルは家族と幸せな日々を送っていた。
ジゼルの腕に紋章が現れてすぐ、母はこう言ってくれた。
『あなたは、私の大切な娘よ。それはいままでも、これからも変わらないこと。それだけは、しっかりと胸にとどめておいて』
その目は真剣で、ジゼルはその言葉を胸に神殿での責務に勤しんでいた。
ジゼルが神殿に入ってから、両親は一度も会いに来たことはない。
変な噂が耳に届いても、きっと両親は自分を待っていてくれるはずだと、そう信じていた。
鉄格子の向こうにいる両親は、冷たい瞳をしている。
二人とも一見してわかるほど豪勢な装いで、ジゼルと目が合うと盛大なため息を吐いた。
「せっかく素晴らしい地位を手に入れていたのに、毒殺を企むなんて哀れな娘ね」
「ああ。これまでの苦労が台無しだ」
「ジゼル。私とあなたは、もう別々の人生を歩んでいるの。我が家に迷惑をかけた娘なんて、もう必要ないのよ」
その目を見て確信した。
ジゼルを大切な娘だと言っていた母は、目の前にはいない。
厚化粧をして見下す女と、肥った男。
音を立てて扇子を閉じると、女は言った。
「あなたは、最期まで務めを果たせばそれでいいのよ」
「もう、僕たちとは無関係だと、それさえわかってくれればそれでいいぞ」
何も言い返せないジゼルは、震える手を地面につき、俯くようにうなずいた。
アンスリュー家は、男爵家になったいまも変わらずに商売を続けているという。その手は隣国まで伸びていて、ジゼルの弟は隣国の貴族学園に入学していると耳にしたことがある。
いまとなっては、偽物の聖女である娘は不要なのだろう。
(それなら私は、死ぬしかないのね)
両親が地下牢から出て行った翌日。つまり、処刑前日の夜。
聖騎士の格好をした男が、人知れず地下牢にやってきた。
フェルナン・マショーラム。
肩下ぐらいまである黒い髪をひとつに結び、優し気な新緑の瞳をした男だ。
彼の生家はこの国――サンサクレ王国ではなく、隣国だと前に話していたことがある。
フェルナンは故郷を離れて、この国の聖騎士になったと言っていた。理由は深くは語らなかったけれど、いつもどこか寂しげな顔をしていた。
フェルナンはいつもジゼルに優しくしてくれた。
それなのに、いまはどこか冷たい瞳をしている。
「……どうして、オレを騙したのですか?」
ジゼルは答えられなかった。
フェルナンは冷たいながらも、まるで捨てられた子犬のような眼差しをしている。
「どうして、答えてくれないのですか? あなたは、明日処刑されるんですよ」
「……ごめんなさい」
「…………そうですか。それが、あなたの答えなんですね。……まさかこういった形で裏切られるなんて、思いませんでした」
鉄格子に手をついたフェルナンの瞳から、涙がひとしずく零れる。
「オレはもう、あなたの護衛騎士のままではいられません。これからオレは、自らが主と定めた人のそばにいます。……ですので、偽物の聖女であるあなたとはここでお別れです」
フェルナンは唇を噛みしめると、もう見ていられないとばかりにジゼルに背を向けた。
「……せめて、煙で苦しまないように」
そう言い残すと、フェルナンは地下牢から出て行った。
一人残されたジゼルは、ほっと息を吐くようにして壁にもたれかかり、天井を見上げた。
(明日、私は処刑されるのね。それも火あぶりですって。……とても、苦しいでしょうね)
この国の民は、きっとジゼルに向かって石を投げるだろう。
聖女を騙っただけではなく、本物の聖女を殺そうとしたのだ。
本物の聖女――リサも、いくら優しい少女だからと言って、自分を殺そうとした相手にまで笑顔を向けてくるとは思えない。
そっと腕の紋章に触る。
聖女とは違うこの紋章のせいで、ジゼルは神殿に入ることになった。
いっそ呪わしいその紋章をギュッとつまみ、それからそっと離した。
(偽物の私は、もう死ぬしかないのね)
◆
偽物の聖女が死ぬ様を一目見ようと群集が駆けつけるなか、ジゼルは兵士に連行されて火刑台に上がった。
火刑台の柱に縄で括りつけられると、もう身動きすら取れなかった。
群集の怒号か聞こえる。
「偽物を早く殺せ!」
「聖女様を殺そうとしたなんて許さない!」
「いままで我らを騙していた偽物に報いを!」
散々な言われようだが、彼らを騙していたことだけは本当だった。
(こういう時も、空は綺麗なのね)
この空を見上げるのも最後だと思うと少しさびしい気持ちはするが、もうこの国でジゼルを許してくれる人なんて一人もいないだろう。
