03 柳橋美湖 著 『アッシャー冒険商会 35』
〈梗概〉大航海時代末期、英国冒険貴族ファミリーが織りなす新大陸冒険活劇。連作掌編。今回は、マサチューセッツ植民地辺境の荘園屋敷。8月の風景。
35 とある夏の一日
――ノエルの視点――
オークの森の小高い場所に屋敷森に囲まれた二階建ての建物が二棟ある。お屋敷を含む広大な荘園は男爵様のものだ。本館には、本国から荘園経営のために派遣された男爵様のご嫡男・ロデリック様とそのご家族が住んでいる。そして、分館に養母ブリジットと、七歳になる私・ノエルが住んでいた。養母シスター・ブリジットは、ロデリック様の御厚意で、お屋敷の一棟を間借りして、診療所を開いている。
エリザベス女王陛下の御代、季節は八月。
実をいうと数か月前から、ロデリック様と奥様のマデライン様が所用で、フランス領ルイジアナにお出かけになられている。その間、五歳になるご子息がうちに預けられることになったのだ。
「ハレルヤ、おはよう存じます」
まるで天使の絵から伝わってきたかのような、〝完璧〟というに相応しい美しい少年だ。ベッドに横向きになったその子を起こすのが、私の日課になっていた。
窓を開ける。
彼の髪は、太陽の光を受けて輝く金色の波のように柔らかく、肩まで届く長さで、いつも綺麗にとかされていた。双眸を開く。すると澄んだ空の青と思わせる宝石のような碧眼が現れ、長いまつげがその瞳を優しく縁取っている。
「おはよう、ノエル」
華奢な体躯には赤ちゃんだったころの名残りがある。小さな手足は、ぷっくりと愛らしい。思わず腕でからめて、キスする。この子は私のもの。大きくなったら絶対、お婿さんにしてやる。――本気でそう考えていた。
とはいえ大人になるのはまだまだ先のこと。弟も同然の坊やだ。寝間着からシャツと吊りの半ズボンに着替えさせてやる。
朝餉はシスターを手伝い、すでに階下の食堂に用意してある。
シスターやハレルヤと同じく、私も金髪だ。瞳の色はブラウン。長く伸ばして下げた髪に青いリボンをつける。ワンピースにエプロン姿。ハレルヤの手を取り階段を下って行くと、どこに隠れていたのか、ハレルヤが連れてきた黒い子猫のプルートがついてくるのに気づく。
金色の瞳。全身にまとう漆黒の毛並は、脚を動かすたびに、窓からの陽射しで艶やかに輝いていた。
お祈りをして、サラダと茹で卵、麦粥と牛乳からなる食事をとる。
床でピチャピチャと、私たちに合わせるように、プルートが牛乳を飲んでいた。
「診察が始まるわ。ノエル、ハレルヤの相手をしてやって」
シスターは医師免許があり、この界隈の村の人々を診ていた。シスターは美人で評判でもあり、大した怪我でもないのに小父様たちが、よくやってきたものだが、うまくあしらっていた。
食事の後、皿を洗い終えた私は、本館と分館の間にある庭にでた。濃い緑のオークの森から風が吹き抜けていた。
「ハレルヤ、鬼ごっこしよう。おいで――」
ハレルヤが振り向き、両手を拡げかけてくる。可愛い。
一方のハレルヤから解放されたプルートは、庭の植え込み、手入れされた花々に舞う蝶や蜜蜂、そしてさわさわと風で鳴るオークの葉の揺らぎに耳を傾けている。
子猫といえばよくいる、好奇心旺盛で動くものに興味を示し、冒険心旺盛で家中を探索。人懐っこく甘えん坊。警戒心が薄く、飼い主や他の人にも親しみやすいような子ではない。
どちらかといえば人間をよく観察しまた、周囲の状況を客観的に把握するとともに、空気を読み、自ら考えて行動する老成したところがあった。クールでミステリアスな男の子。
シャツと吊りの半ズボンの少年は、黒い子猫と遊んでいるというより、遊んでもらっているという感じだった。
了
〈登場人物〉
アッシャー家
ロデリック:旧大陸の男爵家世嗣。新大陸で〝アッシャー冒険商会〟を起業する。実は代々魔法貴族で、昨今、〝怠惰の女神〟ツァトグゥア(ザトゥー)を守護女神にした。
マデライン:男爵家の遠縁分家の娘、男爵本家の養女を経て、世嗣ロデリックの妻になる。ロデリックとの間に一子ハレルヤを産んだ。
アラン・ポオ:同家一門・執事兼従者。元軍人。マデラインの体術の師でもある。
その他
ベン・ミア:ロデリックの学友男性。実はロデリックの昔の恋人。養子のアーサーと〝胡桃屋敷〟に暮らしている。
シスター・ブリジット:修道女。アッシャー家の係付医。乗合馬車で移動中、山賊に襲われていたところを偶然通りかかったアラン・ポオに助けられる。襲撃で両親を殺された童女ノエルを引き取り、養女にした。




