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大獅子家

大獅子(おおじし)


何処の発祥及び血筋なのかははっきりと分かっていない。

文献に初めて登場したのは、1570年。姉川の戦いにおいて織田家の足軽大将として戦ったと記されている。この戦いで活躍されたとされているのが、大獅子左衛門為平。


為平のそれまでの人生については資料はないが、信濃の生まれとされている。

為平は姉川の戦いにおいて活躍されたとされていて、その後織田信長の近習となっている。そこである程度の地位を築いた。


その後の文献では、三方ヶ原の戦いで織田家の援軍として、長篠の戦いでは騎馬隊を率いて活躍したと書かれている。ただし詳しい内容は書かれておらず、名前だけしか載っていない。


主に武闘派な武将であり、為平宛に出されたとされている手紙は一枚だけ。近江の約千石ほどの領地を与えられたと記されている。


妻の名は不明だが長男は織田信長(或いはその子の織田信忠)から一時を貰い受けて信平と名乗っている。信平は明智光秀の与力として活躍したとされている。


1582年の本能寺の変において為平は京の警護をしており、信長を助けに向かって戦死した。


信平はその時は明智光秀の本拠である坂本城にいたが、本能寺の変及び父の死の知らせを聞いてその日の内に坂本城を去った。そしてそのまま中国大返しをしてきた羽柴秀吉軍に参戦。山崎の戦いで戦死したと伝えられる。


信平には子がいなかったとされていて、その後の大獅子家については不明。


一説では、為平の次男とされている天門(あまかど)作兵衛がおり、織田家重臣だった丹羽長秀に仕えていたとされている。その後の天門家は前田家に仕えたが、大獅子家との系図は不明。


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