聖女の代わりとして神殿に勤めていた時は、慕ってくれた信徒や民たちも、いまでは怒りを向けてくるほどだ。
火刑台に処刑人が上がってくる。
その姿を見て、ジゼルは微笑んだ。
松明の炎を掲げて、処刑人が声をとどろかせる。
「ジゼル・アンスリューは、愚かにはも聖女を騙り民を騙すだけでは飽き足らず、本物の聖女を毒殺しようとした大罪人だ! これより刑を執行する!」
処刑人が松明をジゼルの足元に放った。
それにより炎がジゼルの足元に円を描くようにして包み込み、それから燃え上がった。
勢い良く燃え上がった炎は、ジゼルの全身を覆い隠す。
「どう、なっているんだ?」
見物人の声――いや、これは王太子の声だ。
「なんでこんなに火の勢いが強いんだ。これでは、すぐに処刑が終わってしまうではないか」
ガストンとしては、罪人であるジゼルが徐々に苦しんでいくところを見たかったのだろう。他の見物人もそうかもしれない。
だから炎の勢いが強くて困惑している。
炎は、まだまだまだまだ勢いづく。
火刑台も木でできているから、すぐに崩れ去り、その周囲一帯を覆い尽くした。
そこから飛び火したものが、近くの建物に引火して、さらに燃える。
さすがにこれには民衆も危機を感じたのだろう。
悲鳴を上げて逃げる、民衆の声が聞こえてくる。
その時、悲鳴を遮るようにどこからか大きな爆発音がした。
「王宮だ! 王宮が燃えているぞ!」
続いて、別の方角から爆音。
「神殿が燃えています。どうしましょう、大神官様!」
どうやらここだけではなく、王宮と神殿にまで火が燃え広がっているようだ。
さすがにそこまで飛び火はしないので、何かしら不測の事態が起きたのだろう。
周囲の喧騒を聞きながら、ジゼルはほくそ笑んだ。
(やっと、やっと自由になれるわ。もっと、火の勢いを上げないと)
全身を炎にあぶられてもなお、ジゼルは生存している。
炎はジゼルを焼くことはなく、肌にまとわりついてくる。
まるで懐くような動きに、ジゼルは微笑んだ。
(大神官も王太子も知らないのでしょうね)
ジゼルの腕に現れた紋章は、確かに聖女の証ではなかった。
それなら、この紋章はいったい何なのだろうか。
大神官は調べたらしいが、本質までは辿りつくことはなかった。
王太子は元からジゼルに興味がなく、知ろうとはしなかった。
(ああ、紋章が熱い。いまなら、なんでもできそうだわ!)
炎が周囲一帯を包み込んでいるから、もう誰もジゼルが生きているとは思っていないだろう。
偽物の聖女は死んだ。
王国からしたら紛れもない事実だ。
(まあ、私は炎では死なないのだけどね)
全身に炎の熱を感じながら、ジゼルは目を閉じる。
そして炎の熱を辿りながら、静かにその場から姿を消した。
再び目を開けると、そこは王都の外れにある森の中だった。
森の中に燃える焚き木の中から、ジゼルは足を踏み出した。
「抜けられたわ」
ジゼルの腕に現れた紋章。
それには炎を操る力がある。
炎があるところであればジゼルはどこにも移動することができたし、炎を介すれば遠くにいる人と会話をすることもできる。
「ジゼル!」
「お母様!」
炎から出ると、ジゼルに抱き着いてくる姿があった。
それは、すっかり厚化粧を落とした、母の姿だった。
厚化粧をしていた時は分からなかったけれど、泣き腫らしたように目の周りが赤く、それからずっと眠れていないのか隈までできている。
服装は華美な装いではなく、質素だった。
「ジゼル。無事でよかった」
「お父様も……!」
貴族生活により肥った体を揺らしながら近づいてきた父が、ジゼルを軽く抱擁する。
「家は、どうなったの?」
「よく燃えているよ。これで僕たちの痕跡もほとんど燃えただろう。きっとほとんどの人が、神の祟りか呪か何かで死んだと思っているはずだ。使用人たちもすでに暇を出して邸は空っぽだったから、誰も死んでいない」
地下牢では冷たい目をしていたけれど、いまは昔のように温かい瞳のままだ。
「神殿もおとなしくジゼルを返してくれていれば、こんなことしなくてもよかったのだがな」
「まさかジゼルを処刑しようとするなんてっ!」
「僕たちにできるのは、ただ火刑を勧めることだけだった。他の方法だと取り戻すことはできなかったかもしれない。……すまない、ジゼル。煙が苦しくなかったか?」
いたわるような父の言葉に、ジゼルはうなずく。
「炎が私を護ってくれたから、平気だったわ」
「私は気が気じゃなかったわ。いくら炎の守護がついていると言っても、失敗する可能性もあったのに」
