執念
紙は所々折れ曲がっていたりして殴り書きしたのか文字は荒れていた。
『この家の娘を攫った。返して欲しければ、金を持ってこの先にある廃工場へ一人で来い』
「・・・・・・娘? っっっ!? えっ? は?」
は? 娘ってもしかして・・・・・・なんで? どうして? 柚葉さんが攫われた? 誰に? 何故? いつ? どうして?
「もしもし、何かありましたか?」
自分の声が聞こえたのか、スマホから返事が返ってくるが気が動転していて返事が出来なかった。
「もしもし? 大丈夫ですか? どうしましたか?」
「ぁ、やばいどうしたらっ柚葉さんがっ! 廃工場・・・すぐに追いかけないと、いやでも千代さんを置いて」
「落ち着いてくださいっ!!」
「っ!」
スマホから大きな声が聞こえ、一瞬体がビクッ反応とする。
「落ち着いてください。深呼吸をして。ゆっくり息をすって吐いてください。ゆっくりで大丈夫ですので、何があったのか状況報告をお願いします」
先程の声とは違い優しい声が聞こえてくる。
言われた通りに深呼吸をしよう。
すぅーはぁ〜。すう、はぁ〜。
何度か繰り返すと少しずつ心が落ち着いてくる。
もう大丈夫なはずだ。
「ごめんなさい、取り乱しました。実はーーー」
今あったことを説明すると、すぐに対応してくれた。
「わかりました。警察の方へ連絡をしました。すぐにパトカーがその廃工場へ向かいます。あなたは救急車がくるまでそのまま」
プツンっとそこで通話が途切れ、声が聞こえなくなる。
「えっ!? なんでっ!?」
画面には空のバッテリーのマークと充電器のマークが映っていた。
「充電切れ!? こんなときにっ!」
もはや自分に出来ることは何も残っていない。
ただここで救急車が来るのを待つしか自分には出来ない。
結局助けてもらってばかりな自分は、助けることは出来ない。
「・・・・・・」
どうにも落ち着かず、部屋の中をうろちょろと歩き回る。
千代さんが息をしているかを確認したり、もう一度紙に書いてあることを確認したりして時間を潰した。
・・・・・・長い。救急車が来るまでのたった十分程度が永遠に感じられる。
こんなにゆっくりで千代さんは大丈夫なのか。
柚葉さんは無事なのだろうか。
酷い目に遭ってないだろうか。
そんな嫌になることを考えながらも部屋をうろついているとーーー
「神崎憐、思っていたよりも来るのが早かったな」
「誰っ!?」
どこからか男の声が聞こえて、周りを見渡すが、床に倒れて弱々しく息をする千代さんと自分しかいない。
なんで自分の名前を知ってる? 気のせいか? 焦りすぎて変や夢でも見ているのか?
「サツより先に廃工場へ来い」
「またっ、どこから」
「猶予はないぞ」
足元付近から声が聞こえる。
視線を低くし、声の聞こえる方を見ると、一台のスマホが不自然に壁に寄りかかっていた。
「あれか!」
バッとそのスマホを取り、画面を覗くとビデオ通話状態だった。
「ここから見てたのかっ」
ここに来てからの一連の行動を千代さんと柚葉さんと襲ったと思われる人物にずっと監視されていたと考えると、
ーーー体がゾッとし、身震いする。
っていうかそもそもなんで名前を知っている。
「もう一度言う。神崎憐。お前はサツよりサツより先に廃工場へ来い」
「ゆずはさんは」
「サツが先に廃工場に着いた場合、問題無用で女を殺す」
「・・・・・・は?」
「早く来いよ、神崎憐。地獄を見してやるよ」
そこでブツンッと通話が切れた。
え? は? 今、なんていった? 殺す? 誰を? 女? 柚葉さん? ダメだ、ダメだそれだけはダメだ!
「くっ!」
ダンッと家の扉を勢いよく開け飛び出す。
廃工場の詳しい場所は分からない! けどっ! 山からこっちに来るまでの道に無かったなら反対にあるはずっ! 警察は既に動き始めてるはず、なんとしてでも自分が先に着かないと!
