1-6 パーティーの崩壊①
サコは、一人でダンジョンをさまよっていた。
別に迷子になったわけではない。Wi-Fiは復活しているし、電気も付いている。ただ彼は、ケンカの声の響かない、一人になれる場所を探していたのだ。顔にHMDはつけていない。索敵用のBATDももちろん飛ばしてなんかいない。モンスターに遭遇しようが、正直どうでもよかった。そんなことより一人になりたかった。
すぐに、そのおあつらえ向きの場所が見つかった。
まだ表面が白い瓦礫の山。床から壁、そして天井まで広がるヒビはかなり新しい。
そう、ここは404地点。アコがオークキメラと争った場所だ。
ヒビの真ん中に立って、亀裂の入ったダンジョンを見上げる。ほんの数時間前まで、この場は瓦礫が舞い、大轟音が響き渡っていた。静寂に包まれた今はもう、アコの活躍は遠い夢の中のようにも感じる。
サコはその場に座り込んで、床の亀裂を撫でた。このヒビはアコの勇敢さを証明するものだ。叶うならこの時のアコのままでいてほしかった。
サコは愛おしげに、亀裂を撫で続ける。
ふいに、自分の手元の瓦礫が、ぐにょり、とした感触になった。
「!!」
あわてて、右手を床から離す。ビキビキと亀裂の広がる音。
しまった! 悟った時にはもう、遅かった。
床の亀裂はすでに大きなクレバスになっていた。一瞬だけふわりとした感覚。
息をのむ間もなく、闇が足元からせり上がってくる――。
床面崩落。ダンジョン攻略中、まれに起きる事故。死亡確率が高く、避ける手段が少ないものとして、冒険者の中では知られている。だが、冒険者が特に恐れているのは、崩落で死ななかった時だ。
サコは運の悪いほうを引いたようだった。崩落し、突如形成された竪穴の壁面に服が引っ掛かり、墜落死を逃れたのだ。
「助けて!」
サコは思わず、天を見上げて叫び声をあげた。サコが落ちた穴の入り口は、すでに十メートルも上方。出血はないものの、体のあちこちが傷む。そもそも、服が引っ掛かり、宙ぶらりんの状態で、身動きすら取れないのだ。
誰かの救援がいる。だが、サコは単独行動をしていた。パーティーの連中は喧嘩の真っ最中。誰もサコの落ちた位置を知らない。助けを求める叫び声が、届くはずなかった。
いや、この際、助けを呼ぶ声は出してはいけなかったのだ。
パキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキ……
足元から、リズミカルな音がした。サコは真っ青になった。
サコの足元には、漆黒の空間が広がっていた。未到達領域。電気もインターネットも通じない、真のダンジョン領域だ。中に生息する生物は、ダンジョン内の生態系の頂点に立つとされる、本当の意味でのモンスター。あの突然変異種オークでさえ、三分たりとも生きることはないとされる、地上と地続きの地獄。
床面崩落で最も恐れられているのは、床面崩落後にぱっかりと開いた、未到達領域での『行方不明』だ。
「チキ、キ、キ、キキキキ……」
漆黒の闇の向こう。リズミカルな『音』の主が姿を現す。サコにとってなお最悪だったのは、彼自身が勉強熱心だったことだったかもしれない。討伐例なし。生体目撃例なし。二十年前に一匹すでに死体となった個体が引き上げられたのみ。だが、その死体の解剖から得られた研究成果から、そのモンスターには、種族名とともに二つ名が与えられた。
アラクネ。『ダンジョンの死体愛好家』
「ははは、図鑑に載ってた通りだ」
サコの口から出たのはそんな言葉だった。現実を見つめながら、現実逃避をしたかったが、声は震え、顔は恐怖で引き攣る。
「でかいなぁ。四メートルくらいもある。クモのような見た目だけど、正確にはトカゲに近いんだっけ……え、えと、あとそれから。特徴は毒で、さまざまな種類の毒が別の部位に保存されていることが確認されており、これらを使い分けるだけの知能はあるのだろう――だったかな。はは、よく覚えてるなぁ、俺。なんの役にもたたないけど……」
フゴフゴフゴフゴフゴ……。