「だが、これ以外方法がなかったんだ。それに君も知っているだろう。ジゼルの炎の能力は、常に私たちを繋いでくれていた。こんなところで裏切るわけがない」
「それも、そうよね」
母はまだ心配なのか、これまで十一年間会えなかった日々を埋めるように、ジゼルを抱擁し続けた。
そこに、また別の声がかけられた。
「せっかくの家族の再会に水を差してしまってすみませんが、そろそろ移動しませんか?」
母の腕が震えて、そっと離れていく。
その向こう側で静かに立っていたのは、聖騎士のフェルナンだった。
「フェルナン」
呼びかけると、フェルナンはびくっと震えて、それからそっぽを向いてしまった。
「あちらはもう準備ができているようです。早く移動しましょう」
そう言って、さっさとまだ燃えている焚き木に向かってしまう。
「待って、フェルナン!」
そのまま炎にぶつかれば、フェルナンは火傷するかもしれない。だからその腕を引っ張るようにして止めると、フェルナンが驚いた顔をした。
「……ジゼル様」
「フェルナン、あなた、まだ泣いているの?」
フェルナンの瞳にはまだ涙が溜まっていた。
「オレを、騙すからです」
「でも、私は無事よ?」
「いいえ。もしかしたら本当に死んでしまうかもしれなかったんですよ。……あの時、オレの手を取って逃げてくれていれば、もっと早くに王国から逃げ出せたのに」
「あの、ごめんね、フェルナン」
聖女が毒を飲んだという報せを聞いてすぐ、フェルナンはジゼルの元にやってきた。
そして、いますぐ逃げようと言ったが、ジゼルは首を振った。
『きっと無事だから、安心して』
あのまま逃げていても、王国は執拗にジゼルを追っただろう。
ジゼルは神殿の秘密を知る者だ。ほうっておくはずがない。家族にも危険が迫っていたかもしれない。
そのためにも、王国を欺いて逃げ出すための準備期間が必要だった。
ジゼルが捕まってすぐ、両親は動いてくれた。
地下牢で監視の目を潜りながら炎を介して三人とは会話をしていたが、ジゼルを大事にするあまりフェルナンが暴走する恐れがあったので、彼には本当のことは言っていなかった。
ジゼルが火刑されると聞いて、フェルナンは驚いただろう。
地下牢で、あんなことを言ったものそのせいなのかもしれない。
いまもまだ何か言いたげな瞳を潤ませて、まるで子供が不貞腐れたかのようにそっぽを向いてしまっている。
(拗ねているのね)
その頬に、そっと手を伸ばして触れた。
「フェルナン。いくら謝っても許してはもらえないかもしれないけれど……」
「いいえ、オレはもう許しています」
頬に伸ばした手を、それより大きな手が包み込んだ。
まるでいたわるようにジゼルの手を握り、それから自らの頬に手繰り寄せる。
「……ジゼル様がご無事でよかったです。でも、もうこんなつらい思いはさせません。これからはオレが……オレがずっとそばにいて守りますから。覚悟をしていてください」
ジゼルは目を大きく見開き、微笑んだ。
「楽しみにしているわ」
「えーと、オホン、オホン」
「フェルナンくん、ごめんさいね。娘が大事なのもわかるけど、まずは私たちがジゼルを甘やかさなきゃいけないから。あなたの出番は、まだあとになるわ」
「そうだ。ジゼルはまだ、嫁には出さないぞ」
「よ、嫁ですか!? ……そ、そうですね。ゆくゆくは……」
両親の言葉に、フェルナンが顔を赤くする。まんざらでもなさそうだ。
「では、そろそろ移動しましょう」
ここは王都の外れだけれど、まだ王国の敷地内だ。
時間はかかるが、火の手は王国全体を包み込むだろう。
それまでに王国から抜け出さなければいけない。
パチンと指を鳴らすと、四人の体を炎が包み込んだ。
焚き火の炎がさらに燃え上がり、これで四人をまとめて移動させることが可能になる。
「王国の皆さん。さようなら。私はもう、ここには帰ってこないわ」
ジゼルは言い残すと、炎に足を踏み入れた。
偽物聖女は、これで死んだことになった。
◇◆◇
サンサクレ王国全域を包み込んだ炎が鎮火されたのは、偽物聖女が火刑された一か月後のことだった。
不思議なことにその炎は、王宮と神殿、それからとある男爵家だけを燃やし尽くした。
それ以外のところも炎は上がったものの、実害はなかったと聞く。もちろん死人もいない。
誰も死ななかったが、王太子は自慢のプラチナブロンドが燃えてしまい、それ以来毛髪は戻ってこなかったそうだ。
そして大神官は――いままでの悪事が明るみになった。
神殿は燃えたものの、貴重な書類は残ったままだった。
