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ナポリタンでは終われない  作者: yuuma
第十一章:語られた真実、裁かれる嘘

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38話-逆告訴という反撃

挿絵(By みてみん)


昼下がりのカフェ・アカシアは、奇妙な静けさに包まれていた。


窓の外では、冬を引きずった曇り空が低く垂れ込み、商店街を渡る風が、店の古い看板をかすかに揺らしている。


ガラス越しに差し込む光はどこか白けた色をしていて、店内の木目やテーブルの角を鈍く照らしていた。


普段なら昼食時に常連の姿がちらほら見える時間帯だ。

だが今日は、奥の窓際に腰掛けた老夫婦が一組いるだけ。

カラン、とスプーンがカップに当たる音が、やけに響いた。


カウンターの中で、無言のままコーヒーを淹れていた。


ドリップから落ちる雫の音だけが、やせ細った店内に規則的に刻まれる。

ポケットの中のスマートフォンは、朝から断続的に震え続けている。


SNSの通知、ニュースアプリ、知り合いからの未読メッセージ──そのどれもが胸をざわつかせた。


咲良はカウンターの端に座り、スケッチブックを閉じたままこちらの横顔を見ていた。


「……また、通知来てるね」


返す言葉はなかった。けれど、硬く結んだ口元と落ちた肩がすべてを物語っていた。


スマホの画面には、今朝から何度も見せつけられた見出しが並んでいる。


〈元子役・望月湊、祖母の遺産を独占?〉

〈老舗カフェをめぐる“家族トラブル”、営業妨害か〉


小さな田舎町である西秩能市にとって、全国ニュースに名前が出ることなど滅多にない。

それが今は、悪意ある記事と匿名の声が、このカフェ・アカシアを取り囲んでいた。


咲良は窓の外に視線を向ける。


商店街を歩く人々が、店の前で一瞬足を止める。

中を覗き込み、ひそひそと何かを言い合い、結局は通り過ぎていく。


胸の奥がきゅっと縮む感覚がした。


「……こんなに静かなの、久しぶりだね」

無理に明るく言ったその声は、かえって空気の重さを際立たせた。


そのとき、扉のベルが乾いた音を立てた。

入ってきたのは、黒い鞄を抱えたスーツ姿の男だった。


冷たい風が背後から流れ込み、店の空気を一層沈ませる。


「望月湊さんでいらっしゃいますね」

男は名刺を差し出しながら淡々と告げた。

「明石真理恵代理人、山科法律事務所の者です。本日はこちらの書面をお渡しに参りました」



カウンターに置かれた茶封筒は、異様な存在感を放っていた。

震える手で封を開く。中には、正式な訴状と赤い印字の通知書。


「名誉毀損および営業妨害による損害賠償請求」


文字が、視界の中で波打つように揺れた。


「……反訴、だと……?」


喉の奥から、かすれた声がこぼれる。


男は事務的に一礼すると、何も言わずに店を後にした。


残されたのは、紙の重みと、冷えた静寂だけ。

立ち尽くす。


――来た。ついに、あの人は世論まで武器にしてきた。


祖母の遺言書と、地下金庫で見つけたスクラップ帳が脳裏をかすめる。


どれだけ想いを受け継いでも、この街とネットの声は、いとも簡単にそれを踏みにじるのだと突きつけられた。


咲良がそっと近づき、袖をつかむ。


「……湊くん、座ろ?」


彼女の声は震えていたが、その指先は必死に温もりを伝えようとしていた。


カウンターの椅子に腰を落とし、封筒を握りしめたまま天井を仰ぐ。


視界の隅で、常連の老夫婦が会計を済ませ、足早に店を後にした。


その背中が、まるで「ここにいると巻き込まれる」と言っているように見えた。


重苦しい沈黙を破ったのは、裏口の方から聞こえたヒールの音だった。


「……想像以上に、状況は厳しいようね」


現れたのは、グレーのスーツに細縁眼鏡の女性──弁護士・矢野明日香。


夕方の光に輪郭を縁取られたその佇まいは、静かだが確かな芯を感じさせた。


矢野は店内と表情を一瞥すると、静かに告げる。


「……詳しい話は、奥でしましょう」


短い言葉だけを残し、矢野はバックヤードへと歩み去った。


茶封筒を握りしめたまま立ち上がる。

逃げ場のない現実の重みが、背中にずしりとのしかかっていた。



茶封筒を握りしめたまま、矢野の後ろ姿を追った。


カウンターの奥、普段は店員だけが出入りする小さなスペースに入る。


そこは客席からは死角になるが、喫茶店の温もりがそのまま残る場所だ。


研ぎ澄ました静けさの中で、コーヒー豆の香りと磨かれた木の匂いが鼻をかすめる。


昼の光は窓から柔らかく差し込み、光に浮かぶ微細なほこりの粒が、いまの心のざわめきそのもののように思えた。


矢野は長机に資料ファイルを置き、静かに椅子を引く。


「座ってください」


促されるまま腰を下ろし、膝の上に封筒を置いた瞬間、重みがずしりとのしかかった。


昼間に受け取ったあの紙切れが、人生全体を圧し潰そうとしている気がする。

矢野は淡々とした声で切り出した。


「反訴の内容は確認したわね?」


小さくうなずく。喉が乾き、言葉が出ない。


「名誉毀損、営業妨害、損害賠償請求。……彼女の狙いは明確よ」


矢野は封筒を指で軽く押さえながら、静かに続けた。


「法廷の外で、先にあなたを悪者に仕立てる。

 ニュースと噂で世論を固めれば、実際の裁判は有利に進むから」


奥歯を噛みしめる。


頭の中に、スマートフォンに並んだ見出しや、店を横目に通り過ぎる人々の視線がよみがえった。


――全部、本気で潰しに来ている。


矢野は表情を崩さず、淡々と続ける。

「でも、黙っていたら本当に“悪者”で終わるわ。

 戦うなら、いま準備を始めるしかない」


膝の上の封筒を握りしめた。

「……でも、子役の頃のことまで遡って話したら……また、世間に叩かれる気がして」

声が震える。

矢野は軽くうなずいた。

「怖くて当然。でも、あなたはもう一人じゃない」


カウンターの端に目をやると、咲良が心配そうにこちらをのぞいている。

矢野はわずかに口元を緩めた。


「支えてくれる人がいる。そして、私もあなたの味方よ」


その言葉が、胸の奥で小さな火を灯した。

昼間はただ逃げたかっただけの心に、ゆっくりと熱が差していく。

――逃げたら、全部終わる。逃げなければ……まだ守れる。


顔を上げ、矢野の目をまっすぐに見た。


「……分かりました。やります。逃げません」


矢野は静かにうなずき、ファイルを開く。

「その顔でいいわ。ここからが本当の闘いよ。

 


証拠と証人をそろえ、あなた自身の言葉で過去を武器にする――それが勝ち筋よ」


カウンター奥の静かな空間で、

コーヒーの香りと決意だけが、確かに息づいていた。



挿絵(By みてみん)

※この作品の挿絵はAI生成画像を利用しています

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