3話:古書の中の傷
翌日の昼、いつもより早く目がパッチリ覚めた。胸の奥のモヤモヤが全然晴れなくて、俺は気分転換しようと外にフラッと出た。
細い路地をスタスタ抜けて、商店街に足を踏み入れる。錆びたシャッター、色褪せた看板、軒先に吊るされた風鈴がチリンチリン鳴ってる。子どもの頃には当たり前だった景色が、今はなんかよそよそしく見えた。
通りすがる人々が一瞬こっちを見て、すぐに視線をサッと逸らす--その仕草が、あの日の楽屋口で感じたあの冷たい視線をフラッシュバックさせる。
背後で小さな笑い声が「クスクス」って弾けて、心臓が一拍遅れてドクンと強く跳ねた。
途端に、空気が一段冷え込んだみたいに感じた。
そのとき、視界に「古書 古賀堂」の木製看板がパッと入った。かすれた筆文字と、引き戸の曇ったガラス。幼い頃、何度も絵本や図鑑を買ってもらった懐かしい場所だ。
戸を「ガラガラ」って開けると、奥から年配のおじさんが顔をひょこっと上げた。
「……おや?」
しばし俺を見つめて、眉をハの字に寄せる。
「もしかして……湊くんか?いやぁ、背もグンと伸びたし、顔つきがガラッと変わったな。最初全然わからなかったよ」
「……お久しぶりです。ちょっと散歩してて」
「そうか、そうか。元気そうで何よりだ」古賀のおじさんは俺の表情をじっと見つめてから、「でも……なんか顔色が優れんな。大丈夫か?」
慌てて「あ、いえ、ちょっと寝不足で」と答えたけど、古賀のおじさんは首を小さく振った。
「久々に町を歩くと、なんか息苦しく感じるかもしれんね」
古賀のおじさんはニコッと柔らかく笑ったけど、その目にはなんか俺を品定めするような色があった。苦笑いを返して、棚の古書に視線をスッと落とす。革表紙の匂いが鼻にツンとかすめた。
「まぁ、気にするな。もう随分昔のことだからな……でも、この町の人間は記憶力がいいというか、昔話が好きでね」
言葉をグッと飲み込んで、曖昧にコクコク頷いた。
「あ、そうそう」古賀のおじさんが思い出したように手を打った。「澄江さん、最近体調はどうなんだい?この前お店の前を通ったら、なんだか疲れてるみたいに見えたもんでね」
「え? 体調って……」
「いや、大したことじゃないと思うけどな。でも一人でお店やってるから、心配でね。あんたが帰ってきてくれて、きっと安心してるだろうよ」
古賀のおじさんがニカッと笑った瞬間、なんか胸の奥にズシンとモヤモヤが沈殿した。
いや、あの笑顔はたぶん悪気ゼロなんだけどさ。昨夜の“煙草事件”がフラッシュバックしてくるのは何でなんだ。
「……そうですね。ありがとうございます」
とりあえず形だけ会釈して、俺はサッサと引き戸をくぐった。
その直後、店の奥から「ガサガサ…バサッ…」と何かを漁る音が微妙に耳に届く。
あれ、何してんだろ。ダンボールでも開けてる?
続いて「パラパラ…」って紙をめくる音まで聞こえてきた。地味に気になる。
――で、その隙間に紛れるみたいに、低い声が風に乗ってきた。
「台本を破った、ねぇ」
「あの子が、そんな真似をするとは思えなかったがな……」
え? 今、何て? いやいや、聞き間違いだろ。たぶん。
でも耳が勝手にリピート再生してくるし、胸のあたりがじわっと落ち着かない。
俺は振り返らず、ポケットに手を突っ込みながら、そのまま駅へと歩き出した。
頼むから、今日はこれ以上ヘンなフラグ立たないでくれよ……。




