00 奄美剣星 著 『鹿鳴館の怪異』
昭和十五(一九四〇)年・東京市千代田区内幸町――
ダウンテールのボク・物部綾乃は〝お茶の水高女(※東京高等女学校)〟の四年生だ。学校側の方針で生徒は、外出の際はセーラー服を着用することが推奨されている。また、女の子の一人歩きはもってのほかとのことで、保護者または殿方の同伴というのも暗黙の了解になっていた。
私の同伴者・茶々丸くんは、まがりなりにも殿方だ。――とはいっても、蝶ネクタイ・半ズボンの学童姿で、私と手をつないでいると傍目には、弟のようにしか見えないだろう。――この子の正体は管狐という式神だ。管狐とは言っても実際は、イタチ系オコジョの精霊である。
ボクたちは、神田橋停車場で三田行きの市電に乗り、内幸町停車場で降りた。
――ねえ、お嬢、あの変な建物は何?
「ふふーん、知らないな、茶々丸くん。帝国ホテル本館。フランク・ロイド・ライトって超有名な建築家が設計したんだ。中米マヤ文明な神殿チックで、いかしていると思わないかい?」
――じゃあ、あれは?
「旧薩摩藩邸〝黒門〟、国宝だよーん。――そして奥にあるのがかの有名な〝鹿鳴館〟。今回依頼された現場だ」
門衛さんに断って黒門をくぐると、芝生広場の向こう側に、ベランダを伴った二階建ての大きな洋風建築が姿を現した。そこから、浜松銀行東京支店の係員が、ボクたちを出迎えてくれた。名刺には課長・島新一と書いてある。
「鹿鳴館と言えば明治のVIP社交場で有名ですが、機能していたのは明治十六|《一八八三》年から二十|《一八八七》年までの五年に過ぎません。ほどなく敷地は宮内省から民間親睦団体である華族会館所有に移り、昭和二|《一九二七》年には弊社・前山社主が購入するに至ります」島課長はスーツの似合うノッポのイケメンさんだ。髪をオールバックにしたその人が続けて、「前山は、旧鹿鳴館の横に、三階建ての日本徴兵保険社屋を増築しました。昭和十五年現在、旧鹿鳴館本館は、当・浜松銀行東京支店となっております」
「前山社主は、老朽化した旧鹿鳴館を解体し、跡地にバラックを建てて、商工省分室として貸与する予定だと伺っております。つまり、ボクが呼ばれたのは、――建物に憑りついたものを祓い清めるということ。霊的問題を打ち消し、心置きなく建物を壊す。――いろいろあったのでしょうね?」
「ありていに言えば、そんなところです」
イケメン課長さんのご案内でボクたちは、浜松銀行東京支店の社屋になっていた鹿鳴館の建物に入った。支店はすでに三越百貨店近くに移していたので、中にあった事務机や書架といったものはなく、ガランとしていた。
「埃っぽくはありますが、鹿鳴館時代が偲ばれるってものですね」
「収容人員二千人、一階には食堂・談話室・書籍室、二階には百坪の舞踏室。その他にもバーやビリヤード場を備えていたようです」
「では一晩、ここの二階に、陣取らせて戴きます。できましたらテーブルと、椅子を五、六席ご用意ください。それから蓄音機とレコードを十枚ばかり、お紅茶とお茶請けも忘れずに……」
「かしこまりました」
課長さんは外にいた部下行員の方々三人にお声がけし、真新しいお隣のビル・日本徴兵保険社屋から、リビングセットを借りに行き、ここの二階・舞踏室に置いてくださった。
「綾乃さんと茶々丸くんの二人だけで一夜を過ごす? 大丈夫ですか?」
「ええ、平気ですよ」
*
島課長いわく、〝鹿鳴〟なる言葉は、『詩経』小雅にある「鹿鳴の詩」に由来し、来客をもてなすことを意味するのだそうだ。鹿鳴館が落成した明治十六(一八八三)年から廃止されるまでの五年間は、国賓の接待や舞踏会、各種祝賀行事、皇族・貴族によるチャリティー・バザーも催された。
舞踏会に関しては当時、日本の政府高官・上流階級夫人たちで、まともにダンスが踊れる人は少なかった。そこでレッスンを受けた芸者や女学生が動員され、外国要人たちをもてなしたのだという。
窓越しに見える、お隣のビルの明かりがほぼ消えた。残る二階部屋の窓から光がこぼれているのは、何かあったら駆け付ける気満々な、課長さんたちが待機しているのだろう。――心配性だなあ、もう。
怪異が出没しやすい時刻を〝彷魔が刻〟という。夕方のトワイライトな五時から六時あたりの時間帯だという説と、よく言われる「草木も眠る丑三つ時」、すなわち午前二時から二時三十分だという説とがある。夕方の説はクリアした。つぎは深夜未明説だ。
*
――彷魔が刻――
セーラー服から、ひらひらのドレスに着替えていたボクは、「皇帝円舞曲」のレコードをかけ、銀ポットから優雅にお紅茶を注ぐ。するとだ。お茶請けのビスケットを頬張っていた茶々丸くんが正体を現してオコジョとなり、戦いの踊り〝ウォーダンス〟を始めた。――茶々丸くんが踊り出すとき、怪異がくる。
――おやおや、今宵の怪異は団体様だね。
艶やかなドレス姿の令夫人・令嬢たちが、紳士にエスコートされて踊っている。
社交ダンスは明治だと皆、へたくそだったと聞いている。奇麗に踊っているところをみると、華族会館時代の方たちだな。
ボクは物部神社の娘で巫女をやっているのだが、女学校では演劇部に属していたし、授業科目に社交ダンスも組まれていた。さらに自他ともに認めるこの美貌。踊り手たちはすっかりボクに魅了されている。
そろそろ三十分経つ。――〝お客様〟がご満悦でのお帰りだ。後はここ旧鹿鳴館が、本当の店じまいすることを知らしめねばならない。もちろん抜かりなく、床に七星紋を描いてある。――舞い手たちは一人、また一人と消えて行き、レコードの曲が終わった。
旧鹿鳴館建物の取り壊し計画が、新聞などで広く世に知られると、各界著名人が保存運動を起こしたのだが、結局のところ実行された。――竈神や座敷童など、各家に棲みついた神や怪異・精霊の類の総称を〝家憑き〟という。――人々の郷愁や執着が〝家憑き〟と化していたというわけだ。……課長さんに言わせると、「誰もいない二階で、舞い手たちが踊る音がした」だとか、「ビリヤード室で球がコロコロ転がる音がした」だとかいった、ちょっとした怪現象はあったそうだが、基本的には無害である。
午前三時、ドレス姿のボクと人の姿に戻った茶々丸くんの二人が、お開きのお茶をしていた。
そこへ――
「大丈夫ですか、綾乃さーん」と、島課長とお仲間の皆さんが一階から階段を駆け上ってくる音が聞こえた。ティーパーティーはもうちょっと続くかな。
ああ、それから、旧鹿鳴館正門〝黒門〟は国宝だったので、本館取り壊し後もしばし佇んでいた。しかし残念ながら、昭和二十(一九四五)年の東京大空襲で焼失してしまったということを付け加えておく。
ノート20250714