14-4.アルズの変調
(フリッカ!)
何か不測の事態が起きており、触れ続けるのは拙いと判断したアルズは、フレデリカの短剣を強く打ち払う。短剣は呆気なく何処かへ飛んでいき、無手になったフレデリカは正面からアルズに激突。
フレデリカの短い髪が跳ね、甘い匂いがアルズの鼻をうつ。その香りは、大通りの至る所から漂っていた瑞々しい果物のような匂いと酷似する。エルフの少女が口にしていたクレープの匂いにも、ドワーフの男達が手を肉汁で汚しながら食べていた鶏の匂いにも似ている。
いや、違う。エルフやドワーフの体から立ち上っていた香りだ。
(うっ……。あ……)
『アルズ! 離れろ!』
(あっ、ああっ……)
急激な空腹と喉の渇き。今すぐ喉を潤したいという渇望が、体の芯からあふれてくる。
(な、何が……)
『アルズ! 正気を保て!』
アルズは、八咫烏の怒鳴るような声を遠くに聞いた。腕の中では、柔らかな肉塊が甘い香りを立ち昇らせている。アルズは殆ど無意識の内に、フレデリカの白い首筋へ牙を剥いた。
触れる寸前、アルズの歯先に銀線が走る。
「離れろッ!」
ミルティの鋭い叫び声。フレデリカから遅れて、今頃になってようやく、二人の侍女がアルズの元に達した。
サラの短剣が閃き、仰け反ったアルズの顔面に迫る。
「くっ!」
アルズは攻撃を回避するため、フレデリカを突き飛ばし、距離を開ける。
「きゃっ……!」
姿勢を崩したフレデリカはサラと激突し、もつれ合うようにして倒れる。エルフのミルティが小さな体で二人を庇うように立つ。
アルズの鼻がひくつく。フレデリカ程ではないが、ミルティからも甘く瑞々しい香りがする。エルフ特有の尖った耳や、色素の薄い柔肉の味を想像するだけで、口腔内に唾液が溢れてくる。
『アルズ!』
眼前で烏が翼を広げた。
「……?! っ。おっ、俺は、今、何を?!」
アルズは八咫烏の叫びに反応して、辛うじて正気を取り戻す。フレデリカの首筋に噛みつこうとしていた暴挙も、ミルティを食物として認識していた錯乱も覚えている。
アルズの視線に不穏なものを感じたのか、ミルティが額に汗を滲ませ一歩後ずさる。いつの間にかミルティのスカートは裂け、ドロワーズの下に肉付きは悪いものの白くて美味しそうな脹ら脛が露出していた。アルズはエルフ少女の脚を見て喉を鳴らした。
今度はアルズにも理解できた。それは、ほの暗き食欲であった。
(なんだ、今のは、おい、八咫。俺の体に何が起きている。この急激な空腹感はなんだ)
『説明する。だが今はこの場を去れ』
(あ、ああ。ここに居るのは拙い)
『塔の一階を繋ぐ回廊の上に、敵の精霊武具が落ちている。回収しろ』
(わ、分かった)
アルズが回廊を見上げたその時を好機と見たフレデリカが、サラの細剣を取り、全力で踏みこむ。地面が弾け芝生と土を巻き上げながらフレデリカが急加速。真空となった背後で渦が巻いた。ヴァニカラードで、その速度を見たことのある者は僅か一名。正午を告げるカリヨンが鳴った時に偶然空を見上げていた者だ。
――それは、一国の王女に過ぎないフレデリカの速度が、皇国の精霊武具使いにあって近接戦闘最強を誇るルイドに比肩しうることを意味する。
「逃がさない! アルズの仇!」
「くっ!」
警戒心を張り巡らせていたのに避けられない速さとタイミングだった。生まれたての子鹿が親の姿を見て歩き方を覚えるように、魔力を得たばかりのフレデリカは、知らず知らずの内にアルズという手本から魔力操作を学習していた。