「はっ! はっ! はっ!」
冬のツンと刺すような空気を必死に肺に取り込みながら走る。
千代さんを置いてきてしまった、いや大丈夫。
もうじき救急車が来るはず、なんとかなると信じるしかない。
今は柚葉さんの方を優先しないとっ!
間に合うか? そんな疑問は必要ない。考える時間すら惜しい。今はただ、早く走ることに集中しろ!
「はっ! はっ! くっ! はぁ!」
息が荒い、こんなに走ったのはヤクザに攫われた日以来か。
あの時も恐怖で、自分がどうなるか分からなくて、殺されるかもしれないって考えると体が動き出していた。
けれど今は違う。
自分のためだけじゃない! 柚葉さんを助けるためにも! もっと速く! もっと!
恩を返す時が今だ!
ビュウウウ! っと鋭い風が吹き出し、背中を押し出してくれてさらに加速する。
たまたまなんかではない。殆どいないとは言えいつ見られるか分からない状況で無意識に力を使ってしまっているしそれに気づいていたけど、止めることはなかった。
その時はただ我武者羅に走り続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・っん、ふぅー、ここか?」
数十分ほどただ道なりに走っていると目的と思われる場所を見つけて最後の体力を振り絞り到着した。
目の前には人の気配のない寂れた工場。
一体いつから使われていないのか、草は生い茂って壁に纏わりついている。
「はぁはぁ、行くか」
息を整える時間も惜しい、今優先するべきは柚葉さんの安全確保だ。
覚悟を決めてご丁寧に既に開けられていた門の中へ入っていく。
「よぉ、思ってたより早いじゃねえか? そんなにあの女が大事か?」
「っ!?」
門を潜ってすぐに工場の奥から頭に包帯を巻き、マスクとサングラスをかけた男とその奥にもう一人、同じくマスクをつけたがたいのいいイカつい男と腕を後ろに回されて拘束されている柚葉さんがいた。
「柚葉さん!!」
「憐君っ!」
「神崎憐、お前はいつの間に女と絡むようになったんだあ? んん? いいご身分だなあ!! ああ!?」
頭に包帯を巻いた男が自分に対して怒鳴り声をあげる。
明らかに敵視されている。
でもなぜ?
そもそもどうしてこの男が、自分の名前を知っている。
「どうして僕の名前を知っているんだ」
「ああ? てめえ忘れたのか? 俺達のことをよお」
そう言って二人の男は顔につけていた物を外し、その顔が露わになった。
「!? は? え? なんで・・・・・・おに、ずか? どうして・・・・・・お前らは警察にっ」
「ああ、てめえのせいで全て台無しだ! 組と大勢の仲間が捕まっちまった! いきなり事務所にサツどもが押し寄せてきたのもな! 全ててめえが逃げただしたせいだ! ふざけるな!」
荒ぶる鬼塚の後ろで柚葉さんを掴んでいるやつはあの時車を運転していたチンピラか。
「っと最初はまぁ思ったが、んなこたあどうでもいい。俺が生きてさえいれば。他の奴らがどうなろうと関係ねえ。所詮ヤクザになって組に入ったのも弱者を痛ぶるためだ。俺はそれが出来ればどこに行こうが構わねえ」
先程までの態度と一変し、あっけらかんとした口調で話し出す。
「ただなあ、神崎憐。俺は自分より下の人間に勝ち逃げされるのが1番嫌いなんだ。分かるか? だからてめえを追いかけてきたんだ。なんでか教えてやろうか? 理由は簡単! 痛ぶって殺すためだ! ぎゃははは!」
鬼塚は一人で大笑いしているがその内容は聞くに堪えない。
「憐君っ! 私はいいからここから逃げ」
「黙れ!」
「ぅっ!?」
「やめろおお!」
柚葉さんが自分に対して声を上げると隣にいたチンピラに殴られ、痛みに呻くのを見て止めに入ろうと駆け出すが、鬼塚にドンッと前蹴りを入れられ後ろに吹っ飛ばされる。
「がはっ!?」
「おいおいクソガキ、勝手に暴れんじゃあねえよ。てめーには苦しんで死んで貰わねえといけねえからな。なぁ?」
「ふーっ!! ふーっ!!」
鬼塚に蹴られたお腹が痛い、息が荒くなっていく。
それでも、柚葉さんを助け出さないとっ!
