第9話
一之瀬ウェポンズ本社、最上階の重役会議室。
普段は威厳と活気に満ちているはずのその空間は、今、お通夜よりも重く、ひどく冷え切った空気に支配されていた。
部屋の奥に設置された巨大なプロジェクターに映し出されているのは、垂直に滝のごとく落下して底に張り付いたままピクリとも動かない、自社株のチャート画面。
そして、各部署の責任者たちから次々と読み上げられる、耳を疑うような報告の数々だった。
「株価は……放送事故直後のパニック売りにより、即座にストップ安。時価総額の数十パーセントが一瞬で吹き飛びました。市場からの信頼は完全に失墜しています」
「経理部からです。会社の先行きを危惧したメインバンクをはじめとする銀行団が、今後の新規融資の完全凍結、並びに既存の貸付金の早期回収を示唆してきました。口座の一部も既に制限がかけられています」
「法務部より報告。サクリ素材メーカーをはじめとする複数の関連企業から、『ブランドイメージの著しい毀損』を理由に、提携解除と莫大な違約金請求の通知が殺到しております」
「営業部です……ギルドや軍、一般の探索者から、すでに納品済みの武器に対する安全性の欠如を理由とした返品要求、及び新規発注の全面キャンセルが相次いでおり、窓口の電話はパンク状態です」
――たった数分。
あの生放送で、大哉が振るった大剣が大爆発を起こした数分で、大企業の屋台骨が完全にへし折られた。
ダンジョンに潜るというのは命を懸けることに等しいが、探索者は自殺志願者ではないのだ。
剣崎大哉ほどの『天才』であろうと、絶対の安全を求めるほどに。
その安全神話に、『一之瀬ウェポンズの武器は、安全に戦えない』という亀裂を入れた。
それはあまりにも、社会が免疫を持っていない劇薬なのである。
報告を行っていた役員が力なく口を閉ざす。
静まり返った会議室で、上座に座る初老の男――一之瀬ウェポンズの社長が、ゆっくりと目を開けた。
その氷のように冷酷な視線が、テーブルの端で青ざめて震えている男を射抜く。
「さて。新任の『開発部長』殿。何か、言いたいことはあるかね?」
名指しされた霧島康臣は、ビクッと肩を跳ねさせた。
エリート然とした彼の顔から血の気は完全に失せ、額からは滝のような冷や汗が流れ落ちている。
「しゃ、社長! 誤解です、聞いてください! あれはウチの剣の欠陥ではありません!」
「ほう?」
「映像を解析すればわかります! 剣崎大哉の鍔にセットされていたサクリ素材は、ミリオネアのマネージャーが予算をケチって用意した『偽装品』だったんです! ウチの最高傑作が悪いわけじゃない。すべては、あの子供たちの浅知恵とリテラシー不足が招いた自業自得の――」
ドンッ!!
社長がテーブルを拳で叩く重い音が、霧島の見苦しい弁明を物理的に遮った。
「……まさか子供のせいにして、すべて責任を押し付けて逃げられると思っていないだろうな?」
「ぇ……」
「素材が偽物だった? 子供が未熟だった? ……だからどうした。世間の投資家や顧客が、そんな言い訳の裏取りなど親切にしてくれると本気で思っているのか?」
一之瀬社長の声は低く、そして容赦なく霧島を切り刻んでいく。
「彼らの網膜に焼き付いたのは、『ウチの最高傑作を使い、天才の腕が吹き飛んだ映像』だ。そして事実として、お前は作戦直前に機材の最終確認を怠ったか、あるいは異常を知りながら強行した。違うか?」
「そ、それは……彼ほどの才能があれば、と……」
「貴様がミリオネアのギルドマスターや私を蚊帳の外に置き、自分とあのガキだけの功績にしようとスタンドプレーに走った結果がこれだ。野心を持つのは構わんが、自分の尻拭いもできない無能に開発部長の椅子は重すぎたようだな」
一切の逃げ道を塞がれ、霧島は口をパクパクと動かすことしかできない。
完璧だったはずの自己正当化のロジックは、現実の理不尽な暴力と、トップの冷徹な経営判断の前に、紙屑のように破り捨てられた。
霧島は今回、保身において、何もしていなかったに等しいのだ。
都合の悪い結果につながる要因は自分ではない。という工作を緻密に重ねることで、人は椅子にしがみつける。
それをサボった霧島の後がなくなるのは、ただの必然だ。
その時、血相を変えた秘書が会議室に駆け込んできた。
「社長! ミリオネアが緊急の記者会見を開きました! 現在、各局で生中継されています!」
「……モニターを繋げ」
プロジェクターの画面が、暴落する株価チャートから、無数のフラッシュが瞬く会見場へと切り替わる。
そこに映し出されたのは、顔面蒼白で深々と頭を下げるマネージャーの美澄涼花の姿。
そして、その隣でふてぶてしくパイプ椅子に座る男。
三年生で、ミリオネア・ラウンドのギルドマスター、倉間永利の姿だ。
涼花がこの世の終わりのような雰囲気なのに対して、倉間は自然体に等しい雰囲気を纏っている。
チャラそうな雰囲気のある男だが、フラッシュが絶えないこの記者会見の場でその様子が崩れないのは、『何かある』証拠だろう。
『――この度は、私の独断により、規定のランクに満たない白銀スチールを虹色に偽装し、作戦に使用してしまいました。すべては私の見栄と、交渉不足が原因です。本当に……申し訳ありませんでした……ッ!』
涼花が涙ながらに自白すると、会見場は一瞬のどよめきに包まれ、直後に待っていましたとばかりに記者たちが一斉に色めき立った。
