俺氏、何とか警察沙汰を回避する
「これは明らかに侮辱だろうがぁっ!!」
隣近所に響き渡るような大声で叫ぶ紋狗アルカ。
目は血走り、手は怒りで震えている。
常軌を逸した姿に身が縮こまるのを感じる。これほどの美少女が、いや、顔に関係なく、女性がここまでブチ切れている現場に俺は遭遇したことがなかった。
しかし、まずは彼女を落ち着かせないといけない。閑静な住宅街の一角にあるアパートで、叫び続けられたら警察に通報が入るのも時間の問題だ。
よし、少しずつ頭の混乱がとれてきた。
いきなり訳も分からず顔面パンチを食らい、しばらくは面を食らっていたが、彼女の目的が分かったことでやるべきことが見えてきた。
要するに、彼女は俺の記事が癪に障ったのだ。ちょっとした揶揄を本気で捉えてしまったのだ。この程度なら問題ないと俺は甘く考えていたが、彼女にとっては大事だったのだろう。
ブログの管理人を突き止め、直接家に向かい、パンチを食らわす彼女の行動力と怒りには正直ドン引きしている。本当に怖い。しかし、当たり前の話だが、この一連の騒ぎは根本的に俺が悪い。
だから、こういうときは謝罪に限る。素直に謝ろう。
「本当に申し訳ない!不適切な記事だった。すぐに削除します!」
謝罪の言葉と共に、俺は土下座をした。
恐らく、これこそが彼女が欲していた反応だと思う。誠心誠意の謝罪。この気持ちが伝われば、事は収まる。
それから、1秒、2秒、3秒……。時間は流れるが、彼女の反応はない。
10分経過しようかという時になっても、彼女は物音ひとつたてなかった。
待つべきか、それとも顔をあげて彼女の反応を確認すべきか。
足の痺れという要素も大いに影響し、俺は顔をあげることにした。
彼女は、にこやかな笑みを浮かべていた。しかし、目は笑っていなかった。
「10分31秒か……」
思ったより根性がないな、と彼女は呟く。
これは土下座の時間を指しているのか。そうすると彼女は俺に何分間の土下座を期待していたのだろうか。
「そういえば……。山村さん、あなたの『ご両親』が大変心配していましたよ」
ご、ご両親……だと!?
まさか、俺の親に既に連絡したのか。
立ち上がり、詰め寄ろうとした俺を、彼女は右手一本で制止させる。
「安心してください。ブログのことは何も話していませんよ。ただ……、山村さん。あなた、会社辞めたことはご両親に伝えてないのですね」
そう言うと、彼女は玄関の方へ歩き出した。
「刑法231条侮辱罪。刑法230条1項名誉毀損罪。そして著作権侵害」
彼女は玄関のドアに手をかけた後、再度こちらを振り向いて言った。
「大学まで出させてあげた可愛い息子が、親にも告げずに会社を退職。そして、気づいたら犯罪者になっていた、なんて笑えませんよね」
本当にそれは笑えない。
ていうか、え?土下座じゃ駄目なの!?
何か口にしなければ、何か反論しなければ。もう一回土下座するか?声量が足りなかったのか?
謝れば許してもらえるという安易な考えしかなかった俺の頭はパンクした。
このままじゃマズいと全身から警告音が流れているのを感じる。しかし、俺の口は鯉の如くパクパクと動くばかりで、音が出てこない。
「あなたがブログで書いた内容を民事、刑事両方で訴えますので。それでは」
蔑むような目線を最後に投げかけ、彼女はドアに手をかけた。
このまま彼女を行かせたら俺の人生が終わる。家族の人生にも傷が入る。
勉強も運動も中途半端、ただ人生を浪費するばかりの俺を黙って支えてくれた両親を泣かせるのか……!?そんなことを俺はやってしまったのか。
それだけは、それだけは勘弁してくれ。
「本当に申し訳ございませんでしたっ……!何でもしますから警察だけは勘弁してください……!」
心の底から絞り出した言葉だった。
俺の言葉が届いたのか、彼女は立ち止った。
そして、腕組みをして数秒間ぶつぶつと呟くと、こちらに振りかった。
「それじゃあ……、まずは」
彼女の表情は何とも形容がしがたいものだった。あえて例えるなら『いじめっ子がターゲットを見つけた瞬間の顔』。目はイキイキと輝いているものの、口角は不自然な笑みを形成していた。
警察沙汰になる、という最悪の事態は避けられたらしい。しかし、早速彼女は俺の『何でもする』という懇願を利用するつもりのようだ。
安堵の情が胸に広がる。それと同時に、一抹の不安も頭を過る。
警察に通報されることと、俺が彼女に奉仕を尽くすこと。結局、この二つの内どちらがマシだったのか。答えは分からない。とりあえず、今は最悪の事態を避けられたことを喜ぶことにした。