冬祭り
「なあ! 大一! いっしょに祭りに行こうぜ!」
「え? 愛恵人、もうすぐ夕ご飯の時間じゃないの?」
僕はチラと坂の向こうを見た。既に夕日は沈みかけていている。明子さん家とこことの走り込みも終わってこれから休憩時間に入るはずだった。
「夕飯は屋台で食おうぜ!」と愛恵人は僕の腕を引っ張った。
僕らの部屋に入ると、愛恵人は箪笥から一通の封筒と財布を出した。とりあえず僕も財布を懐に入れておいた。玄関へ向かい、愛恵人は壁にペタっと封筒を貼った。
「よし、行こうぜ」
「いいの?」
「いいんだよ。とりあえず早く行かないと日が暮れて道に迷うぞ」
僕と愛恵人はスタコラサッサと坂道を駆け降りた。愛恵人は僕より足が早かった。下り坂を走るのは少し足指が痛いし、転げ落ちないよう注意も必要だ。
「そう言えば愛恵人、何で急に屋台なの?!」
「あとで話す!」
明子さんの家の前を通ると美実さんが呆れたように顔を顰めていた。愛恵人は気づかぬようにまだ全速力で走っている。愛恵人の全速力はすごく速いから、遅れている僕は声を張る必要がある。
「ねえ、愛恵人! 美実さんがすっごく呆れてるよ!」
「オレの姉ちゃんだろ⁈ 別にいいだろ⁈」
「雑! お姉さんへの扱いが雑! 怒られない⁈」
「オレの姉ちゃんは怒らねーよ! 母ちゃんの方がおっかない!」
愛恵人の家の事情は少し複雑な匂いがする。どのくらいのツッコミなら許されるんだ⁈ ブン! 僕も全力で走った。愛恵人は僕よりずっと前を走っている。どんなに全力出してもダメだ。差が少し縮まったと思えば、あっという間に引き離される。12月だってのに走ると汗が飛び散る。
「クソがぁ! なんでそんなに速いんだよ!」
「お前は遅すぎんだよ! 日が暮れる前に駅に乗りたいんだよ!」
「目的はもっと早く言え! この田舎もんが!」
「うっせえ! この猫被り!」
言い合いをしてると愛恵人が駅に着いたのが見えた。愛恵人にヤジを飛ばされながら駅に着いた。日が沈んでいた。
「ほらよ」と愛恵人に切符を渡された。
僕は息を切らしながら、南方面の電車に乗った。愛恵人は悠々と売店で買った水を飲んでいる。
「あ〜、生き返る。ダイも飲むか?」
「ありがとう」
僕は水を飲みながら、いつの間にか名前を縮められたことに気づかなかったふりをした。スゥと闇に落ちた。
「起きろ」と車掌さんが愛恵人を揺さぶっていた。「もう終点だ」
「嘘だろ」と愛恵人はぼんやりと目を覚ました。
愛恵人と僕は電車から降りた。車掌さんが電車の中を確認しながら、愛恵人を見た。
「そこのは弟か? それとも友達か?」とぶっきらぼうに僕も見た。
愛恵人はうーんと考えてから「従兄弟っすよ」と手を振った。「起こしてくれてありがと、おっさん!」
「美少年の従兄弟は子役かぁ!」と車掌さんは愉快そうに笑った。
うん、よく見たらあの車掌さん禿げてんな。愛恵人と改札を通った。さっきまでは走ってたのもあって暑かったけど、今はもう冷えていた。足元どころか、全身が凍りそうだ。服が汗でびしょ濡れだから余計に寒い。0.5霞尋くらい歩くと、そこは煌々と賑わう屋台だった。
「うわぁ」と僕は目を見開いた。
「冬に入るとちょくちょくやってんだよ」と愛恵人はキョロキョロと屋台を見ている。「一発目何にする?」
僕はうーん、と周りを見た。ぶどう酒は僕らにはまだ早い。あそこの長い列は……串焼きか。人混みと提灯の光に圧倒されそうだ。 息が白くて僕は思わず手を擦った。冬らしいツンとした空気の中、屋台の湯気や香ばしい匂いが混じる。焼きそば、甘酒、揚げ物……お腹が空く香りに満ちている。
