幸せな記憶は曖昧に
小さい頃の記憶に残っている中では、幸せな家庭だったと思う。
自分と母さんとそして今はもう顔も思い出せない男性と、3人で暮らしていた。
その時は多分自分も凄く楽しかったし、母さんも笑顔で皆楽しくしていたと思う。
けれど、いつからだったか。
母さんの笑顔は減り、男性は家に帰る日が少なくなっていった。
そして母さんは男性が居ない間に、やんちゃそうな金髪の男を家へ連れてきた。
その男は自分に対して攻撃的で、母さんもそいつに構ってばかりで男を連れてくる度に自分は部屋に閉じ込めらた。
リビングから男の声と今まで聞いた事のない母さんの声が聞こえる。
一体何をしているのだろうか。
金髪男がいる時に、男性が帰ってきた。
部屋の外から男性の声が聞こえた時は酷く安心したものだ。
ようやく解放される。
金髪男が母さんを襲っているから助けてくれると思っていたが、大きな声が聞こえて、凄い物音がなった。
何が起こったのか気になるが、部屋の扉は開かない。
しばらくして金髪男の焦った声が聞こえたと思ったら、扉が開いて母さんに引っ張られる。
家を出る時に一瞬振り返って見えた光景は、今はもう思い出せない。
思い出そうとすると、頭が痛くなる。
どうしてだろうか。
それからは金髪男の家に麻里亜と一緒に暮らす事となった。
男の名前は石橋隼人と言うらしい。
石橋はよく自分を叩いてくる事があった。
痛くて、怖くて、泣いてしまったらもっと叩かれた。
暫く経ってからはどれだけ痛くて怖くても泣かない様に、声も出さない様に我慢した。
その方が痛いのはすぐに終わった。
石橋の家での生活は辛く厳しいものだった。
前の家では美味しい料理を毎日食べられていたのに、ここではそうはいかなかった。
毎日お腹がなっていた。
それでも我慢した。
母さんが幸せそうだったから。
母さんが石橋を待つときはいつも寂しそうにしていた。
そんな寂しそうな顔しないで、自分がいるよ。
母さんに笑顔になってほしくて、元気を出してほしくて、自分はとっておきの物を見せた。
いつからだったか、手を触れずとも物を動かす事が出来る様になっていた。
母さんにバレない様にこっそりとその不思議な力を使っていた。
いつかサプライズで見せようと思っていたからだ。
今がその時だと思い、母さんに見せた。
それからだったかな、母さんと目が合わなくなったのは。
初めて見せた時、母さんの顔から一気に生気が抜けていって、小さく呻いていたと思ったら「来ないで」と言われた。
大好きな母さんにそんな事を言われて、ショックだったから、思わず泣いてしまって、石橋が帰ってきたから、殴られたくないから、泣かない様に我慢した。
その時の自分の感情は本当にぐちゃぐちゃだったと思う。
母さんに否定された驚きと悲しみ、石橋への恐怖、母さんに嫌われてしまった絶望。
全てが混ざり合って情緒はおかしくなっていて、それでも殴られるのは嫌でただ黙るしか出来なかった。
それからの母さんは話してくれない事が多くなって、石橋へさらに執着する様になった。
学校でもクラスメイトから無視されたり、悪口を言われたりする様になった。
自分の着ている服や履いている靴がボロボロだったから?
それともランドセルに落書きされていたから?
家が貧乏だから?
それともこの全て?
