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2-3.アルズは旧友と飲み、フレデリカへの感情を整理する

 シヴァに胸の内を明かされた翌日、城に顔を出しづらくなったアルズは肖像画を仕上げるための顔料を求めて、隣市マルクラートへ向かった。


 東国ディットルランドの鉱石を使った青では、輝きが強すぎる。アルズは夜空に煌めく星のような青ではなく、聖女が身を清める湖のように透徹した色を妹の瞳に入れたい。こだわりを捨てきれない画家は、北国ラルカサの高峰に咲く花から採れる青を探し求める。


 フラダ王国には乗合馬車のような交通手段は存在しないため、荷車運送業の馬車に頼み込んで乗せてもらった。荷物の隙間に脚を曲げて体を押しこめたため、旅程が終わる頃には全身が強ばって、節々が痛んだ。


 マルクラートは計画的に区画整理しており、道路は広く、煉瓦家屋の目地も細やかだ。防衛用の城塞として始まり、三百年をかけて拡張していった首都とは異なる。マルクラートの中央に王弟の居城があるが、防衛用としての機能より豪華さを優先しているため、首都とは随分と街全体の景観や趣が異なる。このような都市であるから、贅沢品ともいえる希少な顔料は手に入れやすい。旧知の画材商コズを訪ねれば、期待どおりアルズが欲する顔料を扱っていた。


 コズは商売に関しては誠実な男だが、女にめっぽう弱くだらしない。会う度に失恋話を聞かされてきたが一年ほど前に良縁があった。アルズがコズと会うのは、その結婚式以来だ。


 取り引きが終わればアルズはいつものようにコズと共に酒場へ向かい、テーブルを囲む。夜の酒場はカード賭博に興じる喧騒と麦酒ビール)》の臭いで充満していた。二人は鳥の肉団子やサーモンのパイを食べながら語り合う。


「おい、どうしたアルズ。前みたいに陰気くさくなっているぞ。何があった」


「仕事が難航しているだけだ」


「筆が速いお前にしては珍しいな」


「思うような色を出せなかったんだよ」


「今日は随分と値の張る顔料を購入していたが、元が取れるのか? 今は、親父さんじゃなくてお前が仕事をとっているんだろ? 北国の青(ラルカサブルー)は売り出し中の画家が気安く買える顔料じゃあないぞ」


「手付金で十分払える。足りなければ後で請求できる」


「まじか……。客は相当の金持ちだな。貴族か?」


「ん? ああ。そうだ」


 王族だと知られると面倒ごとになるかもしれないので、発注元は適当に濁した。


「……アルズ、お前、恋の悩みを抱えているな?」


「え?」


「顔を見れば分かる」


「俺は、そんな顔をしているのか?」


 心の内を見透かされたような気がしてアルズが戸惑っていると、離れた席から声がかかる。


「引っかかったな、あんちゃん! そいつは手当たり次第に同じことを言っているだけだぞ」


「今度ガキが生まれるからな。コズの野郎は人の世話を焼きたくてしょうがねえんだよ」


「はっはっはっ。僻め僻め。ガキが生まれても、お前等には祝い酒を振る舞わねえからな!」


 麦酒の泡がついた口で周囲に言い返しながらコズは上機嫌に笑う。


「アルズ、外野は気にするな。……冗談でからかうつもりだったんだがな。お前もようやく結婚を考える時がきたか!」


「いや、別にそういうわけじゃ……」


「めでたい! 今日は奢ってやる!」


 空になった真鍮製のジョッキを掲げて振りながら、コズが子供じみた笑みを浮かべる。


「奢りなら、飲むか……」


 アルズのジョッキにはまだ麦酒が残っていたが、酔わなければ話せないこともあるだろうと、一気に飲み干す。アルズは口元についた泡を手の甲で拭きながら、コズと一緒にジョッキを掲げる。


「でだ、お前が好きになったのはどんな女だ」


「それが……。好きかどうか分からないんだ」


「はあ?」


 アルズはフレデリカの身分を伏せながら、事情を説明した。一緒に暮らしていた時期があり、妹のように思っていること。好きだという気持ちはあるが、それが愛情かは分からないということ。


「なるほどねえ。近くに居るのが当たり前すぎて分からなくなったのか。じゃあ、想像しろよ。そのフリッカって子が、見知らぬ男と一緒に里帰りしてきて同じベッドで寝たら、お前はどう思う?」


「フリッカの兄にも同じようなことを聞かれたよ」


 フレデリカの名前は口にしているが、シヴァの名前は伏せておいた。流石にシヴァとフレデリカという組み合わせでは、すぐに王族だと分かってしまう。


「で? フリッカちゃんが見知らぬ男と同じベッドで寝たら?」


「……物置になっている部屋の荷物を片付けて、ベッドを使えるようにする。フリッカと男には別の部屋で寝てもらう」


「答えは出てるじゃないか。自分以外の男と寝ているところを想像したくもないんだろ? お前はフリッカちゃんに惚れているよ」


「そうなのか?」


 感情を整理できないアルズがパイにかじりついていると、恰幅の良い店主が新しい麦酒を二つ持ってきてテーブルに置く。


「話は聞かせてもらったがな。俺も、お前さんはその子に惚れていると思うぜ。お前さん、コズがフレデリカの名前を気安く口にするのを聞いて、どう思った。少しムカついただろ?」


「ああ。実は無性に腹立たしかった」


「おい!」


「なあ、あんた都から来ているんだろ?」


「ああ」


「せっかく旅してきたのに、娼館にも行かずにコズと呑んでいる。向こうのテーブルに居る取り持ち女に金を払えば、すぐに女を紹介してくれるというのに、一瞥もくれない。それはフレデリカ以外の女が目に入ってないってことさ。お前さんは、フレデリカに惚れているのさ」


 店主はニカッと笑ってから、テーブル上の銀貨を手にして去っていく。


「そう、なのか」


「俺も同じことを言っただろ。そういうもんだ。お前はフリッカに惚れている」


 新しいジョッキを手にしたコズが、空いている腕をアルズの肩に回す。


「呑め。自分の気持ちに気付いた記念だ。呑め!」


「あ、ああ」


 釈然としない部分は大きかったが、アルズは確かに本当の感情に近づいた。離れた位置に居る第三者の方が、見えるものがあるのかもしれない。


 アルズは麦酒を半分飲むとジョッキに水を入れて薄めた。アルコールによる殺菌効果を期待して水に麦酒を混ぜて水分補給をすることは一般的だ。しかし、コズは見とがめる。


「おいおい、どうしたアルズ。薄めてたら酔えないぜ」


「絵を早く仕上げたくなった……。朝一で発つ。少しも酔いを残したくない」


「……そうか。愛しのフリッカちゃんの元へ急ぐというわけか」


 アルズは言い返さず、食事に集中した。

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