「なあ! どれから行く?」と愛恵人は僕の腕を引っ張った。
「人、多すぎない? 夜なのに」
「そりゃ冬の市の初日だからな! お前みたいな都会もんには分からないだろうけど、冬になると川にも行けない、日は早く沈む。だから、娯楽が減るんだよ。おまけに台所は死にそうなほど寒い。そこで、この市だ」
僕は少し戸惑って足を止めたけれど、愛恵人は聞いていない。屋台の前に立つと、焼きそばの鉄板から立つ湯気が冷えた頬に当たって気持ちいい。紙皿を受け取り、ふうふうと口に運ぶ。
「あっつ! でも、うまっ!」と愛恵人は舌を出した。
「がっつくからだよ」
火傷した愛恵人は涙目で舌を出したまま屋台村を彷徨っている。僕はチラッと女性と子どもが多い屋台を見た。
「なあ、愛恵人。あれ食べる?」
「シチューじゃねえか! 止めだろ!」
「粘着力あるもんね、シチュー」
「タチ悪ぃ。わざとかよ」
「ふふふん」と僕はシチューの列に並んだ。
愛恵人は不満げに下唇を突き出している。言動のせいで、せっかくの美貌が台無しだ。もちろん、下唇を突き出したくらいで、崩れる美貌じゃないけど。
僕の視線に気づいたのか、愛恵人はニヤリと笑った。
「なぁ、ダイ。あそこにさ貝焼きあるじゃん」
「あるね」と僕は貝焼きの屋台を見た。
おじさんが網に乗せて帆立を焼いている。あまり人気がない。なんでかと思ったら隣の屋台でつみれ汁の鍋がグツグツとなっていた。うん、冬はあっちがいいよね。
僕が1人納得していると、愛恵人がグッと僕の耳に口を寄せた。
「あのさ、ダイ。オレはあっちの貝が先に開くた賭ける。お前は?」
「え? じゃあ、僕は右の帆立で。負けた方が奢るやつ?」
「違う」と愛恵人はニヤリと笑った。「負けた方は恋バナだ」
「はあ⁈ 僕には何もないからね!」
「いいから、いいから。どういう女の子好きかでもいいよ」
僕が抗議しようと思ったら、ポンっと右の帆立が開いた。僕は貝焼きを買った。
「僕の勝ちだ」
「あーあ、しょーがないなー」と愛恵人は開きかけている帆立を生暖かく見た。
「何で嬉しそうなんだよ」と僕は可笑しくて笑った。
愛恵人の帆立もポンと開いた。愛恵人も貝焼きを買った。僕はじゅみじゅみと帆立を食べてみた。上手い。愛恵人はニマニマとしている。
「オレさ〜、好きな子いるんだよね」
「ふーん。烈さん?」
「違う」と愛恵人は首を横に振った。「チカちゃんだよ。ゲンの妹でさ、オレらの1個下」
敢太の妹……。面倒見はいいけど、容貌が雑な感じの女の子?
「愛恵人って中身を見る派?」
「いや」と愛恵人は勢いよく首を横に振った。「敢太と違ってチカちゃんは可愛いんだよ。あの子、面食いじゃないから、オレに勝ち目なさそうだけど」
これは、どうすればいいんだ? 失恋確定してるっぽいんだけど。僕は少し目を逸らした。あ、月が綺麗だな。
「そう言えば愛恵人は自分の生まれた意味考えたことある?」
「なぜ、もっと素敵な性格に生まれなかったのかは考えたことある」と愛恵人はしわしわの声だ。
僕は帆立の殻を捨てた。失恋した人ってどうしよ? 僕はどうしたい? よし。
「じゃあ、愛恵人。帰ろうぜ。帰ってゆっくり寝よう。敢太とは仲いいんだから、愛恵人の愛しの君ともいつかいい感じになるだろ」と僕は愛恵人の腕を引っ張った。
帰りは走らず、ノロノロと駅に着いた。危うく終電逃すところだった。腹満たされた僕らは知らぬ間に電車の中で寝てしまった。
明日は祝日ですね!うぇーい!
ちなみに1 霞尋=5kmくらいです。よく歩くね。




