11-5.アルズは素性を伏せたまま、自分の思い出をフレデリカと語り合う
アルズはフレデリカを直視できない。狼狽える様子すら愛おしく思ってしまったからだ。フレデリカは灰色の視界でも花のように美しく色づいている。部屋に半身が入っているだけなのに、アルズの元へ馥郁たる香りが漂う。アルズは体の中心に熱を感じ、自分が生きていることを告げてフレデリカを抱きしめたい衝動にかられた。
しかし、それは叶わない。
「貴方の素性は信じましょう。しかし、ここは男が泊まっている部屋です。若い女性が入るべきではない」
「あっ……。すみません」
本当はもっとフレデリカを見つめていたかった。しかし、アルズは自分の意識がルイドの肉体にあると知られるわけにはいかない。フレデリカの顔を見ていれば、未練が膨らむのは分かりきっている。
それに何より、いつまでもフレデリカと接すれば、アルズは理性を失い本能の赴くままにフレデリカの肉体を蹂躙してしまうかもしれない。
シヴァの前では、女を抱くという言葉の意味を知らない風に装ったが、アルズとて年相応の性知識を持っている。先日までは妹分と男女の営みをしたいと思ったことは一度もなかった。
だが、己の感情を自覚した今は違う。
しかし、たとえフレデリカが全ての真実を知り、アルズの愛を受け入れたとしても、それはあまりにも残酷な行為だ。手には顔料と油ではなく、アルズやシヴァの血が染みこんでいる。
(ああ……。八咫が正体を明かすなと言った理由が今になってようやく分かった……。俺は、もうフレデリカを愛することはできないんだ……)
落胆に沈むアルズの視界から、フレデリカがゆっくりと去っていく。
二人は相思相愛だった。立ち去る背中をそっと抱きしめて愛を囁きたい。しかし、それは永遠に叶わない。
戸が閉まる。彼女の立てる音さえ名残惜しかった。
(フリッカ……。好きだ。……愛してる。けど、俺は、もう死んだんだ)
アルズは脱力し、ベッドの端に腰から落ちる。大きく息を吐くと、暗い部屋がしんと静まり返る。寸前まで昼間のように暖かく花のような香りで満たされていたのに、一瞬で牢獄のように冷たく音をなくした。
(……?)
数秒ほどしてアルズは、フレデリカが去っていく気配がないことに気付いた。
(……ドアの向こうにまだ居る?)
アルズは耳を澄まし、ドアに意識を集中する。
「あの……」
強化された聴力でなければ聞き漏らしていたかもしれないほど、小さな声。
「……どうかしました?」
「変なことを窺いますが……」
(疑われている? 俺が名乗ったコズは実在するが……。俺の態度は何か不自然だったか?)
「コズさん。アルズとは、何処で知り合ったのですか?」
(拙い。やはり疑われている)
下手に誤魔化せば不信感を募らせるだけなので、アルズはコズとの出会いを思いだし、コズの視点から正直に答える。希少な画材を求めてマルクラートに出掛けた時、酒場で相席になったのが切っ掛けだ。
「アルズとは二年ほど前にマルクラートの酒場で出会いました」
「アルズと酒の席で意気投合したんですか?」
フレデリカの声がやや大きくなる。
(ああ、驚くのも当然だ。俺は酒場で他人と盛り上がる質じゃない。コズが勝手に話しかけてきて一人で酔い潰れて、店員が俺達を知人だと勘違いして、介抱しろって言ってきたんだ)
アルズはフレデリカと会話しつつ、自身の記憶を整理するために、語り聞かせることにした。それは、アルズ・アッシュと決別する儀式でもある。過去を振り返り、その思い出をここに置いていくための――。
「俺が意中の相手に告白して良い返事を貰っためでたい日に、アルズは酒場の隅でチミチミと水で薄めた麦酒を呑んでいた。俺は隣に座って『呑め』って麦酒を押しつけて……。何を話したかは忘れたな」
アルズはフレデリカだけでなく、数少ない友人とももう自分としては会えないことを、今更実感し胸が痛んだ。
「それから、アルズとはどのような交流を?」
(どうも調子が狂う。俺が知るフリッカはもっと子供っぽい喋り方なんだが……。俺以外の人間とは、随分と淑やかに話すんだな)
フレデリカがドアにもたれて、床に座ったことが音で分かる。
(長居するつもりか? ああ。そうか。フリッカがあれこれと質問するのは、俺を不審がっているのではなく、故人の話を他人の口から聞きたいからだ。これは別れの儀式だ。葬儀の際に故人との思い出を語り合う場なんだ……)
肉体を代えて生き延びた男は、最愛の女性の中で今まさに自分が過去になる只中だと気付く。
(同じだ。俺がフリッカのことを思い出に仕舞おうとしているのと同じだ……)
他人のフリをしながら自分を語ることに言いようのないもどかしさを覚えるが、アルズはフレデリカが望むまま思い出話を聞かせた。




