47話-香りで語る、記憶の終止符
---あれから五年が経過した
冬の朝の光がカフェ・アカシアのガラス戸をキラキラ透かして、木の床に模様を作ってる。
外の商店街はまだ人がチラホラで、風で旗がペラペラ揺れる音だけ。
開店準備を終えた店の中で、私は一人でカウンターに手をついてる。
焙煎したてのコーヒー豆の香りと、トマトを煮込んだ甘酸っぱい匂いが鼻いっぱいに広がって、思わずスーハーしちゃう。
(五年前は、この匂い嗅ぐたびに胸がギューッて苦しくなってたのになあ……)
あの頃はここにいても置いてかれるのが超怖かった。いつこの居場所が消えちゃうのか、ビクビクしながら作り笑いしてた。
でも今は全然違う!同じ香りが、胸の奥をフワーッと温めてくれる。
この店はもう完全に私の居場所で、私の物語がちゃんと生きてる場所なんだ。
店内の壁では**初めての個展**を開催中。澄江さんの笑顔、若い頃のお母さんの後ろ姿、そして小さい頃の私。五年前までは絶対に誰にも見せられなかった景色たち。
その隣には、今のカフェを描いた新作もある。ニコニコ笑ってる常連さん、フライパンをフリフリしてる湊くん、エプロン姿の私--**過去と現在が同じ壁でくっついて、一つの物語になってる。**
スケッチを眺めながら、胸の奥でこっそり言葉が漏れちゃう。
(あぁ、やっと置いていけるんだ。あの日の私も、あの痛みも)
フライパンに油をジュワーッと引くと、ソーセージと玉ねぎを炒める香ばしい匂いが店中に広がった。
甘酸っぱいケチャップの香りに焦げ目の匂いがミックスされて、思わずクンクン嗅いじゃう。
ホールではアルバイトの子がテーブルをキレイに整えてくれてる。
同時に、甘味噌と完熟トマトを煮込んだソースがコトコト泡立って、手打ち風のぷりぷりうどんが待機中。
進化系ナポリタンは、また観光客の人たちが食べに来てくれる人気メニューになった。
昔は湊くんがいなくなることを想像しただけで、胸がスカスカになる感じだった。
でも今は違う。ここに立ってる自分がいる。
店を守って、笑顔を作って、物語を続けてる自分がちゃんといるんだ!
私はカウンターにペタンと座って、窓際のアカシアの鉢をジーッと見つめた。
枝葉は五年前よりもモリモリ大きくなって、朝日を透かしてピカピカ光ってる。
その葉っぱの影が床でユラユラ揺れるのを見てたら、自然に声が出ちゃった。
「……語れなかった記憶を、こうして少しずつ置いていくんだね」
その言葉がナポリタンの香りと混ざって、店全体にふわーって溶けていく。
もう私は「置いてかれる子ども」じゃない。
ここに立ってる私自身が、物語を紡ぐ人になったんだ。
扉のベルがチリンと鳴った。開店前から来てくれるのは、近所の仲良し老夫婦。
私はニコニコで迎えて、アツアツのコーヒーを差し出す。
「おはようございます!今日も寒いですね〜」
「でも、ここに来ると春みたいだよ」
奥さんがそう言いながら、壁のスケッチをじーっと見てる。澄江さんとお母さんと小さい私が描かれた一枚の前で、目がニコニコになった。
「この絵、見てると不思議ね。昔からずーっと、この店にあったみたい」
その言葉で胸の奥がポカポカになる。前なら、ただくすぐったくて下向いちゃったかも。けど今ははっきり言える。
「……ここは、私の大事な場所ですから!」
カウンターに戻って店内をぐるーっと見渡す。ピカピカに磨かれた木のテーブル、湯気がモクモク立つ厨房、そして壁いっぱいのスケッチたち。
あの頃の私は、いつもビクビクしてた。
居場所を失うのが怖くて、心をギューッと閉じて、絵も気持ちも奥にしまい込んでばっかりだった。
でも今は、この店そのものが私の物語になってる。澄江さんに守られて、湊くんと一緒にまた動き出した物語なんだ。
(もう大丈夫。ここにいる私を、ちゃんと信じられる!)
そう思うと、胸の奥で小さな灯がパッとともる。ナポリタンの香りが、まるでその灯を包むようにふわーって漂ってた。
窓の外を見ると、アカシアの鉢が朝の光でキラキラしてる。
枝葉は五年前よりもずっと大きくて、風でユラユラ揺れて床に影を落としてる。
その光景を見てたら、自然に笑みがニヤーッとこぼれた。
「……ありがとう、澄江さん、湊くん、お母さん。私、ちゃんとここで生きてるよ!」
心の中でこっそり呟く。語れなかった記憶は、もう絵と香りと、この店の空気に変わった。
ここにある全てが、私の物語を語ってくれてるんだ。
静かな朝の店内に立ってる私の耳に、遠くで鳴く鳥の声とコトコト煮込む音だけが重なる。
あの日感じてた不安とか寂しさとか、もうどこにもない。
(私はもう何も怖くない。ここが、私の生きる場所だから!)