今度は別の、奇妙な音。アラクネの頭部付近の穴が、パタパタと動いている。サコは気が狂いそうになるが、あえてべらべらと喋ることで気を紛らせる。
「アハハ、なるほど、匂いを嗅げるのか。豚みたいだな。嗅覚は強いほうかな? 強いか。暗いダンジョンじゃ音か匂いが頼りのはずだから、嗅覚は強くなるよう進化するはず。うん。よしよし。俺まだ正気。俺賢い。理性的」
フゴフゴフゴフゴフゴ……。
不思議なことに、アラクネは動かなかった。ずっと鼻と思しき器官をパタパタ動かして、よだれを垂らして興奮している。
「……気ッ色悪ィなあ!! 何とか言えよ、このダンジョン引きこもり陰キャ野郎!!」
サコがそう叫んだ、その時だった。
「ちょっと、口悪いよ! サコ。どこでそんな言葉覚えてきたの!!」
上から声がした。
「アコ……?」
サコの視界が涙でゆがんだ。はるか上の穴の入り口に、三人の影が見える。涙のせいで顔が全然見えないが、だれなのかははっきりとわかった。
「助けに来てくれたん、ですね……」
穴の淵から、城戸のいつも通りのきびきびとした声が聞こえてくる。
「サコをこれから救出する。サコ! 意識があるなら、現状の報告をしろ!」
だが、サコの口をついて出たのは、仲間への感謝でも、助けを求める悲鳴でもなかった。
「撤退してください!!!」
サコは真っ先にそう叫んだ。
「穴の底は未到達領域です。只今、アラクネと接敵中。壁面にシャツが引っ掛かって身動きが取れません!」
それだけ叫ぶと、サコはほっと息をついた。
『未到達領域のモンスターと接敵』
城戸なら、おそらく瞬時にその意味を理解しただろう。未到達領域に落ちた人間を助けに行くということは、地獄の窯に落ちた人間を追って自らもそこに飛び込むようなもの。
サコは、自分が助からないことと、救助が不要であること、そして、自分の死を受け入れたことを自己申告したのだ。
「……しばし、その場で待て」
城戸の返答はそれだけだった。穴の淵から覗かせていた顔が引っ込む。
それっきり、上から声は降ってこなかった。
「ああ、よかった」
サコは晴れやかな笑顔を浮かべた。
「みんなちゃんと逃げたんだな」
俺は助からない。数分ののちに、アラクネに捕食される。
城戸たちは無事に地上に戻り、たぶん三日後くらいに名ばかりの救助部隊が編成される。彼らはこの穴を覗き込み、事務的に俺が遺体すら残さず消えていることを確認し、穴を塞ぐ。
陥没事故の中では、かなり運のいいほうだ。サコは本気でそう思った。犠牲がたった一人で済むのだから。
だが、サコが本気でそう思えたのは、決して彼が立派な冒険者であるからとか、自己犠牲の精神にあふれているからだとか、そういう理由ではなかった。
サコはただ、その考えに縋るしかなかったのだ。
いかなる手を打とうとも、彼はもう助からない。「今食われるか、後で喰われるか」あるいは「一人で食われるか、四人で食われるか」その程度の選択肢しか残っていないのだ。
だからサコは縋った。「自分のために助けを乞わず、仲間の安全を優先した、模範的な冒険者」という、評判のような、誇りのようなものに縋った。これでいい。もし自分が死んだとしても、地上の人々は「彼は立派だった」と口々に賞賛してくれるだろう。
はるか上にある穴の淵からは、もはや人の気配は感じない。パーティメンバーは逃げたらしい。
そして、サコは気がつく。たとえ自分が、仲間のために自分の身を犠牲にしたところで、それを見ず知らずの人が知ってサコのことを口々に褒め称えたとしても、サコはその賞賛を受け取るはない。冒険者たちによって、分厚いコンクリートで埋め立てられた穴の下で、ただの骨片となって、いつか忘れ去られるのだ。
サコは、啜り泣きを始めた。
「帰りたい……帰りたい……」
「そうだね。サコ。一緒に帰ろう? お姉ちゃんと一緒に」
すぐ上から、聞き覚えのある声がした。
「姉さん……なんで」
ロープを腰に巻いて、穴の淵からつり下げられたアコが、サコに手を伸ばしていた。
短いですね
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