「おい、あのガキを拘束しろ。この女は俺が見る」
「はい」
チンピラと鬼塚が交代し、チンピラはそのままこちらへ突進してくる。
「うわっ!?」
咄嗟に横に身を投げなんとか避けるが、次でもう捕まってしまった。
「っぐあ! ぐっ!」
「大人しくしてろっ!」
「憐君!」
「黙ってろ」
「んー!? んー!!」
後ろから腕を回されて首を絞められている!
苦しい。息が出来ない・・・・・・死っ。
「おい、殺すなよ」
「すいやせん」
「かはっ! ひゅーはっはっ!」
フッと腕の力が弱くなり息が出来るようになった。
それでも体に力は入らない。
ギリギリ息はできるが、変わらずチンピラの腕が首を絞め続けている。
目の前で柚葉さんが捕まっているというのに、自分は何も出来ない。
「おいおいそう睨むなよ。もっと虐めたくなるだろ?」
鬼塚はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべてこちらを見下ろしてくる。
「お前、この女に助けられたんだろ? 死にかけてるところを」
「っ!?」
なんでそれをこいつが知って、
「はっ! その反応を見るに当たりだな! 今日はついてるぜ。そこでよお、俺は考えたんだ。てめえがどうすれば苦しむかを、俺が使える情報網をあらゆる情報網を使ってお前を調べたら・・・・・・てめーはくそ親に売られた過去があるなあ。けどさらにその前、それはそれは幸せな生活をしていたなあ? そういう奴ってのぁ、大抵他人からの愛か優しさに飢えている。さぞこの女とあのばばあからの優しさに心を救われただろうなあ? くっくっく。そこで決めた。お前の目の前で、この女を痛ぶって殺してやる。どうだ? いいアイデアだろ?」
「んーー! んんーー!!」
「うるせえ!」
「ぐうう!?」
鬼塚は柚葉さんのお腹を一発殴る。
「なぁ神崎憐、どういう気持ちだ? 死にかけてたお前を、善意で! 優しさで! 救ってくれた命の恩人が! てめー自身のせいで痛ぶられながら殺されるところを見るのは! 聞かせくれよお!」
そうか・・・・・・自分のせいか。
泥棒が入って、千代さんが怪我をして柚葉さんが攫われて、自分が力になれるかもしれないと思っていた。
けれど、そうじゃなかった。
そもそも自分がこんなことになっていなければ、千代さんが怪我をすることも無かったし、柚葉さんが攫われて殴られることこも無かった。
そもそも暖を求めて街に降りなければ彼女らに会うこともなく、迷惑をかけることもなく柚葉さん達は今まで通り幸せに暮らせた筈だった。
それなのに、自分は恩返しどころか、恩を、仇で返してしまった。それも軽い物ではなく最悪の形で。
「かひゅっ、ごめ、んさい。ごめんなさい。かはっ! 自分は殺してもいいから、柚葉さんはっ!」
「・・・・・・おいおいそんな泣くなよ。まるで俺が悪者みてえじゃねえか。そんなにこの女が大事か? いいぜ、返してやる」
「!?」
「なんて言うわけねえだろばああか!!」
「ぐううう!? あ゛あ゛あ゛!!」
「ゆずはっ、さん!」
鬼塚は容赦なく柚葉さんの腹へ拳を突き出した。
「おいガキ、てめえには何も出来ねえんだよ。ただそこで眺めることしか出来ねえんだから、ゆっくり見とけ。お前の好きな女の喘ぐシーンを、よっ!」
「ぐうううっ!? あ゛、あ゛あ゛! はぁ、はぁ・・・・・・」
「兄貴っ!」
「あ? なんだ?」
「サイレンが聞こえます!」
チンピラの声に鬼塚が動きを止める。
