1-3 ヤケを起こしたい気分①
「開けるよ、姉さん」
箱に向かって、サコは声をかける。コブリンドローン出撃前、アコが入っていったあの箱だ。蓋に指をかけ、ゆっくりと開ける。
「姉さん……!」
「万事無事だよ、サコ」
箱の中から、アコは得意げな笑みを浮かべた。顔は真っ青、汗だくで視線の焦点すらあってないが、これ以上ない晴れやかな笑みだ。
「アコ! 最高の働きだ!!」
「今回復しますね」
城戸とノンノがねぎらおうとすると、アコは手でそれを制した。
「だいじょーぶ。ノンノがずっと戦闘中に回復照射してくれてたから。
ね、それよりも、私のコブリン回収してくれないかな。あとついでに、あのオークキメラも」
「800万ドルのドローンか……売れば大儲け間違いなしだな。ノンノ、ついてきてくれ。サコは待機。アコの様子でも見とけ」
城戸はそれだけ言うと、ノンノを伴って奥へと進んでいってしまった。
忌々しげな眼で、サコはその姿を一瞥したが、すぐにアコに声をかけた。
「姉さん、本当に大丈夫か。体は動く?」
「動かなーい。あと三十分くらいしたら立てると思うけど……。
ね、おんぶして、ちょっと水場まで運んでくれない? ……ちょっとおしっこ漏れちゃって」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ダンジョン内には、数はそう多くないが、水道管が敷かれている。蛇口が設置されているポイントは水場と呼ばれ、冒険者たちにとっての生命線の一つだ。
水場で体を洗っているアコに背中を向けるようにして、サコはHMDをつけたまま座っていた。BATDを飛ばして、常にクリアリングをしているのだ。
水場には、人の耳に聞こえない特殊な音波を発生する装置が設置されている。モンスター除けの装置だ。おかげで、水場には基本的にモンスターは来ないものとされているが、例外ももちろん存在する。ダンジョンの中ではありとあらゆる想定外が起こる、という文句は冒険者学校で一番初めに習うことだ。
幸い、周囲にモンスターはいないようだ。BATDによる警戒を続けながら、サコは一つ息をついた。
「……姉さん。城戸とノンノ、二人だけでオークキメラのところに行かせたのは、なんでだ? あの二人、絶対オークキメラからレアパーツちょろまかして懐に入れるつもりだぞ。水場に運ぶの俺じゃなくて、ノンノに頼めばよかったじゃないか」
「やだよ。ノンノとあんま仲良くないし私」
アコは水場の蛇口の下で、寝っ転がるようにしながら体を洗っている。
コブリンが入っていたあの箱は、ドローンの操縦席にもなっている。あの中に入った操縦主の脳に、コブリンドローンの感覚センサーの情報をダイレクトに送信し、逆に操縦者から出た脳信号をドローンに送ったりする。
操縦主の負担は莫大だ。通常、ドローンでモンスターと戦闘を行った場合、操縦主は十分ほど動けなくなるという。だからこそ、ドローンの操縦主はダンジョンに入らない。彼らのコックピットは地上のダンジョン管理事務所に設置され、操縦主はそこから遠隔操縦をする。
おまけに、アコはコックピットを自分なりにカスタマイズをしていて、触覚と痛覚情報をデフォルトの十倍にしている。操縦後三十分ほど動けなくなることも少なくない。今日の戦闘は激しかった。回復までかなり時間がかかるだろう。
「ま、いいでしょ。多分どうせ、オークキメラは私たちのものはならないし……そろそろ来るんじゃないかな?」
何が、とサコが問いかけようとした瞬間、その答えがサコのHMDに映し出された。
「390地点にドローン。……運搬用の奴が十台。ああ、そうか。オークキメラを横取りしに、地上から来やがったのか」
「だろうね。城戸もノンノも、覚悟はしてたと思うよ?
