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ナポリタンでは終われない  作者: yuuma
第十章:背負い直す覚悟

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35話-沈黙を破る鍵は祖母の手紙

挿絵(By みてみん)


カセットデッキは沈黙したままだった。

祖母の声は、最後の一言を残すことなくぷつりと途切れ、絡まったテープが中途半端に露出している。


肩を落とし、深く息を吐く。

あの声に込められた温もりまでが、今にも指の間からこぼれ落ちていくような気がした。


テーブルには立ち退き通知書が広げられている。

再開発の計画はもう待ったなしだ。司法書士から告げられた「証拠がなければ守れない」という冷たい現実が、胸にずっしりと響いている。


「……ばあちゃん、何か残していないのか?」


生前から何度も「この店を継いでほしい」と言い続けていた。

だが、肝心の証拠となるものは見つかっていない。

遺影の微笑みが、まるで“探せ”と語りかけてくる気がした。




翌日、アカシアを臨時休業にした。

二階の部屋で、咲良とともに祖母の遺品整理を進める。


「この奥、しばらく開けてないよね」


押し入れの奥から出てきたのは、古びた桐箱だった。

蓋を開け、底板を持ち上げると、小さな真鍮の鍵がコトリと音を立てた。


「……鍵?」


咲良が拾い上げる。その小さな鍵をじっと見つめ、口を開く。


「地下室の鍵かもしれない。ばあちゃんが“昔の倉庫”って言って、誰も入らせなかった場所だ」


その言葉に、咲良は緊張した面持ちで頷く。


「行ってみよう」


声は低く、しかし揺るぎなかった。




地下への階段を降りると、湿った冷気が身体を包む。

長い間眠っていた空気の匂いが鼻を刺した。

裸電球を点けると、奥の壁に重厚な鉄製の金庫が姿を現した。


真鍮の鍵を差し込み、そっと回す。


**カチリ...**


乾いた金属音が響く。扉をゆっくり開くと、中には和紙に包まれた封筒と、革表紙の分厚いスクラップ帳が並んでいた。




「……これ、手紙?」


咲良がそっと呟く。封筒の表には、墨で力強く **「自筆証書遺言」** と書かれている。


震える手で封を切った。祖母の筆跡が、便箋いっぱいに整然と並んでいた。




**遺言書**


私、望月澄江(昭和25年8月10日生)は、以下の通り遺言する。


一、私が所有する土地建物(埼玉県西秩能市三好町2丁目10番32号)並びに喫茶「カフェ・アカシア」の営業権、店内設備、備品一式を、孫の望月湊(平成13年10月15日生)に相続させる。


二、次女・明石真理恵には、これまで生活支援および財産分与を十分に行ってきたため、新たな遺産分割は行わない。


三、この遺言は、私の自由意思によるものであり、内容に一切の虚偽はない。


令和6年3月5日

埼玉県西秩能市三好町2丁目10番32号

**望月 澄江(署名・実印)**




朱肉の鮮やかな赤が、祖母の意思を確かに刻んでいた。


便箋を握りしめ、唇を噛む。


「……やっぱり、ばあちゃんは最後まで信じてくれてたんだ」


咲良は無言で見守りながら、そっと隣に立った。


さらに金庫の奥から革表紙のスクラップ帳を取り出す。

「湊の歩み」と表紙に記されたその中には、子役時代の写真、新聞記事、ファンレターのコピーがびっしりと貼られていた。

ページの隅には、祖母の小さな書き込みがある。


*「湊、夜中まで台本を覚えていた日」*

*「初主演ドラマ、家族で見た夜。あの笑顔は本物だった」*


その文字を指でなぞると、胸の奥が熱くなる。


「……ばあちゃん、ちゃんと見てくれてたんだな」


咲良は黙って肩に手を置いた。


過去を、誰よりも大切に保管してくれていた人がいた。

それが今、確かな形となってここにある。


迷いが消えたわけじゃない。

それでも、胸の奥にほんの小さな灯がともった気がした。

祖母が残した言葉が、まだどこかで自分を支えてくれている。


この店も、ここに残る記憶も、すべてが終わりじゃない。

わずかだけれど、確かに希望の光が差し込みはじめていた。



   *



地下金庫を閉じたあと、無言で階段を上がった。


手には祖母が残した封筒と革表紙のスクラップ帳。

その重みは、ただの紙束ではなく、祖母の想いと過去の記憶そのものを抱えているように感じられた。


仏間の畳に座ると、それらを膝の上にそっと置いた。

封筒の端から覗く朱肉の赤い印影が、まるで祖母の視線のように鋭く心を刺してくる。

革の表紙には「湊の歩み」と筆で書かれ、その文字は今もかすかに墨の匂いを残している。




ページをめくる。


幼い自分が笑っている。舞台の裏で泣きはらした顔や、撮影現場で必死に台本を覚えている写真もある。

ページの片隅には、祖母の丸い字で書かれたメモが添えられていた。


「湊、初めて自分の台詞で人を泣かせた日」

「眠れずに泣いた夜、あの子は強くなった」


指先でその文字をなぞる。


「……ばあちゃん、ずっと俺を見てくれてたんだな」


声に出すと、喉の奥が震えた。




最近のアカシアは、ようやく客足が戻り始めたばかりだった。昔ながらのナポリタンを現代風にアレンジし、SNSで話題になった。


だが、立ち退きの通知が届き、咲良の絵が無断でポスターに使われ、祖母の声を収めたカセットまでもが壊れた。


「どうしてこうも、全部一度に襲ってくるんだ……」


胸の奥から、何かが締めつけるような痛みが広がる。まるで俺の人生って、いつもこうなんだ。やっと何かが軌道に乗りそうになると、必ず何かが邪魔をする。




仏壇に手を合わせた。


「ばあちゃん……俺、どうしたらいいんだよ」


祖母の遺言書には、「湊に相続させる」とはっきり書かれていた。その一文が、俺の胸に重くのしかかる。


だが、自分にはまだ力が足りない。何を守り、何を選ぶべきか、その答えは見えていなかった。

子役時代の俺は、大人たちが決めたことに従うだけだった。

でも今度は違う。俺が決めなければならない。




障子の外から、咲良の足音がかすかに聞こえた。


「湊くん……お茶、ここに置くね」


小さな声とともに、湯飲みの置かれる音が畳に響く。

俺は顔を上げずに「ありがとう」とだけ呟いた。


咲良の気配が遠ざかると、再び仏間は静まり返った。

彼女なりに俺を気遣ってくれているのが分かる。でも今は、一人でいたかった。




遺言書の朱肉の印影を見つめながら、俺は胸の奥で問いを繰り返した。


「本当に俺に、この店を守れるのか……」


答えはまだ出ない。

出すことすら、今は怖かった。


スクラップ帳を閉じ、額に手を当てた。

祖母の残した想いの重さと、自分の迷いが、ひとつの影となって押し寄せてくる。


でも、ひとつだけ分かることがある。ばあちゃんは俺を信じてくれていた。

それだけは確かなことだ。だから、せめてその想いに応えたい。


目を閉じ、祖母の笑顔を思い浮かべた。

きっと答えは見つかる。時間はかかるかもしれないけれど。



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