耳を澄ますと微かにサイレンともう一つ何か他の音が聞こえ、それらは段々と近づいてきている。
「っち! そろそろサツが来るか。あ? おっ! おいおい報道ヘリもいるぞ! こりゃあ大層なお客様だ! 丁度いい、あいつらにもこのこのガキどもの処刑シーンを見してやるか。おらあっ!」
「あ゛あ゛あああ!?」
「どうだ神崎憐? 自分の無力さが悔しいか?」
ああ、もうダメだ。
こんな状況ですら、力を隠したがる自分が嫌いだ。
すぐにでも使うべきだと言うのに、周りに人もいないのに、今使うべきだと頭では分かっているのに、力を使って拒絶されてしまうのを体が、記憶が怖がっている。
「おらおらどうだ神崎憐! お前のせいで恩人が死にそうだぞ! 可哀想になあ!」
「ぐっ! うっ! れん、くん、ぐううう! 早く、逃げて!」
「はっ!?」
「こんな時ですらあいつの心配か? とんだ物好きだな」
自分は何をしている。
こんな状況になってもなお、柚葉さんは自分を守ろうとしているというのに、自分はそれに応えられないのか?
その程度の人間だったのか?
・・・・・・違うだろっ!
なんのために力を磨いていた!
なんのために必死になって生きながらえた!
ここで使えなきゃ、結局いつまでたっても使えないままだ!
自分を助けてくれた人が自分のせいで捕まって痛ぶられているというのに、助けるために力を使わないのはあまりに愚者だ。
「ぐおっ!? なんだ!? あっ、兄貴! た、助けてくれっ!!うおおお!? がはっ!?」
「あ? 何を言って・・・・・・は? 何が」
「うおおおおお!!」
「っ!? ごあっ!?」」
力を使って自分を拘束していたチンピラを宙に浮かし、そのまま思いっきり横に飛ばすと工場の壁に衝突した。
鬼塚はそれに注意を引かれ、呆然と眺めていた。
その隙をつき、走って鬼塚を突き飛ばす!
「柚葉さん!」
「憐、くん」
「ごめんなさい柚葉さん。僕のせいで・・・・・・」
「だい、丈夫だよ」
「おいガキぃ! 何をしやがったあああ!? あれはなんだ!? どうして浮いていた!? お前のせいかあ!? この悪魔がああ!?」
鬼塚が立ち上がり、訳が分からないと大声を張り上げてこちらに向かってくる。
力を使い、吹き飛ばそうとした瞬間ーーー
「警察だ! 全員を手を上げて地面に伏せろ!」
警察が到着した。
続々と門から雪崩れ込んできていて、全員が手に銃を持っていた。
上空では報道ヘリが飛んでいる。
「っち! サツか! タイミングがわりーな」
鬼塚がサッと後ろに手をやったと思うとその手にはポケットから拳銃があった。
「おいサツども! こいつらを・・・あ?」
言い終わるか否か、鬼塚に向けて腕を突き出す。
「ぎゃあああ! なんだこれはああ!? クソがああ! 早く消しやがえええ!!!」
「な、なんだ!?」
「火!? どうして急に」
「そんなことはどうでもいい! 早く消化器を持って来い! 急げ!」
突然鬼塚が燃え出したことに、鬼塚だけでなく警察達もどよめき始め、慌てて消化活動を始める。
「はぁ、はぁ・・・・・・」
「憐君? 憐君! うっ、大丈夫!? だ、誰か!」
ダメだ、頭がふらふらする。
なぜだろうか。視界が歪む。柚葉さんは今どこにいる?
鬼塚の脅威は、もう無くなったのか?
ここで倒れる訳には、まだっ、柚葉さんを安全な場所へ連れて行けていない。
ああ、音が段々遠くなっていく。体に力が入らない。
意識が・・・だんだん・・・・・・遠のいて、く・・・・・・。