その書類には、毒の入手経路が記載されており、それは王宮の掴んだ証拠とは違っていることが大問題となった。
毒を入手したのは大神官の腹心で、それを聖女に飲ませるよう手配したのは大神官本人だった。
その毒は一口だけなら致死量にはならないものだった。めまいや吐き気などはあるが、聖女には回復能力があることもあり、死にはしないだろうと大神官は思ったのだろう。
それから大神官がジゼルを聖女の代わりに神殿に迎え入れたことも報じられた。
その情報はとあるゴシップ紙に書かれていただけだが、国民の多くが信じた。
王国が炎に見舞われたのは、大神官が罪なき少女を罪人に仕立て上げて、処刑したせいだ。
そのせいで神が怒り、王国は災いに見舞われたのだと、国民は信じた。
燃え落ちた神殿には毎日多くの人が抗議のために殺到した。
これには国王も手を焼き、騒ぎを鎮めるために大神官を幽閉することになった。
疑惑は王族にも向けられて、このままだと民衆が発起して革命でも起こるんじゃないかと、もっぱらの噂だ。
王宮のないいま、王族の権威を表すことができるのはその血筋ぐらいだが、それですら危うい。
まだどうなるかわからないけれど、混乱している王国のことは、他国も放ってはおかないだろう。
そしてこれは噂だが、召喚された聖女は王国を見限って姿を消したらしい。
いくら心優しい少女とはいえ、さすがに国と心中するつもりはなかったのだろう。
偽物は死に、本物の聖女はいなくなり、王宮や神殿は燃え尽きてしまった。
王国自体が滅びるのも、時間の問題なのかもしれない。
◇
王国から脱出したジゼルたちがやってきたのは、隣国――フェルナンの故郷だった。
フェルナンは、隣国のマショーラム公爵家の三男だった。
三男のフェルナンには継承できる爵位はなく、騎士になった。それからとある任務のためにサンサクレ王国に潜入していた。
「その任務がまさか、帝国の救世主の末裔を探すことだったなんて」
帝国にはその昔、炎の神霊と契約をしてその身を焦がし、国を救った救世主がいたという。
救世主は早くに亡くなってしまったけれど、その子孫は代々帝国に生まれて、炎の力を宿しているという。
それが、ジゼルの腕に現れた紋章の正体だった。
どうしてジゼルの腕に紋章が現れたのかはわからないけれど、ジゼルは帝国を救った救世主の末裔であることには変わりがない。
「私はもう、聖女の真似事はいやよ」
「安心してください、ジゼル。帝国は王国とは違って、盲目的に救世主をあがめたりはしません。あくまでも、救世主とその子孫に恩を返すために、探していたにすぎないのです」
フェルナンはもうすっかり聖騎士の服は脱ぎ捨てていて、いまは皇室騎士団の制服を着ている。
「だから、こんなにも贅沢ができるのね」
帝国に来てから、ジゼルが生活に苦労することはなかった。
両親が用意していた邸の人たちはジゼルに優しくしてくれて、両親はジゼルを十一年の空白を埋めるように甘やかしてくれている。しばらくは嫁にも行かずに家にいてくれとも言われている。
ジゼルの両親は王国で死んだことになっている。だからもう男爵位はない、ただの平民だ。
それでも帝国にまで商売の手を伸ばしていたこともあり、蓄えはいくらでもあった。これから帝国でも新たな商売を始めるらしく、日々張り切っている。
弟も学園で上位の成績を残しているから、卒業したら両親と働く気まんまんだ。
長期休暇で帰ってきたときに、ジゼルに抱き着いてわんわん泣いていた時はまだ子供だと思ったけれど、別れたときは弟もまだ五歳だったので当たり前かもしれない。
そしてフェルナンは一緒には暮らしていないが、毎日のように邸にやってきている。
神殿で暮らしていたときとは比べ物にならないほど、ジゼルは幸せだった。
家族がいて、愛する人もいて、それから温かい食事がある。
これ以上の贅沢は、どこにもないだろう。
「ジゼル」
フェルナンに呼ばれると、彼の新緑の瞳がすぐそばにあった。
彼はもう、ジゼルのことを「様」とつけて呼ぶことはなくなった。
「もうあなたの護衛ではありませんが、これからもオレをそばに置いてくださいますか?」
フェルナンの瞳は揺れ動いていて、心の不安を表しているようだった。
ジゼルは安心させるように、その頬に手を伸ばす。
「もちろんよ。ずっと、そばにいてね」
取り戻した大切なものは、もう何も失わせたりしない。
もし同じようなことがあれば、いくらでも燃やし尽くすと、そう心に誓うジゼルだった。




