第13話
静寂に包まれた特別個室。
窓から差し込む柔らかな日差しの中で、剣崎大哉は自分の右腕をじっと見つめていた。
傷跡一つない。
あの配信で、筋肉も、骨も、神経もズタズタになったはずの腕は、指の先から肩の関節に至るまで、完璧な状態でそこにあった。
ミリオネアのギルドマスターである倉間永利が、深層から持ち帰った特級ポーション。
市場に出回れば国家予算レベルの金が動く「エリクサー」に近いその霊薬は、大哉の失われた肉体をわずか数日で完全に再生させた。
だが。
(……俺の腕じゃないみたいだ)
大哉はゆっくりと右手で拳を握り、そして開く。
身体的な違和感はゼロだ。
しかし、大剣のグリップを握り込む想像をした瞬間――。
――ドゴォォォォンッ!!
脳裏に、あの時の閃光と爆音、そして「死ぬ」と直感した絶対的な恐怖がフラッシュバックし、大哉の体はビクッと跳ねた。
額に脂汗が滲み、呼吸が荒くなる。
治っていない。
肉体は特級ポーションという「インフラ」によって新品に修復されても、彼の心に刻まれた『安全神話の崩壊』というトラウマは、何一つ癒えていなかった。
「……よぉ。顔色わりーな、大哉」
ノックの音とともに、病室の扉が開いた。
私服姿の倉間永利が、見舞いのフルーツの籠を片手にぶら下げて入ってくる。
相変わらずのチャラい雰囲気だが、その瞳の奥には、すべてを見透かすような鋭い光が宿っていた。
「倉間さん……」
「腕の調子はどうだ。まぁ、俺が取ってきた特級品だ。後遺症なんてあるわけねぇがな」
倉間はパイプ椅子を引き寄せ、ドカッと腰を下ろす。
「……腕は、完璧です。ありがとうございます」
「そうか。で? 心の方はどうだ?」
単刀直入な問いに、大哉は息を呑んだ。
誤魔化すことなどできない。この男の前では、どんな強がりも意味を成さない。
「……怖いです」
大哉は、震える右手を左手で強く押さえ込みながら、ポツリとこぼした。
「武器を握る想像をするだけで、吐き気がするんです。サクリ素材があれば絶対安全だなんて、ただの幻想だった。俺は……天才なんかじゃなかった。ただ、大人が用意した『絶対に落ちない綱渡り』の上で、調子に乗って踊らされてただけの人形でした」
自嘲気味に笑う大哉の顔は、一回りも二回りも幼く、ひどく脆く見えた。
「俺、ギルマスたちに憧れてたんです」
大哉は俯いたまま、絞り出すように語り始めた。
「二年前のスタンピード。あの時、最前線で街を守り抜いた『最強の三人組』……あんたたちの戦いをニュースで見て、俺は探索科学校の中でも、この『串間高校』に通うことを決めました。あんたたちみたいな、圧倒的な強さを持つ『英雄』になりたくて……」
幼い頃から、才能があるとは言われていた。
だからこそ、自分もあのステージに立てるのだと信じて疑わなかった。
串間高校でトップの成績を収め、ミリオネアの期待を背負い、虹色のスチールを使った自分は、まさに『英雄の卵』そのものだったはずなのだ。
大哉の独白を黙って聞いていた倉間は、ふぅ、と短く息を吐いた。
「英雄譚ってのはな、大哉」
倉間の声は低く、ひどく冷徹に病室に響いた。
「憧れる分には最高のエンタメだが、目指すもんじゃねぇんだよ」
「え……?」
「お前は二年前のスタンピードの『結果』だけを見て、俺たちを英雄だと勘違いしてる。だがな、あの最前線に『英雄』なんて上等な生き物は一匹もいなかったぜ」
倉間は窓の外、遠くに見えるダンジョンゲートの方向へ視線を向けた。
「サクリ素材の肩代わり限界なんて秒で超える魔物の群れ。一歩間違えれば、いや、間違えなくても人がポンポン死んでいく理不尽。……あの時、俺たちが生き残れたのは、才能でも正義感でもねえよ」
大哉は言葉を失った。
テレビ越しに見ていた、光り輝く英雄の姿。
しかし、当事者である倉間の口から語られる真実は、ひどく生々しく、血と臓物の匂いがする現実だった。
「しかし、天才じゃなかった……それは間違いだ。お前は天才だよ」
「え?」
倉間が述べた『天才』と言う評価に、大哉は虚を突かれたような声を出した。
「大剣を握って、あのスイングスピードと正確な斬撃を実現するのは確かな才能だ。ただ……『成果を出す』ってところまで求めるなら、多くの手助けがあって、初めて成り立つもんだ」
「それは……」
「自分の才能に過信するのが悪いことじゃねえ。過剰評価だって上等だ。危機管理をいちいち頭の中で考えてたら、一気に走り抜けられねえからな」
「でも、それで俺は……」
「ああ、サクリ素材の偽造を見抜けなくて、腕がボロボロになった。大剣でモンスターを倒す才能はあったが、それを実現するための前提を揃える才能はなかった。そういう話だ」
「……俺は、何をするべきだったんだろうか」
「さあ? まぁ今となっては、『素質がある後輩に必要な物を考える経験』を積むべきだったな。やったことあるか?」
「……いや、俺が成果を出すことばかり考えてて……後輩のことなんて、考えたことなかった」
「俺が後輩のことを全く考えないような人間だったら、お前はこの学校に入学してたか?」
「……してない」
「だよな。お前がサボったのはそこだ」
倉間は窓の外を見る。
「探索者としてこれからも戦うのなら、覚えて置け。才能も努力も、お前を決して裏切ることはない。でも、その才能と努力を『認めてもらう』ためには、さらに別の才能と努力が必要だ」
「認めてもらうためには、別の……」
「お前が安全に走り抜けるためには、さらに別の努力をする必要があった。安全を保障する才能があるやつを味方にする必要があった。まぁ、実感した今となっては、言われなくてもわかってんだろ」
「……」
「ただ、思ったよりプライドが砕けたみたいだな。ここまでしおらしくなっちまうとは想像もつかなかったが……」
倉間は立ち上がり、大哉を見下ろした。
「安全なステージが崩れたくらいで絶望するなら、さっさと探索者なんて辞めちまえ。お前の腕を治したのは、英雄になれって意味じゃねぇ。五体満足で、平和な一般人として生きるための退職金だ」
それは、見限りとも取れる冷酷な宣告だった。
「……っ」
「だがもし、泥水を啜ってでも『安全装置の無い世界』に立つ覚悟ができたなら。その時は……まぁ、少しは話を聞いてやってもいいぜ」
倉間はそれだけ言い残し、病室を後にした。
バタン、と扉が閉まる音が、静かな部屋に虚しく響く。
残された大哉は、見舞いのフルーツ籠と、自分の真新しい右腕を交互に見つめた。
平和な一般人として生きるか。
それとも、本当の絶望を知る者たちが立つ『泥沼』へ足を踏み入れるか。
天才と持て囃された少年は今、人生で初めての、真の選択を突きつけられていた。




