01 奄美剣星 著 『エルフ文明の暗号文 21』
【梗概】
新大陸副王府シルハを舞台にしたレディー・シナモン少佐と相棒のブレイヤー博士の事件捜査。スタンピードからの脱出行で閃く。
21 指紋
王国特命遺跡調査官レディー・シナモン少佐と同補佐官である私・ドロシー博士は、海外領土・副王領シルハにあるエルフ文明の遺跡調査を行っていた。少佐は、副王領にある同名首都シルハに滞在中、突然死したフリー記者アベラールについての捜査を、駐留軍のバティスト大尉から奇妙な事件の真相を明かして欲しいと依頼された。
レディー・シナモンは三十歳近くになっていたが、小柄なこともあって、十代の少女に見えなくもなく、軍服を着てもなお可憐だった。彼女は、まがりなりにも軍人であるのに、まともに射撃や体術ができない。学友であることから補佐官に指名された私は、そんな彼女の護衛も兼ねていた。
アランの町に宿泊し、アベラールに続いて殺害された妹・エロイーズの調査をしていた私たちは、辺境森林地帯でなりを潜めていた大型甲殻虫のスタンピードに遭い、古い地下要塞坑道をつかって、辛くも脱出した。
アラスの町から線路沿いに歩いて北に向かうと、海に臨んだダンケルクという町にたどり着く。そこへ向かう途中、避難民が留守にしている家屋が、脱走兵に荒らされないように、部下とパトロールしていたロラン警部と部下の警察官たちと出くわし、最後の意見交換を行った。
トレンチコートを丸めて小脇に抱えたロラン警部が、
「レディー・シナモン。そういえばアベラールの妹、エロイーズのアパルトマン管理人の老婆が、玄関の表札に、鉛筆で殴り書きされていた、暗号の鍵語Enttrez dans la port etroite.という文字が、子供の落書きで、被害者本人が、一週間後に消しておくと、証言していた。――管理人と出会ったとき、彼女は、モップを手に持っていた。つまり、アパルトマンの清掃は、管理人自身がやっていたはず。なのに、管理人ではなく、部屋を借りていたエロイーズが、表札の落書きを消しておくと証言するのは奇妙だ」
彼は口髭を撫でながら続けた。
「われわれ警察も、そのあたりが変だと思って、エロイーズさんのご遺体から指紋を採取した。一方で、パリ市警は、第五局が取りこぼしていった、わずかなアベラール氏の遺留品の中から、ピアニスト女性、テクラ・バタジェフスカの手紙を見つけ、指紋を採取した。両者のものを照合させてみたところ、なんと、同一人物だったのです!」
レディー・シナモンが、
「警部、管理人の老マダムは事件直前に、怪しい男が、アパルトマン付近をうろついていたと証言していますが……?」
「恐らくは、捜査を撹乱するための偽証でしょうな。老マダム以外、誰も、そんなポーランド人なんぞ見ちゃいない」
「つまり、寄宿学校教師エロイーズことテクラ・バタジェフスカは、福音書の一節を抜き出して、表札に鉛筆で殴り書きする。それを、他の部屋に出入りしているように装った連絡員がメモして行く。直後、管理人マダムが子供の落書きと勘違いして消した。――警部、筆跡はいかがでしたか?」
「おっしゃるように、エロイーズさんのものでしたよ」
「こないだ、警部から、ランティエ一家の血液型をうかがいました。エロイーズ様の血液型はB型でしたね?」
ロラン警部は手帳を開いた。
「ランティエ兄妹の亡くなられた、ご両親、父親のピエール氏はO型、母親のカトリーヌ夫人はA型、そして兄のアベラール氏はA型となっております」
「両親がO型とA型である場合、子供はO型ないしはA型になる。B型の子供は生まれることはありません。――戸籍にエロイーズ様が養女だったという記録は?」
「ありませんな。普通に、ランティエ夫妻から生まれた実子として記載されていました」
アベラールとエロイーズの兄妹は赤の他人だ。……洗濯船で死んだことになっている、アベラールの血液型はA型。この、兄を名乗る人物はたぶん生きていて、妹を名乗るエロイーズを殺害した可能性がある。アベラールは、捜査を撹乱するため、洗濯船船主と常連客の老マダムを買収、五人の人物が容疑者になるように、警察やレディー・シナモンを誘導したのだ。
――なんて狡猾な犯人なんだ。ある目的から、アベラールが描いた事件の筋を、私になぞらせるために、サンテックス大尉まで利用したというのか! きっと大尉の前では本性を隠し、いい人を演じていたに違いない。
ここに来て、わが友は、二つの事件の謎をほぼ解明した。
そして、黄金の髪を後ろで束ねた貴婦人と私は、髭の警部達と別れ、北方の港町ダンケルクへと線路伝いに歩き出した。
*
線路の上をヤジロベエのような恰好で先を歩くレディー・シナモンが、振り返って、
「ねえ、ドロシー博士。むかし貴女が書いた、『石器時代から青銅器時代に至る過渡期の様相』って論文がありましたね」
「姫様が拙作を憶えて下さったとは光栄の至り」
私は左手を胸に当て、右手を後ろにそらしつつ、会釈する所作で応えた。男性廷臣がよくやるお辞儀〝ボウ〟である。
私が書いた仮説論文はこんな内容だ。
実験的に石器を作ったとき、フリントや黒曜石、頁岩といった、石槍や石鏃、スクレーパーといった刃物系の石器を作るのに適した石材を、炉の灰の中に埋めておくとしよう。すると、加熱された石材のガラス質が、少し溶けて、冷え、容易に割れるようになる。一万年くらい前に、とある氏族が、銅鉱石を好んで石材に利用し始め、やがて、それが冷えぬうちに叩くと、粘土のように、思いのままの形にすることが出来ることを知ったというものだった。
当初、誰も相手にしなかった論文だったが、レディー・シナモンは違った。実際にオーブンを使って、フリントを加熱し、冷えたところで打撃を加えると、案外簡単に割れることを実験で証明し、私の仮説の後押しする論文を書いてくれた。
続く
【登場人物】
01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官
02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官
03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長
04 バティスト大尉:依頼者
05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。
06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。
07 エロイーズ:被害者。アラスの寄宿学校教師。アベラールの妹。
08 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。
09 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。
10 トージ画伯夫妻:急行列車ラ・リゾンで同乗した有名人。
11 サルドとナバル:雑誌社〈ラ・レヴュ〉報道特派員。記者とカメラマン。