カフェ・アカシアは今日も変わらない香りに包まれてる。
その香りが、この先もずーっと続く未来を約束してくれてるみたいに思えた。
*
夜のカフェ・アカシアは、昼の賑やかさが嘘みたいに静か。
閉店の札をペタッと下げたガラス戸の外には、商店街の街灯がポワーンと光ってて、冬の風が旗をペラペラ揺らしてる。
片付けを終えた私は、カウンターの端にちょこんと座った。静かな店内に時計のコチコチ音だけが響く。
スマホの通知がピカピカ光ってて、いつものニュースアプリとかSNSの通知をダラダラ見てた。
そしたら、動画のサムネイルの一つに見覚えのある横顔が映ってて--。
「え……?」
英語のタイトル--
「Rising Star in Psychology(心理学界の新星)」。
指がピタッと止まる。サムネイルの人物、後ろ姿だけど確かに見覚えがある。
(……まさか、湊くん?)
迷いながら画面を長押ししたけど、すぐには再生できなかった。
のどがヒリヒリして、心臓が五年前のあの日みたいにドキドキバクバク。
そーっと再生ボタンに触れた瞬間、画面に湊が現れた。
スタジオのライトでピカピカ照らされた横顔に、思わず息がストップ。
スーツをビシッと着こなしたその姿は、かつての語れない子役じゃなくて、自分自身の物語を堂々と語る大人だった。
「自分の物語を語れるようになったとき、人はようやく、過去と共に生きられるんです」
通訳を介したその言葉が耳に届いた瞬間、胸の奥がポカポカになる。
画面の下には
「ハーバード大学 客員研究員」
「子どもの心の回復プログラム監修」
って字幕がパッと出てる。
後ろの大型スクリーンには、湊が子どもたちにニコニコしながら心理実験の体験授業をしてる映像や、学会でパチパチ拍手を受けてる姿が映ってる。
かつて日本で一人ぼっちで追い詰められてた少年が、今は世界の舞台で子どもたちと向き合って、自分の言葉で語ってる--その事実が胸をアツアツにした。
五年前の湊くんには絶対言えなかったこと。彼はついに、自分で自分を救う言葉を手に入れたんだ。
「……湊くん、すごい……」
画面越しについつい呟いちゃった。
「やっと……自分の言葉で、生きてるんだね」
そう思うと、胸がギューッて締め付けられて、目の奥がジワーッと熱くなる。
「嬉しいのに……なんで、ちょっと寂しいんだろ……」
私は静かにフーッと息を吐いて、画面をパタンと伏せた。
店内には時計のコチコチ音と、自分のスーハー呼吸だけが響く。
窓の外では、アカシアの鉢が街灯に照らされてユラユラ影を揺らしてた。
その葉っぱは五年前よりもずっと大きくて、枝がしっかり空に向かって伸びてる。
「……また、帰ってくるよね。きっと」
そう小さく呟いた。
彼がこの店に残していったものは、記憶でも香りでもなく、ここで紡いだ物語そのものなんだ。
どれだけ遠くにいても、この店は湊くんの帰る場所だって思えた。
カウンターの奥の棚から、古いスケッチブックをサッと取り出す。右下に小さく書かれた文字--
**《未完》**
そこには、ちょっと寂しげな湊くんの横顔と、まだ空っぽのナポリタンのお皿が描かれてた。
(あの頃の彼も、私も、物語の途中にいたんだ)
私はペンをクルクル回しながら手に取って、動画の中の湊を思い浮かべながら線をサラサラ走らせる。
堂々と語って、瞳に静かな光を宿してる横顔を描き足す。
お皿には、焦がしチーズをトロ〜ンとのせた進化系ナポリタンをモリモリ描き添えた。
最後に、右下にそーっと二文字を書く。
《完成》
胸の奥が、ポッと灯るように温かくなった。
五年前に抱えてた寂しさとか不安とかが、こうして形を変えて、やっと物語になったんだって思えた。
私は完成したスケッチをパタンと閉じて、棚にそっと戻した。
目をギュッと閉じると、昼間に炒めたナポリタンの香りがまだ店にフワーッと残ってる。
木の床やカウンターにジワーッと染み込んだその香りは、ここで生きてきた時間の全部を語ってるみたいだった。
外を風がヒューッと抜けて、遠くで電車がガタンゴトン響く。
スマホの画面には笑ってる湊の顔がチラッと映って、それがまるで「ただいま」って言ってるみたいに思えた。
何故なら、あのナポリタンの香りだけは、変わらずにここにあるのだから
**完**