……サコぉー、体洗い終わったから、体拭いて服着せて座らせてー」
アコのおねだりに、サコは静かに頷いて、HMDを外した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アコの体を拭いて、素っ裸の彼女の体に、自分のシャツを着せてあげる。丈は腿まで覆えてる。サコは寝かせたアコの体を起こし、自分の隣に座らせた。そして再び、HMDを被る。
「……城戸とノンノは、オークキメラの所有権を守るために、戦うかな? ほかの冒険者と」
「無理無理。いくら運搬用とはいえ、もとはモンスターの体だもん。パワーが違う。ノンノを守りながらの城戸じゃダメだろうね。
それでも城戸とノンノはオークキメラを抑えに行った。連中と交渉して二束三文で売るつもりなんでしょ。十万円くらいで」
深くて重いため息をするアコ。
「……オークキメラ動かしてたあいつにとって、800万ドルってどのくらいの金なのかな。今頃あいつは、クーラーの効いた豪華な部屋の、ふかふかのベットの上で悔しがってんのかな」
サコは何も答えられなかった。
金持ち野郎のドローンをアコがつぶした時、最高にスカッとした。毒にやられて絶叫するあの声を、何度脳裏によみがえらせただろうか。
だが、そこから思考を進めると、すぐに暗い気分になる。オークキメラをほいほい買える連中がこの世のどこかにいる中で、そのおさがりをめぐって争う奴。そのおこぼれを狙う奴。体が動かせなくなって、それを横から見ているしかないアコ。
黙り込んでしまったサコに、アコがとん、と体をもたれさせた。生乾きの彼女の体からは、心の奥をくすぐるような柔らかい香りがした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ふいに、サコのHMDに警告表示が出た。BATDの映像に、大きな影が映る。
「姉さん、ドローンだ。運搬用が一体。こっちにくる」
アコは一瞬迷ったあと、サコから体を離し、下半身が隠れるようにシャツの裾を伸ばして、体育座りをした。
やがて、金属質の足音が聞こえ、一体のドローンが姿を現す。
オークドローン。アコが戦ったのとは違い、輸送特化型のようだ。大きな腕に、布に包まれた太い鉄柱のようなものを抱えている。肩の上に人間を一人乗せている。冒険者の男だろう。
肩の上の冒険者の男は、サコとアコの姿を見つけると、オークドローンの顔を叩いて、何か喚いた。きっと何かの指示だったのだろう。オークドローンはサコとアコの前で停止した。
「ヨォ! そこの彼女がアコちゃんかい? 聞いたぜー、あのオークキメラを倒したんだってな!?」
男は、二十代後半だろうか。オークの肩から飛び降りると、舐め回すような視線で体育座りのアコに近づいた。
「そりゃどーも」
「なんの用です?」
アコとサコがそっけなく対応するが、男はニヤリと笑った。近づいても身動ぎしないアコを見て、事態を察したらしい。
「あのドローンは、さぞ強かったらしいな」
値踏みするような目で、男はさらにアコに近づく。
「激しい戦闘だったはずだ。まだ動けないだろう。
こんなところにいないで、俺が地上まで連れてってやろうか?」
「彼女は、俺らのパーティメンバーです。必要ありません」
サコが割って入るように毅然とした態度で答えた。男はあからさまに嫌な顔になると、財布から万札を取り出して、サコの服の中ねじ込んだ。そして、なおもアコに話しかける。
「アコちゃん。俺は本気で君のことを心配してるんだ。さ、早く地上に行こう。君をこんなところで見捨てられないよ」
アコは何も答えない。視線を逸らして、俯いて全力で会話を拒否している。反対にサコは素早く動いた。服にねじ込まれた札を引っこ抜き、ポケットにしまっていたスマホを取り出す。
「なんのつもりか知りませんが、お返しします」
札を突き返しながら、サコはスマホの画面を男に見せた。
「どなたか知りませんが、このエリアの通信は、俺たちがもう復旧させました。あなたの一連の行動は、俺のBATDで動画撮影し、全て地上のサーバーに送られてます」
サコがそう告げると、男はひどく顔を歪めた。
『マサ、ここはもう諦めろ』
オークドローンに据え付けられたスピーカーから声。地上にいるドローンの操縦主の声だ。
『娼館代くらい、私がボーナスで出してやる。早く戻ってこい。戦利品の鮮度が落ちたらどうする』
チッ。
マサという名らしい冒険者は舌打ちをして、やっとアコから離れた。オークの肩の上に戻ると、頭部を強く殴る。それを合図に、オークは二人に背を向けて、地上へと走り出した。
走り出す瞬間、布がめくれてオークの運んでいるものが見える。ちぎれた腕と、そこから伸びる数本のコード。アコが倒したオークキメラの腕だ。
「あーあ。せっかくほぼ無傷で倒したっていうのに」
アコは口を尖らせた。さりげなくまた、サコに寄りかかる。力が抜けたのだろう。
「取り合いになったんだろ。現場に向かった冒険者同士で。でもあれじゃあ全部合わせて100万円程度まで下落したな」
自分で言ううちに、サコはまた暗い気分になる。
「ねぇ、サコ」
アコが頭をぐりぐりとサコの肩に擦り付けた。
「かっこよかったぞ〜。ノンノや城戸だったら、私を売ってたね」
「なんだよ急に、気持ち悪りぃ」
口ではそう言ったが、サコは体をアコに少しだけ寄せた。
「兄弟なんだから」
「ふへへ。くさーい」
「……体臭はお互い様だろ」
「そう言う意味じゃねぇよ、バカ……てか私臭くないが」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しばらくして、HMDにまた影が映った。
「冒険者が二人……ああ、城戸とノンノだ」
「肝心な時に来ないね、あの二人は」
アコが口をとがらせる。
まもなく、城戸とノンノが姿を現した。二人は申し訳なさそうな顔を作っていた。
「すまん、アコ。その、あのオークキメラなんだけどさ……」
「運ぼうとしてたんだけど、もうなくなってたんだ! びっくりだよね。多分、あいつが暴れた時にできた穴に落ちたんだと思う!」
サコとアコは思わず顔を見合わせてしまった。オークキメラなら、あとから来た冒険者どもがバラバラにして持って行ったはずだ。多分、城戸とノンノにそれなりの金を払って……。
文句言おうか? サコは視線でアコにそう問いかけたが、アコはゆるゆると首を振って足をパタパタと動かした……アコはまだ動けない。ドローンなしでは戦士職の城戸がこの場で最も強い。地上に戻るためにも、彼の力は必須だ。
「いいよ。穴に落ちたなら仕方がないね」
アコは二人にそう答えた。その声音に、感情を押し殺す悲しい響きがこもっていたことに、気が付かなかったのだろうか。城戸とノンノは一つため息をついて、お互いに目を合わせてニンマリとした。
三話同時投稿しています。
あとの二つも一緒にお願いします。