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ナポリタンでは終われない  作者: yuuma
第四章:慣れない世界

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12話-ぎこちない朝と笑顔のプロ

挿絵(By みてみん)

YouTube: https://youtu.be/UsAMwGYoBS0


朝の「カフェ・アカシア」は、まるで俺を試すみたいにじっと静まり返ってる。


 木の扉が軋む音、古いミルが唸る低い音、陶器同士がぶつかり合うちいさなちいさな音--そんな音たちが俺の耳に流れ込んで、でも、その中に自分の呼吸を溶け込ませるなんて、まだまだ無理な話だった。


 カウンターでミルのハンドルをくるくる回してみる。でも角度がおかしいのか、コーヒー豆がぽろぽろこぼれ落ちて、思わず「うわっ」って声が出ちゃった。


「なんで……こんなことで……」


 粉がカウンターの上で踊ってる。ミルクピッチャーを持つ手も、なんだかプルプル震えて全然安定しない。深く息を吐いて、もう一回チャレンジしようと思った、まさにその時--


「おっはよー、湊くん! あー、それそれ! 私も最初、めちゃくちゃこぼしまくってたよー」


 裏口の鍵がカチャリと軽やかに回って、朝の陽射しをぜんぶ背中に背負った咲良ちゃんが現れた。エプロン姿で、まるで朝そのものを運んできたみたいに明るくて、僕はなぜかほっとしちゃった。


「ミルもピッチャーも、慣れるまではみーんなそうだから! 焦っちゃダメダメ」


 その声が、変な慰めじゃなくて、ちゃんとした"先輩の体験談"って感じで響いて、なんだか胸の奥がじんわり温かくなった。


 ちょっと恥ずかしくなって、曖昧に笑いながらコーヒー豆を詰め直す。咲良ちゃんはそんな俺を見て、くすっと小さく笑った。


「最初からプロみたいにできちゃう人なんて、この世にいないんだから。だいじょぶだいじょぶ」


「……そんなにヘタクソに見えてたのかと思うと、ちょっと悔しいかも」


「あはは! 私もね、最初はもっとひどかったんだよー。ナポリタン作ってる時、フライパンごと床にぶちまけちゃって、店内がトマトソースまみれになったりして」


「え……それはちょっと、大胆すぎない?」


 思わず素の声が出ちゃって、気がついたら笑ってた。なんだろう、この感じ。久しぶりに、誰かと"普通に"話してる気がする。


「でしょでしょー?」


 咲良ちゃんは肩をひょいとすくめて、


「でもね、それでも辞めなかったら、いつの間にか『慣れた人』って呼ばれるようになっちゃうの。まぁ、なるようになるってことよー」


 なるようになる--そんな軽やかな言葉が、俺の心の重いところにすーっと染み込んでいく。理屈じゃわかってても、やっぱり気持ちが少し軽やかになるから不思議だ。


 でも、その軽やかさの向こう側で、俺はまだ"できない現実"を感じてた。


 このあと、初めてひとりでラテアートに挑戦することになってる。成功すれば、この朝の会話がきっと自信になる。でも失敗したら--いや、失敗なんてできない。絶対に。


 カウンター越しに、ミルを握る手にぎゅっと力を込めた。咲良ちゃんの優しい声が響く店内で、俺の心はまだ、ちょっとだけ震えていた。



◇◇◇



 開店してすぐ、「カフェ・アカシア」には常連さんたちのゆるやかな笑い声がふわりと広がり始めてた。


 メモを手にぎゅっと握りしめて、ホールをくるくる回ってるんだけど、どうにもこうにも動きがぎこちなくて仕方ない。

 手にした伝票を何回も何回も確認しながら、頭の中で注文をぐるぐる組み立てていた。


「えーっと……ホットコーヒーと、ミートソース……あ、いやいや、ナポリタンでしたっけ?」


「おいおい、それ俺じゃなくて、あっちの奥さんだよ」


 おじさんの指先がくいっと示す先には、別の席の女性がにこにこ笑って手を振ってくれてる。


「あっ……ほんとにすみません!」


 トレーをぎゅっと抱え直して、思いっきり頭を下げた。その時だった--低い声が、耳の端をちくりとかすめたのは。


「まぁ、元子役さんだしな。演技は上手でも、接客は素人か」


 軽くつぶやかれたその一言が、俺の耳の奥に、じわりと残った。


--子役。


 反射的に、聞こえなかったことにしようとした。

 でも、その言葉はまるで、蓋をしてた箱の鍵を勝手にがちゃがちゃこじ開けてくるみたいで。


 頭の中で「今はもう関係ないんだ、関係ないんだ」って何度も何度も言い聞かせる。

 それでも、昔の映像や見出し、ネットの罵声がばらばらに混ざり合って、過去と現在の境界線がぐちゃぐちゃに曖昧になっていく。


 頭では愛想笑いを浮かべたまま、胸の奥がきゅうっと急激に冷えていくのが分かる。

 過去の映像、雑誌の見出し、ネットの炎上--あの時、心の奥まで焼け爛れた記憶が、鮮明に蘇ってきた。


--忘れようとしてたのに。思い出させるなよ。


 この街に戻ってから、少しずつ"あの頃の自分"が忍び寄ってくる感覚があった。

 今のあの一言で、それが一気に形を持って迫ってきた。


 --もう天才子役なんかじゃない。俺はただ、普通の人生を生きたいだけなのに……。


 そんな思考を、厨房からの明るい声がぱっと遮った。


「ナポリターン、できましたー!」


 咲良ちゃんが軽やかな足取りでひょっこり現れる。立ちのぼる香りが空気をぱあっと塗り替えて、皿の縁がカウンターにちんっと触れる澄んだ音が響いた。


 照明を受けたケチャップソースがつやつや艶やかに光って、ソーセージの焼き色が食欲をそそる。ピーマンの緑が赤の中でぱきっと映えて、皿全体がまるでひとつの絵みたいだった。


 咲良ちゃんは髪をさらりと耳にかけて、皿を置くときも視線をぶれさせない。手首の返しや姿勢に、迷いってものがまったくない。


 その背中には、「この日常を自分の手でちゃんと回してる」っていう確かな重みが宿ってた。


 目が離せなかった。


 あんなふうに、誰の評価や噂なんかこれっぽっちも関係なく、自分の場所で堂々と振る舞える人間がいるんだ。過去を隠す必要も、虚勢を張る必要もなく、ただ仕事をして、笑っていられる--。


「……いいな」


 まだあんなふうに何かにちゃんと向き合えてない。他人の評価や視線をびくびく気にして、必要以上に慎重になって、動きが鈍くなる。


 でも彼女は違う。失敗も笑いに変えて、次に繋げる強さを持ってる。それが、ただの技術じゃなくて、生き方そのものからにじみ出てるように思えた。


 そう思った瞬間、胸の奥の冷たさが、ほんの少しだけやわらいだ気がした。

挿絵(By みてみん)

※この作品の挿絵はAI生成画像を利用しています

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