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15-3.永遠に微笑む

 魔力の欠乏は半精霊である男にとって、魂が半分欠けたに等しい。自我を失った男には、女が食料に見えた。


 小刻みに痙攣する手が肉に触れるその瞬間――。


 不意に頭上から小さな瓦礫が降ってきた。精霊武具使い同士の戦いで砕けた円塔の破片だ。


 円塔に開いた穴からさらに瓦礫が幾つか落下した後、一抱えほどの板が落ちてきた。


「う……?」


 男の視線が条件反射で落下物に吸い寄せられる。


 それは、昨晩フレデリカがアッシュ家を訪れた際に一階の工房で発見した物だ。コズに扮したアルズと会話した後に、フレデリカは感情の昂ぶりに身を任せて走り去ったので、それを持ち帰るのを忘れた。


 だから今朝、侍女をアッシュ家に向かわせて持って来させた。


 木枠に貼り付けられた麻布に描かれた一枚の絵。


 ――アルズはフレデリカの政略結婚を破断させるために、肖像画の見栄を悪くした。


 そして、それとは別に、もう一枚の絵を描きあげていた。


 隣町まで出掛けて画材を探し、寝食を惜しみ、全身全霊を込めた。


 絵の中で、椅子に腰掛けた少女が微笑んでいる。一緒に水遊びをした湖のように澄んだ瞳、足を滑らせて転んだ雪のように白い肌。背景は少女の美しさとは不釣り合いな程に薄汚れた壁、石膏像や画材の並ぶ棚。よく見れば、少女のお尻と椅子の間から、筆や刷毛の先端が出ている。まるで、絵ばかり描いている画家の気を引きたくて隠してしまったかのようだ。


 改めて見れば、少女は椅子に真っ直ぐに座っていない。少し体をずらして画面のこちら側に居る画家に優しい表情を向けている。


「あ、い……」


 手を伸ばせば届く位置でフレデリカが意識を失って倒れている。


 肩口で切られた髪は砂にまみれて汚れ、閉じられた目の周りは赤く腫れて、肌には無数の小さな傷が刻まれている。


「あ……」


 頭上から何枚かの絵が、風に抱かれてゆっくりと落ちてくる。


 幼い頃にアルズが描いた習作の数々だ。


 シヴァが勇ましく弓を構えている。


 フリッカが母さんに刺繍を教わりながら、上手くいかなくて頬を膨らませている。


 シヴァとフリッカが並んで父さんの肩を叩いていた。父さんは照れくさそうに視線を逸らしている。


 家族みんなで城壁を出て森へ木の実や薪を拾いに行った。換毛期のまだらになった兎を見て笑った。捕まえようとして、やはりフリッカが転んで、助けようとしたアルズも転んで、最後にシヴァが手を差し伸べてくれた。


 思い出が次々と降ってくる。


 そして、最後に一枚。シヴァとフリッカが誕生日にくれた、お世辞にも上手とは言えないアルズの似顔絵が手元に落ちてくる。


「シヴァ……フリッカ……」


 古びた羊皮紙の感触がアルズの正気を呼び戻す。フレデリカに触れる寸前だった手が止まる。


 アルズは羊皮紙を置くと、自分の手首を口元に運び噛みついた。歯が肌を裂き、骨が軋んで音を立てる。血の味が口腔内に広がり、僅かに空腹を癒やした。


 脳に走った痺れが、微睡みの意識を覚醒させていく。


(八咫! 俺が正気を失う前に、ここから離れるように誘導してくれ!)


『壊れなかったか。アルズ。その鬱勃たる意思を、戦闘時に見せてもらいたいものだ』


 事態の推移を見守る緊張から解放されて出た、八咫烏なりの軽口だ。しかし、アルズには取り合う余裕はない。


(八咫! 俺の目はすぐにフリッカに引き寄せられる。鼻はフリッカの匂いしか嗅がない。耳に届くのはフリッカの吐息だけだ。少しでも気を抜けば、俺は何をしてしまうか分からない。……俺は何処へ行けばいい。何も分からないんだ。誘導してくれ)


『こっちだ。ついてこい』


 八咫烏がアルズの眼前を横切り、飛んでいく。アルズはその小さい姿を追う。


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