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11-6.アルズはフレデリカに愛していたと告げる

 アルズが時を忘れかけた頃、フレデリカが「あのっ!」と一際大きく言葉を詰まらせた。


「アルズは……。私のことを何か言っていませんでしたか?」


「フレデリカさんのことを?」


 アルズは答えに窮した。


 四日前、まさにアルズはフレデリカのことをコズと話したのだ。


(コズと呑んだ翌日、急いでヴァニカラードに戻って肖像画の仕上げに入った。気持ちの整理がついたからか、筆は順調に進んだ……。納期の前日、陽が沈む前には全て完成していた。それから一刻も早く見せたいと……。いや、フリッカに会いたかった)


「あの、コズさん?」


「あ、ああ、アルズがフレデリカさんのことをなんと言っていたか、ですよね」


「はい」


 アルズには二つの選択肢がある。


 フレデリカのことを愛していたと伝える選択肢。これは、アルズがフレデリカに贈れる最後の言葉になる。おそらく、フレデリカが望んでいる返事だ。


 もう一つは、アルズがフレデリカを想っていなかったと伝える選択肢だ。


(いっそのこと、俺には他に好きな人が居たことにすればいい。フリッカの幸せを願っていると伝える。そうすれば、フリッカは俺を早く忘れてくれる。隣に居るのが俺じゃないのは悔しいが、フリッカが幸せになるなら、それでいい)


 答えるべきは後者だ。アルズはもう、フレデリカに想いを告げることはできない。本当の気持ちを伝えれば、フレデリカの今後の生き方を縛りつけるかもしれない。


「フレデリカさん」


「はい……」


 神託を待つ聖女のように澄んだ声がドアの向こうから聞こえた。唾を飲む音は部屋の外か中か、どちらから聞こえたものか。


「アルズは貴方のことを……」


 ――その先が言えない。


 愛していなかった。そう伝えれば、フレデリカは新しい人生を送れる。シエドアルマ皇国の侵略という国難が待ち受けているが、戦争は新たな王に任せればいい。すぐ隣のマルクラートには王弟だって居る。女性のフレデリカは王位継承権が低い。隣国ペールランドに嫁いでも良いし、市井に降嫁もできる。アルズのことを忘れて、伴侶を見つけて幸せになってもらいたい。


「アルズは貴方を――」


 ドアの向こうでフレデリカが息を潜めて言葉を待っている。冬を間近にした晩秋の夜気に体を冷やしながら、体を震わせているだろう。


 同じくらい震える唇でアルズは言葉を紡ぐ。


「――愛していた」


 変わり果てた姿でも、心を偽ることはできなかった。


「妹のように思っていたが、気付けば一人の女性として意識していたそうです。詳しい話は知りませんが、叶わぬ恋だと聞きました。アルズはいつも貴方の幸せを願っていた」


 自然と涙がこぼれてきたので、アルズは一拍置く。


「――フリッカ、愛してる。でも、俺のことは忘れて幸せになってくれ――」


 飾らない本心を、そのまま口にした。


 ドアの向こうで大きく身じろぎしたのが分かる。


 フリッカという呼び方も口調も、何もかもが在りし日のアルズになってしまった。誤解を与えると分かってはいたが、これを決別の言葉にする覚悟があったため、最後に自分の本心をさらけだしたのだ。


「――そう、言っていました。……夜も遅い。もう、帰りなさい」


「え、ええ……。お話ができて、幸いでした」


 アルズは涙が止まらなくなり、もうこれ以上、平静を装って話すことは無理だった。次に口を開けば、嗚咽交じりの言葉しか出そうにない。


 嘔吐くのを堪えるような息づかいがドアの向こうに生まれた。


(フリッカ、愛してる。……愛してる! 俺は君を忘れない。でも、君は俺のことを忘れてくれ。……俺はシヴァの仇を討ち、君から少しでも戦火を遠ざけるように戦い続ける。笑ってくれ。画家が戦うなんて覚悟を決めたんだ。でも、俺はもう君に涙を流させたくない)


 床板の軋む儚い音。フレデリカが立ち上がったのだろう。足下が覚束ないのか、ドアに体の何処かをぶつけた音がする。思わずアルズは手を伸ばしかける。フレデリカがどんな表情をしているのか、アルズは想像したくなかった。けれど、はっきりと目に浮かぶ。幼子のように顔をくしゃくしゃにして涙で顔を濡らしている。泣き叫びたくなるのを必死に我慢している。


 フレデリカの歩みにあわせて、床板が今にも割れそうな音を立てて軋んだ。


 階段を下りる音が、底へと落ちていく。アルズはフレデリカが足を踏み外しはしないかと、気が気ではない。


 階下で玄関戸が閉じられると、か細い足音があっという間に遠ざかる。


「さよなら、フリッカ……」


 アルズは魂が抜けたかのような脱力感を抱いてベッドに倒れる。


 瞼を閉じれば、去りゆくフレデリカの足音が耳に届く。


 今フレデリカが走るのは、幼い頃の彼女が何度も転んで膝を擦りむいた通りだ。石畳の緩やかな坂になっていて、雨や雪が降るとよく滑った。


(ああ、そうだ。フレデリカを泣かせた悪い石を退治してやるって、踏みつけたら俺も転んで額を怪我したんだ。俺達が二人で泣いているのに、シヴァは腹を抱えて笑ってた)


 次から次へと思い出が色鮮やかに蘇ってくる。


(フリッカはそろそろ大通りに出たか。魔王の灰には触れるなよ……。いや、魔王すら俺が……倒して……)


 夢の中でアルズは幼気盛りに戻り、フレデリカと手を繋いで路地を走って回った。次第に二人は成長し、今と変わらぬ年頃になると握った手は放される。


 いつからだろう。手を繋がなくなったのは。


 いつからだろう。同じベッドで眠らなくなったのは。


 アルズはフレデリカから離れ、闇のように暗く遠い位置に立っている。


 伸ばした手は、もう二度と届きそうにない。


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