理由はわからなかったけど、自分の居場所がない事は理解した。
家にいる間は出来る限り1人で静かにしていた。
その間は家に置いてあった本を読んだ。
初めて石橋の家に来た時は無かったけど、いつの間にか大量に増えていた。
その殆どは飛行機に関連する本で、料理本などもあった。
全てを2周し終えた後は学校にいった時に図書館から本を借りて読み尽くした。
多分、全部読んだと思う。
多くの事を知れたけど、役に立つ日は来るだろうか。
街を散歩していると全く人が寄りつかない街から少し離れた場所を見つけた。
秘密基地としてそこを見つけてからはそこに通い詰めて本の2周目に入ったり、不思議な力を使ったりして時間を潰した。
多分だけど母さんは、この力に怯えていた。
理由は分からないけど、もう目の前では使わないようにしよう。
小学校の卒業式は出なかった。
どうせ母さんは来ないと分かっていたし、行ったって痛い思いをするだけだから。
次は中学校に上がれる。
ようやくこの地獄の場所から離れられる。
お金関係で石橋に殴られたけど、仕方ない。
中学校に行けば痛い思いをしなくて済むだろうから、それまでもの辛抱だ。
中学校に入学した。
地獄は更なる地獄へと化した。
今まで自分をいじめてきていた奴らもそのまま一緒の中学に入学していて、そいつらはさらに中間を増やして自分をいじめてきたのだった。
そして家もどんどんもぐちゃぐちゃになって、母さんは壊れた人形のように家の中でずっと蹲って独り言を呟いている。
正直もう、疲れた。
どこに行っても誰も助けてはくれない。
それどころか自分を攻撃してくる敵しか居ない上に大好きな母さんは自分を無視する。
何のために生きればいいのか。
前の家に戻りたいと、麻里亜も自分もそして顔すら思い出せない男性も、皆が笑っていたはずのあの頃に戻りたいと、何度思った事か。
最近は寝る前に、どうしてもネガティブな考えばかりしてしまう。
寝る前だけは唯一、涙を流していい気がした。
石橋が帰ってきた。
何かあったのか、焦ったように考え事ををぶつぶつと呟いていて、苛立ちを隠せないまま自分を見つけると文句を垂れながら殴ってきた。
最近では石橋は母さんの前でも自分を殴ってくるが、止めてくれる人はもう居ない。
いつもより激しい暴力に歯を食いしばりながら耐えていると、よく耐えたと言わんばかりにインターホンが鳴り、石橋の手が止まる。
外から石橋を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、今まで見た事ない程に急にヘコヘコしだして扉を開ける。
現れたのは黒服を着た大柄の鬼塚という男とその後ろにイカついチンピラも様な男が2人。
膝に手をつき、力を出してよろよろと立ち上がっていると、石橋と鬼塚が短く言葉を交わしたと思ったら、チンピラが1人自分のところへ向かってきて、そこからは・・・・・・記憶が飛んでいる。
目を覚ましたのは車の中で、隣には鬼塚が座っていて、助手席と運転席にチンピラが2人いた。
まだこちらに気づいていない様だ。
鬼塚がチンピラと話した後、スマホを取り出しパスワードを解除していた。
自分は持った事がなかったが、今まで石橋やいじめてきた奴らのを見て大まかな使い方は把握していた。
なんでも、そのスマホ一つだけで本数百冊以上の情報を得られるのだとか。
この世界は情報戦だと書いてあったのは何の本だったか。
鬼塚のスマホを眺めていると、運転席の座っていたチンピラにバレてしまった。
鬼塚が腹を殴ってくる。
石橋よりも力が強く、少し呻き声が出てしまった。
痛い痛い痛い怖い死にたくない。
そんな考えが頭を埋め尽くしたが、すぐには動かなかった。
石橋やクラスメイト達に殴られ続けてわかったのは、人は殴ってすぐは必ず隙が出来る。
隙が出来るチャンスを待つ。
暫く鬼塚が憐に対して話していたが、チンピラに注意され冷めた様にスマホを取り出す。
隙が出来た!
咄嗟に思ったが、手は震えて動かない。
ここで殴りにかかって、果たして勝てるのだろうか。
すぐに返り討ちにあってさらに酷い目に遭うのではないだろうか。
そんな思考をほったらかしにし、腕を振るう!
もう、やるしか道はないんだ!
どうせここで何もやらなくても酷い目に遭って死ぬのは先の鬼塚の話で分かっているだろ!
何も考えず腕を振れっ!!!
ここから何とか抜け出そうと、目の前の強敵を討ち滅ぼさんとただ無我夢中に腕を振り続けて数秒、鬼塚は動かなくなっていた。
助手席にいたチンピラが後ろを振り返って身を乗り出すが、今なら逃げられる!
咄嗟にドアを開こうとするが、開かない。
時間がない。
まずい。
捕まる。
殺される!
手をドアに向け、いつも使っていたようにドアを掴み、腕を振るうと、ドアが爆発したかのようにドン!っと大きな音を立てて外れると、体を車の外へ投げ出すと同時に、鬼塚の手から落ちていたスマホを引っ張り、手で掴み地面へ落ちる。
そして血だらけになりながらキキーッと音を立てて停車する車から離れ、夜の街の路地裏へ入っていった。




