12-1.アルズは都市内で追跡者の手がかりを探す
路地からふと覗いた食卓のように、暖かくも儚い夜が明けた。
鏡に映る顔は、たとえ二度目でも寝起きの頭を覚醒させるには十分だった。
「うっ」
『自分の顔に怯えるな』
テーブル上の精霊武具から烏が浮かび上がり、早朝の冷たい空気の中をアルズの肩へと飛ぶ。
「仕方ないだろ。俺はこいつに一度殺されているんだ……」
アルズは心に念じるだけで八咫烏と意思の疎通が可能だが、つい癖で声に出してしまう。
「復讐心を呼び覚ますにはうってつけの顔だが、できれば見たくない。……そうだ」
閃くことがあったので、アルズは階下の工房へ降りて早速実践してみる。
「鼻がよくなったせいで油の臭いがきつい工房には近寄れなかったから、昨日は思いつかなかったんだ」
画材の棚を漁り、黒の染料とぼろ切れを取りだす。部屋の中央にある物には意図的に視線を向けない。
「父さんが白髪を隠すために使っていた染料は……これか? 墨を使っていたのか? 気にもしてなかった……。別に間違っていたとしてもいいか」
染髪の知識がないアルズは、適当に櫛と刷毛で髪を染める。目立っていた赤い髪が黒の短髪になれば、アルズは眼光に殺気を漲らせたり他者を睨んだりしないので、外見から受ける印象は大きく変わった。
「おい、どうだ、八咫。これなら別人だろ? お前の体と同じ色だ」
『生憎、我は人間の外見による個体差を識別できない』
「その目は飾りなのか?」
八咫烏の瞳は陽の加減によっては硝子玉のように輝くが、無機質なので感情の色はない。
『貴様はネズミや蜘蛛を見て、個体差を識別できるか?』
「いや」
『気を悪くするな。だが、それと同じだ。我は人の個体差を識別できない』
「なら、八咫はどうやって俺を認識しているんだ」
『魔力の波長……といっても通じないか。魔力に色や形があると思え。精霊はそれを識別できる』
「そうか。よく分からないが、俺とは違う風に世界が見えるのか。そろそろミッケルが来る。朝食を取ってから出発するか」
『染めた頭で昨日の人間と会うのか?』
「……しまった。部屋を借りた人間が次の日に髪を染めているのは不自然か……。染料がまだ乾かないが、ミッケルが来る前に出よう。敵を探す」
『当てはあるのか?』
「あいつの長身なら目立つ。少なくとも二日はヴァニカラードに潜伏しているんだから、目撃情報があるかもしれない。食料を扱う店で聞き込みをする」
『……アルズ。フリッカを護るという意志は変わらないか』
「ああ。お前には悪いが、俺の最優先はフリッカだ」
『……己の血を流す覚悟はあるか』
「当たり前だ」
『そうか。なら貴様の思うように、都市内で聞き込みをしろ』
「……?」
アルズは八咫烏の言葉に引っかかりを抱くが追及せずに家を出る。
――程なくしてアッシュ家を訪れる者がある。隣家の少年ミッケルではない。その者は工房から、先程アルズが意図的に視線を逸らしていた物や、他にも室内にあった物をいくつか持ち出す。既に家を離れたアルズはそのことに気付かないし、後の窮地にそれを見るとは予期しようがない。
大通りでは収穫祭が終わり、都市は日常を再開した。元から通り沿いに商店を構えた雑貨屋や料理屋は営業しているが、やはり、前日までとは比べものにならないほど人は減る。城壁を出る者は多い。越冬のために薪を拾いに行く者、畑へ麦の種を蒔きに行く者、他の都市と商売しに行く者。
(……朝飯はまだだし、何か適当に腹に入れておくか)
食欲をそそる香りがあちこちから漂ってくると、アルズは口の中に唾液が湧くのが分かった。




