練り切り未亡人
恋しいなぁ、と。
私は和菓子が好きです。
具体的にどれくらい?と問われると盛大に困りますが、『和菓子と洋菓子、好きな方を奢ってやる』と言われれば超高確率で和菓子と答えるくらいには和菓子が好きです。
これだけ和菓子好きになったきっかけに、私は明確な心当たりがあったりします。
物心ついてから、恐らくは初めて行った和菓子屋さんです。
建物構造自体は洋風でありながら、風合いというか、人が好きそうな和の要素を良い感じにいいとこ取りした不便さのない和をまとう和菓子屋さん。
こぢんまりとしたその可愛らしい和菓子屋さんで、家族でお菓子を食べて帰ったのです。
お菓子を買えば、お持ち帰りか食べて帰るか選べたそのお店は、少し奥に畳と木だったころの面影そのままの机がありました。
そしてお店の方がお茶を淹れてくれて、そこで食べて帰ったのを覚えています。
お店の雰囲気だったり、構造ももちろん好きなのですが、何よりも私を魅了したのは練り切りでした。
上生菓子、と言った方が通じるでしょうか。
上品なショーケースのど真ん中、文字通りセンターで堂々と、しかしちょこんと愛らしく、なのに美しい造形で鎮座する、その王の如き風格の和菓子に幼き私は一目惚れしたのです。
しかも親が買い与えてくれたそれを店内で食せば、なんとも言い難い上品なおいしさが口内を凱旋するではありませんか。
美しい、可愛らしい桜の練り切り。
わたしはそれを、きっとケーキの上に乗っている砂糖菓子のようなものだと思っていました。
甘いけれど、ケーキに比べてしまうとそんなに美味しくない砂糖菓子。固くてほのかな味がするであろうと予測していたのです。味は造形の犠牲になっているだろうと。
ところがどっこい、柔らかいうえに大人しくも確かな、上品な甘さが口の中で解けて消える。
まるで武士の生涯のような、華やかで散り際は潔い、そんな味だったのです。
ええ、ええ。魅了されました。速攻陥落です。
精巧な細工に素晴らしい味。これで好きにならないわけがないと思うのです。
それから私はお金を貯めました。お小遣いをちまちま貯めました。
そして貯めるだけ貯めて、小学生高学年か、中学生あたりの頃の、夏休みだったでしょうか。
私のとんでもない豪遊が始まります。
毎日五百円玉を握りしめて、自転車を漕いで四十分以上の距離を引きこもりが根性で爆走。
そして和菓子屋で、握りしめた五百円玉で和菓子をふたつ買う毎日を始めたのです。
六種類の和菓子がショーケースに鎮座し、店員さんと同時に私を出迎える。
片方を買って食べて、片方を持って帰ってお3時に食べる。なんという豪遊でしょうか。
毎日毎日開店から5分くらいで汗だくで店内に入ってくる子供。しかも大した買い物をしない。
それをよくもまああそこまで丁寧に対応してくれたなぁ、と今になって思います。
毎日毎日、日替わりで、ある規則性ありで和菓子を買うものですから、お店に入るのとほぼ同時に、
「今日はこれを買って帰って、これを食べて帰るのよね」
と、年齢不詳な美魔女おばさま……いいえお姉さまが持ち帰り、イートイン両方とも準備万端で待っていてくれるようになりました。
私は握りしめてほっかほかになった五百円玉を渡して畳に向かって突き進むだけです。
開店直後、しかも日中ですから、お客さんは途切れこそしないものの忙しくなることはあまりありませんでした。
だってやってくるお客様も常連ばかり。私の時と同じように、大体準備万端のお品物を渡すだけなのです。
なので私の店内で食べる時間は、誰かとお喋りする時間と同義でした。
店員さんか、はたまたお客さんか。皆様物を知らぬ子供相手に快くおしゃべりしてくださいました。
この練り切りはこれがモチーフで、こういう経緯でこんな意味が込められてるなんてタメになる話から、何故か便利な家事テクニックまで。
私はそれをニコニコ聞いて面白いなあと楽しみつつ、目と口は練り切りに全集中。
そしてお茶もいただいて、後は練り切りが乾燥する前に爆速で帰るを繰り返しておりました。
今考えると、あの質で一個二百五十円は当時の物価から見ても相当安いのでは、と思うのですが、店員さんは『職人さんが和菓子に親しんでほしくて頑張ってくれている』としか当時の私には教えてくれませんでした。
そんな私の素敵な思い出の集結地点のようなそのお店ですが、ある日を境に閉まってしまいます。
理由は知っていました。私の心を掴んでやまない、顔すら知らない和菓子職人さん。
その方が、病気か年齢か……悔しいことにここはもう朧げですが、職人業を辞めてしまった、というもの。
だいぶ前から告知はされていたのです。「その方が職人業を辞されればこの店も閉まるだろう」ということは。
亡くなられてしまったか、はたまた第二の人生を謳歌されているかは知りません。願わくば後者であることを願いますが、私はただその方のなりきりに魅了された一般人に過ぎませんから。
ただ一つ確かなのは、私が魅了された練り切りは、もう二度と作られることはない。失われてしまったということです。
心優しき友人が、シャトレーゼにも練り切りがあると教えてくれました。
なんとなくその時は購入を断りましたが、後日ひとりでひっそりと練り切りを購入してみました。
美味しかったです。パサパサはせず柔らかく、するりと喉を通っていく、全くくどくないバランスの取れた甘さ。
ええ、美味しかったです。さすがはシャトレーゼ。
これで緑茶があったらほっこりすること間違いないでしょう。肩の力を抜いてくれるおいしさでした。
でも、これじゃない。そう思ってしまいました。
舌に乗せると解けるような繊細さと、いっそ淡いと思えるようなあの優しい甘さ。何より細かい美しい造形が、私はどうしようもなく恋しかったのです。
思い出補正もあるかもしれません。でも私にとって、確かな『理想の練り切り像』が頭に焼き付いているのです。
ああ、今ならわかります。
あれは確かに私の初恋だったのです。
あの初恋の面影を求めて、練り切りを見ては下を向き、ため息をつく。
嗚呼これぞ正に、練り切り未亡人。
誰か!良い和菓子屋さん知りませんかッ!