他人の不幸と失態という極上の蜜に群がるハイエナのように、容赦のない罵声と質問の矢が放たれる。
『トップパーティーのマネージャーという虚栄心を満たすために、選手の命を危険に晒したんですか!?』
『ちが、違うんです! 大哉の才能なら、白銀でも耐えられるって……そう思って……』
『素人のあなたが勝手に判断した結果が、あの惨状ですか! 剣崎選手は何も知らされていなかった! 詐欺と業務上過失致傷で刑事告訴される覚悟はあるんですか!』
『ひっ、あぁ……うぅ……っ、ごめんなさい……ごめんなさい……っ!』
容赦なく浴びせられるフラッシュの海と、マイク越しに叩きつけられる糾弾の嵐。
「子供の浅知恵」が引き起こした現実の重さと、社会というシステムの恐ろしさに、涼花は顔を両手で覆い、ステージ上で泣き崩れた。
見栄もプライドも完全に粉砕され、彼女は自分が犯した罪の代償をたっぷりと味わわされることになった。
だが、特ダネの血の匂いに完全に酔いしれた記者たちの追及は、涼花への糾弾だけでは終わらなかった。
泣き崩れる涼花から、今度は「転落した天才」へと矛先を変える。
『剣崎選手自身にも責任があるのではないですか! 彼自身も自分の実力を過信し、偽物にすら気づかなかった!』
『天才と持て囃されていましたが、結局は高級な装備に頼り切っただけの「作られた虚像」だったということですよね!?』
『腕を吹き飛ばされて無様にも逃げ帰った剣崎選手は、もう再起不能ということでよろしいですね!?』
記者が完全に調子に乗り、涼花を越えて「大哉の尊厳」までも土足で蹂躙しようと、ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべてマイクを突きつけた、その瞬間だった。
――ゾッ。
モニター越しで、しかも安全な最上階の会議室にいるはずの一之瀬ウェポンズの役員たちが、一斉に背筋を凍らせた。
画面の向こう側から、息が詰まるほどの、底知れない『殺気』が放たれたのだ。
それは、最前線で幾多の死線を潜り抜けてきた、本物の探索者だけが持つ暴力の気配。
これまで涼花の糾弾を黙って見届けていた倉間から立ち昇る、濃密な死の予感に、会見場は水を打ったように静まり返った。
最前列で大哉を嘲笑っていた記者たちは、言葉を失い、恐怖のあまり文字通り腰を抜かして床にへたり込んでいる。
『……おいおい。人の名誉を土足で踏み荒らすなら、この程度の殺気で腰を抜かすなよ』
倉間はマイクを手に取ると、怯える記者たちを見下ろして、ひどく冷たく鼻で笑った。
『なんだ、経験豊富な記者が揃ってるって聞いてたけど……こんなもんか。チッ、拍子抜けだわ』
プライドを粉々に砕かれ、顔を真っ赤にしながらも恐怖で反論できない記者たち。
倉間はチャラい笑顔を取り戻すと、カメラに向かってウインクを投げてみせた。
『ま、涼花の偽装に関してのウチの不祥事はこれで全部だ。大哉の才能がデカすぎて、現場がテンパっちゃったって話。まぁ、話そうと思えば話せることはまだまだいくらでもあるが、名誉を尊重する義務を果たさないやつに、知る権利はないってことで』
倉間はそこで言葉を区切り、ニヤリと笑った。
『ウチの会見はこれでお開き! っつーことで……』
『あ、あの……』
『あ?』
記者の誰かが、震えながらも手を上げた。
『い、一之瀬ウェポンズに対しては、倉間ギルドマスターは、ど、どのように、お考えでしょうか……』
『……へぇ、腰は砕けても肝は据わってんな。次は腰も鍛えとけよ。んで、大哉の武器を作った会社に関してだな? そうだなぁ』
倉間は少し、考えた後。
『探索者たちを束ねるギルドマスターとしては、スチールの耐久限界を理解してねえのに、反動全振りの頑丈な武器を作った会社を擁護するわけにはいかねぇ。これでいいか?』
『は、はい。ありがとう、ございます』
『よし、そんじゃ会見は終わりだ。涼花。行くぞ』
『は、はい……』
――モニターを見ていた一之瀬ウェポンズの役員たちの顔が、さらに土気色に染まる。
倉間は完全に、記者たちのフラストレーションと怒りの矛先を、一之瀬ウェポンズへと誘導したのだ。
殺気で黙らされ、涼花を責めきれなかった記者たちは今、その行き場のない苛立ちをぶつける『次の獲物』に飢えきっている。
一之瀬社長は、ゆっくりと立ち上がり、足の震えが止まらない霧島を見下ろした。
「……見ただろう、霧島。あちらさんの会見は終わったぞ。次は、我が社の番だ」
「ひ、ひぃっ……! しゃ、社長、私は……!」
「懲戒解雇は会見の『後』だ。お前は今回の『装備開発責任者』として、今からあの飢えた記者たちの前に立ってこい」
それは、死刑宣告よりも残酷な命令だった。
殺気で場を制圧してくれるような人間は、ここにはいない。丸腰のまま、怒り狂うマスコミのフラッシュの海に、生贄として放り込まれるのだ。
「さぁ、行きなさい『開発部長』殿。お前のその見事な言い訳とやらで、会社の名誉を挽回してくるんだな」
社長の冷酷な言葉を背に受けながら、警備員に両脇を抱えられた霧島は、絶望の叫び声を上げながら重役会議室から引きずり出されていった。
この日本と言う国で。記者会見と言う場で。
他責思考の未熟なおっさんが言い訳する、というのが何を意味するのか。
これまでにない熱狂につながることは、間違いない。




